第七十五話 思いを語りぶつける綾瀬

 

 

 

「正当な評価、ね……」


 綾瀬の言葉を聞いて、玲華は呟きながらチラッと大樹を見たが、すぐに慌てたように視線を逸らした。その際に気のせいか、玲華の頬が少し赤くなっていたように見えた。


「はい。写真の時にも話しましたが、御社で働いている社員の方達は皆楽しそうでした。それは仕事が楽しいこともあるのだと思いますが、その前に待遇の面で満足しているからだと思っています」


 それを聞いて真剣な目で続きを促す玲華に、綾瀬は頷いた。


「どれだけ仕事をしても、どれだけ成果を出しても、どれだけ有能さを示しても……報われない、認められない、だけでなく不当な評価を受ける環境なんて私は嫌です。嫌悪してると言ってもいいです」


 口にした通りの嫌悪感を顔に出して苛烈に言い放った綾瀬に、玲華だけでなく、大樹や夏木、工藤は目を見張った。


「……予想はつくし、そう思って当たり前とも思うけど、どうしてと聞いても?」


 落ち着かせるかのように静かに問いかけた玲華に、綾瀬は息を浅く吸ってから答えた。


「……そういう人を、見てきたからです。その人は社で誰より仕事をしていたにも関わらず、直属の上司からは意味もなく中身の無い言葉で怒鳴られてばかりで、無茶振りされた仕事を苦労して終えても、言葉では労われても口調や態度はこれぐらいやって当然だと言わんばかりのもので、褒められることはおろか報われることなんて全くありませんでした。直属の上司だけではありません、その上なんてもっとひどいです。能力や実績を見ずに、高卒だという出自の一点だけで、その人をまともに評価していませんでした……私達はまだいいです。新卒のひよっこですし、出来ることにも限りがある上に……仕事を終えると労って褒めて認めてくれる人がいるからです……ですが、その人にはいません。どれだけ頑張って成果を上げても報われないその人のことを考えると、悔しくて……! ……昨今ではそういう環境にいる人も珍しくないかもしれません。ですが――」


 そこで綾瀬の言葉を遮る者がいた。


「綾瀬、誰のことを言ってるのかわからんが――そう言うほどのことでも無かったと思うぞ、その人は」

「先輩……」


 大樹が腕組みをして綾瀬と目を合わさず天井を見上げながら口を動かす。


「確かに、直属の上司からその一番上までの連中はどいつもこいつもひどいもんだが……それでもその人を認める人間がゼロって訳でなかった――と思うぞ、綾瀬。取引先の人はその人を仕事相手として認めてくれていたし、辞めていった先輩にも声をかけられていたりしたし、何より――」


 大樹は顔を下ろして綾瀬達三人へ目を向けると、片頬をニッと吊り上げた。


「――頼もしく騒がしく、その人を信じて着いて来てくれる後輩達がいたからな」

「せ、先輩……」


 そう声に出したのは綾瀬だけではなかった。


「まあ、最初は生意気で言うことも碌にきかんようなやつらだったが……」


 肩を竦めて放たれたその言葉に、綾瀬達は揃って動揺を露わにする。


「わ、私はそこまでじゃなかったと思います!」

「お、俺もそこまでじゃなかったと思うっす……」


 夏木と工藤が慌てたように手を振って自分は違うアピールをする中、綾瀬は気不味さから口をモゴモゴとさせた。

 彼らの言うそこまでの「そこ」が何を、誰を指しているのかわかったからだ。


「あ、う……そ、その節は、ご迷惑をおかけしました……」


 当時の己の愚かさを思い出すと、同期の二人と同じように続くことが出来なかった。

 赤面する綾瀬の言葉を受けて、大樹はからかうように笑い飛ばした。


「何の話だ? 俺に言ってどうする、誰かさんの話だろう? ……ともあれ綾瀬、お前が話すその人は、後輩達のおかげでお前が思うほど悲惨だった訳じゃなかったってことを覚えておけ」

