第五十九話 これが見たかった

 

 

 

「やだ、私ったらいつの間にカフェに来ちゃったのかしら……?」


 テーブルに並んだ料理を前にして、玲華がニヨニヨと笑み崩れている。


「はは、大げさな」


 苦笑気味な大樹に、玲華は目をキラキラさせたまま反論する。


「もう! 大げさなことなんて全然ないわよ! どれもお洒落な感じで美味しそう! あれもこれも!」


 そう言って、玲華がテーブルの上の料理を指差していく。

 大樹と玲華それぞれの前にある大きめの皿には、ベーコンエッグのトーストにサラダが添えられていて、コンソメスープの入ったカップも載せられている。そして二人の間には四分割されたピザトーストと、マヨコーンチーズのトーストがある。

 トーストだらけなのは、玲華に何を食べたいか聞いたら「寝る前にお米いっぱい食べちゃったし……」と、パンを希望したからだ。


「どれも簡単なんですがね……」

「そんなの関係ないわよ!」

「はは――まあ、じゃあ、さっさと食べますか――いただきます」

「いただきます!」


 手を合わせた玲華はいつもの如く、サラダから手を伸ばしている。

 サラダはたまねぎ、レタス、トマト、きゅうりを切ってドレッシングをかけた簡単なものだ。


「んー……美味しいわね、このドレッシング……? これ、家にあるやつじゃないわよね?」


 一口食べた玲華が小首を傾げて聞いてきたので、同じくサラダを食べていた大樹は頷いた。


「ええ。作ったやつです。簡単ですよ、オリーブオイルにレモン汁、塩、醤油を混ぜだたけです」

「醤油!?……あ、言われると薄っすら味がするかも……うん、レモンがサッパリして美味しいわね、これ」

「ええ。それにこのドレッシングですが、レモン汁の代わりに別のものを使ってとか出来ますよ」

「へえ……例えば?」

「そうですね。昨日のお茶漬けでも使いましたが、ゆず胡椒を混ぜたりとか」

「ふんふん。ゆずだったら間違いなさそうな感じよね」

「ええ。それに、後は……みかん使ってみかんドレッシングなんかも有りですね」

「みかん! それも美味しそうね……」


 言いながら玲華はカップスープを手にとって、一口啜る。


「んー、ホッとする味。美味しい」


 コンソメスープは固形コンソメを使って、キャベツ、にんじん、じゃがいも、玉ねぎ、ウィンナーを煮たものだ。野菜がゴロゴロしているのが好きな大樹の好みから、汁より野菜の方が多く見えてしまうほどだ。

 大樹もカップスープを手にとり、大口を開けて流し込むように口に入れる。

 旨味あるスープが口の中に広がりながら、いものホクホク感、シャキッとしたキャベツや玉ねぎ、にんじんの食感、最後にプツッと音を立てるようにウィンナーが食べ応えをくれる。


「うむ……」


 このスープを作るのは久しぶりのような気がするなと思いながら味わった。


「んん~! ピザトースト美味しいわね!」


 どうやらスープ、サラダと口をつけた玲華はメインのトーストの中で、ピザトーストを一番に手にとったようである。一口齧って目を輝かせている。

 どれ、と大樹もピザトーストを手にとって食べる。


(そういや、これも作るの久しぶりか……)


 子供の頃から食べていたもので、今でも好きで一人暮らしを始めてからもよく作っていたものだ。

 作り方は食パンにケチャップを塗り、スライスしたピーマンを乗せると缶詰のコーンをちりばめ、輪切りしたウィンナーも乗せる。その上に最後にとろけるチーズを被せて、トースターで焼くという、簡単なものだが、非常に美味い。

 チーズの柔らかさと食パンのカリッとした食感の後に、ケチャップの酸味とコーンの甘み、ウィンナーの味、ピーマンは不思議と苦味をまるで感じず、寧ろ甘いと思ってしまうようになる。


「……うん、美味い」

「ええ、本当に!……そういえば、ピザトーストだけど、これはケチャップなのね? ピザソースもあったような気がするんだけど」


 確かに冷蔵庫の中には未使用のピザソースがあった。なのに、大樹はピザトーストを作るのにそれを使わず、ケチャップを使ったことに疑問を覚えたのだろう。

 不思議そうな玲華に、大樹は水を一口飲んでから答えた。


「あくまで俺の感想ですが、ああいうピザソースを使ってのピザトーストは味が濃く感じるんですよね。あと、匂いもきつくなるというか……よりピザっぽくなって美味いことは美味いんですが、ケチャップで作る方が、俺は好きなだけです」


