第七十四話 後輩達の望み

 

 

 

「あなた達の先輩のだ――っ柳くんから、三人共、転職先として考えていた中では『SMARK'S SKRIMSうち』が一番の本命だって聞いたけど、間違いない?」


 口を動かすほどに雰囲気が引き締まっていくかのような玲華の問いに、綾瀬達三人は肯定した。


「はい、間違いないです」

「そう。ふふ、光栄なことね……じゃあ、その辺のこと聞かせてもらおうかな。履歴書には敢えて空白になっている部分の、志望動機について」


 遂に来たかと綾瀬達は身構えた。

 さっきまで玲華に話していた経歴や自己PRは、言ってしまえば、他の会社の面接でもそのまま使えたりする。

 だが、志望動機については、受ける会社に相応しい内容を述べなくてはならず、本来なら面接を受ける前日まで、最悪、面接の直前までには考えておくことである。


 だと言うのに綾瀬達三人は、事前に考えることもなくぶっつけ本番を強いられてしまっている。

 原因は受ける企業がどこかを教えてくれなかった大樹の悪戯心である。


 いや、今となってはそれだけでないこともわかっている。

 下手に思っても無いことを書いたり言ったりすれば、目の前の観察眼の鋭い女性には見抜かれてしまうからだろうと。

 だから大樹は言ったのだ『深く考えずその時に思ったことを言えばいい』『今お前の中にあるものを話す、それだけだ』と。

 大樹が繰り返しそう言ったことから、本当にそれが求められている相手なのだろうと察することが出来る。

 そしてそれが一番簡単なこともわかる――何せ、『SMARK'S SKRIMSここ』は彼ら三人の大本命なのだから。


(そうよ……あの時からずっと憧れてた会社。どうして憧れたのか、何に惹かれたのか、そしてその気持ちがここで更に強くなったことについて話すだけでいいのだから楽なものよ)


 浅く息を吐いて気持ちを整えると、準備万端と綾瀬は玲華を真っ直ぐ見つめ返した。

 両隣から伝わる雰囲気から、同期の二人も同じく準備が整ったのだとわかる。

 玲華は三人の顔を見渡すと――端にいる二人まで決して首を回さず――一つ頷いて、工藤へ目を向けた。


「では、工藤くんから聞かせてもらえるかしら?」


 今度は綾瀬からではなかったためだろう、工藤は少し驚いたように息を呑んだが、淀みなく話し始めた。


「はい――ええっと……正直なところ、僕には御社でなければならないという大層な理由はありません」


 工藤の志望動機は、そんな率直すぎる一言から始まった。

 玲華はそんな失礼ともとれる言葉に気を害した様子などまったく見せず、寧ろ珍しくもないと言わんばかりに頷いて続きを促した。


「切っ掛けは、駅で配られていたフリーペーパーでした。普段なら、日々の業務の忙しさから来る疲れのせいで俯いたまま受け取らずに出社していたところですが――その時はたまたまだったと思います。何となくそのフリーペーパーを受け取りました。そしてそれを持ったまま会社に行って、机の上に転がし……昼休みの時、ふと思い出し手にとり眺めていたら、御社の特集のページが目に入りました。その特集を眺めて、まず思った――うちの会社の人間なら誰でもそう思うだろうことが『うちとは偉い違いだな』ということでした」


 その言葉に、綾瀬は思わず頷いてしまった。だけでなく、夏木も。よくよく見れば大樹もだった。

 玲華は端の二人は見えないとばかりに、頑なに三人へ視線を固定しながらクスリと漏らした。


「社員への待遇や環境について書かれていて――雑誌の特集なんですから悪いことは当然書かれてないにしても、思わず『嘘だろ』と一人で呟いてしまったほどです」


 またここで同意するように強く頷いてしまった綾瀬と夏木と大樹。


「そして、もっと『嘘だろ』と思ったことが、記事に嘘が見えなかったことです。具体的に言うと、写真や記事が全く嘘っぽく見えなかったんです。社内の風景は当たり前のように綺麗でしたけど、それより仕事をしている社員の方々が楽しそうで、それでいて健康的に見えたことが印象に残っています」


 そこまで工藤が言ったところで、玲華が初めて戸惑ったように口を挟んだ。


「ええと……健康的……?」


 どういう意味なのかと暗に問われて、工藤は頷いた。


「はい。うちみたいなブラックで働いている人は顔――具体的には頬が瘦せこけたり、目が虚ろだったり……どこかしら、無理をしているなと見れる人がよくいるんです」


 それを聞いて、玲華の頬がヒクッとなった。そんな反応を示したのは彼女だけでなく、ここまで無表情で聞いていた麻里もだ。


「それと、一人の社員の方のインタビューの記事でしたかね。インタビュー内容については忘れましたが、その人の回答が『たまの残業で遅くなった時にふと目に入る夜景がまた綺麗で、モチベーションが上がります』とあって、そこでまた驚かされました」

