第六十一話 社長――
「それで……後輩達の話は片付いたと思うのだけど……」
窺うようにチラチラッと見てくる玲華に、大樹は先ほど覚えた不安にはとりあえず蓋をして、玲華と向き合った。
「ええ。俺自身のことですね、次は」
「ええ――大樹くんも一緒に入社する、ってことでいいのかしら……?」
期待半分、不安半分な顔をした玲華に、大樹は苦笑する。
「ええ、正直後輩三人が世話になって俺までいいのか、というのがありますが――」
「それならさっき言ったじゃない。うちは人手不足だし、何より大樹くんが優秀だと思うから欲しい、のよ。遠慮は無しにしてちょうだい」
キリッとした顔で言われて大樹は苦笑を深める。
「わかりました。では遠慮は無しにして――」
言いながら大樹は想像してみた。玲華の会社で働く自分というのを――
「――俺が玲華さんの会社で働くってことは……玲華さんが、俺の上司になるってことですよね?」
「え、ええ、そうね……直属の上司はまた別の人だとは思うけど……」
そうだろうなと大樹は頷く。
(……俺だけか? これが気になるのは……いや、別にいいことはいいんだが……)
何の話かと小首を傾げている玲華を見ながら、大樹は内心で呟き、続けて言う。
「そして、玲華さんは俺が入る会社の社長……なんですよね」
「そうね……?」
首を捻る玲華に、大樹は居住まいを正して言った。
「ならば、当然、俺は会社では玲華さんのことを『社長』と呼ばなくてはいけませんよね?」
「え……」
鳩が豆鉄砲を食らったような――そんな玲華の顔を見るに、その辺のことを一切考えていなかったことがわかった。
「つまりは、こういうことですね。例えば、朝に出勤して玲華さんと対面した時は――」
おもむろに大樹は椅子から立ち上がると、未だポカンとしている玲華に向けてキリッと顔を改めてから頭を下げた。
「社長――おはようございます」
正した姿勢でスッと一礼。ポンコツであるが玲華のことは尊敬しているので、頭を下げるのに何の不満も無い大樹である。
更にポカンとしたように口を大きく開ける玲華に、大樹は続けて言う。
「そして、社長室に入る時は、ノックをしてから――失礼します、社長」
ノックと、ドアを開けるジェスチャーまでやって見せると、玲華の顔がピシッと固まった。構わずに大樹は顎に手を当てて唸る。
「ふーむ……事前に会うと決めた時なら間違わずに済むとは思いますが、社内でいきなり人目のあるところでバッタリ会ったりしたら、『玲華さん』と呼ばないよう気をつけなければなりませんね……玲華さんも気をつけて下さいよ」
付け加えるように大樹が言うと、ポカンとした顔のままの玲華が重そうに口を動かした。
「へ……? な、何……を?」
「いや、会社内で俺と会った時に、『大樹くん』と名前呼びは不味いんじゃないですか? ちゃんと『柳』と呼び捨てか『柳くん』と呼ぶように気をつけてくださいよ、って」
すると玲華は恐ろしいものを見たような顔になって叫んだ。
「な、なんで――!?」
「なんでも何も……そうしないと不味いでしょう。公私は分けないと」
肩を竦めて大樹が言うと、玲華が絶望を見たような顔になった。
「そ、そんな……」
「……いや、プライベートでは流石に社長呼びはしませんよ。したくありません」
思った以上に強く出た声で言うと、玲華はホッと安堵の色を顔に浮かべる。
「……とりあえず社外で――それも関係者のいないところで会う時は、今まで通りでいいとは思いますが、そうでない時は社長と社員というそれだけの関係でないとダメだと思うんですが……」
「そ、それって、大樹くんと社内で会っても、気軽に話しかけちゃダメってこと……?」
「平たく言えばそうなりますね。用事がある時ならともかく、特に用事もないのに『大樹くん』と俺を名前で呼びかけたりするのは完全にアウトでしょう」
そう言うと、埴輪のような顔でフリーズしたかのように見えた玲華だが、再起動すると勢いよく立ち上がって必死な顔になる。
「だ、だから、何でよ――!? どうして、そんなことしないといけないのよ!?」
混乱しているのだろう、社長の玲華ならすぐ気づきそうなことに気づかない様子だ。
「いや、だからも何も、いくら何でも不味いでしょう。入社前から――その、ただの知り合い以上に親しくしてるなんて知られるのは……俺は能力関係なく玲華さんと、そういう関係だからってだけで入社したんじゃないかと胡散臭く見られるでしょうし、何より玲華さんが社員の方達に不信感を抱かれることになりかねないでしょう」
大樹自身は胡散臭く見られようと、結果を示せばいい話だが、カリスマ社長である玲華の名が自分のせいで傷つくなんてことは大樹には耐えられないことだ。
「そ、それは――」
ようやくそのことに思い至ったのか、ハッとした玲華は頭を抱え――
「そ、そんな――これで会社でも大樹くんと一緒にいられると思ったのに……」
――絶望を声に乗せながら、床に崩れ落ちてしまった。
(……まさか、俺を誘った理由の一つにそれは入ってないよな……?)
