第七十八話 内なる獣

 

 

 

「う、美味っ……」

「あー、貝のお刺身がこんなに美味しいなんて」

「こんなに新鮮なお刺身、東京来てから初めてかも……」


 工藤、夏木、綾瀬の後輩達が、まずはとテーブルに載せられた刺身の盛り合わせを食べて、ジーンと感動している。

 大樹も久しぶりに食べる新鮮な刺身を噛みしめるように食べている。


「ふふっ、気になるものや、食べたいものあったら好きに頼んでいいからね」


 微笑ましいといったように後輩達を見ていた玲華のその言葉に、後輩達が恐縮するように頭を下げる。


「でも……メニューが見当たらないような……?」


 キョロキョロしながら夏木が首を傾げると、麻里が口の中のものを飲み込んで答える。


「こお店では、その日に仕入れた良いものそれだけを出すために、メニューが示されていないんですよ。たまにありますよ、こういうお店」

「そ、そうなんですか……」

「ええ。ですが、思い浮かぶ大抵のメニューには応えてくれると思いますよ。ですから、何でも頼んでみるといいですよ」

「は、はい……」


 夏木は頷くと、ふとしたように大樹を見てから、クスリと微笑んだ。


「……なんだ、夏木?」

「いえ。なんか新鮮だなーと思いまして」

「? 何がだ?」

「あはは、だって、こういった飲み会の場で、さっきみたいなふとした疑問が出た時とかって、大体先輩が答えてくれてたじゃないですか? それが今日は先輩以外の人が答えてくれたんですよね。それが何か違和感っていうか、面白く感じて」


 どこか恥ずかしそうに頭を掻く夏木に、工藤と綾瀬が相槌を打った。


「ああ、なんの違和感かと思ったら……確かにそうっすね」

「……私、先輩が答えると思って無意識に先輩の方見てた」

「……お前達もか」


 大樹はどういったものかと眉を寄せた。

 これは後輩達が入社してから、大樹以外に頼る者がいなかったということを、如実に示していると言えるだろう。

 それが嫌という訳ではないが、このことに秘める危うさに大樹は今更ながらに気付かされたのだ。


(……だが、年が明けたらこれも変わる、か……)


 来年になれば転職も済み、彼らの環境は劇的に改善されるだろう。

 改めて大樹は後輩達の転職が決まったことに、安堵の息を吐いてしまった。

 そんな大樹の心境を察したのだろう、複雑な目で後輩達を見ていた玲華と麻里が対面に座る後輩達に聞こえないよう大樹へ囁いた。


「安心なさい。もう心配いらないから」

「大丈夫、全然間に合いますよ」


 そんな頼もしすぎる二人の声を聞いて、思わず大樹は肩の力が抜けるのを感じながら苦笑を浮かべた。


(……俺もまだまだだな……)


 さりげなく会釈して二人へ感謝を示す。


「……どうかしたんですか、先輩?」


 小首を傾げる夏木に、大樹は「いや」と首を横に振ると、話を逸らすように麻里が口を開いた。


「綾瀬さん、夏木さん、工藤さんの三人はずっと柳さんに指導されながら仕事をしていたと聞いてますが、仕事の最中の雰囲気とか聞いてもいいですか?」

「仕事の時の――」

「雰囲気ですか……」


 夏木の続きを綾瀬が口にしてから、三人は少し考えてから口を開く。


「もう大体アレっすよね? 黙々とキーボード叩いてるっていうか……」

「まあ、集中してるから大体そうよね……」

「あ、たまにゴミ課長とか、邪魔しかしない上司の愚痴とか混じったりね」


 最後の夏木の言葉に、麻里は眉を怪訝にひそめる。


「邪魔しかしない……ですか?」

「そうなんですよ! あの人達、顔見せたと思ったら聞いてもない自慢話なんかしてきて!」

「あれ、うざいっすよねー。パチンコでいくら勝ったとか、どうでもいいってのに」

「ねえ。それにこっちが残業続きで毎日遅くまで働いてるのに、昨日はどこそこに飲みに行ったとか、何でそっちはそんなヒマがあんのよって、怒鳴りそうになるの抑えるので必死よね」

