第五十七話 色々と逆
――ズズッ
大樹はひとまずとして、器を口まで持っていき、出汁を啜って味を確かめる。
(……少し薄いか……?)
ダシ粉は一袋入れた訳ではないので、残っていた分を少しかけて再びかき混ぜる。そして味を確かめるとちょうど良くなった。そこから更に醤油をちょろっとかける。これによって風味が増すのだ。
――ズズッ
味を確かめると、思わず頬が緩んだ。
(……うむ)
いい出汁加減、塩加減になった。好みの味になったためか、急速に食欲が沸いて早くそれを食べさせろと腹が訴え始める。
だがこのお茶漬けはお湯をかけたばかりで、熱々だ。一気にかき込むと火傷は免れない。
――ズズズッ
器を口につけて箸で飯を寄せながら一口分すする。
「……はふっ」
熱さでそんな声が漏れるのもお茶漬けならではのこと。
だが、口の中は実に幸せである。出汁の旨みに加え、カツオ節と塩昆布の塩気と食感、最後に梅の酸味が更に食欲をかき立て、思わずもう一口、とすすってしまう。
――ズズズッ
今度の一口分には先と違って、鮭が混じっていて、それがまた味の変化を楽しませてくれる。
「……ふーっ……」
飲み下すと、ほうっと一息が漏れ出るのも仕方のないことだろう。
日本人はどうにも汁に浸かった米が好きだという遺伝子があるとしか思えないと、大樹は時々考えさせられてしまう。特にお茶漬けには、心を安らかにさせる何かがあるに違いないと大樹は思っているのだから。
さて、もう一口、と器を口に運ぼうとしたところで、大樹は強烈な視線を対面から感じて目を向ける。
見ると玲華が、口を半開きにして今にもよだれを垂らしそうなほど、お茶漬けを凝視しているのである。
「……」
こんな時間に食べたら太っちゃうじゃない! と言っていた玲華の言葉を思い出し、大樹は心を鬼にして見なかったことにした。
――カカッ――ズズズッ
少しだけ熱さが緩んだので、箸で器を鳴らして、先ほどより多目に口に頬張った。
「……はあっ……」
(美味い……)
疲れているというのもあるためだろう、体に沁み渡るような美味さを大樹は感じていた。
――カッカッカ――ズズッ
そしてまた更に先ほどより大きく口に入れて、ゆっくり噛みしめる。
カツオ節、昆布、鮭の食感がそれぞれ違うから、それがまた美味さを感じさせる。
「ふうっ……あれ」
やはり出汁茶漬けは美味いものだとしみじみ頷いていると、気づけば目の前から玲華がおらず――
「あーん……」
隣に座って口を開けて待機していた。
「……」
ここに来て大樹は何度か思ったことがある。
構図的にこれは逆じゃないのかと。
(まあ、今更か……)
前回のことを考えると、言っても食べずに終わることは無いだろうと、大樹は黙って箸ですくった一口分を、軽く息をかけて冷ましてから玲華の口に入れてやる。
「……はふっ……」
やはり最初は熱そうにしたが、モグモグとしていく内に次第に驚いたように目を見開いていく。
「お、美味しい――! 本当に出汁茶漬けじゃない!?」
「でしょう? こんな美味いものがこんな簡単に出来るんですから、日本人で良かったって思えますよね」
「ほ、本当に! そういう味よね!」
コクコクと頷く玲華に、大樹は微笑む。
そして器を口にもっていって、カッカッカと箸を動かす。
「あ、ああ……」
玲華が如何にも物欲しそうな、それでいて未練たっぷりな目を器に向けてくる。手が少し伸びてきているが、どうものことに気づいてないように見える。
さっきの一口はよほど物足りなさを感じさせてしまったようだ。
――ゴクリ
器をテーブルに置くと、そんな音が大樹の耳に届いた。
「だ、大樹くん……ちょ、ちょっと、それ食べさして欲しいな……」
大樹は口の中のものを飲み込んでから、静かに玲華へ目を向ける。
「……別に構いませんが……」
そう言って大樹が器を持ち、一口分すくうと玲華から待ったが入った。
「ちょ、ちょっと待って……それだとお汁と一緒に食べれないから……」
器と箸ごとくれと言っているようだ。然もありなん、確かにお茶漬けは器を口に持って行って汁と一緒にすするか、スプーンやレンゲで汁と一緒に食う方が美味いに決まっているのだから。
