第六十七話 それはズルい

 

 

 

 厚めに切ったベーコンを熱したフライパンに乗せて炒める。十分に熱が通って焼き目がついたら、バターを入れて溶かし、みじん切りした玉ねぎとピーマンを入れてベーコンもろとも炒める。バターの芳醇な香りが野菜の香ばしさと合わさって良い匂いが鼻を刺激してくる。

 少し火が通ったら、その上にケチャップ、ウスターソース、顆粒コンソメを入れて炒めて水分を軽く飛ばす。再びバターを入れてからご飯も入れ、塩コショウを振りながらフライパンを振ってひたすら炒める。そうして満遍なくご飯が赤くなったらケチャップライスの完成である。


「あ、そうだ。卵はどうします?」


 いつもの如く、今にもよだれを垂らしそうにフライパンを凝視している玲華に大樹は声をかけた。


「――へ? え、何?」

「卵です。どうしますか?」

「……? どうするって、どういう……?」


 質問の意図を掴みかねている玲華に、大樹は三本指を立てて見せた。


「オムライスに乗せる卵です。喫茶店みたいな固焼き、カフェみたいなふわとろの半熟――スクランブルエッグが乗っているようなやつですか、最後にオムレツを乗せたやつ――まあ、大体三つのパターンがありますが、それをどうしますかという質問です」

「あ、そ、そう……固焼きと半熟に……――え、オムレツ!?」

「そうです。テレビで見たことないですか、オムレツを乗せてスプーンで軽く割ってやるとトロッと中身が流れるやつです」

「あ……そう言えば、お店で見たことある……え、そんなのも出来るの!?」


 驚愕して聞いてくる玲華に、大樹は眉をひそめた。


「何言ってるんですか、俺は洋食屋の倅ですよ。オムレツ作れて当たり前でしょう」

「ええ……? そ、そういうものなの……?」


 困惑を浮かべて納得しかねるといった顔をする玲華に、大樹は当然とばかりに頷いた。


「そうなんですよ――で、どれにしますか?」

「ええっと……ええ、どうしよう。何て素敵な三択なの……!」


 玲華が文字通りに頭を抱えて悩んでいる横で、大樹は卵を割って牛乳を混ぜて泡立て器でかき混ぜる。

 鍋で煮込んでいるスープを横目で見て、もう十分かと火を止める。

 サラダは水菜とツナのサラダを用意してある。料理名の材料の他、オリーブオイル、酢、塩コショウを混ぜただけという、手軽なものだ。スープも含めてだが、玲華が心配してくるので時間のかからないものにしたという面が強い。


「う、うーん……他も気になるけど、やっぱり最初は――固焼きので!」


 長い苦悩の末に断腸の思いで答えを出したような玲華に、大樹は噴き出しそうになりつつ苦笑気味に頷いた。


「了解しました」


 それならばとかき混ぜている卵に砂糖とマヨネーズをちょこっと追加して再び混ぜる。

 それからフライパンにバターを入れて溶かすと、溶いた卵を入れて焼き始める。周りが固まり始めたらチーズをパラパラとかけてからチキンライスを乗せて、卵を折りたたむと完成である。

 皿でフライパンを蓋するように被せ、フライパンごとひっくり返すと、オムライスがボトッと落ちる。

 いつも思うが、白いお皿に黄色のオムライスはよく映える。


「一人前完成」

「わあっ――目の前で見てると、なんか感動的」


 玲華の場合は、口にした言葉に加えて「自分の家で」というのが入ってよりいっそう――ということである。

 目をキラキラさせている玲華に、大樹はまた大袈裟なと苦笑する。

 そして大樹は自分の分として卵を焼くが、玲華より多目に食べる分、手間がかかるのでいちいち包もうだなんて思わず、皿に乗せたチキンライスにチーズをちりばめ、焼いた卵を被せて、上下のチキンライスからはみ出している部分を皿との間に押し込んで、それで完成ということにする。


