第六十五話 めまぐるしい
「んー、やっぱり美味しいわね、これ」
「……そうですね」
以前にも作ったこともあるハニトーもどきを頬張って上機嫌な玲華に、大樹は力無い声で返した。
玲華が中々にぶっ飛んだ発言をした後、興奮したように「そうよ、間違い無いわ――!!」と更に続けようとするのを、大樹は必死になって落ち着かせようとしたが、暴走したポンコツは中々に治まらなかった。
玲華の言い分が、彼女の立場からしたら確かに一理あり、そして思わぬ方向から反撃されて虚を衝かれた大樹が狼狽して碌に反論出来なかったことも拍車をかけた。
最終的に「一旦、甘いものでも食べて落ち着きましょう!」と、大樹はキッチンに入って強引に話を打ち切ったのである。
だが、最善とは言えずともこれは悪い手ではなかった。
キッチンに入って大樹が作業を始めることによって、話す相手が眼前からいなくなったことで玲華も少し落ち着き始めたからだ。その段になって、自分が何を口走ったのかを思い出したようで、頭を抱えたり、悶えたり、顔を赤くしたりと、一人百面相を繰り返していた。
だが、暴走の最中であろうと、玲華の「いっそ襲ってくれてOK」発言は決して間違ってない一手であることも事実であったので、顔を真っ赤にしながら一人でうんうん悩んだ末に、納得したように頷いて、以降この話に触れることはしなかった。
これは先の発言を無かったことにするのでなく、言ってしまったことを否定しないという意思表示だと、大樹は言われずともわかってしまった――真っ赤になって恥ずかしそうにしながらも、無理したように勝ち誇ったような玲華の表情から。
げに恐ろしきは暴走したポンコツ――いや、開き直ったポンコツか、大樹は玲華をおちょくるのもほどほどにしなくてはいけないかと認識を改めながら、調理中に重苦しいため息を吐いたのだった。
そしてこの話し合いに於いて、玲華のあの発言に対して反論の術を後になっても思いつかない大樹は完全敗北を認めざるを得なかった。開き直りであろうと、玲華の言う通り、大樹が我慢できるかどうかのプライドの問題、というのは決して間違ってないからだ。
玲華(ポンコツ)が大樹をやり込めたという、中々に珍しい瞬間だっただろう。
なので、玲華がこれ以上話をしないのならと、敗北を受け入れた大樹は、話をほじくり返すことはしなかった。もうする気が起きなかったというのが正しいか。この件に関しては藪蛇になりかねないと大樹は判断したのである。
これを戦略的撤退と見るか、ヘタれて逃げたと言うかは人次第だろう――完成したオヤツを食べている両者の表情を鑑みるに、どちらかは明らかなような気もするが。
終始満足した顔でオヤツを食べ終えた玲華は、コーヒーを傾けながら大樹に尋ねた。
「ねえ、大樹くんの後輩達との面談って、いつにしようか?」
迎え入れる気満々で、もはや試験的に面接をする気は無いからだろう、「面接」ではなく「面談」という言葉を使った玲華に、敗北感から打ちのめされていた大樹は意識を切り替えて顔を上げた。
「……そう、ですね。こちらとしては、基本毎日忙しいと言えるので、ある意味いつでもいいです。玲華さんの都合のいい日に合わせます」
「あ、はは……なるほどね……」
基本毎日遅くまで残業をしている大樹達からしたら全部無理と言える。が、それでは話にならないので、無理矢理時間を空けるしかなく、それならそれでもういつでもいいという意味を余すことなく受け取った玲華は乾いた笑みを浮かべ、スマホを手にとって画面に目を落とした。
「んー……大樹くん達からしたら平日はやっぱり定時後しか無理よね? 定時後も難しそうだし……遅くてもいいわよ。あと、土日でもいいわよ。転職活動してる人で平日は無理って人よくいるから。どっちがいい?」
「でしたら……久しぶりに定時で上がっても罰は当たらないでしょう。平日の定時後でお願いしていいですか?」
「いいわよ。平日の定時後ね、直近だと……来週の水曜なんか都合いいけど、どうする?」
「では、そこで」
「はい、面談の場所は私の会社で構わないのよね?」
「構いません」
「はい、じゃあ来週水曜の……19時頃がちょうどいいかしらね?」
「……そうですね。定時に上がれば、余裕をもってその時間には玲華さんの会社に到着出来るかと」
「ん……その日は大樹くんが後輩達を連れてくるって認識で間違ってない?」