「は、はい……!」


 また鼻にツンとしたものが走るが、今は面接中だということを思い出し、慌てて玲華へと視線を戻した。


「……?」


 そこで首を傾げた。玲華がどこかボーッとした様子で大樹へ視線を注いでいたからだ。

 大樹もそのことに気づいたのか、口に手を当て咳払いをした。


「――ゴホンッ……失礼しました、如月社長」

「ふぇっ――?」


 ハッとした玲華から今日初めて聞くようなどこか間の抜けた声が聞こえた。


「……傍観に徹するはずでしたのに、後輩に話しかけるような真似をしてしまいました。申し訳ありません」

「――あ、う、ううん。別にいいのよ、だい――」

「――如月社長!」


 何か言いかけているところを遮るように大樹が呼びかけると玲華の肩がビクッと揺れる。


「――どうぞ、もう邪魔はしませんので、面接の続きをお願いします」


 玲華は目をパチクリとさせて、視線をソロソロと綾瀬達へと戻す。

 そこで思い出したようになると、誤魔化すような笑みを浮かべてから「ゴホンッ」と咳払いをすると、キリッと表情を改めた。


「さて、それじゃ綾瀬さんの志望理由の一つは、我が社が社員に対して正当な評価をしそうだということかしら?」

「は、はい……」


 玲華の表情の切り替えを目にした綾瀬が面食らいながら返事をする。


(……さっき先輩を見て……なんか変になってなかった……?)


 そんな疑問が胸に浮かぶが、今の玲華を見ていると気のせいのように思えてくる。

 だが今はそれよりも、と綾瀬は思考を切り替える。


「話を戻しますが、御社の社員は正当な評価を受けているからこそ、待遇に満足し仕事をしているのではと思っています。そして、今日如月社長とお会いし、こうやって話をすることが出来て確信しました。私の推測は間違っていなかったと」

真っ直ぐ玲華を見つめて紡ぐ綾瀬の言葉に、玲華は同じように真剣な表情で応えた。

「……私は社員に対して正当な評価をする。綾瀬さんはそう思っているのね?」

「はい」

「……私だってあなた達と同じ人間よ? 間違えることもあるかもしれないわよ?」

「……かもしれません。ですが、如月社長なら――」

「……私なら?」

「如月社長なら、ご自身が間違いを犯しそうな時に、それを諌める人が必ず近くにいて――いえ、傍に置いているはずです」


 そこまで言ったところで、玲華は僅かであるが驚いたように目を丸くし、チラッと麻里を見た。その麻里は真剣な目で綾瀬を見ていた。

 二人の反応に構わず綾瀬は続ける。


「――そしてそれを聞く耳を持っている人と思います……いえ、私達を尊敬すると言うことの出来る如月社長なら間違いなくそうだと思います――だから私は、如月社長のような方の下で働きたい。元から思っていましたが、お会いしてお話しして改めて強く思いました――ここで、働きたいです……!」


