第六十話 否やはありません
「え……は……?」
思いがけないことを耳にして大樹が混乱している間、玲華はニコニコ微笑んでいるだけだ。
後輩三人への誘いはわかる。何故なら大樹が玲華に相談していたからだ。自分から持ちかけるのを待ってくれていると確信していたが、それでも玲華から勧誘するように言われたことは驚いた。驚いたが、それよりだ――
「三人と一緒に……俺も……ですか?」
自分のことを二の次にしていた大樹にとって、自身も誘われることはまるで想定外のことだった。
「ええ。その方が大樹くんも安心出来るんじゃない? 今の会社辞めても後輩三人のすぐ傍にいれるし。それに出来るならまた後輩達と一緒に働いていきたいと思ってたんじゃない? 違う?」
「……それは、そうですが――」
「ああ、勿論大樹くんを誘った理由はそれだけじゃないわ」
聞こうと思ったことを先に言われた大樹が口を噤むと、玲華はクスリと微笑んだ。
「そうね……初めて会った日の――じゃなくて、その次の日の夜ね。名刺交換したじゃない?」
「そうですね」
「ええ。そして大樹くんの名刺から社名を知った私は、大樹くんみたいに体力のありそうな若者が倒れるまで働かせるなんて、どれだけのブラックぶりなのかと、少し頭にきたのもあって、調べました」
「……ええ」
それに関しては予想していたことだ。玲華のように優良企業を経営している人間からしたら木っ端に過ぎない会社だろうが、経営者として興味を持ってもおかしくないなと。
「そしてわかったのは、大樹くんの会社の予想以上の酷さと――」
そこで玲華は大樹をチラッと見ると、困ったように眉を寄せて笑んだ。
「あなたのことです、大樹くん」
「…………ん? え、俺のことですか?」
はたまた予想外のことを聞いて、大樹が困惑していると、玲華が言いにくそうに口を開いた。
「そうなの。えっと……気を悪くしないで聞いてもらいたいんだけど……いい?」
申し訳なさそうに上目遣いで言われて、大樹は躊躇いがちに頷いた。
(……その表情はズルい)
カリスマオーラを背負ってそれをやられたら頷けない者などいないのではと大樹は思った。
玲華はスーハーと深呼吸をすると、少し頬を染めて躊躇うように言った。
「ええとね……大樹くんの会社を調べるのに、秘書の子にそれを任せたんだけど――秘書の子が気をきかせてか、大樹くんの情報も集めちゃってたの」
「……?」
何を言っているのか、ちょっとわからない大樹であった。
「えっと……? 秘書の方に調査を頼んだことはわかります、はい」
「え、ええ……」
「……それで、どうして気をきかせて俺のことを調べることになったのでしょう?」
「ええと、それは……」
ザブンザブンと目を泳がせる玲華。
「はい……?」
「わ、私が大樹くんとのことを色々話してた……から、なんだけど……」
「……」
「……」
無言で続きを促しても、それ以上の言葉は来なかった。
「ご、ゴホン――ッ、と、とにかく、秘書の子が大樹くんのことも調べちゃって……」
「はあ……いや、調べたって……」
「あ、心配しないで! 個人情報とかは調べてないから! 仕事に関する評判とかだけだから!! 会社の情報集めてたついでに聞けたみたいな、そんな軽いのだから!」
慌てたように忙しなく口を動かす玲華に、それもけっこう個人情報のような気がしないでもなかった大樹だが、言っても仕方ないかと話を聞くことにした。
「ええと、まあ、そう突っ込んだ個人情報でないのなら……それで、俺の仕事の評判ですか? それが……?」
大樹の情報を集めたという点について、それほど触れずに大樹が続きを促すと、玲華はホッと大きな胸を揺らして安堵の息を吐いた。
「ええ、まあ、そういう訳で大樹くんの仕事での評判なんかわかっちゃったんだけど――すごいのね、大樹くんって」
それだけ言って微笑む玲華に、大樹は首を捻った。
「大樹くんと一緒に仕事した人からは、『若いが堅実に仕事が出来る』『次も是非一緒に仕事がしたい』『彼になら安心して仕事を任せられる』『あの会社にはもったいないほど有能だ』――概ね、こんなところかしら。すごく評価が高いのね、大樹くん」