「……夜景が綺麗ってところかしら?」


 玲華がそう聞くと、工藤だけでなく、綾瀬と夏木、大樹まで首を横に振った。


「いえ――の残業がってところです。うちだとたまにでも定時に帰れないというのに、この会社の人は残業がたまに、なんだって思うともう……」


 遣る瀬無いように工藤がため息を吐くと、つられて綾瀬と夏木も小さく息を吐いてしまった。


「そ、そう……言いたいことは良く伝わったわ……」


 どこかぎこちない笑みを浮かべた玲華は続けて言った。


「つまり、工藤くんとしては『SMARK'S SKRIMSうち』がブラックではないと思ったから、というのが、一番の動機かしら――?」


 そう尋ねられた工藤は首を横に振る。


「いえ――それだけだと、当てはまるところは他にもあります。勿論、ブラックでないというのも大きな動機ではありますが、僕が一番御社に惹かれたのは、先にも言ったその雑誌に写っていた写真です。紹介されて映っていた社員の方や、会議の様子が映された写真、どの写真にも笑顔があったんです。それに気づいた時、ああ、この会社の人達はここで働くのが楽しくて堪らないんだろうなって自然と思ったんです。それが見える写真だったんです。そこで考えてみたんですが、僕が今の会社に入って仕事をしてきて、仕事そのものが楽しいと思ったことって実は無いなと気づいたんです。楽しいと思ったのは仕事ではなく、同期の友人や先輩と雑談したり飲みに行った時のことで、仕事を頑張ったのも仕事が楽しいとかではなく、同期や先輩に迷惑をかけたくない、先輩に認められたい、そういったことがモチベーションでした……なので、社員の人達が楽しそうに仕事をしていると思った御社で働いてみたいというのが一番の動機です――以上です」


 本当に率直なことしか工藤は話さなかったように思う。

 これで良かったのだろうかと、苦笑する玲華を前に、工藤と一緒に綾瀬達が大樹を盗み見ると大樹も同じく苦笑を浮かべて後輩達へ、大丈夫だ安心しろというように頷いていた。

 それを見て工藤はホッと安堵の息を吐いた。


「ふふっ、うん……確かに工藤くんの動機は確かに『SMARK'S SKRIMSうち』でなければならないというようなものでは無かったわね」


 苦笑から穏やかな笑みに変わった玲華の言葉に、工藤は緊張したように喉を鳴らす。


「でもね、私はそれを聞けて嬉しかったわ。何故なら、工藤くんが言っていたことは私がこの会社を経営する上での一つの指標だから。楽しく仕事をする、っていうのはね。だから――工藤くんが仕事を楽しみたいからうちで働いてみたいっていう志望動機は、我が社からしたら大変喜ばしく誇らしいいことと言えて――同時にそれこそ我が社でなければならないと言わせたいことでもあります。ありがとう、工藤くん」


 そう言ってニコッと微笑まれた工藤は顔を紅潮させて、感激したように頭を下げた。


「い、いえ、とんでもないです――!」


 ほう、と綾瀬は感嘆する。

 玲華の言葉には、本音を話していると思わせる節がこれでもかとあった。

 事実、本音なのかもしれない。けど、それをこの場で感謝の言葉と共に告げられることに、玲華の器の大きさを見せられたような気がしたのだ。


(……本当にうちの社長とは大違い……)


 綾瀬達の会社の二代目のあの社長だったら、ふんぞり返って当然だろうと嘲ってくるか、もしくは工藤のような若年からの言葉でなければ煽てられたかのようになって調子に乗るだろう。


「それじゃ、次は――夏木さんに話してもらおうかな」


 玲華が工藤から視線を移すと、夏木は「やっぱり」といったように背筋を伸ばした。


「はい!」


 緊張を覗かせながらも元気良く返事した夏木であるが、困ったように眉を寄せた。


「でも、あの、すみません。割と話したいことは工藤くんが話していて――」


 その言葉を受けて、玲華は鷹揚に、それでいて朗らかに頷いた。


「構わないわ。同じ内容であれ、それを夏木さん自身の口から聞かせてもらえれば」

「は、はい! えっと、私も切っ掛けは工藤くんが持ってきた雑誌で――」


 玲華に言われた通りに、夏木は自身の言葉で工藤と殆ど同じ内容の言葉を話し、それを玲華は欠片も飽いた様子を見せずに耳を傾け続けていた。


「――仕事を楽しめるような御社の環境だと、私の存在価値が下がってしまうような気がしないでもありませんが、私も仕事を楽しんでやってみたく御社に憧れたのが志望する理由です」