 綾瀬は大樹に言われた通り、思いの丈をぶつけるように、ありったけの意思を乗せて言葉を放った。

 然してそれは、玲華をして気を飲ませるほどのもので、すうっと浅く玲華に息を呑ませた。玲華でそうなったのであるのだから、他の面子は言うに及ばずだ。

 綾瀬の意思の強さが音に聴こえそうなほど静寂したこの部屋で、最初に口を開いたのは麻里だった。


「……社長」

「……何かしら、麻里ちゃん?」

「どうやら私は彼女のことを過小評価していたようです」


 未だ綾瀬に視線を注いだままの麻里の言葉に、玲華は柔和に口端を緩めた。


「どうやらそのようね……珍しいわね、麻里ちゃんの計算が狂うなんて?」


 からかいの響きも混じったその声に、麻里はため息を吐いた。


「そうですね……でも、このような狂いは歓迎すべきものだと思います。違いませんか?」

「ええ。まったくその通りね」


 そこで玲華と麻里の二人は頷き合った。


「ええと……?」


 何か二人で自分のことを話しているようだが、意思を振り絞って頭が熱くなっているせいか、いまいち頭が回らず、状況を把握出来ない。

 困惑する綾瀬に、玲華はニコリと微笑んだ。


「――はい。綾瀬さんの志望理由はハッキリとわかりました。意思の強さも――一応聞くけど、以上でいいのかしら?」

「は、はい! 以上になります!」

「はい――お疲れ様でした」


 本来ならそんな言葉は無かったはずだろうが、綾瀬の様子を見て放たれたそれは確かに彼女に影響を及ぼし、綾瀬は肩から力が抜けていくのを感じた。


「あ、ありがとうございました……」


 会釈すると玲華は労うように微笑んだ。


「はい。では、こちらがあなた達に聞きたいことはもう終わりです。反対にあなた達から質問はあるかしら?」


 玲華から気軽に聞いてくれていいと態度で示されたその言葉に、綾瀬はどこか鈍くなっている頭を無理矢理回転させ始める。ここで何も聞かないのは印象が悪くなると聞くのはよくある話だからだ。

 だが、聞きたいことは用意していたはずなのに、満足感や達成感が沸いてくるばかりで、どうにも上手く頭に浮かんでこない。

 綾瀬がやきもきし始めたところで、夏木が空気を変えるように明るい声を出した。


「はい! もし私達が、もしくは誰かが入社したとして、研修などはあるんでしょうか? あったとしてどれぐらいになるんでしょうか?」


 その質問に玲華は考えた様子も見せずに答えた。


「そうね。あなた達にはまずこの会社のやり方を覚えてもらうというよりも、勤務形態に慣れてもらうため、という形で一ヶ月ほどの研修を考えています」


 その回答に首を傾げたのは夏木だけではなかった。


「慣れ……ですか?」

「ええ。そうね……うちの定時は十七時半になるのだけど、あなた達その時間になったら流れるように席を立って退社出来る? 時間を気にせず仕事を続行したりしてしまわない?」

「そ、れは……」


 夏木が言い淀んでから、隣にいる綾瀬とその向こうにいる工藤へソロソロと視線を動かした。


「さ、流石に出来るよね……?」


 頬を引きつらせてのその問いに、綾瀬は工藤と一緒に渋面を作った。


「どう……かしら。ここ一年以上、定時が何時かなんて気にしたことなかったし……」

「そもそも俺たち会社の定時が何時か忘れてたぐらいだし……」


 唸るように吐き出されたその言葉に、玲華は苦笑を浮かべた。


「言っておきますけど、我が社は一分単位で残業代が発生します。なので、残業の必要性が薄ければ定時にさっさと帰ってもらいたいというのが経営者側としての本音です。ねえ、麻里ちゃん?」

「はい。我が社では定時の二分、もしくは一分前にPCのシャットダウンの準備を開始し、定時ピッタリに退社を推奨しています。加えて言うと、残業をする場合には事前に上長へ申請し、許可を貰わなければ残業出来ないシステムになっていますので、申請をしていない者が定時を過ぎてもモタモタ仕事をしていると、寧ろそこの上長に注意されますので、お気をつけ下さい」


