第六十二話 安心してください、週○です

 

 

 

「が――?」


 首を傾げる玲華に、大樹は頭を掻きながらため息を吐いた。


「ただ――前の帰る際にああ言った手前、玲華さんの会社に入るってのは、なんか格好つかないな、と思ったのがありまして……」


 思い返すのは二週間前の晩に大樹が玲華に言ったことだ。身辺整理を終えたら話したいことがある、と。その身辺整理の大半を話し相手の玲華に片付けてもらうという、大樹からしたらなんとも締まらない結果になってしまったなと思ったのだ。

 そのことを玲華も思い出したのだろう、困ったような微笑ましいような笑みを大樹に向けた。


「あっはは――もう、いいじゃない。確かに大樹くんからしたら格好つかない話になったのかもしれないけれど……私からしたら、それが終わるまでの間、不安を抱かずにはいられなかっただろうし……大樹くんが一人で無理してまた倒れちゃったりしないかって……」

「それは……」


 否定したいが大樹は出来る立場にはなかった。何故なら初めて会った日に大樹は玲華の目の前で倒れてしまったのだから。


「だから私で手助け出来ることならしてあげたいって思うのは自然なことでしょ……? でも私は経営者の立場だから迂闊なことは出来ない……なんて思ってたけど、結果的には経営者観点としても何ら損の無い――どころか、こちらに利がある話として大樹くんと後輩達に誘いをかけれたのよ? それもこれも大樹くん自身が頑張ってきたからじゃない……気にしなくていいわよ!」


 大樹自身がしてきたことが結実して、玲華の会社に繋がった――大樹自身が引き寄せた結果なのだと玲華に明るく言われ、そうなのかもしれないと、自然と大樹は思えるようになり苦笑を浮かべる。


「……ありがとうございます」

「もう! そんなのわざわざ言わなくてもいいわよ!」


 笑ってペシンと叩いてくる玲華に、大樹も声を出して笑う。


「ははっ、まあ、そうですね。誰もが良い結果になったんですから、それを俺一人が格好がつかないって、いじけてるなんて馬鹿らしいですね」

「そうそう!」


 嬉しそうに明るく笑いかけてくる玲華に、大樹は先のようなことで悩んでいたことについて少し馬鹿らしく思えてきた。


(うーむ……癒し効果だな、この笑顔は……)


 自分を見上げる玲華と目を合わせながらそんなことを考えていた大樹は、ふと思った。


(しかし……こんな結果になろうとは……)


 ほんの少し前の――玲華に会う前の大樹なら絶対に信じなかったであろう。


(あいつらの転職のことばかり考えていたから俺自身がどうするかは、あいつらのことが片付いてと考えていたが、その必要も無くなるとは……そもそもあいつらと辞めたら――)


「……何考えてるの、大樹くん?」


 見ると玲華が小首を傾げて、不思議そうに大樹を見ている。

 どうやら思った以上に思考に耽っていたらしい。


「え? ああ、辞めた後のことを考えてたんですが――」

「? ええ、それがどうしたの?」

「はい、辞めてからなんですが――玲華さん、後輩達は別として、俺はすぐ会社に入った方がいいですかね?」

「それは……その方が助かるけど、どうして?」

「ええ。もともと今の会社を辞めたら、休養しながら転職活動をしようと思っていたんですよね。自分で言うのもなんですが、ここ一、二年は激務でしたから」


 肩を竦めながら告げると、玲華はハッとした。


「それは――そうね。大樹くんは休んだ方がいいわね」


 真剣な顔で頷かれて、大樹は苦笑する。


「なので辞めてから、そうですね――一ヶ月ほど経ってからの入社でも構いませんか?」

「ええ、でもそれだけで――ああ、有休消化の期間?」


 その、一般的には普通な考えを聞いて大樹は重苦しいため息を吐く。


「いえ、うちの会社では有給は使ってないのにも関わらず自動的に無くなってしまう不思議なシステムでして……無いと言われても、法律を盾ににぶんどるつもりではありますが、いいとこ五日――一週間分と見た方がいいでしょう」