 肩を竦めての大樹の言葉に、玲華はふんふんと頷く。


「そういや、このピザトーストなんですがね、ピーマンを抜くと意外なほどに味気なくなるんですよね」

「へーえ、そうなんだ?」

「ええ。たまにピーマンが苦手な子供なんか見ると、これを食べさせたら苦手意識も無くなるんじゃないかと思う時があるぐらいです」

「なるほど……? あ、もしかして実体験だったり?」


 ニシシと悪戯っぽく笑う玲華に、大樹は目を逸らした。


「あっははは! 大樹くんにも子供時代はあったもんね、仕方ないよね」

「そう言う玲華さんは、苦手だったものは?」

「私? 私は……そういえば、子供の頃はお刺身が苦手だったかなあ……」

「ああ、子供の頃に生物なまものが苦手というのはよくある話ですね」


 うんうんと頷く大樹に、玲華は「そうよねー」苦笑しつつ、マヨコーンチーズのトーストを手にとり齧って目を丸くする。


「うーん……これも美味しい……!」

「ああ、それ美味いでしょ。この中でも作るのは一番簡単なやつですが」

「へーえー? ああ、でも確かに見た目はそうなのかも……」


 そう、玲華ポンコツでも作れるかもと思えるほどこれは簡単なものなのだ。

 ピザトーストでも使った缶詰のコーンにマヨネーズを混ぜて、それを食パンに乗せ、更にその上にとろけるチーズを被せてトースターで焼くだけである。最後に粗挽きペッパーをかければ見栄えも良くなり、味も引き締まる。このトースト、チーズが無くても十分美味いのだが、玲華はチーズ好きだろうと思って乗せている。

 大樹も手に取ってカリッと食べる。

 マヨネーズは熱が加わって香ばしく、そこにコーンの甘みとチーズの旨味が混ざる。シンプルな味で、実に美味い。


「うむ……これなんですが、コーンが無いやつでも十分に美味いですよ」

「え? そうなの?」

「ええ。マヨネーズを塗った食パンにチーズを乗せて焼くだけです。時間が無い朝なんかにはなかなかいいですよ」

「おおー!」

「これなら玲華さんでも作れるでしょう」


 余計な一言を言った大樹に、玲華がムッと目を向ける。


「ちょっと! 今の私でも、ってのは失礼なんじゃない!?」

「……?」

「その『何言ってんのこの人』って顔をやめなさい!」


 顔を赤くして怒鳴る玲華に、大樹は目をパチパチと瞬かせた。


「ああ……そういえば、失礼だったかもしれませんね。これは申し訳ない」


 大樹が素直に謝ると、玲華はうむうむと偉そうに頷いた。


「食パンをよく食べている玲華さんに、このレシピは簡単過ぎましたね。いや、申し訳ない」

「え……あ、う、うん……?」

「そんな玲華さんのことですから、普段食パンをどのように食べているのか是非お聞きしたいところです。こんな簡単なものを作れると言ったことが失礼に値する玲華さんなら、さぞかし美味い食べ方を知っているのでしょう。どうかこの私めにその普段の食べ方をご教授いただければ」