その時の玲華の微笑みは、嬉しそうでいて、大樹の気のせいでなければ誇らしげにも見えた。
そして思いがけないところで褒められた大樹は照れ臭くなって、目を逸らして頬を掻いた。そんな大樹の心情をあっさり見抜いているだろう玲華は、クスリと微笑んで続ける。
「そして、それほど社外の人から評価されるほど有能なら、更には転職を考えているというのなら、是非うちの会社に来て働いてもらいたい、というのが私の――『SMARK'S SKRIMS』の社長としての意見です」
そう言って再び発せられる『威』に、大樹はゴクリと唾を飲み込んだ。
(こうまで評価してくれてるなんてな……)
それが自分の会社の社長でなく、他の会社の社長という妙さに大樹は内心で苦笑する。
「俺は――」
予想してなかった話故に大樹が返事を言いあぐねていると、玲華が付け加えるように言った。
「一応、言っておくけど……大樹くんを勧誘しているのは、私と大樹くんが、ええと――その――親しいから――とか、じゃないからね。あ、ううん、まったく無いとは言わないけど……でも、入ってもらいたいと考えた理由の大半はあくまでも、大樹くんが有能だと思ってるからよ。優秀な人材が欲しいから」
念を押すように言われて、大樹は今度こそ苦笑を露わにした。
「はい――本当にありがたいことだと思ってます。ちょっと前の俺なら、多少疑わしく思っていたかもしれません」
「……ちょっと前なら?」
「ええ。最近になって、自分への評価を改めないとと思うことが多々あったものですから――だから、玲華さんが同情で俺を勧誘しているのでなく、評価してくれてるから誘ってくれてれいることを疑ってはいません」
思い出すのは会社の屋上での館林の言葉
――お前、自己評価もうちょっと改めるようにしろよ? でないと、転職先見つけるのも難儀するぞ。
彼の言葉と、退職のための挨拶回りをした際にかけられた、同情からではない勧誘の言葉の数々。
これらは確かに大樹の自信への糧になっていたのだ。
「そう……」
ホッとする玲華に、大樹は頷いた。
「それで、ええと――どうかしら、大樹くん。私の会社に……?」
玲華が緊張気味に返事を促してくるのに対し、大樹は少し考えた。
「そうですね……ええと、そうまで評価してくれて、そして玲華さんの会社なら、俺に否やはありません」
恐らく、少し前の大樹なら素直にそう言ってなかっただろう。
玲華の誘いの言葉だけでは無理だっただろう。
――お前なら大企業の中でだって、上手く立ち回ってもっと大きな仕事をこなせるだろう――俺が保証する。
亡き先代を偲んで会社に骨を埋める覚悟をした舘林の言葉があってこそだ。
「本当――!?」
パアッと顔を輝かせる玲華に、大樹は頷きながら続ける。
「ええ。ですが――」
「え……で、ですが――?」
一転して不安そうになる玲華に、大樹は苦笑する。
「はい。俺としては、俺の入社を決める前に後輩達の話を先に片付けたいです」
「あ――そ、そうね。そうだったわね、大樹くんはそういう人だもんね」
再びホッとして微笑む玲華に、大樹は頭を掻いてみせた。
「そうですね、ええと……こうなったら、話は俺が考えてたのとはちょっと違ってくるんでしょうかね? 察してるとは思いますが、俺の頼みとは、後輩達に関することです」
「ええ、そうでしょうね」
「……これはあくまでも偶然なんですが、後輩達の転職先の本命というのが玲華さんの会社――『SMARK'S SKRIMS』だったんです」
これは流石に予想してなかったらしい玲華は目を丸くした。
「え!? そうなの!? 私はてっきり大樹くんから、私の会社のこと話して、どうかと誘いをかけたのかと思ってたんだけど……」
「いえ。俺から『SMARK'S SKRIMS』のSの字も出したことはありません。あいつらから本命を含めた希望する会社のリストをもらってから知ったことです」
「まあ……」
「以前、玲華さんの会社の特集記事があった情報誌ですか、それを見てたみたいなんです。それから、憧れを抱いていたようで……」
「ああ、アレ……そう、そうなの」
苦笑にも似た照れたような笑みを浮かべる玲華に、大樹はふっと微笑んだ。