「あー……なるほど、無理してフライパンの上で包まなくても、そうやればいいってことなのね……」

「ええ、でも手抜きには違いないですからね。それでも味に大差は無いですし、何より自分で食べる分ならこれぐらいの手抜きは許されるでしょう」

「うんうん、見た目もこっちのと変わりないしね」

「でしょう?」

「ええ、とっても美味しそう!」


 ニカッと笑んでサムズアップする玲華に、大樹は笑い返した。







「いただきます」


 上機嫌に手を合わせる玲華の対面で、大樹も手を合わせた。

 そしていつものように玲華がサラダから箸を伸ばし、大樹も同じくサラダを一口、口へ運ぶ。

 水洗いしただけの水菜はシャキシャキとして、酸味のきいたドレッシングが食欲をそそる。それがツナと絡むことで、双方の味が一層引き立てられている上にアッサリとしている。


「あ、美味しいわね、これ」


 口を手で抑えてモグモグとしながら玲華が簡潔に感想を述べる。


「カットした水菜にオリーブオイルと酢と塩胡椒の簡易ドレッシングかけて、ツナですからね。特別なことはしてませんが、不味くなる要素もなく、ツナがある分で旨味が増しますからね」

「なるほど……」


 気に入ったようで、玲華は続けて二口ほどモシャモシャと食べた。

 続いて、スープにスプーンを入れて一口すする。


「……? このスープ、お昼の残りの使ったの?」

「ええ、残っていたスープにキノコを足して和風に味付けしてみたんですよ。けっこうイケるでしょ?」

「うん……ホッとするわね。これも美味しい」


 ジンワリと頬を綻ばせる玲華につられて大樹の頬も緩む。

 昼に作ったスープが残っていたので、それも元に水と出汁と醤油とキノコを足して煮ただけの、手抜きの極みとも言えるが、それでも美味いものは美味い。

 それに残っていたじゃがいもが時間を置いたことにより、味が沁みて非常にいい味を出しているので、残り物といえど侮るなかれ。


「さて、それじゃ、次はオムライスを――あ、ケチャップ……をかけるのよね?」


 オムライスの上にはまだ何もかけてなかったので、それについて聞いてくる玲華に、大樹は「ああ、ちょっと待ってください」と声をかけてから立ち上がり、電子レンジの中から温めていたものを取り出した。


「――これをかけてから食べてください」

「……? これってケチャップよね? わざわざ温めたの?」


 玲華が言及した通り、見た目はケチャップにしか見えないので大樹は苦笑した。


「まあ、スプーンで掬ってみればわかりますよ。どうぞ」

「ふうん……? あれ? もしかしてこれトマト……?」


 スプーンを入れた玲華が、不思議そうにする。


「ええ。ざく切りしたトマトをケチャップに入れて加熱したんです」

「へーえ? どれどれ……あ、なんか雰囲気がちょっとオシャレっぽく……」


 ただのケチャップをでなく、ぶつ切りになった固形のトマトも乗ると確かに雰囲気が少し変わる。思わずといったように微笑んだ玲華を目にしながら大樹もオムライスにそれをかける。


「うんうん、でもこれぞオムライスって感じよね」

「まあ、確かに」


 黄色の薄焼き卵の上に赤いケチャップがかかると、もうオムライス以外には見えないのは当たり前で、更に言うなら「オムライス」と聞いて、一番イメージされるのがこの姿だからだろう。