そうしたい気持ちはよくわかるので、大樹は器と箸を渡す前に確認をとる。
「いいですが……でも、いいんですか? 前はこんな時間に食べたら太るって気にしてたじゃないですか」
「うっ……」
痛いところを突かれたと言わんばかりに眉をひそめる玲華。
「で、でも、だって、こんなの我慢出来る訳ないじゃない! 目の前でそんな美味しそうなの一人で食べて!! 大樹くんだけズルいわよ!!」
「いや、ズルイって……食べたいのなら玲華さんも自分の分用意したら……」
何せ材料は全て揃っているのだから。大樹が至極もっともな反論をするも――
「そんなに用意したら食べ過ぎちゃうでしょ!」
やはり前回と同じ繰り返しになるだけだった。
大樹が一息吐いて器と箸を渡すと、玲華は目を輝かせて受け取った器を慎重にに口へ持っていき、「ふーふー」と軽く息をかけながら、汁をすすりながら箸で具を口の中へ流す。
――ズズッ
「……!」
玲華の目が再び驚きに見開かれる。が、先ほど以上に興奮しているのがわかる。
「……ゴクッ……うう、美味しい……!!」
しみじみと玲華が言うのを、大樹は「うむうむ」と頷きながら同意する。
そして、器を返してもらおうと手を伸ばしたところで――
――ズズズッ
玲華が二口目にいっていた。
「……」
まあ、もう一口ぐらいは食べたくなっても仕方ないかと、大樹は寛容に見過ごす。
「……んーっ……鮭も昆布もいい仕事してるわね……! 美味しい……!」
咀嚼した玲華が堪らないとばかりにそう感想を漏らす。そして大樹が器を受け取ろうとすると、玲華が三度、器を口へ持っていこうとして――
「……え、ちょ、玲華さん?」
思わず大樹が抗議の声を上げると、玲華は器に口をつけたままチラッと横目で大樹を見ると、くるりと体を回して、大樹に背を向けた。その様は、何も聞かない、聞こえないと言わんばかりだ。
――カッカッカ――ズズズッ
そして今度は豪快に口の中へお茶漬けを入れたようだ。
「……ちょっと、玲華さん? 俺の分残してくださいよ?」
「…………ゴクッ」
――カッカッカ――ズズズッ
大樹の抗議の声など聞こえないと言わんばかりに、またも箸を鳴らしてけっこうな量の一口を食した様子。
「いやいやいや、ちょっと玲華さん? 俺の夜食ですよ?」
この声にも玲華は耳を貸す様子はなく――
――カッカッカッカ……
玲華は器の底が天井に向くほど傾けていた。
「……ちょ、ちょっと……!」
それ以上は見過ごせんと大樹が玲華の手を掴もうとすると、玲華は身をよじってそれを避けてしまった。
見ると玲華の口がプクリと膨らんで中を咀嚼している。器は当然のように空だった。
「ええ……」
大樹が喪失感の声を漏らすと、玲華から大きなゴクリと飲み込む音がした。
「……っはあー、美味しかった! ご馳走様でした!」
してやったりな笑みで振り返った玲華が満足そうに告げてきた。
「……いやいや、ご馳走様って………何で、俺の夜食を完食してんですか」
大樹は空になった器を虚しく見つめながら言った。
「ふっふーん、さっきの仕返しだもんね。私怒ってるのに、そんな美味しそうなの一人で食べるとこまで見せるんだもん。だから――ご馳走様でした」
どうやらさっき大樹が抱きしめってしまったことへの意趣返しだったらしい。舌を出してテヘペロまでしてきた。
「はあ、そういうことですか……でも、いいんですか? こんなに食べて……」
多目の器の半分ほどあったのを玲華は食べてしまったのだ。
「うっ……あ、明日、午前中にいっぱい運動するから大丈夫よ!!」
「まあ……覚悟の上なら、もう何も言いませんが……」
「お、オホホ……」
後ろめたそうにそんな笑い声を弱々しく発する玲華。
「まあ、とりあえず、お代わりを入れますか……」
半分しか食べれなかった大樹は空になった器を持って立ち上がった。
「さて、じゃあ、今度は――」
再び梅を叩くのが面倒だった大樹は梅以外は同じ具の出汁茶漬けを用意し、最後に一つさっきとは違うものを加えることにした。
「……今度は梅を入れなかったの?」
玲華がそう言って小首を傾げる前で、大樹は頷いた。
「ええ。今回は――これを」
そう言って冷蔵庫から出したチューブを見せる。
「……ゆず胡椒?」