 今の会社と比べると信じられないことしかなかった説明を受けて、綾瀬達はあんぐりと口を開いてポカンと見事なほどの間抜け顔を晒してしまった。


「残業代……?」


 そう言えばそんなものあったっけと言いたげな工藤。


「一分単位……?」


 いくら残業しても増えることなんてなかったのに、一分でも残業したら増えるのかと信じられないような夏木。


「寧ろ残業したら注意される……? 残業に申請が必要……?」


 残業しないと白い眼で見られることが当たり前なのにと綾瀬。今日はあくまでも四人が一斉にの不意打ちだったから残業を回避出来たようなものだ。

 それぞれ口にしたことは別だが、その全てに驚いているのは三人ともだ。

 そんな三人を見て、玲華は遣る瀬無いように首を横に振る。


「……思っていた通り、まずは意識改革が必要のようね。なので、一ヶ月の研修期間の間にうちのやり方に少しでも慣れてもらいます」

「は、はい……」


 そこには、ぎこちなく、そしてそんな夢のような環境に果たして慣れることが出来るのだろうかと半信半疑ながら、躊躇いがちに頷く三人のブラック社畜がいた。

 それからはショック状態ながらも綾瀬達はポツポツと質問を繰り出し、その全てに玲華は淀みなく答えていく。

 そして綾瀬達から質問が出なくなったと見た玲華が締めるように言った。


「もう質問は無いかしらね……? はい、ではこれで面接を終えます。今日はありがとうございました」

「ありがとうとございました――!」


 話したいこと聞きたいことは全て口に出せたと思っている三人の顔は明るく満足感と達成感で埋め尽くされていた。


「それじゃあ、結果の方は――」


 と玲華が言いながら視線をスライドさせると、その先にいた麻里は頷いた。


「履歴書に記載されているメールアドレスにて通知させていただきます。合格の際には、年収等の雇用条件も添付させていただきますので、条件に不満が無ければ採用という形になります。そして合否に問わず通知は一週間以内を目安にさせていだきますので、ご注意ください――何か質問は?」


 無表情に淡々と告げられた綾瀬達は恐縮しながら、それぞれ首を横に振る。


「けっこう。それでは各自メールボックスの確認を怠らず、にお待ちください――今日はお疲れ様でした」


 途中でふっと微笑を浮かべて見せた麻里の凛とした美しさに見惚れそうになった綾瀬達だが、彼女の言葉の意味が浸透するにつれハッとして顔を見合わせた。それぞれ驚いたように目を丸くするが、慌てて麻里へ頭を下げる。


「ありがとうございました――!」


 綾瀬達は顔を上げるとすぐに大樹へと目を合わせる。すると大樹は頷いて片頬を吊り上げニッと笑って、組んだ腕を崩さないまま手を動かしてサムズアップを向けてきた。


 ――十分だ、良くやった。


 言葉にせずともそれがハッキリ伝わって、綾瀬達は上気した顔で互いを見合って顔を綻ばせた。

 そんな四人を玲華が微笑ましいように見ている中で、麻里が大樹へ声をかけた。


「柳さんもお疲れ様でした。どうでしたか、我が社の――いえ、近い内に柳さんの上司にもなるうちの社長は?」


 そんなことを問われた大樹は、真面目ぶった顔で重々しく頭を振った。


「一言で言えば――感服しました。如月社長が社内で社員に対してどのように接しているのか

、垣間見えたと思います。良く見てくれているとわかっているから、社員もやる気を持って働けているのでしょう。それがわかると、より一層この会社で働ける日のことが楽しみになりました」


 大樹にしては妙に思えるほど持ち上げているような気がした綾瀬だったが、考えてみれば今の会社で褒められるような上司など殆どいなかったから聞き慣れていないだけかと思い直した。

 ただ、大樹の顔が自分達をからかう時のもののように見えるのは、偶然の一致だろうかと不思議に思い、玲華を見てみると、彼女はどこか照れたように頬を染め、上機嫌を示すように口端が緩んでいた。


「更には、面接の相手であろうと、話を上手く誘導したり、上手く耳を傾けてと、流石と思いました。この面接に於いて、うちの後輩達は言いたいこと聞きたいことは全部出せたと思います。彼らの先輩として礼を言わせていただきます――ありがとうございました」


 そう言ってスッと大樹が頭を下げると、口端をニマニマと崩し顔を赤くしていた玲華は慌てたように手を振った。


「も、もう、そんなに褒めても何も出てこないわよ、くん――」


 そこまで言ったところで、麻里はその場にいる皆から顔を背け、大樹は口に手を当てて俯いた。

 そんな二人に気づかず、綾瀬は玲華の変化した雰囲気に驚くと同時に違和感を抱いた。


(……んん? あれ、今先輩のことなんて――)

 

 

 

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