 そんなことをつい口に出した玲華に、大樹は苦笑しながら相槌を打つ。


「それじゃ、いただきまーす――」


 言ってから玲華は湯気を立てているオムライスにスプーンを立てる。

 ふーっと息を吹きかけて、パクッと一口。


「――! ……!?」


 モグモグと咀嚼しながら玲華が何やら目で必死に訴えてくる。


「……?」


 解読を試みたが、大樹は早々と諦めてオムライスを一口頬張った。

 まずくるのが卵の感触である。固焼きであるが、牛乳も混ぜられたそれは少ししっとりと柔らかく、そしてバターの風味を広がらせる。続いて、上にかけられたトマトも混ぜられたケチャップである。煮詰めたことで少し水分の減ったそれは濃厚で更には固形のトマトからの酸味も加えられてフレッシュさもある。そしてチキンライスだ。ケチャップとバター、塩胡椒で味付けされた米はパラパラとして食感もまた良い。加えて厚めに切られたベーコンが来るのだが、こっそり入っているピーマンの苦味が全ての材料の甘さを引き立たせている。これらの材料が揃えば例え、下手くそが作ってもそれなりに美味く出来る。が、作ったのは洋食屋の倅で料理を得意としている大樹なのだから――


(――うむ、美味い)


 我ながら良い出来だと自画自賛してもいいだろうと思いながら続けてもう一口頬張ると、今度は中心寄りにあったチーズに届き、それが混ざる。


(……やっぱりチーズとトマトの相性は良過ぎるな……)


 玲華が好きみたいだから入れたのだが、大正解だったと大樹は一人うんうんと頷いた。出来に満足していると――


「うう――美味しい……!!」


 ジーンと感動で打ち震えそうな様子の玲華に、大樹の顔が綻ぶ。


「ですか。それは良かったです」

「うん、本当に美味しい……今まで食べてきたオムライスの中で一番かも」

「はは、そんな大げさな」


 流石にそれは色々補正がかかり過ぎだろうと笑い飛ばす大樹に、玲華は反論する。


「もう本当よ!?……最初の一口食べた時は、ああ、喫茶店のオムライスの味だ――って、子供の頃に喫茶店で食べた時のこととか思い出したけど、でも記憶にあるよりも遥かに美味しいって、湧いたイメージとか消えていって……ううん、美味しい」


 そう言って幸せそうに玲華はオムライスを頬張る。


「食べ進めて出てくるチーズなんか堪らないし……ベーコンってオムライスとこんなに合うものなのね……ねえ、このかかってるケチャップも、美味しいわね。味が少し濃くなってる? だけでなく、トマトの食感もいいし……うーん……とにかく、美味しい」

「はは……味が濃くなってるのは加熱して水分が飛んだので、少し塩を混ぜてるせいですね。あと、トマトも混ざってるっていうのと」

「なるほど……このケチャップ、他の何かにかけても美味しそう……あ、ポテトのディップに使うのも良さそうじゃない?」

「ああ、それはありですね。ポテトなら……薄切りしたジャガイモに乗せて食べるのも美味いでしょうね」

「あ、それ絶対美味しい!」

「今度、つまみが欲しい時にでもやりますか」

「あ、やりましょう!」


 そうやって笑顔でオムライスを食べ進める玲華を見て、大樹の体に満足感や達成感が満ちていく。


(……癖になりそうだな、これは……)


 今の玲華と向かい合っていると、疲労なんて消し飛ぶ。だけでなく、活力が湧いてくる。

 今この時が、先週会えなかった時から大樹の何よりの『楽しみ』であったのだ。







「そういえば、後輩の子達には何て説明するの? 具体的にはどういう経由で面接が決まったとか、私と大樹くんがどういう関係かとか」


 食事も終えて雑談に興じていると、気づけば遅い時間になっていたので帰り支度をし、いつものように下まで見送りについて来た玲華が、エントランスを抜けたところで聞いて来た。


「――あ、そう言えば……」


 後輩達のことを頼むことばかり頭にあって、その辺のことを考えるのは忘れていた大樹である。


「考えてなかったんだ……」

「……まあ、そうですね。ふむ、どうしたものか……」


 眉を寄せて考え込む大樹に、玲華は苦笑を浮かべる。


「んー、そうね……私とのことはある程度本当のことを言ってもいいんじゃない?」

「――と言うと?」

「ほら、私が階段で転んだところを助けてもらったこととか。家も近所だし、それが縁で何かと顔合わせる機会が増えた――とか。何も全部隠す必要は無いんじゃない? 後輩達には。そうでないと色々説明つかないでしょ?」