そう思ってくれるのは嬉しいところではあるが、玲華を見下ろす大樹の肩が脱力感で落ちていく。
よしんば理由の一つに入っていたとしても、ごく小さな一端であって欲しいと大樹は願った。
「で、でも確かにそうだわ……大樹くんに迷惑かけることになっちゃう。けど、なら麻里ちゃんはどうして…………はっ!? まさか――……おのれ麻里ちゃん騙したなあ――!?」
そして打ち拉がれてたかと思えば、拳を握って誰かに向かって叫び、怒りを顕にしている。
(……前にも聞いたことあるような名前の気がするな……)
その時も声を大にしていたことから、玲華はその女性におちょくられているのではと大樹は直感的に思った。それはともかくとして――
「ええと、それで玲華さん……?」
「え……あ、はい……?」
床にペタンと座ったまま怒りを吠え、カリスマオーラの見る影もない玲華が、我に返って大樹へ振り返る。
大樹は苦笑を浮かべ玲華へ手を差し伸べながら聞いた。
「――まあ、暫くはさっき言ったような形になりますが、いいですか?」
「え、あ――そ、そうね……」
大樹の手を掴んで立ち上がった玲華が、力無い笑みを浮かべる。
「えーっと……ちょ、ちょっと待ってね……」
それだけ言うと、玲華が虚空に視線を彷徨わせる。
恐らくは大樹が入社した時の自分の振る舞いを想像しているのだろう。
「……」
大樹が無言で待っていると、玲華は彷徨わせていた視線をいずこかに定めると、途端に笑み崩れ手を伸ばし――たと思えば、ハッとしてブンブンと頭を振った。
――どうやら失敗したようだ。
そして文字通りに頭を抱えて唸る玲華。
(もしかしたら……俺が入るのは不味いのかもしれんな……)
大樹の予想であるが、会社にいる時の玲華は常にカリスマオーラを背負って、ポンコツの一面はそうそう表には出ていないのだろう。
それなのに大樹が入社したせいで、玲華のポンコツが世に出てしまうのは、なかなかな問題では……と思われる。
(ふむ……)
大樹は少し考えてから口を開く。
「玲華さん……俺の入社、考え直しますか……?」
そう問うと玲華は勢いよく大樹に振り返って、目を見開く。
「だ、ダメよ、そんなの――!?」
「ですが、俺が入ったら玲華さんのポンコツっぷりが会社で露わになる恐れが――」
「ぽ、ポンコツ言うな!」
顔を赤く憤然とする玲華に、大樹は真顔になって首を振った。
「いえ、玲華さん、今はそんなことを言っている場合じゃないです」
「ひどくない――!?」
「現実を見ませんと――さもないと社員の方達も戸惑いますよ……?」
「う、うう……大樹くんがひどい……」
シクシクと泣く真似をする玲華に、大樹は何事もなかったように言う。
「俺が言うのもなんですが、出来るんですか? 俺と社内で会っても、一社員として俺に接するなんてこと」
「うっ……」
盛大に目を泳がし始める玲華に、大樹は力なく息を吐く。
「やはり検討し直した方が……」
そこまで言うと、玲華はクワッと目を見開かせた。
「ダメ――! 大樹くんは私の会社に入るの! 真っ当に評価されながら真っ当なお給料で私の会社で働くのよ!!」
「っ!――玲華さん」
その言い様から、さっき聞いた話以上に、玲華は大樹の情報を知っているようだと大樹は察した。
同時に先の玲華の言葉には幾分か同情が含まれているのがわかったが、それ以上に玲華の社長としての矜持を感じた。
評価せず、給与まで下げられるという大樹が受けた仕打ちは、同じ経営者として、さぞ玲華の矜持を刺激したのだろう。
そう、以前この部屋で自分の経営方針を語っていた時の玲華の矜持だ。
それを聞いたから、大樹は玲華への尊敬を深めた。
それを聞いたから、大樹は玲華の会社に憧れた。
それを聞いたから、大樹は玲華のような人の下で全力で働いてみたいと思った。
そして――その矜持に垣間見える玲華の優しさを好きになり、遂には玲華自身に惚れさせられたのだ。
「……」
知らず、ジワリと大樹の口が苦笑の形を作る。
「そうは言っても……出来るんですか? 会社で俺を一社員として扱うの。玲華さんに?」
少し挑発気味に言うと、その調子に気づいた玲華がムッとなる。
「……で、出来るわよ。オンオフが出来るようになればいいんでしょ?」
「言うのは簡単ですが……出来るんですかねえ?」
ニヤニヤと言ってやると、玲華は猛然と反論した。
「出来るわよ! 私のこと舐めないでくれる――!?」
「では――公私はちゃんと分けましょうね?」
「わかって――!……むう……」
どうやら挑発されてそれに乗ってしまったことに気づいたようだ。
「……ハメたわね……?」
「……何のことでしょう?」
飄々と大樹が返すと玲華は「ぐぬぬ……」と唸り、ふと気づいたように言った。
「……ねえ」
「……なんですか?」
大樹が問い返すと、玲華は不安そうに俯いた。
「もしかして、私の会社に来るの嫌だったりする……?」
その言葉に、大樹は苦笑するしかなかった。
「いえ、さっきも言った通り否やはありません。ですが――」
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