「それがわかった時は本当に驚きましたが……ならばと俺があいつらのために出来ることは一つ――採用の検討をするために後輩達の面接をしてやってくれないかと玲華さんに頼むことです」
そう言うと、玲華は噴き出し気味に苦笑する。
「ふふ……はい、わかったわ。さっきも言ったけど、私は後輩達にも勧誘をかけてる身だからね、入社(・・)を前提に面接をさせてもらうわ――だから面接というより、面通しの方が意味合いとしては高いかもだけど」
顎に指を当ててそんな風に言う玲華に、大樹は望外の結果を得て脱力しかけたが、慌てて居住まいを正して頭を下げた。
「ありがとうございます――!!」
「はい――あの情報誌からなら、けっこう長いこと私の会社のこと知って憧れてくれてたのね。嬉しいわ、そんな子達ならより歓迎するわ」
頭を上げると玲華は優しく微笑んでいた。
その笑みが後輩達を考えてのことでなく、自分に向けられているものだと直感的にわかった大樹は危うく見惚れそうになって、頭を振った。
「ええと……それで、少し聞きたいのですが……」
「何かしら?」
「はい。後輩達に誘いをかけてくれたのは嬉しいのですが、それはどうして、ということです」
大樹が頼んでから玲華が面接を検討するというのならわかるのだが、玲華は既に後輩達を迎えるつもりのようで、それが何故なのかわからない。
「ああ、それね……そうよね。大樹くんからしたら気になるわよね……一つ先に言っておくと、後輩達の境遇に同情とかじゃないからね――ああ、でも全く無いとは言えないか」
然もありなんと大樹は頷いた。何せ、玲華は大樹から話を聞いただけで彼らに会っていないのだから。
「では――どのようにして、決めたのでしょう?」
「そうね。これは色々と理由があるのだけど……」
チラと大樹を見てから玲華は言った。
「一つとして、大樹くんの後輩だから、というのがあります。これは私と大樹くんが――ええと、親しいからとかの意味じゃなくて、有能な大樹くんが面倒を見てきた後輩だから、という意味です。更には話に聞いただけだけど、三人とも良い子そう、というのもあるわね」
「……なるほど」
その視点は大樹には無かった。言われてみれば、自分を有能だと評価してくれてる人からしたら、大樹が面倒を見て、一緒に仕事をしてきた後輩達もそれなりに優秀ではと考えられる。
(……いや、流石にこれは俺の考えでは出んな)
自分から出たら、流石に自惚れが強いだろうと大樹は苦笑した。
「そして、もう一つ――経験者ばかりを採用してきたうちの会社もそろそろ新卒を迎え入れた方がいいんじゃないかと考えているとこなので、その前に大樹くん自慢の後輩達を第二新卒として迎えるのはうってつけってじゃないかってこと――年齢的にはちょうどでしょ?」
流石に経営者の考えだなと、大樹は感心しながら頷いた。
「あ、だからと言って新卒と同じお給料じゃないからね? ちゃんと能力に見合った給与を用意します」
「それは喜ぶでしょうね、あいつらは」
大樹が頬を綻ばせると玲華も微笑んだ。
「更に、うちは慢性的に人手不足です。あのブラックな会社で大樹くんとバリバリ働いてたのなら、職歴の割に戦力として期待できます」
「そこは期待していいです」
即座に大樹が自信を持って誇らしい気持ちで言うと、玲華は微笑ましいようにクスリと笑った。
「まあ、概ねそんなとこだけど――ご理解いただけかしら?」
最後にニヤリと言われて、大樹は苦笑した。
同情だけで迎え入れるつもりなのだろうかという、僅かにあった大樹の疑念を見透かされていたのがわかったからだ。
「はい、十分に理解出来ました。ええ、あいつらを迎え入れて損はないと、俺が保証します。だから――あいつらのことをよろしくお願いします」
大樹が再度頭を下げると、玲華は不敵にふふんと笑って自身の大きな胸を叩いた。
「ええ、安心してお姉さんに――まっかせなさーい!」
最後に社長でない玲華(ポンコツ)の顔が出て、少し不安になってしまった大樹であった。
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