「……確かにそうですね。それが切っ掛けで俺は玲華さんに色々相談をすることになって、玲華さんがスマークの社長だと言うことも途中で知った――ってとこですか」

「うん。それでいいんじゃない?」

「――ですね。それぐらいの関係性が無いと、確かに説明がつかないですね。どこでどう知り合ったら、三人も一気に面接に連れて行ける関係になるのかって話ですしね」

「そうそう。だから私と大樹くんは、あくまでも相談される、するの関係だって貫けば、特に問題ないんじゃない?」

「そうですね……それに、丸っきり嘘でない――いえ、嘘が殆ど無いのもいいですね」


 相談だけの関係でないってところが嘘なぐらいである――いや、ある意味で『まだ』正式には付き合ってない二人であるから、まったくの嘘でもない。面接の翌週から同居することに関しては黙っておけばいい話である。


「ね?」


 ニコリとする玲華に、大樹は頷く。


「ええ。それでもやはり畏まった態度をとった方がいいのは変わりませんがね。忘れがちですが、玲華さん歳上だし、立派な企業の社長ですしね」

「……? 忘れがちなのは歳上ってことだけよね? そっちはなんか複雑なような嬉しいような……なんだけど」


 一応という風にそう聞いてきた玲華に、大樹はそっと目を逸らした。


「ちょっと――!?」


 憤然とする玲華に、大樹は落ち着かせるように手を突き出した。


「あ、いやいや、今日存分に、玲華さんが社長だってことを意識しましたよ?」

「今日、……?」

「……失礼しました。今日、です」


 そう言うと、玲華がそれはもう疑わしげな目を向けてきた。


「まったく……私のことを何だと思ってるのかしらね、大樹くんは?」

「ポン――ゴホゴホッ、綺麗で優しい女性だと思ってますよ?」


 大樹は咄嗟に出て来た言葉を途中で飲み込んで、咳払いで誤魔化した。が、やはり誤魔化しきれなかったようで――


「――最初、なんて……?」


 額に青筋が浮かんでいるのが見えるような迫力ある笑顔だった。


「……何も言ってませんよ……?」


 空惚ける大樹に、玲華は目を細めて睨んできた。


「まったく……麻里ちゃん達といい、大樹くんといい、私のこと何だと思ってるのよ……?」


 仕方なさそうに息を吐く玲華に、大樹は再びあの言葉が口を突いて出そうになったのを堪えた。


「まあ、いいわ。次の面接で見てなさい。たっぷりと大樹くんを悔しがらせてあげるわ」


 公私のオンオフの態度ををやり通すことについて言ってるのだろう。

 大樹は腕を組んで大きな胸を張る玲華の頭上に「負け」と書かれた旗(フラグ)が立っているのを幻視しながら頷いた。


「楽しみにしてます」

「む……」


 返事が気に入らなかったのだろう玲華が再び目を細めてくる。

 大樹は思わず噴き出し気味に苦笑した。


「では――そろそろ帰ります」


 そう言って振り返ろうとしたところで「ちょっと待って」と袖を掴まれる。


「何ですか?」


 視線を戻すと、玲華がすぐ近くまで寄ってきて大樹をジッと見上げてきた。


「……」

「……? えっと……」

「ねえ、驚かせる時だけ……?」


 困惑する大樹に、玲華がソッと呟くように言った。


「? 驚かせる時……だけ……?」

「そう」


 短くそれだけ返した玲華は尚もジッと大樹を見つめるのである。


(驚かせる……時、だけ……――!)


