第七十七話 始まりは……

 

 

 

「あれ……」


 綾瀬達が呆気にとられていた中で、工藤がポツリと漏らした。

 その声に夏木がハッとする。


「……どした? 工藤くん」

「ああ、いや……えっと、俺達これから上にある? 寿司に行くってことっすか? 如月社長達と……」

「へ……?」


 間の抜けた顔と声で返す夏木の様子は、明らかに状況を把握していないものだった。


「……行くって言ってないけど、行かないとも言ってないし……でも、さっきの感じだと、もう行くのは決定してるような雰囲気だったわね。どっちにしろ、断れる誘いじゃ無かったと思うけど……」


 綾瀬が思案しながら返すと、工藤と夏木は揃ってあんぐりとし、そのまま綾瀬と共に彼らの先輩へと顔を向けた。

 大樹は俯き気味に肩を震わせて、低い笑い声を漏らしていた。


「あのー、先輩……?」


 夏木が呼びかけると、大樹は笑いを抑えて苦笑気味に顔を上げた。


「……ああ、どうした?」

「いや、どうしたも何も……本当に私達これから如月社長と……?」


 自分で言いながら信じられないような夏木に、大樹は肩を竦めた。


「どうやら、そのようだな」

「お、おお……」


 そう漏らしたのは一人だけでは無かった。

 それも無理はない。先ほどまで話していた相手とは言え、元は雑誌などで知った憧れの、綾瀬達にとっては芸能人に近い感覚の人なのだ。

 そんな人とこれから食事ということに、いまいち現実感が湧いてこない。


「あ、またなんかちょっと緊張してきたっす……」

「わ、私も……」

「……私も……」


 工藤、夏木、綾瀬が口々に言うと、大樹は苦笑しながら首を横に振る。


「そう構えんでいいぞ。如月社長は食事中に細かいことを言うような人でないだろうし……面接中でもそれはわかっただろ?」

「そ、それは確かにそう思うっすけど……」

「う、うん……」

「ううん……何だろ、怖いとかじゃないんですよね……」


 最後の綾瀬の言葉に共感するように、工藤と夏木がコクコクと頷くと、大樹が再び肩を竦めた。


「まあ、今日のところは、深く考えずにご馳走になればいい。さっきの四楓院さんとのやり取りは見ていただろ? 多分、お前達が思っている以上に気安い感じの人だぞ、如月社長は」


 苦笑と共に告げられたその言葉に、綾瀬は同期の二人と顔を見合わせて言った。


「……なんか、面接の時とグッと雰囲気変わった感じだったよね、如月社長……?」

「ねえ。あの四楓院さん? と一緒にいる時は、ああなのかな? あんなすごい人に対してこう言うのもなんだけど、ちょっと可愛かった……」

「あ、俺も思ったっす……なんか面接の時と比べてギャップが……」


 工藤に同意するように綾瀬が夏木と頷くと、大樹は思案げに眉間に皺を刻む。


「……まあ、そうだな。ああいうところも、あの人の魅力なんだろう。それより――」


 大樹は綾瀬達三人を見ると、ふっと優しげに目を細めた。


「面接、お疲れさんだったな。途中からしか見ていないが、しっかり話せていたようで何よりだ。事前に考えていた訳でもない志望動機だったというのに、大したもんだと思うぞ」


 そんな言葉を向けられて、体の奥底から充実感、達成感がどっと湧いてくるのを綾瀬は感じて、思わず頬が綻んでいく。


「ありがとうございます!」


 友人二人も当然のように同じ気持ちだったようで、三人の声が重なる。


「それにしても工藤は思い切っていたな」


 志望動機についてのことだろう。大樹が堪らないように苦笑を浮かべて告げると、工藤も同じような苦笑を滲ませて頬を掻いた。


「いやー……もう考えれば考えるほど、どツボにハマりそうだったんで、先輩から言われた通りに、本音をそのままぶつけてみたっす」

「ああ。あれで良かったんだ。適当に合わせたようなことを言っても、見抜かれただろうからな。志望動機といっても、如月社長が聞きたいのは、この会社で本当にやる気があるかどうかだしな」