「恵はその上に、隙あらば肩や腰触られたりでセクハラされそうになるし、大変だよね」

「あれはひどいっすね」

「ああ、もうやめて。思い出すだけで気持ち悪くなるんだから」

「あ、ごめんごめん」

「でも、あのセクハラ連中を追い返す先輩見てスカッとするんすよね」

「あっはは、確かに!」

「もう、そっちは見てるだけだからいいわよね。でも……スカッとするのは心から思うわ!」

「綾瀬が言うと、実感が半端ないっすね」


 あっはっはと笑い合う後輩達。良く見ると、いつもよりハイペースで飲んでいたようで、そこそこ酔っているようだ。

 麻里は後輩達のあまりな話を聞いた故か、最初は頬を引き攣らせていたが、次第に興味深そうに耳を傾け、また質問を交えて後輩達から色々話を聞き出している。


(……思っていた以上に、話上手、というか聞き上手だな)


 気づけば、酔いのせいもあるだろうが、後輩達は恐縮した様子もなく麻里と話をしている。

 麻里は玲華のような親近感を抱かせる雰囲気を出している訳ではなく、それとなく相手のしたい話を誘導させて打ち解けていっている。

 それを話術の一つとして駆使しているように見える。


(社長秘書筆頭、か……伊達じゃねえな)


 玲華も同様であるが、底が見えない。

 色んな意味で、敵に回したくない人だと大樹は思った。


(そりゃ、会社も大きくなるな……)


 秘書では役不足ではないか、そう思わせるような人物が、カリスマの塊たる玲華を完璧に裏から支えているのだろう。『SMARK'S SKRIMS』の躍進に麻里は必要不可欠な存在であったはずだ。

 今日会ってからのことから、大樹は麻里をそのように分析した。早計かもしれないが、概ね間違っていないだろう。

 そんなことを考えながら大樹は、先ほどテーブルに運ばれたばかりの寿司を頬張った。


「むう……」


 思わず唸ってしまった。


(入った時に見た親父さんの佇まいから予想していたが、これは期待以上……!)


 ネタの新鮮さは言うに及ばず、シャリの味と握りが正に絶妙。

 口の中に入れたら絶妙な酢飯がネタの旨みを優しく解し、最後はハラリと崩れて喉の通りを邪魔しない握り加減。


「うーむ……いい腕だ……」


 つい、しみじみと口にすると、横から肘で突かれた。


「ね、ここのお寿司、美味しいでしょ?」


 玲華が小声で悪戯っぽく笑って見上げてきた。

 ここに来るまで迂闊なことをしないようにと、大樹を視界に入れないようしていたのに何故と思ったが、すぐ理解に至る。

 後輩達の注意が完全に麻里へ向いているからだ。

 この状況なら、と話しかけてきたのだろう。


「ええ、美味いです。ここの親父さんは見事な腕をお持ちですね」


 大樹も声を抑えて玲華に返事をする。


「ね、いい仕事するでしょ。お値段も手頃なのよね、ここ」


 玲華の手頃と大樹の手頃ではかなり違うと思うが、そこは突っ込まない。


「よく来られるんですか?」

「言っても偶に、かな。あ、お昼に会社の子連れて来る時もあるわよ」

「ああ、ランチタイムですか」

「そう。メニューは限られてるけど、美味しいのよね」

「ここなら、さぞ美味いものを出すでしょう」

「大樹くんも、うちに入ったらいつでもいけるわよ?」


 楽しげにそう囁く玲華はちょっと上機嫌に見え、今日ようやく大樹にとってのいつもの玲華を見れた気がして、大樹の頬が綻んだ。


「ですね。その時の楽しみにしておきます」

「ええ――ふふっ」


 どこか意味深に微笑んだ玲華に、大樹は首を傾げた。


「どうしました?」

「ああ。ふと思ったんだけどね、こうやって外で食事するのって初めてじゃない?」


 そう言われて大樹は考えてみた。


(……言われてみれば確かに……映画館での飲食はノーカンとしたら――)


