第七十六話 一体……?

 

 

 

 同様の疑問を抱いたのは綾瀬だけではなかったようで、夏木も不思議そうに首を傾げた。


「んん……?」


 ついといったように怪訝な声を漏らすと、夏木は大樹に照れたような笑顔を向けている玲華へ声を上げた。


「あの、如月社長……今、先輩のことを何と……?」


 するとギクリとしたように肩を揺らした玲華が、こちらへ振り向く。


「へ……? な、何かしら……?」


 どこか間の抜けたような声が耳に入って、綾瀬は内心で首を傾げてしまった。


「えっと……今、先輩のことを苗字でなく名前で呼んだように聞こえたんですが……」


 そこで夏木は区切ったが、口にせずとものその先の意味は明白だ。

 どういうことなのか、そもそもお二人どういう関係なのかといった、そんな疑問が言葉にされずとも潜んでいるのが、この場にいる者なら誰だってわかる。


「えっと……そ、そうだった、かしら……?」


 そう答えながら盛大に目を泳がせている玲華は、先ほどまでの威厳溢れる姿が嘘のようだ。

 そんなどこか挙動不審を思わせる玲華に、綾瀬達三人は目をパチパチと瞬かせる。


「き、如月社長……?」


 思わず綾瀬が怪訝に声をかけると、麻里の方から嘆かわしいと言いたげな、そんな大きなため息を吐く音が聞こえた。


「だから言ったでしょう……社員とは言え、男性の名前を軽々しく呼ぶと今のように不審がられると」

「……ま、麻里ちゃん!?」


 焦った玲華が麻里へ何かを訴えるように見るが、それには応えず麻里は綾瀬達へ視線を向けた。


「さっきあったように、うちの社長は社員相手となると、少し親しくなるとすぐ名前で呼んでしまわれるのです。そうされることで不満を持つ社員がいないことも拍車をかけ……柳さんにもそうしてしまったんです。内定が決まっただけの柳さんにもしてしまうなんて……予定とは言え、入社する前からそうだと、今いる社員に不審感を与えかねないというのに」


 まったく困ったものですと言いたげに、頬へ手を当てて嘆息する麻里に、玲華はどこかホッとしたように安堵の息を吐く。


「――そ、そうなのよね! 馴れ馴れしくして、ごめんなさいね、だ――柳くん?」

「いえ。とんでもないです」


 大樹が恐縮したように返すのを見て、綾瀬はそういうことかと一応は納得した。

 この面接での場の玲華しか知らないが、確かに彼女の親しみやすさを考えると、そういうところがあってもおかしくないだろうと思える。

 小骨が喉につっかえているような、そんな違和感が残るが綾瀬は一応は納得した。


(……でも、そう親しくなる程度には付き合いがあるってことじゃ……)


 その付き合いは何で、どういう関係なのか、という疑念はそのままである。

 それを聞こうと口を開こうとしたところで、麻里が思いついたように言った。


「それはともかくとして、柳さんは今の会社をいつ辞めるかについて決められているのでしょうか?」

「今の会社を辞める日ですか。そうですね、今日の後輩達の結果次第なところもありますが――」


 と、大樹が言いながら思案しているところで綾瀬と目が合った。


「――綾瀬、仮にお前達が全員ここに合格したとして、俺がお前達と会社を辞めようと考えてるのがいつかわかるか?」


 試すようにニヤッと笑まれて、綾瀬は突然のことに慌てふためきながらも頭を回転させる。


「え、えっと……」


 大樹がそう聞くからには、自分がその答えを導くだけの知識を持っているのが前提の筈だ。

 そして転職先の内定が決まっているのに大樹が辞表を未だ出していないのは、間違いなく自分達のためであるし、世話になった取引先のためというのもあるのだろう。

 加えて『仮に』綾瀬達が全員合格したとして、とも言っている。


(あれ? それってもしかして……ううん、それより――)


 浮かび上がった疑念には蓋をし、自分の裡から必要な情報を集めて計算する。


(先輩が今集中してやっているのは……――そっか、先代から関わりのある取引先の仕事ばっかりだったのね……)