「そうですね。いきなり、玲華さんの会社に行けと言われてもあいつらも困るでしょうし……俺も行ったことはありませんが」
苦笑して言うと、玲華も「それもそうだったわね」と微笑む。
「……なので、俺も玲華さんの会社に行く訳ですが……大丈夫ですか?」
これは先ほど話していた公私を分けた態度がとれるのかという意味である。
「ん、んー……ま、まあ、大丈夫でしょう。大樹くんと一緒に面談する訳でもないし」
無理したように笑う玲華に、大樹は一抹の不安を感じたが、まだ後輩達なら色々バレても自分でどうにか出来るかと、無理矢理蓋をする。
「だ、大丈夫よ! 第一、大樹くん達がうちの会社に来た時、案内するの私じゃないし!」
「それもそうですね……面談の時、俺が別室にいれば、最初から最後まで顔を合わせることもありませんか」
「うんうん、あ、でも最後に挨拶ぐらいはしないと不自然だから、その時だけかしらね? その時だけ気をつければいいなら問題ないわよ!」
そう言って自信有りげにドンと自らの大きな胸を叩く玲華。
「前もってその時だけと意識してれば、短ければ……まあ、それなら大丈夫……か?」
自分に言い聞かせながら首を捻る大樹に、玲華が不満そうに眉を寄せる。
「もう、それぐらいは信頼してもらいたいわね」
「……」
「ちょ、ちょっと何で無言なのよ!?」
「いえ、別に……」
「何で目逸らすのよ!!」
「ああ、すみません。信じようとはしてるのですが、根っこの部分でそう思えてなかったようで……」
「それって丸っきり信じてないってことじゃない!?」
「いえいえ、そんな……信じたいと思ってますよ」
「……つまり、信じてないってことじゃない」
「……」
大樹は無言で目を逸らした。
「もう――!!」
憤慨する玲華に、大樹は苦笑して宥めるように声を出した。
「まあまあ、落ち着いて下さい。やると決めたのならやるしかないですし、後輩達の前ならまだ失敗しても俺から頼めば口を噤んでくれそうですしね、当日は試しのつもりでやってみましょう」
「……なんか失敗前提で言ってない?」
「…………ソンナコトアリマセンヨ?」
つい棒読みになってしまった大樹に、玲華は先ほど以上に憤慨して立ち上がった。
「もう怒ったんだから! 見てなさい! 面談の日、完全に公私を分けた態度で接して見せるんだから! 大樹くんこそ私の完璧な公私の公の姿を見て、それで驚いて普段の態度で接するようなミスしないようにね!!」
「俺が……? はは、そんなまさか」
自分がそんなミスをするとは露とも思っていない大樹はついつい鼻で笑って否定してしまった。
「は、鼻で笑うなんて……!」
「おっと、いくらなんでも失礼でしたね。申し訳ないです」
そんな大樹の余裕ある姿にまた腹立ったのだろう、玲華はダンっとテーブルを両手で叩いた。
「……いいでしょう。そこまで言うなら賭けましょう」
俯いて不気味な雰囲気を漂わせる玲華に、大樹は訝しげに問うた。
「……賭けですか?」
「そうよ。面談の当日、私がミスをしなかったら私の勝ちで大樹くんの負け、ミスをしたら私の負け――どう?」
「ふむ……なるほど。負けたらどうなるんでしょう?」
「決まってるじゃない! 勝者の言うことを一つ何でもきく――よ!」
握った拳をかざしてそう力説する玲華の頭上に負けフラグがドンと立つのを、大樹は幻視した。
「ほほう……いいでしょう。その賭けに乗りましょう。ですが、その条件だと俺が少し有利ですね。なので、俺がミスをした時は玲華さんがミスしようがしまいが俺の負けでいいですよ」
一切ミスする気の無い大樹からしたらこの条件があろうがなかろうが一緒であった。それに万が一大樹が負けたとして、玲華が自分にどんな要求をするかというのも割と興味があった。
そんな風に大樹が更に余裕を見せると、玲華は歯軋りを鳴らさんばかりに睨みつけてきた。
「い、言ってくれるじゃない……! さっき私の言った条件だと大樹くんの方が有利ですって……!?」
「……何か間違っていたでしょうか?」
空惚けながらも不敵に笑う大樹に、玲華は「ぐぬぬ……」と唸った。
「そこまで言うのなら……三つよ! 負けた方は勝った方の言うことを何でも三つきいてもらうことに変更よ!!」
「ほほう、三つもきいてくれるんですか」
負ける気がまるでない大樹からしたらボーナスが増えたようなもので、そして既に勝った気でいるような言い方に玲華は更に唸った。