 無駄に真面目ぶった顔で大仰に首を振りながら大樹が言えば、玲華は口をパクパクとさせて、詰まりながら言う。


「え、えっと……」

「はい」

「そ、そのまま食べたり……」

「なるほど、食パンの味そのものを楽しむにはいい食べ方でしょう」


 大仰に相槌を打つ大樹に、玲華は怯む。


「ううっ――ち、チーズ乗せて焼いたり……」

「なるほど……?」


 目で他には? と問うと、玲華は怯みながら口を動かした。


「や、焼いてから、バター塗ってとか……あ! ジャムも塗ったり……」

「はい、一番ポピュラーな食べ方ですね。美味いですしね」


 更に目で問うと、玲華は「うう……」と、眉尻を力なく下げる。


「も、もう――! 大樹くんの意地悪! 私がどう食パンを食べてるかなんて知ってる癖に!!」


 玲華が泣きそうな顔で叫ぶと、大樹は我慢をやめて噴き出した。


「くっ……はっは、そうですね。前にも聞きましたし、知ってました」

「そうよ! 私言ったことあるの覚えてるし! それなのにワザワザ言わせようとするなんて!」

「ははっ――それについては謝りますし、俺の言い方も失礼だったのは確かですが、玲華さんも悪いんですよ? そうまで言うなら聞かせてもらおうって気になりますって」

「う……」


 目を泳がした玲華は、手元にあるフォークとナイフに気づいて手に取ると、ワザとらしく言った。


「さーて、こっちのお味の方はどうかしらー?」


 そう言って、ベーコンエッグのトーストにナイフを刺し入れた。

 大樹は苦笑しながら、同じようにフォークとナイフを手にとった。


「ん~……! やっぱり、これも美味しい――!」


 先ほどまでのことなど何もなかったように、途端に顔を輝かせる玲華。

 それを見て大樹は満ち足りた気分になった。

 先週、会えなかった時からこれが見たかったのだ。

 自分の作ったものを食べて、喜ぶ玲華の笑顔を見たかったのだ。


(こんな美人の、食いしん坊なとこが見たかっただなんて、俺も俺か……)


 内心の苦笑を押し隠し、大樹はナイフで切り分けた分を口に含む。

 半熟のとろりとした黄身がかかった白身とベーコンにトースト。よほど下手に作らなければ不味くなりようがないそれは文句無しに美味かった。

 作り方もそう難しいものでないが、他に比べて少しだけ手間はかかっている。あらかじめ卵を電子レンジで少し加熱しておき、焼いたベーコンと一緒に食パンにのせると、アルミホイルで包んでオーブントースターで卵の表面が半熟になるまで焼く。黄身が白い膜で覆われるようになる頃が目安である。仕上げにブラックペッパーをかければ、味も良くなる上に、最初に玲華が言った通りグッとカフェのメニューっぽい見た目になるのである。

 もちろん、見た目だけでなく味にも満足して玲華はニコニコと食べ進めている。そんな彼女を前に、大樹は満足感を覚えながら、トーストを口に運んでいったのであった。




「ふー、美味しかった。ごちそうさまでした!」

「お粗末さんで。ごちそうさまでした」


 用意した食事は綺麗に無くなり、空いた皿もテーブルの上から片付けた二人は、食後のコーヒーを味わっている。淹れたのはもちろん玲華である。


「……やっぱり美味いな、玲華さんのコーヒー……」


 しみじみと大樹が言うと、玲華が大きな胸を張って得意げな顔でドヤる。


「ふふん、コーヒー自信あるからね」

「ええ、コーヒー見事です。コーヒー

「む、う……なんか、褒められてる気がしない……」

「何を言ってるんですか、褒める言葉しか言ってないはずですが?」

「そ、そうだけど……そうだけど……」


 頭を抱えそうな玲華に、大樹は笑い出しそうになるのを堪えて澄ました顔でコーヒーを口に含んだ。

 それから、二人して特に話もせずゆっくりコーヒーを飲みながら暫し経った頃。


「さて――さっきの話の続きをしましょうか」


 玲華がキリッとした顔になって、大樹を見つめた。

 そのつもりはないのだろうが、圧が伴ったような視線を受けた大樹は腹に力を入れてから居住まいを正した。


「ええ、そうですね」

「……? 大樹くん、そんな緊張しなくてもいいと思うけど?」


 小首を傾げる玲華に、大樹は苦笑を浮かべた。


(……やっぱり無意識なんだな)


 玲華からしたら自分の振る舞いを変えてる意識なんて無いのだろう。ただ、社長の思考になるとそうなってしまうということなのだろう。


「はは、すみません」

「別に謝らなくてもいいけど……」


 ふふと玲華が微笑むと、『華』が溢れているように大樹は感じた。


「では――改めて、玲華さん。頼みたい――いえ、お願いしたいことがありまして――?」


 そこまで言ったところで、玲華に止まるように掌を向けられて、大樹は口を噤んだ。


「うん。先に私から話していい? さっき私からも話したいことがあるって言ったじゃない?」


 少し悪戯っぽく笑って言う玲華に、大樹は首を捻る。


「ええ、それは構いませんが……」


 出鼻を挫かれた感を否めない大樹だが、玲華は大樹の話を察してこう言っているとわかるので、無闇に言っている訳ではないと思って頷いた。


「ええ、それじゃあ――」


 そこで一度区切った玲華はニコリと微笑んで言ったのである。


「大樹くん、あなたの後輩三人と一緒に私の会社に入って、働く気はありませんか――?」

 

 

 

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