 そこまで話したところで、玲華は嬉しそうに頷いた。


「そう。先ほど工藤くんにも言いましたが、その志望動機を私は嬉しく思います」


 そう告げられて夏木も嬉しそうに微笑むが、夏木はそこから続けて言う。


「は、はい――それと付け加えると、その日から御社に興味を惹かれた私は御社のショッピングサイトを利用しています。あれってすごいですね! 購入履歴や見ていた服から趣味が似たようなのを自動でお勧めしてくれるシステムありますよね? あのシステムってよそのショッピングサイトでもありますけど、『SMARK'S SKRIMS』のは格段に良いと思います! 更にマイページじゃ、偶には気分転換にってページがあってそこでは、趣味から少し外れたものをお勧めしてくれて、それがまたいいものが多かったりして、すっかりハマってしまって、もう長い間愛用してます! デザインも可愛くてあんな素敵なサイトを運営している御社で働いてみたいというのも志望理由です!」


 目をキラキラさせながら興奮気味に語る夏木に、玲華は苦笑と同時に微笑ましいような笑みを浮かべていた。


「そうなの。夏木さんもうちのサイトを利用してくれてたのね」

「はい! お世話になってます!」

「ふふっ、そう。夏木さんのようにあのサイトを愛用してから、うちに入りたいって言う人は何人もいたわ。うちに来たら話が合いそうな人が多いかもしれないわね」


 茶目っ気を込めるようにウィンクと共に告げられた夏木は満面の笑顔で頷いた。


「はい! そういった意味でも御社で働くのが楽しみです!」


 もう合格したかのような言い方をしてしまった夏木だが、その前の玲華の言葉を考えると無理はないと言えた。


(……多分、そうなんだろうな……やったわね、穂香!!)


 まだ恐らく、がつくが夏木は合格だろう。工藤もそんな気がする。

 ふと大樹を見ると、感嘆したような感心したような目を玲華へ向けていた。


(……そう言えば先輩って、どうやって如月社長と知り合ったんだろ……?)


 ただの知り合いとも思えない。何せ綾瀬達の面接の渡りをつけたのは恐らく大樹で、彼自身も内定を貰っているのだ。


(……先輩の有能ぶりを噂で聞いてヘッドハンティングされたとか……? うん、ありそう)


 そして内定をもらい、綾瀬達の本命がどこかを知って、彼らへの面接を願ってくれたのだろう。


(……うん、多分それほど外れてないと思う……でも、何か引っかかるような……?)


 何かとても大きなことを見落としているような引っかかりを覚えた綾瀬が頭を悩ませ始めるが、それはすぐに中断を余儀なくされた。


「それでは、綾瀬さん、お願いします」

「はい」


 綾瀬はすぐに思考を切り替えて玲華と向き合った。


「私も切っ掛けは先に話した二人と同じで――」


 工藤、夏木と同じ話を綾瀬は彼女自身の言葉で話し始めた。同じ内容であるが、先の夏木への言葉を考えると、いちいち断らなくてもいいだろう。

 事実、玲華は初めて聞くかのようにキチンと綾瀬の話に耳を傾け反応してくれていた。

 夏木がハマっているように綾瀬も『SMARK'S SKRIMS』のショッピングサイトを利用していることも話した。


「――システム自体もすごいと思うのですが、それ以上に次々と旬なイベントや企画がサイト内外で開催されてるのがすごいと思います。様々な視点から良く練られていて、飽きることがなく、感服する思いです」


 サイトについて思っていたことを話すと、玲華は少し複雑そうに眉を曲げて微苦笑を零した。


「イベント関連は社員に任せてるのが殆どなのよね――彼らも綾瀬さんの言葉を聞いたら喜ぶと思うわ」

「はい。きっと企画してる方達はすごく仕事を楽しんでるんだろうなと思っていたので、お会い出来る日が楽しみです」


 次々と繰り広げられるイベントから思っていたことを口にすると、一瞬だけ玲華の視線が後ろめたそうに泳いだのを綾瀬は見逃さなかった。


「そ、そう――……彼らの情熱はとてもから当てられないようにね……」

「? はい……」


 どういう意味だろうと思わず小首を傾げる綾瀬だったが、玲華は「ゴホンッ」と咳払いをして、目で話の続きを促した。その視線は「もう終わり?」という意味も込もっていて、綾瀬は微かに首を横に振って口を開いた。


「最後の、私が御社で働きたい理由ですが――」


 言いながら綾瀬はチラッと大樹を見る。

 大樹は何も心配してないと言わんばかりに真っ直ぐ綾瀬を見ていた。

 そのことに心強さを覚えながら綾瀬は言葉を紡ぐ。


「――社員を正当に評価をしてもらえそうだと思ったからです」

 

 

 

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