目を丸くする玲華。お茶漬けでは意外だったのだろう。
「ええ、こいつを器の縁につけて、溶かす……と」
薄っすら柑橘系の匂いが漂い始める。
「よしよし――」
大樹は相好を崩して、器を口へ運んだ。
――ズズッ
口の中にダシの旨みと、柚子の爽快な香りが広がる。
「うむ……」
当然、文句なしに美味い。そんな大樹の思いが伝わっているのだろう、玲華がジッと見てくる。大樹はそのことに気づいているも、一切目を向けなかった。
――カカッ――ズズズッ
「はー美味い……うん、柚子が入るとまた味が変わって美味いな」
――ゴクッ
そこそこ腹が膨れてるはずの玲華から、そんな音が聞こえてきたが、大樹は構わず、また一口と器を口に運ぶ。
――カッカッカ――ズズズッ
「……ふう。うむ、柚子入りは、最高だな。本当に美味い」
物欲しそうにこちらをジッと見る玲華に気付きながら大樹がこう言っているのはもちろんワザとである。
――カカッ――ズズズッ
「はー美味い……」
――カカッ――ズズズッ
「うーむ、美味い……」
――ゴクッ
散々見せびらかしたせいで、玲華が恨めしそうにこちらを見ている。
「ぐ、ぐぬぬ……」
遂にはこんな声まで漏らし始めた玲華にようやく目を合わせた大樹は、勝ち誇った笑みを浮かべてみせた。
さっきのお茶漬けを全部食べられた大樹の意趣返しである。意趣返しの意趣返しとなってしまったが、なんとなく玲華に勝ち逃げされるのが嫌だった大樹のささやかな復讐である。
それを玲華は察しているのだろう、だから一口だけという言葉を出さない。
「も、もう――! 大樹くん! 意地悪が過ぎるんじゃないの!?」
「――はて、何のことでしょう? 俺はただ夜食を食べてるだけなんですが」
「ぐぬぬ……大樹くんがこんなひどいことするなんて……」
さめざめと泣く真似をする玲華に、大樹は首を横に振りつつしみじみと言った。
「まさか、用意した夜食を食べ尽くされるなんて、俺は思いもしませんでした……」
「あ、あれは、でも、だって――!」
玲華が反論するも、大樹は間髪いれず言い返した。
「あれは仕方なかったことです」
「だから! 何が仕方なかったのよ――!?」
顔を赤くして抗議する玲華をまた抱きしめたくなった大樹であった。
その後も散々大樹は煽りまくったが、結局は最後の一口を大樹は玲華に譲ってあげ、玲華はその最後の一口を食べて満足そうになったのだった。
「――くん! 起きて、大樹くん!!」
ハッと気づけば大樹の耳にそんな声が聞こえて、体が揺さぶられていた。
「……?」
「起きた……?」
大樹は椅子の上で、テーブルに顔を伏せるでもなく、座ったまま寝てしまっていたことに理解が至った。
「はーっ…………」
どうやら首を上向けて寝てしまったようで、変に凝って痛んだ。
寝不足だったこと、疲れていたこと、玲華に会って気が抜けたこと、夜食を食べて腹が落ち着いたこと、それらが合わさったことによって、眠気に襲われ眠ってしまったのかと、半分寝惚けた頭でどうにかそれだけを大樹は察した。
首をゴキゴキとほぐしていると、玲華がホッとしたように言った。
「ちょっと私がお手洗い行ってる間に寝ちゃうなんて……すごく疲れてるみたいね。お風呂は明日にして、もう寝たらどう?」
「いや……いえ、そうしましょうか」
このままでは風呂に入って、また寝てしまうだろう。
玲華に手を引っ張られるままに大樹は立ち上がって、前回来た時に眠った和室まで誘導された。
「――はい、これに着替えてね」
渡されたのはまたも浴衣である。
今はとにかく眠く、すぐ寝たかった大樹にとって、着替える手間が少ない浴衣はありがたかった。
「どうも……」
半分寝惚けながら大樹は、シャツのボタンを外し始め――
「あー、えっと…………じゃ、じゃあ、おやすみなさい!!」
どこか焦ったような玲華に、大樹は首を傾げた。
「? おやすみなさい……」
襖を閉めた玲華を見送って、大樹は雑に服を脱ぎ浴衣を羽織るだけの形で着たら、もう敷かれていた布団の上に倒れるように体を落とすと、泥のように眠りについたのであった。
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