 本当なら二十日分以上は残っているはずなのにだ。


「じ、自動的に無くなってって、そ、それも五日って……」


 玲華の頬がハッキリと引き攣った末に、憤然とした様子で首を横に振った。


「そう……本当に信じられない会社ね。有り得ないわ」


 その言い分には全くもって否定できるところがなく、大樹は大仰に肩を竦めて同意を示した。


「まあ、そういう訳で有休消化の期間という訳ではありませんが、一ヶ月ほど休もうと思ってます」

「わかったわ。入社前に有休消化で一ヶ月休む話なんて、よくあることだしね。構わないわ」

「ええ、ありがとうございます」

「いいのよ……休養期間は何するつもりなのかしら?」


 ふふと微笑んで玲華が聞いてきて、大樹は深く考えずに答えてしまった。


「ああ、そうですね。まずは日雇いのバイトでも探して、そのバイトで体力向上を図りながら、適度に体を休めるつもりですよ」

「は――!? え、バイト!? どうして!?」

「あ」


 大樹は失言に気づいて、目を泳がせる。


「ちょっと! バイトなんてしたら体休まらないじゃない! そんなの休養期間なんて言わないわよ!?」


 そのもっともな言い分に、大樹は「ゴホンッ」と咳払いをしてから反論を試みた。


「いえいえ、そう思うかもしれませんが、今の職場の仕事量に比べたら、そう大したことでは無いですし、サービス残業も無い訳ですから、言うほどのものではありませんよ」

「でも――! だからって!? それに日雇いのバイトってキツい仕事が多いって話じゃない!? そんなのしてたら全然休んだことにならないじゃない!?」


「ああ、いや、日雇いのバイトならいつでも辞めれますし、更には体をよく動かすことで落ちた体力を戻せますし、お金も稼げるという、これは一石三鳥のことでして――」

「体力が減って休養な必要な人がそんなことしたら、一石三鳥どころの話じゃないでしょ――!?」


 玲華はもっとも過ぎる言い分を述べながら、鬼気迫らんばかりに彼女が用意した大樹が着ているシャツを掴んでガクガクと揺さぶる。


「ちょ、ちょっと落ち着いてくださいよ、玲華さん! 玲華さんのその言い様じゃ、まるで俺が毎日バイトに勤しむみたいじゃないですか! そんな毎日働きませんよ、ちゃんと休みもとりますって!」


 ピタッと止まった玲華は、それもそうかと大樹を見上げた。


「あー、そうよね。早とちりしたわ」

「本当、勘弁してくださいよ」


 大樹がやれやれと肩を竦めると、玲華はテヘッといった感じに微笑んだ。


「ふふ、ごめんね?」

「まあ、構いませんが……」

「うん……ところで聞いてもいい?」

「何でしょう?」

「週に何回、日雇いのバイトをする気でいるの?」


 その質問に大樹は安心させるように微笑えみながら答えた。


「週五ですよ」


 途端、先ほどと同じ顔に豹変する玲華。


「そ、れ、は! 一般的な社会人の労働日数でしょ!? 全然休養になってないじゃない!?」


 先ほどの焼き増しのように、大樹をガクガクと揺さぶる玲華。


「え? いや、何を……週二回も休んでるじゃないですか!?」


 今の大樹は週六、または週七で働いている。残業もたっぷりだ。それが週五になって残業も無いとなれば、大樹にとってはもう殆ど休養みたいなものだ。

 大樹が戸惑いながら反論をすると、玲華の目がクワッと見開く。


「それはただの普通の休みであって! 週五回働いてたら休養なんて言わないのよ!! 大樹くん、社畜根性が染み付き過ぎてるわよ!? ちょっと一般常識ってものを思い出しなさい!!」