「ぐぬぬ……見てなさい! そうやって余裕でいられるのも今の内なんだからね!!」
ビシッと指差して宣言する玲華に更なる負けフラグが量産されるのを幻視した大樹は鷹揚に頷いた。
「なるほど。その時が楽しみですね」
「ぐ、ぬ……こ、後悔しないことね!!」
顔を真っ赤にする玲華に、これ以上はやめておくかと頷いてコーヒーカップを傾ける大樹。
からかうのもほどほどにしないととさっき思ったばかりなのに、こうやってからかってしまったことで浮かんだ苦笑をそうやって隠したのだ。
(……どうにも、からかいたくなるようなところを見せられるんだよな……)
ムキになる玲華が可愛いというのもあった。
その玲華はプンスカした雰囲気を漂わせながら大樹と同じく、コーヒーに口をつけていた。
「あ、玲華さん」
「……何?」
眉をひそめて不貞腐れた顔で返事をする玲華に、噴き出しそうになったがなんとか堪える。
「一応聞くんですが、俺との面談って考えてたりしますか?」
「……大樹くんと面談って何の意味が?」
「体裁的に」
そう答えると玲華は少し考えてから言った。
「いえ、いらないでしょう。したかどうかを聞かれたら、適当な場所でしたとでも言えば納得するでしょう……そもそも、誰も聞かないと思うし」
「ま、そうですね」
大樹としても必要だと言われたら寧ろ困っただろう。
それに実質的な話、今日の昼からの話は殆ど面談みたいなものとも言える。
「それと……後輩達の面談についてなんですが、少し頼みたいことがあるんですが、いいですか」
「何かしら?」
「ええ。既にあいつらを受け入れる気でいてくれてるから面談と呼んでくれてるのでしょうが、当日は面談形式でなく、普通に面接を行なう形をとってもらってもいいですか?」
「……? どういうこと?」
「ええ、あいつらには面談と話さず面接があると言ってから玲華さんに会ってもらいたいと考えてます。その方が、このまま何の試練も試験も無く入るより、あいつらのためになるかと思いまして」
「……なるほど。それは確かにその方がいいかもね。大樹くんに連れられて私と会って採用通知だけ出されても、実感も湧かない、か」
「ええ。出来レースですが、あいつらにとって大本命の会社に入るんです。どうせなら、その前に一踏ん張りしてから入った方が、その先もやり甲斐を持って働けると思います」
「……文句のつけどころが無いわね。いいわ、合格が決まっている面接を行いましょう」
最後は悪戯っぽく笑って賛同してくれた玲華に、大樹は頭を下げた。
「――恩に着ます」
「やーね、これはお互いに利のある話じゃない。私は入れようと思ってる子達がよりやる気を持ってもらえるように、大樹くんは後輩達に自信を持たせたいために――そうでしょ?」
笑い飛ばしながらウィンクして見せる玲華に、大樹は苦笑しながら顔を上げる。
「ええ。まったくその通りで」
すると玲華は少し呆れ気味に苦笑する。
「ほんと……大事にしてるのね、その子達のこと」
「……そうですね。あいつらがいなかったら俺だって今までやってこれたかわかりませんし」
金銭的な理由というのもあるが、後輩達がいるから大樹は転職を延ばしたようなものだ。だが、あの後輩達と一緒だったからこそ頑張れたのも確かだ。
後輩達だけが大樹の世話になり救われたのではない、大樹も後輩達の世話になり救われていたのだ。
互いに励まし合ったからこその今がある。
互いに会社を離れ、それぞれが別の会社へ転職するという意識をした日から、大樹は日々そのことを実感させられていた。
つい、しみじみとする大樹に、玲華は拗ねたように唇を尖らせていた。
「はあ……なんか、妬けちゃうなあ……」
「ん? 何ですか?」
意識が後輩達に向いて聞きそびれた大樹に、玲華は首を振った。
「いーえ、何でも……それじゃあ、とりあえずは来週の水曜に面談――面接ね。都合が悪くなったら事前に言ってくれたらいいからね」
「ええ、了解です。当日はお願いします」
「ん――じゃあ、これで難しい話は終わりね。もう今日この後はゆっくりしましょ」
そう言ってグデっと体を弛緩させる玲華につられて、大樹も体を弛ませ、椅子に体重を預ける。
(……そういや、来週から同居だったか……)
もう完全に決定事項のようになっていて、今更ながらに早まった感が否めない大樹であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます