第五十五話 俺に預けろ
「ああ、はい、『SMARK'S SKRIMS』ですか? そこがどうかしたんですか?」
綾瀬が小首を傾げながら答えると、大樹は僅かに口ごもった。
「いや、その、なんだ……ここだけがお前達三人が揃って応募しようとしてるな、とな」
そんな珍しくも歯切れの悪い大樹に後輩の三人は揃って不思議そうになりながらも、口々に答え始める。
「それは偶然だけど、偶然でもないようなーって感じですかね。ねえ、恵?」
「そうね。私ももしかしたらって思いながら候補に入れてたかな」
「そうっすね。俺ももしかしたらって思いながら書いたら、やっぱりって感じだったっす」
夏木、綾瀬、工藤の言葉を聞いても、大樹にはいまいち要領を得られなかった。
「つまり……どういうことだ?」
大樹の頭の上に疑問符が浮かんでるのを見たかのように、三人は軽く噴き出した。
「あっはは、なんか先輩のそんな顔珍しいかも。えーっとですね、何だっけ? 工藤くんがもってきた雑誌だっけ?」
「えーっと、そうっすね。なんかの雑誌だったかと」
「確か企業情報のフリーペーパーじゃなかった? 駅前で配ってたって」
「それっす!」
「あ、それそれ」
「工藤くんが休憩の時にその雑誌広げてて、私達も一緒に見たのよね?」
「そうそう。それで、その中で『SMARK'S SKRIMS』の記事があったんだよね」
「その記事の中で社長が美人だったことで目惹いたのもあるんっすけどね、なんか――」
「そう、写真越しだけど、周りの社員との人との雰囲気がすごくよく見えたのよね」
工藤の言葉の続きを綾瀬が言うと、夏木がうんうんと頷いた。
「それ見て、うちとは偉い違いだなーって皆で言ってたんだよね。あと、オフィスがなんかすごく綺麗でお洒落そうなのもポイント」
「高層ビルの上層にあるっすからね、休憩室からの景色も最高って記事にあったっすね」
「残業して遅くなったら綺麗な夜景も観れるなんて素敵よね」
「だよねー。それで、こういうとこにいつかは入りたいよね、って話してたんだよね」
「ね! 仕事もやり甲斐ありそうだしね」
「――そういう訳で、俺は転職って聞いて、一番にその会社を思い出したんすよ。いや、俺だけじゃなかったってわかった訳っすけど」
肩を竦める工藤の横で綾瀬と夏木がきゃっきゃとはしゃぎながら話すのを聞ききながら、大樹は思い出していた。
そもそも大樹が玲華の経営する社名を覚えていたのは彼らと同じく雑誌を見て、まったく同じような感想を抱いたからだ。そしてその雑誌は大樹の机の近くに転がっていたもので――つまりは後輩達が話していた雑誌そのものだということだ。
後輩達も玲華の会社を知っていたのでは無い。彼らが雑誌を見て玲華の会社を知ってから、大樹も知ったということなのだ。
「……すると、何だ、お前達の一番の本命は――この会社、なのか?」
どういう表情をしたらいいのかわからなくなった大樹が、顔を上向けて額に手の甲を当てながら静かに尋ねると、夏木と工藤が苦笑した。
「そうですねー。あの時に感じた憧れのせいですかね、ここが一番の本命になりますね」
「そうっすね。て言っても、実際的に入れそうなのって綾瀬ぐらいな気がしますけど」
夏木と工藤の二人に関しては、一番の本命であるが、受かるとはあまり思っていないようだ。
「ちょっと、そんなこと言わないでよ。こうなったら三人で行きましょうよ。示し合わせた訳でもないのに、本命が一致したんだから」
「そう言ってもねー、私は恵ほどの学歴も無ければ、恵のように先輩を助けられるほど仕事出来る訳でも無いし」
「はあ……そうなんっすよね。だから綾瀬だけでも行って、どんなとこか教えてくれたら嬉しいっす」
「もう! 二人だって、しっかり自己PRしたら受かるわよ。履歴書もキッチリ仕上げたら――」
二人に熱心に言う綾瀬本人は、受けたらそうそう不採用にはならないと思っているようで、そしてその見立てが間違っていないことは大樹が綾瀬より良くわかっている。
そしてやはり雑誌を見て大樹と同じ感想を抱いただけあって、三人共に玲華の会社に憧れ、いつかは、と思ったようだ。
それより、工藤と夏木だ。二人の自己評価では、採用にならないと思っているようだが、それは早計である。この二人でも応募したら充分に勝算はあるはずだ。実際的に、この二人は十分に仕事が出来ている。ただ、傍に綾瀬という桁外れに優秀な存在がいるから、自己評価が低くなってしまっているのだろう。
(……だが、三人揃ってというのは流石に難しいか……)
良くて、二人が採用というところだろうか――各自が普通(・・)に受けたとして。
後輩達が賑やかに言葉を交わす前で、大樹は押し黙って思考を巡らせる。
(……何て偶然だ……)
いや、これは偶然なのだろうかと大樹は自問した。
もしかしたら自分は、この三人を玲華の会社へ導くために今の会社にいたのではないのだろうかと思ってしまうほど、運命的なものを感じた。感じさせられたのだ。
思えば大樹は先代の恩返しとして、後輩達の面倒を見て、守り、導いてきた。
その最後の仕上げを、大樹は何かに後押しされているような気がしてならなかった。
(……そういうことですかい、おやっさん……?)
大樹は目を閉じて、今は亡き先代の姿を脳裏に思い浮かべて問うた。
彼はしたり顔で豪快に笑うだけで何も答えなかったが、それで十分だった。
大樹は目を開け、深く息を吸って吐いた。
不思議そうに自分へ目を向けてくる後輩達に構わず、大樹はもう少しだけと思考に耽る。
(……さて、俺のすべきことはわかった……が……)
後輩三人が、玲華の会社に応募して揃って採用される――普通なら難しいだろうが、大樹からしたら実に簡単な話だ。
大樹が頭を下げて頼めば、玲華は嫌がらず快諾することがわかっているからだ。ただ、玲華と言えど何の役にも立たない上にサボり癖まであるような者を頼んだら、断るだろう。
大樹が頼むからというのと、推薦する後輩達が実際に優秀だと大樹が話すから受け入れてくれるのだ。
その結論が考えるまでもなく出てくるぐらいには、大樹は玲華を知っている。
――お姉さんに、まっかせなさーい!!
そんな玲華の声が脳裏に聴こえてきて、大樹は思わず苦笑した。
(だが、しかしなあ……)
一人や二人ならともかく、三人引き受けてもらうというのは幾ら何でも厚かましすぎやしないかというのが大樹の偽らざる心情だ。
頼めば玲華なら受けてくれるだろうが、だからといってそれに全面的に甘えて良いものではない。
(……どうしたものか……)
大樹が再び目を閉じて唸りながら悩むと、最後に玲華と会った時の顔が浮かび上がった。
――大樹くんがその用事を片付けるのに――私で力になれることがあったら何でも頼ってね?
――それがベストだと大樹くんが思ったら、本当に遠慮せずに言って。私は絶対に大樹くんの味方だから――ね?
(……私で力になれることがあったら――本当に遠慮せずに……)
今になって玲華の言葉を鑑みると、玲華はこのことを予想していたのではないかと大樹は思えてきた。
(三人の内、一人、二人をと頼んだら……遠慮を見破られるな……)
そこまで考えたところで、大樹は確信した。玲華は大樹がこのことで頼ってくるのを待っていることに。
大樹が目を開けると、ずっと黙って考えていたからか、後輩達が揃って緊張したような顔つきでこちらを見ていた。
彼らのその表情は、ふと大樹の記憶を刺激した。
(あれは……そうだ……俺が出張から帰って来た時か)
出張に行く前までは三人共に、大樹のことを舐めていた。五味に馬鹿にされながらこいつは高卒だと紹介され、そして年齢が彼らより一つしか違わないということと合わさって、無理もないことだが、大樹が自分達の教育係だということを不服に思っていたのだ。
表面的には言うことを聞いていたが、内心に不満あることをまるで隠せていかなった三人を思い出して、大樹は思わず苦笑を零した。
そんな大樹を見たからか、後輩の三人が揃ってホッと安堵の表情になって、それがまた大樹の記憶を刺激した。
大樹が出張に行ってる間に、五味のせいで会社のブラックぶりを体験してしまい、精神的にまいっていた彼らは大樹が帰ってきたのを見た途端、ホッとしていたのだ。その時ほどとは言わないが、今の彼らと被ったのだ。
それから何を考えたのか、さっき被ったような緊張した顔で大樹に何か言おうとしていたのだが、色々と察した大樹は何も聞かず、疲労を隠せない彼らをさっさと早退させたのだ。
それからだろう、大樹の班がまとまり始めたのは――。
「あの、先輩……その、この会社には応募しない方がいいんでしょうか……?」
恐る恐ると言ったようにそんな頓珍漢なことを聞いてくる綾瀬に、大樹はつい噴き出してしまった。
「くっ――くくっ……いや、まったくもってそんなことは無いぞ……っふ、くくっ」
「そ、そうなんですか……?」
不思議そうにしながらもホッとしたような綾瀬に、大樹は頷いた。
「ああ……もう一度聞くが、お前達は『SMARK'S SKRIMS』が本命で、そして出来ることなら三人揃って、この会社に入りたい――間違いないな?」
綾瀬、夏木、工藤は違いに顔を見合わせてから、揃って頷いた。
「……そうか」
それが彼らのベストだということを大樹は再確認した。つまりそれは大樹のベストでもある。
「よし、わかった――少し聞きたいんだが、お前達、『SMARK'S SKRIMS』以外にどこか応募を出してたりとかしたか?」
三人は再びを顔を見合わせてから首を横に振ると、代表するように綾瀬が答えた。
「いいえ」
「そうか、ならば良し……暫くだが、転職活動はしなくていい」
その唐突な言葉に目を丸くする三人。綾瀬が戸惑いながら聞いてきた。
「えっと、どうしてか聞いてもいいですか……?」
「うむ、そうさな……俺を信じて、この話を俺に預けて欲しい」
そんな答えになってないような言葉を返すと、三人はまた顔を見合わせると肩から力を抜いて、苦笑を浮かべた。
「何でそんなこと言うのかと思いましたが、先輩がそう言うなら――はい」
「愚問だよね」
「そうっすね」
綾瀬の言葉に、相槌を打つ夏木と工藤に、今度は大樹が驚いて目を瞬かせた。
「随分あっさりと承諾するな?お前達に転職活動を始めさせたのは俺なのに、一方的にやめろと言われて」
「……そんなこと言われても、ねえ?」
「ねえ。第一、先輩信じられなかったら、私達信じられる人いなくなっちゃうし」
「てか、先輩に裏切られたら人間不信になる自信あるっす」
最後の工藤の言葉に、うんうんと相槌を打つ綾瀬と夏木に、大樹は背中がむず痒くなるような感覚を覚え、思わず三人から目を天井へ逸らした。
「そ、そうか……」
口籠もりながらそれだけ返すと、三人は「おや?」と言いたげに口元をニマニマさせた。
「ご、ゴホンッ――と、とりあえず、お前達は暫く転職活動はしなくていい。俺が言うまで、応募はどこにも出さんでくれ」
大樹が咳払いしてそう言うと、後輩の三人はニコニコしながら「はーい」と元気よく返事をした。
どうにもやりにくさを感じながら、大樹は付け足した。
「それと、来週までに履歴書を仕上げておけ。スキルシートに写真も忘れるな」
「履歴書、ですか……? それも来週までに、ですか?」
きょとんと綾瀬が問うと、大樹は頷いた。
「ああ。来週までに必要でない可能性もあるが……念のためだ」
「……わかりました」
何故と理由も聞かない三人に、大樹は改めて三人からの強い信頼を覚えた。
「夏木、工藤、しっかり丁寧に書くんだぞ」
「ちょ、ちょっと先輩! 何で恵を飛ばして、私と工藤くんだけに言うんですか!?」
「そうっすよ! 夏木はともかく、何で俺にまで!?」
「おいこら、工藤くん!?」
「ひっ――!?」
夏木と彼女に睨まれる工藤を放って、大樹は綾瀬へ目を向ける。
「すまんが、綾瀬。出来たらでいいんだが、週末の間に三人で顔を合わせて、二人の履歴書の添削を頼んでいいか?」
「ふふっ――お任せください」
「すまんな」
「いえ」
誇らしげで嬉しそうに承諾した綾瀬は、大樹へ向かって瓶ビールを傾けた。
「グラス、空ですよ?」
「お、すまんな――ぷはっ、うむ、美味い」
注いでもらったビールを早速飲み干してから、また注いでもらった大樹は綾瀬から瓶を受け取って、返してやる。
「あー、もう! 何で二人だけで和やかに飲み始めてるんですか!? いつも言ってますけど、先輩、私と恵への扱いが――」
夏木がいつもの愚痴を言い始めて、そしていつものように賑やかに夜は更けていったのであった。
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