「やっぱりっすか……」


 ため息と共に工藤がボヤくと、綾瀬も同意を込めて頷いた。


「私も思った。でも、工藤くんがあそこまで思い切って言ってくれたから、私も穂香も続きやすかったよね?」

「うんうん。言うこと無くなったかもって思って焦ったけど」

「あ、それ話してる途中で俺も思って、ちょっと焦ったんすよね。悪かったよ、夏木」

「あっはは、ほんとそれ! その辺も正直に言ったら、ああ言ってくれて同じこと話せたしね。本当助かったー!」


 夏木の言葉を聞いた他の三人が噴き出す。


「――でも、先輩!! やっぱり少しぐらいは事前情報欲しかったですよ!!」


 一頻り笑ってから、夏木が思い出したように抗議すると、綾瀬、工藤も続いた。


「それ本当に思った……黙ってた理由は確かに納得いくものでしたが、それでも、何か少しでも昨日の内に教えてくれてもよかったんじゃ? と何度も思いました……」

「まったくその通りっす。とんでもない美人が出てきたと思ったらいきなり如月社長だったし……」


 そんな三人の恨みがましい言葉を受けて、大樹は片眉を吊り上げた。


「そうは言っても、お前達、昨日までの間に面接する人が如月社長と聞いたら、ちゃんと眠れたのか? 面接で何を言うか、とことんまで悩んだんじゃないか?」

「うっ――」

「面接の相手が如月社長という情報がなくとも、お前達の大本命である『SMARK'S SKRIMS』を三人揃って受けれるということを聞いて――今日まで緊張せずに過ごせたのか?」

「ううっ――」


 まったくもって大樹の言う通りで、碌に言い返せない。

 悔しげに呻く三人を見て、大樹はニヤッとした。


「それに今回のことで色々と度胸もついただろう。如月社長はおおらかで話をちゃんと聞いてくれる人だから、いざ始まれば然程の苦労は無かったと思うが、それでも急な対応力なんかは養えただろうし、いい経験になったんじゃねえか?」

「……それは、確かに……」


 夏木と工藤が渋々納得するのを横目に、綾瀬は蓋をしていた疑念が膨張するのを感じた。


「先輩……もしかして……」


 思わずジトっとした目を向けると、大樹はその意味するところを瞬時に理解したようで、僅かに目を瞠って、流石だなと言いたげに口端を吊り上げた。


「なんだ、綾瀬?」


 その様から、綾瀬は疑念を確信に変えた。

 大樹はやはりこの面接の結果を知っていたのだ。いや、正確には受かるとわかっていて、そのことも自分達に知らせず面接を受けさせたのだろう。


「……いえ、何でもありません……」


 されど何を言ってもシラを切られるに違いないと悟った綾瀬は、追及するのをやめて、代わりに拗ねてますと意思表示するように唇を尖らせて、プイッと大樹から目を逸らした。

 綾瀬にもわかっている。自分達の成長のために黙っていたということを、自分達に達成感を与えるためだったことも。

 それでも文句の一つや二つ言いたくなるが、この本命の会社の内定を実質大樹の伝手だけによってもらった立場としては筋違いなのがわかっているから、それも出来ずこうしているのだ。

 そんな綾瀬の態度に、大樹は苦笑するしかできなかったようだ。


「……どうしたの、恵?」


 大樹とのやり取りを見て不審に思った様子の夏木に問われて、綾瀬はため息を吐いて首を横に振った。

 気づいてないのなら敢えて言うべきでもないだろう。


「?……そういえば、先輩、聞きたかったんですけど……」

「なんだ?」

「あの、先輩って、如月社長とどういう関係なんですか……?」


 夏木のその問いに、綾瀬はハッとして大樹へ視線を戻す。


「あ、俺も気になってたっす。なんかけっこう親しそうな気がしたんすけど……」

「そ、そうですよ! 一体どういう関係なんですか!?」


 綾瀬も追従すると、大樹は困ったように眉を寄せて頬をポリポリと掻いた。


「どういう関係と言われても――」


 と、大樹が話そうとしたところで、部屋にノックの音が響き、扉が開かれる。


「――お待たせしました。準備が整いましたので、参りましょう」


 麻里のその言葉によって、話は中断を余儀なくされ、綾瀬達は大樹と席を立ったのである。




◇◆◇◆◇◆◇




「こちらになります」


 麻里に案内されたその店は思っていた通りに、格式高そうな店だった。

 と言うよりも、この高層にあるフロア自体がそういった雰囲気を有していて、高そうな店が並んでいる。

 なのでこのような店に慣れていない後輩達は、エレベーターから降りた時点で、少し腰が引けていた。

 大樹はまだ先代の社長や先輩から似たような雰囲気の店に連れてもらったことがあったので、そうはなっていないが、久しぶりのことなので、少しだけ落ち着かない気分を覚えていた。


 そんなブラック企業勤務側の四人と違って、優良企業の社長とその秘書の二人は堂々とした足取りで店に入っていく。


「前にこのお店来たのいつだったっけ?」

「二ヶ月ほど前かと」

「ああ、ちょっと遅くなって帰りにお寿司食べたくなった時だったっけ?」

「はい、そういう意味でも手頃なお店ですよね」


 二人のセレブ感ある言葉のやりとりにギョッとしている後輩達へ、玲華が振り返った。


「さ、入って。美味しいのよ、このお店」


 気安いように呼びかけられ、親しみを感じさせる笑みも向けられて、後輩達は「は、はい」と返事をして後に続く。

 恐縮する後輩達を見て、玲華は仕方なさそうに苦笑を浮かべるも、何も言わず前へ向いて足を進めていく。


(……ふむ)


 そして今回も玲華は頑なに大樹と目を合わそうとしなかった。

 ここに来るまでもそうだったのだ。帰る用意を終えた二人と共にここまで来る途中、玲華は彼女の視界に大樹が入っても、大樹に焦点が当たらないよう注意しているように見えたのだ。

 その意図することがわかる大樹は何も突っ込まない。

 恐らく先ほど麻里と二人きりになった時にでも改めて言われたのだろう。

 今の状況は大樹が入社した時を想定した実験として最適だということに。

 その対策として出たのが今の玲華の態度なのだろう。


(……ちょっと寂しい気もするが……)


 実質いない者扱いされてるので、大樹がそう思ってしまうのも無理ないと言えた。

 だが、これはこれで中々面白いと思えた――マゾッ気という意味でなく。

 自分を必死に見ようとしない玲華が面白可愛いのだ。


(……そう思ってるのは俺だけじゃないだろうな……)


 先のやり取りを鑑みるに麻里は相当、玲華をおちょくることに慣れているように見えた。あしらうのも実に手慣れたものだった。

 そんな彼女なので今の状況も恐らく楽しんでいることだろう。

 後輩達の後に続きながら、先頭を歩く二人の美女の背中を見ながら大樹はそう予想していた。

 店の中に入ると、店員へ麻里が名乗り、奥の個室に案内される。


(……こういう寿司屋じゃ、カウンターで直接注文して食うのが醍醐味なんだが……この人数だしな)


 少し残念に思いながら個室に入ると、六人掛けのテーブルがあり、後輩達は率先して自ら下座へと腰かけていく。

 玲華が上座の奥に座り、麻里がその隣に続くかと思ったところで――


「柳さん、どうぞ」


 麻里に席を促される――玲華の隣の席を。


「ふぇ――? え、麻里ちゃん?」


 流石にすぐ隣ではボロを出しかねないと案じているのだろう。焦った顔で訴えるような声を出す玲華へ、麻里は無情に言った。


「後輩の彼らが対面にいることから柳さんが真ん中にいる方がいいでしょう――どうぞ」


 最後は大樹に向けて告げる時の麻里の口端が吊り上がっている辺り、口にした以外の理由があるのは明白だった。


「――恐れ入ります」


 会釈して大樹が座ると、途端に玲華が落ち着きを失くしたようにソワソワとし、若干目が泳ぎ出す。

 そして、麻里が玲華とは反対側に腰かける。

 それによって大樹は一見では玲華、麻里といった、そうお目にかかれないレベルの美女二人に挟まれることになった。

 ふと顔を上げると、綾瀬、夏木の二人がジトっとした目を向けてきている。


「……なんだ、二人とも?」

「……なんでもありません」

「なんでもありませんよー」


 そう返した二人の横で工藤は苦笑している。

 大樹が首を傾げたところで、麻里が五人に向けて言った。


「注文はお任せのコースをお願いしてます。飲み物はどうされますか?」

「俺はビールを」


 大樹が率先して言うと、後輩達も恐縮しながら「ビールでお願いします」と続き、最後に玲華も考える様子もなく口にした。


「私もビールでいいわ」

「では、最初は全員ビールにしますか」


 頷いて麻里がそう宣言すると、店員を呼び注文を済ませた。

 程なくしてジョッキが六つ届き、それぞれが手に取ると、玲華へ視線が集中する。

 この場で乾杯の音頭を取るのはどう考えても、彼女だからだ。

 玲華はチラッと横目で大樹を見たがすぐに逸らして、咳払いをする。


「ゴホンッ――えーと、それじゃ、皆んな今日はお疲れ様でした、乾杯!」

「乾杯!」


 ジョッキ同士がぶつかり、ゴツっとした音が打ち鳴らされる。

 こうして、突然決まった飲み会は、始まり至って普通に開始されたのであった。

 

 ◇◆◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇◆◇

緊急事態宣言が発令されました。

今は耐えておとなしくしている時でしょう。

この作品が皆様のヒマつぶしの一助になればと思います。


当作の書籍化に関するお知らせとして、Twitterにて玲華と麻里のイラストのラフを公開しておりますので、ぜひご覧になってくださいませ

玲華の可愛さに驚くがいい……!

Twitterはこちら↓

https://twitter.com/sakuharu03

 

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