 視点を変えて考えれば、大樹はもうとっくに後腐れなく辞めるための準備を進めていたのだとわかり、綾瀬は大樹への尊敬の念をさらに深めた。

 数秒してから綾瀬は自信のある声音で回答を出す。


「ちょうど一ヶ月後、といったところでしょうか」


 対して大樹は予想外を示すように目を丸くした。


「一ヶ月? か……」

「はい。先輩はいつと考えられていたんでしょうか?」

「俺は一ヶ月と半月と見込んでいたが……」


 ふむ、と綾瀬がどう考えて一ヶ月という答えを出したのかと考え始めたような大樹に対し、綾瀬も大樹が何故一ヶ月半かかると考えたのかを思案する。


「一ヶ月半……ああ、そういうことですか」


 綾瀬は思わずクスリと微笑む。

 大樹が相変わらず自分に厳しく、後輩の自分達には優しい人だなと気付かされたからだ。


「先輩、それは私達の休日出勤を考えてない計算では……?」

「!」

「加えて、残業も私達だけ短めの計算ですね」

「む、う……」


 大樹が一本とられたと言わんばかりに唸り声を上げる。綾瀬の推測通りなのだろう。


「転職先を探すためと、私達には残業時間を短くさせて、休日出勤も無しにと言いつけましたよね? 先輩自身はそのままで。そして、その形でこれから先のも計算されましたね?」


「そう、だな……だがな――」


 綾瀬の言い分を認めてから反論しようとする大樹を、綾瀬は両隣にいる二人に目をやりながら遮る。


「ダメですよ。こうなったからには私達も先輩と同じだけ働きます」

「そっか。転職先探すために先輩残して帰ってたんだっけ」

「まだ合格と決まった訳じゃないっすけど……先輩が辞めるなら、結果がどうあろうと一緒に辞めた方がいいのは確かっすね」


 三人で顔を見合わせると微笑を浮かべ合い、大樹へ目を向ける。


「後、一ヶ月です。一緒に仕事を終えさせてください、先輩」

「だよね。何より後一ヶ月だと思うと、余裕で頑張れるし!」

「ああ。あとたった一ヶ月だと思うと楽勝っすね」


 こればかりは譲れないと綾瀬達が告げると、大樹は困ったように眉を寄せるも、最後には仕方なさそうに苦笑を浮かべた。


「……そうか。では、あと一ヶ月、お前達をコキ使わせてもらうとするか」


 そんな物騒ともとれる言葉に、綾瀬達は不敵に笑い返した。


「はい。存分に」

「四人で仕事するのもこれが最後かもしれないですしね!」

「そう思うと……いや、あの会社に居続ける選択だけはやっぱり無しっすね」


 口々に言い返した後輩達に、大樹は浮かべていた苦笑はそのままに、どこか頼もしそうな目を向けてきた。

 なんとなく、また一つ大樹から認められたような気がして、綾瀬達がそれぞれ笑みを浮かべていると、麻里が「ゴホンッ」と咳払いをして注意を引く。


「いつになるかというのをハッキリしていただくのは助かります。ですが、それが休日出勤や残業を重ねるような無理をした上でなくとも構いませんが……」


 多少遅くなろうと問題ないと言外に告げる麻里に、綾瀬達は大樹と共に首を横に振る。


「会社を辞めるのが遅くなればなるほど、またつまらない仕事を重ねられる可能性が高そうでして。例えそうなったとしても、時期が来たら知ったことかと辞めるつもりではありますが、それでも少しでも後腐れなく辞めるためにも、そういった可能性は出来うる限り避けたいと思っています」

「……なるほど。そういうことですか」

「はい。今から一ヶ月半――いえ、一ヶ月というのは、それが最も叶いそうな時期と見込んでいます」


 麻里は数瞬、複雑そうに眉を曲げると、仕方無さそうに息を吐いた。


「……承知しました。ですが無理は無さらぬよう。今の会社を辞めるまでの間に体を壊した結果、こちらへの入社が遅れたりなんて本末転倒な事態は避けるべく願います」


 その言い分には最も過ぎると言いたげに大樹は苦笑した。


「肝に命じておきます」

「はい。では、今から一ヶ月となると――年内一杯でしょうか。今の会社に在籍しているのは」

「そう、なりますね。年が明ける前までには辞めることになるでしょう」


 今が十一月の末だから、確かにそうなる。


(……なら今年の年末年始は会社で過ごさずに済みそう……)


 その事実だけでソワソワしてしまったのは綾瀬だけでなく両隣にいる同期の友もだった。


「わかりました。柳さんは今の職場を退職されてからは――」


 言いながら麻里は一瞬だけ綾瀬達を見るもすぐ目を伏せた。


「――それ以降の話は十二月に入ってからでも構いませんか」

「……恐れ入ります」


 大樹がペコと会釈するのを見て、綾瀬は内心で首を傾げた。


(……何だろ?)