「……確かにそうですね」

「ね。会ってから何度か食事したことあるのに、外でこうやって食べるのはこれが初めてだなんてって思うと、なんかおかしくって」


 そう、大樹と玲華は食事を通して仲を深めたようなところがあるが、外食はしたことがないのだ。

 なのに初めての外食が、このような場になったことにおかしみを覚えても仕方ないだろう。


「確かに」


 クっと大樹は頬を吊り上げて、玲華と笑い合った。


「ふふ、なんでも好きなの頼んでいいからね。お寿司やお刺身以外の一品も美味しいし」

「ええ、ありがとうございます。ご馳走になります」


 軽く頭を下げると、玲華は笑って大樹の肩を叩いた。


「もう、そんな他人行儀いらないわよ!」


 一瞬ドキリとする。玲華のボディタッチに対してではない、後輩達が今のを見てたかにだ。

 横目で窺うと、こちらを気にした様子は無い。酔いもあるのだろうが、それだけ麻里と話すのに集中してしまっているのだろう。

 ホッと安堵の息を吐いていると、玲華が小首を傾げた。


「どうしたのよ、大樹くん?」

「いえ、別に……」


 言いながら大樹は、玲華の顔がそこそこ赤くなってるのに気付いた。


(……これぐらいは、いつもと同じぐらい――いや、いつもより赤い、か……?)


 普段、玲華は酒癖が悪いと言っているために、大樹と食事をする際には最初のグラス一杯、もしくは二杯ぐらいしか飲まないようにしている。が、今飲んでいるのはジョッキである。それをもう既に半分以上空けているということは、大樹が知る中では一番飲んでいると言えるだろう。

 実態は知らないが、様子から話していた酒癖が出るほどではなさそうだ。が、多少、大胆になっていると思われる。ここに来るまで気にしていた後輩達のことを今はあまり意識してないのがその証左だろう。

 その上、目が潤んで少しトロンとしていて――


(か、可愛いな……)


 ここまでアルコールが回った玲華を目にしたことのない大樹は、普段とはまた違う魅力を放つ玲華の姿に息を呑んだ。


「なーに、どーしたのよ、ふふ」


 僅かであるが、普段より間延びしたような声。


(……ちょっと、頭の回転が鈍くなってる……か?)