 今度は大樹が目を見開く。但し、玲華と違ってゆっくりとだ。


「そ、そんな――」

「――思い出したかしら? 一般的な企業のあり方を……」


 揺さぶる手を止めて今度は玲華がやれやれと首を振ると、大樹は愕然と呟いた。


「お、俺が玲華さんに一般常識を説かれるなんて――!?」

「おいこら、大樹くん――!?」


 次は夜叉に変貌しそうな玲華に、大樹は慌てて居住まいを正した。


「す、すみません、つい本音が……」

「それで謝ってるつもりなのかしら?」

「ああ、いえ――いや、そうですね。確かに玲華さんの言う通り、週五で働くってのはフルで働くことでしたね……」


 後輩達にもっと一般的な感覚を持てと偉そうなことを言っておきながらこの体たらく。大樹は己の不覚を猛省する。


「……」


 ――般若のような顔をした玲華と目を合わせないように。

 大樹は暫し反省する振りを続けた後に、「ゴホンッ」と咳払いした。


「あー、喉が渇いたなー……玲華さんの淹れたてで美味しい――そう、俺が知ってる中で一番美味しい玲華さんが淹れたコーヒーが飲みたいな……」


 言いながらチラッと玲華を見ると、少し怒りが溶けたようで、いつもの可愛いムスッとした顔になっていた。


「……そんなんで誤魔化されないんだからね」


 そう言う玲華であったが、背を向けて台所に向かう辺り、なんだかんだコーヒーは淹れてくれるようだとわかった大樹はホッと安堵の息を吐いたのであった。







「そもそもどうしてバイトなんてするの? それも週五もなんて……全然休養にならないじゃない」


 熱々のコーヒーに息を吹きかけながら、静かに玲華に聞かれて大樹は口ごもる。


「……大樹くん?」


 据わった目で見つめられ、大樹は短く観念の息を吐いた。


「俺の給料がどれほどか察してるようなので言いますが――恥ずかしい話、蓄えがあまりありません」


 あまり、と言うか、まったくに近いのが実状だが、これぐらいの見栄は許されるだろう。


「あ――そう言えば……」


 やはり大樹の給与の額を知っているのだろう、玲華が気づいたような顔をしてから言った。


「ええと、それじゃあ……週五でバイトするぐらいなら、もうすぐにうちの会社来る?」


 そのもっともな提案に、大樹は考えた。


「……いえ、それはやめた方がいいですね」

「どうして?」

「さっき玲華さんに諭されたように一般的な感覚を思い出すために、少しだけでも会社勤めを離れた方がいいかもしれません。その点を考えても一か月はやはり会社というものから離れた方がいいような気がします」

「……うーん……」

「それに、元々一か月休もうとしたのは休養が一番の目的ですからね。休養がてらに玲華さんの会社に入るのは俺が嫌ですかね。せっかく玲華さんの会社に入ったのなら全力を出したくなります」

「む、むう……で、でも、バイトじゃその一番の休養が……」

「まあ……そうですが、なに、サービス残業が無いだけでも楽ですよ」

「う、うーん……」

「それと――」

「ま、まだある……?」

「はい。バイトしながらだと、時間も出来ることですし、その間に玲華さんのポンコツ漏れ対策が出来るじゃないですか」

「ぽ、ポンコツ言うな!」

「俺が玲華さんの会社に入ってから対策だと遅いですしね」

「む、無視するなあ!」

「なので、バイトの期間中、会う時間を増やして玲華さんのオンオフの練習をするとか、どうでしょう」

「む、無視――そ、そっか、会う時間増やせるのね……!」


 無視されて憤っていたが、途端パアッと顔を輝かせる玲華。


「ええ。玲華さんの会社に入っても時間は出来るでしょうが……さっきも言った通り、入ってから対策しても遅いでしょう?」

「む、むう……」

「……まあ、休養が一番のメインなんだからバイトをするなというのは最もな話ですが、不甲斐ないことにさっき言った通りで――ああ、こういう事情もあって、転職したら――という意味もありました。情けない話、後輩達が入る前は、蓄えも心もとなかったから転職活動に踏み切れなかった、なんて面もあります」

「……そっか……お金が溜まらなかったから転職難しかったのもあったのね…………んん――?」


 同情するように肩を落とした玲華が、何か閃いたように顔を上げる。


「……ねえ、大樹くん。今の会社、後輩達と一緒に辞めるのって、いつになりそう……?」

「え? ああ、そうですね……世話になった他社の仕事ですがこれがまだ残ってまして――一か月と少しはかかりそうですね」

「そう……つまり、あと少なくとも二か月は今のお給料のままなのね……そして、その間でもお金は貯まらず、休養期間を設けてもやっぱりバイトをすることになる……」


 それからブツブツと玲華は呟き続け、不思議に思った大樹が首を傾げたところで、玲華は顔を上げた。


「改めて確認なんだけど……」

「はい」

「大樹くんはお金が少ないから仕事を辞めた後、バイトをやろうとしている?」

「……そうですね」


 情けないことであるが事実なので、大樹は肯定する。


「今でも節約してるんでしょうけど、退職する日に向けて今から更に節約しても、貯まりそうにない……?」

「……節約をしようとすると、一番は弁当を用意することなんでしょうが、それは必然的に睡眠時間を削ることになるんですよね」

「それはやっちゃダメ――!」


 然もありなんと大樹は頷いた。


「そうですね。今以上に睡眠を削るのは不味いと俺も思ってます」

「ええ……だから節約するなら――」


 それから玲華はまた一人でブツブツと呟き始めた。


「そう――! これよ――!!」


 何か考えが纏まったのか、玲華は勢いよく立ち上がって晴れやかな笑顔を大樹に向けてきた。


「……玲華さん?」


 先ほどまでの怒りはどこへやらな玲華に大樹は戸惑いつつ、同時に何か変なことが起こりそうな予感がした。


「大樹くんがバイトしないでいい方法を思いついたわ――!! そうよ、麻里ちゃんの言う通りだったわ!!」


 拳を握って、今にも何かを力説しそうな玲華に、大樹は更に戸惑った。


「いや、玲華さん? 確かに休養にならないかもしれませんが、今の生活に比べたらバイトで生活する方が俺には楽なのは間違いなく――」


 と、大樹が話すのに一切耳を貸さず、玲華は言ったのである。


「大樹くん、ここに住めばいいのよ――! そしたら家賃浮くじゃない――!!」


 この時、大樹がコーヒーを口に含んでいなかったのは幸いなことであった。

 何故なら、もし口の中に入っていたのなら間違いなくそれを玲華に噴きかけていたであろうから――。

 

 

 

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