第六十六話 これが、あの――
「俺の一人用こたつのテーブルですが……話し合う必要もなく不要ですね」
「そうね」
「布団は――」
「特に思い入れが無いのなら処分して、今うちにあるやつ使えばいいんじゃないかしら?」
「……ですね。後は服とかを収納してたようなチェスト類ですが……」
「うーん……そうね、それはそのまま持ってきていいんじゃないかしら」
「了解です。後、大きなものと言えば……無い、か」
「そっか。じゃあ、仕事で忙しい中大変だとは思うけど、要不要の分別だけお願いね」
「わかりました」
大樹が頷くと、玲華は鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌にカップを傾けた。
二人は大樹の引越しの際に、大樹の家から運ぶもので必要なもの、不要なものについて話し合っていたのだ。結果、大樹が玲華の家に運ぶものと言えば、愛用の調理器具の他は、パソコンと服ぐらいであったことがわかった。
他に家にあるもので必要なものは既に玲華の家にあったり、代用が可能だったりと、大半が不要になった。もしくは、玲華の家に置くには余りにも不釣り合いに思えるから処分というものが多かった――この家の格式に対してという意味でだ。
後は細々としたものだが、それらはダンボール一箱に詰められる程度のものである。
(……こんなに楽な引っ越しもそうは無いな……)
特に今の大樹は仕事が忙しく、ゆっくり荷造りしてるヒマなど無いから助かるというもの。何かこう、外堀が埋められていくような、もしくは真綿でジワジワ首を絞められていくような、言いようのない何かに襲われているような感覚があるが、大樹はそれには蓋をして見ないことにした。
「寝るところは今の和室そのまま使ってくれたらいいからね」
「……いいんですか?」
和室はこの家の中でも一室しか無いのではと思っていた大樹は遠慮がちに聞いた。
「いいわよ。他の部屋がいいのならそこ使ってもいいけど……仕事が落ち着くまでは、多少なり慣れたところで寝た方がいいんじゃない?」
「では、お言葉に甘えて」
「ふふ、もうそういうのいいから。大樹くん、ここに住むんだし。一々遠慮なんてしてたら疲れるわよ?」
「……善処します」
いつかは慣れるだろうとは思うのだが、いかんせん今住んでいるアパートとの落差が激しくて、慣れることが出来るのだろうかという疑念が尽きない。
眉を寄せて大樹が固い顔をしたからか、玲華がおかしそうに肩を震わせる。
「ふっふふ……もっと気軽になったら? 大樹くん」
「はあ……まあ、いつかは慣れるとは思います」
「そうね……ふふ、引っ越しが終わったら、もういつでも顔合わせられるわね」
その言葉は大樹に向かって言っているというよりも、自分へ向けて、それでしみじみとしているように見えた。
何と返したものかと思った大樹は、悩んだ末に自身の頭を掻いた。
嬉しそう幸せそうに微笑む玲華を見て茶化す気になれなかったのだ。
「……そういや、今日の夕飯は何が食べたいか決まりましたか?」
「あ、そうだ、それね……やっぱりオムライスかな。前のランチの時から気になってたのよね」
「オムライスですか……ケチャップの方で?」
「? ケチャップでないのもあるの?」
「まあ、それは。和風オムライスなど」
「あ、和風オムライスかー!」
「ええ。どちらがいいですか?」
「う、うーん……和風のも気になるけど……ずっとケチャップのオムライスイメージしてたし……け、ケチャップの方で――!」
玲華は断腸の、を思わせるほど苦悩した末にそう決断した。
これには苦笑せずにはいられない大樹であった。
「わかりました。まあ、和風はまたの機会ということで」
「そうね、もう一緒に住むんだし、いつでも機会あるわね!」
ニコリとする玲華に、大樹は頷いた。
(……ケチャップがいいって言ったし、まあいいか)
大樹は和風オムライスが大樹にとってどういうものかということを今更話すのも無粋かと思って、ここでは言わなかった。
「あ、じゃあ、お米だけ先に研いで炊いておいた方がいいわよね?」
「そうですね」
「じゃあ、やっておこうかな。ちょっと待ってて」
飯炊きは自分の仕事だと言わんばかりに玲華は腕まくりをしてキッチンに入った。
妙に気合の入ったような姿を見せる玲華に、大樹の頬が思わず綻んだのだった。
「何度も思ったことあるんですが、やっぱりデカいですね、このテレビ……」
「あ、はは……やっぱりそう思う?」
「ええ。電化製品店で並んでるテレビの中でも一番大きいのがこれぐらいじゃないですか?」
「あー、うん……大体それぐらいかも……」
まだ夕方の内でも早く、急いで食事の用意をする時間帯でもないということで、玲華からテレビでも観ないかと提案があり、特に反対する理由もなかったので、二人は今いつものソファーに腰掛けて正面のテレビに目を向けている。
ちなみに観るものは以前に話題していて大樹が一部見逃した、玲華も観ていたアニメのBlu-rayである。
意外にもこの家で腰を据えてテレビを観るのは初の大樹が、再生が始まる前に改めてテレビの巨大さに言及すると、玲華はどこか所在なさげになったのである。
「……玲華さんが好きで選んだんじゃないんですか、このテレビ?」
すごいでしょ、などと少し自慢するように返されると思っていた大樹が意外に感じて問うと、玲華は乾いた笑みを浮かべる。
「あ、はは……実は一緒に家電製品見に行った子に、絶対これがいいって押されて――」
「……なるほど」
「前にも話したことあるけど、私にこのアニメ勧めてきたって子いたじゃない? 会社の立ち上げメンバーの一人でもあるって……」
「ああ、言ってました――……もしや、その人がこのテレビを堪能したかったから勧めてきたんじゃ……?」
ふと思いついた疑念を聞いてみると、やはりそうだったようで、玲華は力無い笑みを浮かべて頷いた。
「そうなのよね……だから、たまにだけど、うちに来てテレビの前でゴロゴロするようになっちゃって……」
頬に手を当てて悩ましげに息を吐く玲華に、大樹は苦笑した。
「まあ、でも……俺としては、こういう大きいテレビはどこかテンション上がったりしますから、少し感謝ですかね、その人には」
大樹も多数の男の例に漏れず、大きいテレビが好きである。
「ええ、そうなの? 私はもうちょっと手頃の大きさのがいいかなと思ってたんだけど……」
「そんな、とんでもない。このテレビはいいものです」
大樹は断固と首を横に振る。
「そ、そう……? まあ、大樹くんが気に入ってるのならいいか……」
「ええ、いいと思います」
強く頷くと、玲華は目を丸くして噴き出し気味に微笑んだ。
「ふふ、そっか――始まるわよ」
促されて目を向ければ、巨大な画面にアニメが迫力よく映し出される。
「おお、懐かしい……この曲格好いいですよね」
「わかる。めちゃくちゃ早口でとても歌える気しないのが残念だけど、格好いい曲よね」
「はは、確かに。カラオケよく行くんですか?」
「たまにってところかな? 会社の飲み会の二次会とか」
「なるほど。俺は最近は――」
などと、雑談を挟みつつ二人はゆったりとアニメを楽しみ始めたのだった。が――
◇◆◇◆◇◆◇
「……大樹くん? ありゃ……寝ちゃった……」
視聴を始めて割とすぐに、玲華は大樹の腕を抱えるようにくっつき大樹の肩に頭を乗せてアニメを観ていたのだが、大樹の口数が少なくなったかと思えば、大樹の頭が力無くしたように玲華の頭上にもたれてきたのだ。
そしてすぐに寝息まで聞こえてきて、玲華は短く息を吐く。
「やっぱり疲れてたか……いえ、疲れてて当然ね。週一回しか休まずに毎日遅くまで仕事してるんだから……よっこいしょ」
まずはゆっくりと首を動かして、大樹の頭を自分の肩に乗せる。
そして肩の位置はそのままに、少しお尻の位置をズラす。
「よい――っしょ、うわ――っ!?」
そうして大樹の頭をゆっくり自身の膝に落とそうとしたら途中で引っかかってしまった。
――胸にだ。玲華の豊満な胸にポヨンと引っかかって大樹の頭がそこに乗ってしまったのである。
「…………いや、いいんだけどね、大樹くんだしさ――でも、寝てて勿体無かったんじゃない? ウリウリ」
悪戯っぽく笑いながら玲華は大樹の頬を突いて遊ぶも、大樹は幸せそうに寝ていて起きない。
仕方ないなと苦笑しながら玲華は大樹の頭を支えながら太ももの上に乗せてやる。
そこでふと気づく。
「あれ……? もしかして、男の人に膝枕するのって初めて……? ふ、ふふ、光栄に思いなさいね?」
そうして再び大樹の頬をツンツンと突く。
それからふと手の位置を大樹の頭にスライドして、髪に触れる。
「……見た目ほどゴワゴワしてないのよね」
厳つい大樹の風貌から髪も固そうなイメージがあるのだが、触ってみるとそれほどでもなく、なかなかに感触は悪くない。なので、そのままゆっくり撫でることに集中してしまう。
「……あ、なんか今すごく幸せかも……」
玲華の頬が知らずの内に緩んでいく。
この時の玲華の顔を大樹が見逃してしまったのは非常に不幸なことだっただろう。
女性的魅力に加え、慈愛も篭ったその微笑みには同性であっても見惚れること間違いなかったからだ。
「あ、このままだと冷えちゃうか。よ――っと」
大樹の頭を撫でる手はそのままで、ソファのすぐ横に置いてあるブランケットを反対の手で取ってから大樹のお腹の上に広げてやる。
「……時間的に二時間ぐらいは大丈夫か。おやすみ、大樹くん――」
◇◆◇◆◇◆◇
「あ、起きた……?」
大樹の細く開かれた瞼から見えた光景は、まず大きな山が二つだった。
そして目を凝らせば、その山の向こうから非常に麗しい顔が自分を見下ろしていた。
「そろそろ起こそっかなって思ってたんだけど……スッキリした? よく寝れた?」
その言葉を聞いて大樹は朧気に自分がどういう状況かを理解し始めた。
いつの間にか眠っていたらしい。更には――
「……あー……もしや、この後頭部の柔らかい感触は……?」
そう聞いてみると、山の向こうから苦笑したような気配が伝わって来た。
「さて、何でしょう……?」
「……そうか。これが、あの伝説の――」
「え、ちょ、大樹くんの中で膝枕ってどういう立ち位置なのよ!?」
「……何せ、経験がなかったものだったので」
「ふ、ふーん……? そ、それならこれが初めてってことなのね?」
「……そうなりますね」
「そ、そっか……ふふ――」
くすぐったそうで、それでいて嬉しそうな声が聞こえて、それがまた心地よく感じて大樹は目を閉じた。
「……まだ眠い?」
小首を傾げる玲華に、大樹はゆっくり口を動かした。
「――いえ、ただ色々心地いいから、つい……」
「そ、そう……」
照れたようにまごついた玲華は、それを誤魔化すためなのか、大樹の頭をサワサワと撫でた。
(……気持ちいいな、これも…………でも、なんかこの感触は……?)
「……もしかして、寝てる間もそうやってました?」
もう薄れかけてる夢の記憶の中でも、これがあったような気がした大樹が聞いてみると、玲華が慌てたように手を引っ込めた。
「え、あ――ご、ごめんなさい……」
「いえ、別に怒ってませんよ……それよりやめないでくださいよ」
まだ少し寝惚けていた大樹は、本人も知らずの内に甘えるような声が出ていた。
「え……あ、うん……」
少し戸惑ったような玲華は、再び大樹の頭をゆっくり撫で始めた。
(……なんか、風呂入ってるみてえな心地よさがあるな……)
暖かい玲華の手をそうやって意識してると、大樹はまた眠りに陥りかけた。
「……そろそろ19時前だけど……もう、今日は出前でもとろっか?」
気遣うように玲華がそう言ってきて、大樹はパチッと目を開けた。
「……もうそんな時間でしたか」
呟いて、大樹は非常に名残惜しさを感じながら腹筋だけでゆっくり体を起こした。その拍子にブランケットが自分からズレ落ちるのを見て、玲華がかけてくれたのだと知る。
「かけてくれたんですね、ありがとうございます」
そう言ってから伸びをしながら欠伸をする。
「ううん……ねえ、疲れてるならご飯作らなくて、出前でもいいけど……」
再度そう言われて、大樹は苦笑して首を横に振る。
「何言ってるんですか、俺の楽しみを奪わないでくださいよ。それにぐっすり寝れたから、サッパリしてますよ」
「でも――楽しみ?」
言い募ろうとしたが、そこが気になったようで玲華は小首を傾げた。
「ええ。後、玲華さんの膝枕なんてものを堪能させてくれたおかげで気力も十分、元気一杯になりましたしね」
悪戯っぽく笑ってからかうように言うと、玲華はわずかに頬を染めるもツンと顎を反らして言い返してきた。
「そ、そうね。光栄に思いなさいよね」
「はい。感謝してますとも」
真面目ぶった顔で頭を下げる大樹に、玲華は偉そうに「うんうん」と頷いている。
「いやあ、嬉しいですね。一緒に住んだら、玲華さんの膝枕をいつでも楽しめるなんて」
大樹が何気ないのを装って言うと、玲華は目を丸くした。
「え」
「え、ダメなんですか」
「うっ――い、いいけど……」
そう言いながら少し恥ずかしそうに俯く玲華があまりに可愛く見えて、大樹は一瞬理性が吹き飛びかけ、寸でのところで正気に返る。
(……あ、危ねえ……)
膝枕をまたしてもらいたいのは本当だが、先のように言ったのはからかいも含んでいたのである。が、それによって理性を失くしては自爆もいいところである。
大樹は玲華から目を逸らしながら立ち上がった。
「――さて、晩飯の準備を始めますか」
「ねえ、本当に疲れてないの? 大丈夫?」
また気遣うように言われるが、よくよく考えたら昨日もうっかりテーブルで寝てしまったんだったなと大樹は苦笑する。
「大丈夫ですよ。それにオムライスですしね、三十分もあれば終わります」
「……そんなすぐ出来るもんなの」
「ええ。ナポリタンと似たようなもんです。すぐ終わりますから、待っててくださいよ」
「……ん、わかった」
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