 それならばまだ普通に酔ってる状態と言えるだろう。


「いえ……刺身美味いですね」


 とりあえずこれ以上は飲まないよう注意すれば大丈夫だろうと大樹は判断して、刺身を頬張った。


「ふふん、そうでしょうそうでしょう」


 うんうんと頷く玲華から、大樹は彼女の内なるポンコツが起き上がるのを感じ取った。

 チラと後輩達の様子を窺うと、まだ大丈夫そうだ。


「ええ。しかし……こう美味い刺身食うと、釣りに行きたくなってきましたよ」

「? ……え? 大樹くんって、釣りするの?」


 パチパチと瞬かせた目を丸くする玲華に、大樹は頷いた。


「ええ。会社がブラック化する前は、の話ですが」

「ああ……今は行きたくても行けないってことなのね」

「そうです。ジムと同じくで」


 無念なことこの上ないと大樹はため息を吐く。


「ねえ、釣り行ってお魚釣ったらやっぱり自分で捌いて食べるの?」

「そりゃ、そうでしょう」

「……洋食屋でもお魚捌くの覚えるもんなの?」

「多少はありますが……洋食屋関係なく、日本に住む料理人なら魚は捌けた方がいいでしょう?」

「あ、それもそうね……」


 納得したと頷く玲華に、大樹は続けて言う。


「それに釣り行った時ですが、釣ったその場で捌いて昼飯にする時だってありますよ」

「へー……そ、それってすごく贅沢なんじゃ……」

「ええ、特に美味かったのが……イカですかね。釣った時なんかはササっと捌いてイカそうめんにしてすすったり」

「うっ……」


 ゴク、と玲華の喉が鳴る。


「知ってます? イカって本来は透明なんですよ。あの白さは締めてから出るもんでしてね。なので、締めたばかりだと、透明なんですよ」

「あ、確かに、そういうお店あった……」

「ええ、ありますね。でも、海の傍で食うのはまた格別ですよ」

「ううっ……ね、ねえ、大樹くん、今度、私も釣り連れてって欲しいな……」


 今にもよだれを垂らしそうな顔だったので、そう言うのは予想出来ていたが思わず苦笑してしまう。


「構いませんよ。もちろん、今の会社を辞めてからの話になりますが」


 だが、この後の玲華の行動は少し予想から外れていた。


「やったー! すごく楽しみ! ありがとう、大樹くん!!」


 手を挙げて喜んだかと思えば、その勢いで大樹の腕に抱き着いてきたのだ。

 その瞬間、騒がしかった場が静まり返る。

 後輩達が揃って信じられないと言わんばかりにあんぐりとしている。

 麻里は口に手を当て、大樹達に顔を背けて肩を震わせている。


「せ、先輩……如月社長と仲良いんっすね……」

「え、ちょっと、先輩――」

「――どういうことですか……?」


 恐れ入ったような工藤から、引き攣った顔になった夏木と綾瀬が続いた。

 ここで玲華がハッとして、大樹から離れる。


「ち、違うのよ、これは――!?」


 なんて言いながらあたふたしている様には、社長の威厳なんてものはまるで無くて――


「ん……?」


 綾瀬が何かに気づいたような声を出して、マジマジと玲華を見始めた。


「え、どったの、恵……」

「え、うん、何か……何だろ……今日ずっとあった違和感……いえ、既視感――?」

「ええと、ほら、今のはつい、ってね? あ、あるじゃない? つい抱きついちゃうことって――」


 手をパタパタと動かしながら言い訳をする玲華を、小首を傾げて見ていた綾瀬は突然、天啓が降りたかのようにハッとなった。


「あ、ああ……――」


 そう言いながら、綾瀬は相手が誰かを忘れてしまったかのようにゆっくりとした動作で玲華を指差した。


「ちょ、ちょっと、恵、何してんの!?」


 親友の夏木が慌ててそれを止めようと伸ばした手を、反対に綾瀬が掴んだ。


「ほ、穂香! あ、あの女の人よ――!!」

「――はい? え、何……?」


 戸惑う夏木に、綾瀬はクワッと目を開いた。


「先輩の――! スマホの待ち受けのあの女の人――!!」


 そう叫んで再び、だが今度はビシッと玲華を指差した。

 そこでギクッと肩を揺らしたのは、大樹だけでなく玲華もだった。


(雰囲気も髪型も違うから気づかないのかと思ってたが……)


 綾瀬達に見られたスマホの待ち受けでの玲華は完全にプライベートモードの姿で、髪型や化粧など、今日面接をしていた玲華のとは違っており、加えて言うなら雰囲気はもっとだ。

 面接の間に気づかれた様子が無かったことから、これなら以降も気づかれないかと、女性の場に合わせるような変貌ぶりに感心していた大樹だったが――


(……そういえば、今ポンコツだった……)


 その内の一つが剥がれてしまったことにより、色々と鋭い綾瀬についに気づかれてしまったようだ。


「へ……?」


 夏木がゆっくりと振り向き、先ほどの綾瀬と同じように、何故と言いたげに目を丸くしている玲華をマジマジと見つめ――


「ああー!? あの泥棒猫――!?」


 そう叫んで立ち上がりながら、これまた綾瀬と同じくビシッと玲華を指差したのであった。

 

 ◇◆◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇◆◇


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