「あ、あー……」


 思い当たった大樹に、玲華は微笑みを浮かべて頷いた。


「――はい」


 そう言って、玲華は大樹に向けて手を広げたのである。

 ここまでされてやはり思い違いではなかったのだなと大樹は苦笑を浮かべ、昨日から玲華を一番驚かせたことを、若干まごつきながらゆっくりと実行した。


「――んん……」


 抱きしめられて・・・・・・・大樹の胸元におさまった玲華が心地良さそうな声を漏らす。


(……そんな声出すのやめてくれねえかな……)


 大樹は自身の理性が加速度的に削られていくのを自覚する。

 それでもやはり玲華の抱きしめ心地は非常に良くて、知らずの内に徐々に腕に力が入っていく。

 玲華の暖かさ、柔らかさ、匂いをより全身で感じていくと同時に一つの気持ちが大きくなっていく。


(……俺はやっぱり好きなんだな、この女性ひとが……)


 わかっていたことを改めて自覚させられるという瞬間だった。

 また力が入っていきそうになった時、胸元にある玲華の顔が少し揺れる。


「――ふふっ……今、大樹くんが何考えてるか、わかっちゃった……」


 ドキリとして大樹が思わず力を緩めると、玲華が顔を上げてニヤリとした笑みを向けてきた。


「えーと……何のことでしょう?」


 至近距離にある玲華の顔にドギマギしながら聞いてみると、玲華がクスクスと微笑んだ。


「別に惚けなくても……多分、私と同じこと考えてたと思うから。なんとなくだけど、間違いないって思ったのよ」


 何となく大樹もそれは間違いないのだろうと思った。思わされた。


「……そうですか」

「そうよー?」


 嬉しそうに、だがからかうようにニヤニヤとした笑みを向けてくる玲華に、大樹は怯みそうになった。


「ふふん……どう――? 我慢できそう……?」


 挑発するように囁くように言われて、大樹の頬がヒクッと引き攣った。


「あ、あのですね、玲華さん……」

「んー? 何かしらー……?」


 普段のポンコツぶりは一体どこに行ったのかと思うほどの大胆さを見せる玲華に、大樹は狼狽する。が、よくよく見れば、玲華の耳が赤くなっているのに気づく。

 玲華も割といっぱいいいっぱいのようだと察する。


「……」


 大樹は無言で玲華を抱きしめる腕に力を込めた。


「ふぁっ――!? ちょ、ちょっ――ギブ、ギブ!!」


 肩をパンパンと叩かれ、数秒ほどしてから力を緩める。


「ちょっと! もうちょと力加減ってものを考えてよね!?」

「はっは、いやあ、つい――」

「むう……」


 少し余裕を取り戻した大樹に、玲華は面白くなさそうに唇を尖らせた――がすぐに噴き出した。


「まったく、もう――ふふっ……ねえ、大樹くん?」


 そして再度挑発するような笑みを浮かべた玲華が大樹の名を呼ぶと、背伸びしてから大樹の耳へと囁いたのである。


「これで、どれだけ我慢出来るかしらね……?」

「? 一体どう――」


 耳をこそばゆく思いながら大樹が問い返そうとしたところで、自身の頬から「チュッ」と音が立った。

 その音と柔らかな感触から何が起こったのか察した大樹がフリーズする。

 そうして固まった大樹から、頬を染めた玲華が一歩離れる。


「……ふふっ。じゃあね、大樹くん」


 はにかんでそれだけ言った玲華は背を向けて、タタタッと駆けてエントランスの中に入った。

 そして閉じた自動扉の向こうから玲華が手を振ってきたので、大樹は機械的な動きでカクカクと手を振り返した。

 すると玲華は小さく噴き出し、顔を背けて肩を震わせた。

 だが、すぐに口元をニマニマさせた顔を向けてきて、また手を振る。

 そこで大樹は「はあーっ」と大きく息を吐いて、硬直から返る。

 そうしてどうにかしかめっ面を作って、大樹は手を振り返したのである。

 そこでまた今にも噴き出しそうな玲華に背を向け、大樹はマンションから出たのだった。

 それから十歩ほど歩き進めて、玲華からも見えない位置で力無く立ち止まった大樹は再び「はあーっ」と、大きく息を吐いた。


「……あれはズルい……」


 ポツリと、そんな小さな声が虚しく夜空に溶けていくのであった。

 

 

 

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