 今の二人のやりとりの中で、何かしら自分達に聞かせたくない話があったように思えた。

 それが何かと考えてると、メモをとっていた手を止めた麻里がチラッと視線を上げる。


「ゴホンッ――社長」


 そのように麻里が呼びかけると、玲華はビクッと肩を揺らした。


「ふぇっ? な、何、麻里ちゃん――?」


 何故か驚いたような声を出す玲華。そのせいだろうか頬が少し赤い。


「……いえ、他に何か聞くことは無かったでしょうか? もう無いとは思いますが……」

「へ? あ、そ、そうね。もう無かったと思うわ」


 面接が終わってから、どうもまごついたような、浮ついたような雰囲気を多々漂わせるように感じさせる玲華に、綾瀬は内心で首を傾げた。


(……思っていた以上にオンオフのハッキリしてる人なのかな……?)


 輝かしいほどのカリスマは健在なれど、面接をしていた時とはどうにも雰囲気が違うような気がして戸惑ってしまう。


「――ですね。柳さん、後輩の方達も、この後の予定は決められていますか?」


 玲華の言葉に頷いた麻里が、大樹へ尋ねる。


「この後ですか? ……まだ時間もあることですし、こいつらと適当に飲みにでも行こうかと思っておりましたが」


 質問の意図を図りかねるながらもそう答える大樹と、麻里へ怪訝な目を向ける玲華。


「なるほど。お店の予約などは済まされてますか?」

「いえ、特にしてませんね」

「そうですか。それはちょうどよかった」


 そう言って微笑む麻里に、大樹が訝しげに眉を寄せる。


「このビルの上にはレストランフロアがありまして、そこにあるお寿司のお店を予約しているんです。今日のお疲れ様的な意味と親睦を深めるのを兼ねて、どうでしょう? もちろん、後輩の方達も含めて」


 そんな誘いに目をパチパチとさせる大樹。綾瀬達も驚いて顔を見合わせる。


「ああ、支払いは社長ですのでご心配なく」


 付け足すように言う麻里に、玲華が慌てた声を出す。


「ちょ、ちょっと麻里ちゃん……!?」

「何か? まさか私達に支払いをさせるとでも?」


 しれっと返す麻里に、玲華は憤慨したように言う。


「支払いはどうでもいいのよ! え、上のお寿司の予約? わ、私聞いてないわよ……?」

「そうでしたか?」

「そうよ!」

「では、今言いました。問題ないですね? この後に予定がある訳でもないのですから」

「そ、そういう問題じゃないでしょ――!?」


 突然の二人の漫才めいたやり取りに、綾瀬達はポカンとしてしまう。

 大樹はと言えば、全員から顔を背けて肩を震わせている。

 更に憤慨する様子を見せる玲華とは対照的に、麻里は面倒くさそうにため息を吐いた。


「もういいではないですか。それとも入社予定の柳さんや、面接を終えたばかりの彼らを労うのが嫌と言うとでも?」

「そんな訳ないでしょ!?」

「では、決まりですね――ああ、もうこんな時間ですか。さ、社長、帰る用意して上に向かいましょう」


 そう言うや否や立ち上がった麻里は、玲華の手を引っ張って立たせると背中を押す。


「ちょ、ちょっと麻里ちゃん!? 待って、待ちなさ――」


 玲華の抗議する声を無視して彼女を扉の奥へ押しやった麻里は、続いて部屋から出る際に大樹達へ振り返りざまに言った。


「すぐ参りますので、このままこちらでお待ちください」


 それだけ告げると、バタンと扉が閉じられる。

 綾瀬達が誘いに関して受けるか断るかについて最後まで口を挟む暇もなかったのに気付いたのは、その一分後のことであった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇◆◇


おかげさまで、当作品も累計五百万部を突破し、アニメ化、アニメ映画化、実写ドラマ化、実写映画化、海外ドラマ化、ハリウッド化が決定しました!!(4/1


これも皆さまの応援のおかげでございます、ありがとうございます!!(4/1




……どれか一つは本当になったら嬉しいなあ……


冗談はさておき、当作の書籍化に関するお知らせとして、Twitterにて大樹と後輩達ブラック社畜達のイラストのラフを公開しておりますので、ぜひご覧になってください(これは本当

Twitterはこちら↓

https://twitter.com/sakuharu03

玲華と麻里ちゃんは来週かな……?

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