第五十四話 自己評価を改めろ
「けっこう久しぶりですかね、館林さんにコーヒー奢ってもらうのって」
喫煙所のある屋上について、奢ってもらった缶コーヒーを傾けながら大樹がそう切り出すと、館林は煙草に火を点けて美味そうに煙を吐き出して、ニヤリとした。
「ああ、そうだな――聞いたぜ? お前、五味の野郎をとっちめたらしいじゃねえか」
「とっちめたって……はは、いい加減、あいつの相手をするのが面倒になったから、きつく言ってやっただけですよ」
苦笑しながら肩を竦めると、館林は堪らないとばかりに豪快に笑い出した。
「かっはっは、そうか、きつく言ってやっただけか。俺が聞いたところだと、今にもお前が五味の野郎を、殴り殺しかねない形相だったって聞いたぜ?」
「あのゴミの物分かりが余りにもひどくて、もう少しで手が出そうになりましたが、流石に殴りませんよ」
「構うことなく、やっちまえばよかったのによ――がっはっはっは」
相変わらずの屈託のない笑みを見せられて、大樹が懐かしみつつホッとしていると、不意に館林が言った。
「お前、ようやっと、この会社辞める気になったんだな……?」
「……どうしてそう思われたんで?」
大樹は否定も肯定もせず、そう聞き返すと、館林は煙草を咥えてから大きく煙を吐き出した。
「最近のお前さんと五味の野郎とのやり合いが一層ひどくなってきたってのを聞いたのと、後はお前が受けてる仕事が、先代の時からの取引先に集中してるってのに気づいてな」
「……違う部署だってのに、よくまあそこに気づかれましたね……」
元より隠す気のなかった大樹は、そう言って館林の言い分を認めた。
「まあ、そこは年の功だな」
ドヤッとした顔を見せる館林に、大樹は堪らず噴き出した。
「ははっ……後輩達もいい加減、手もかからなくなって俺が教えられることも無くなってきましたので――」
後輩達が転職先を見つけ次第、自分も辞めるつもりだということを大樹は簡単に話した。
「――ったく、お前は、義理堅いだけでなく、面倒見もいいってか……? まあ、それに目処がついたのなら、何よりだ。その後輩達のケツ叩いて、さっさとこんな会社辞めちまえ」
「……はい。館林さんには、辞める前には挨拶するつもりだったんですが――」
「んなもん、いらねえよ。前から言ってただろうが、お前みたいな若いやつがいるような会社じゃない、さっさと辞めろってな」
「……はい」
ぶっきらぼうなその物言いと、変わらない館林の温かさに、大樹は何度となく励まされたこと思い出していた。
「――それにな、お前がいるから辞めてないってやつだって、けっこういるんだ。そいつらの為にも、さっさと辞めて『次』に行け」
「……俺がいるから……?」
大樹が怪訝に眉を寄せると、館林は呆れたように顔をしかめた。
「はあ、なんだ、やっぱり気づいてなかったのか……お前はお前が思っている以上に、周りから慕われてるし、評価もされてんだよ。だからお前が踏ん張っている内は、って辞めてないやつもいるんだ」
大樹がパチパチと目を瞬かせると、館林はため息と共に煙を吐き出した。
「ったく、その代表例がお前の後輩達じゃねえか。あいつら、お前が居る限りは辞めるつもりなんか間違いなく無かっただろうが」
「……そう、ですかね……?」
まったく思わなかったことも無いが、改めて人に言われるとそうなのだろうかと思ってしまった大樹に、館林は呆れたように首を横に振った。
「どう考えてもそうだろうが、お前の庇護下にあったから自分達がまだ健康的に働けてることなんて嫌と言う程、承知してるはずだ。どんな鈍チンでもそれぐらい気づく。そして、それだけ世話になったお前を残して辞めて行ったら、お前が余計に大変なことになるってこともな……そうやって程度の差はあれど、お前がいるから辞めてないってやつは他にもいるんだ。それは理解しとけ」
「はあ……」
「……お前、相変わらず変なとこで自己評価の低いやつだな」
「……そうですかね?」
「ああ。後な、あのゴミの下で危うい中、お前が仕事を回して決壊させて無いから、踏ん切りつかねえやつも多い。そしてお前が辞めたら、どう考えてもあのゴミの下で仕事は回らなくなる。そうなってから、これはいよいよダメだと見切りつけるやつも増えるだろう……違うか?」
「そ、れは……」
大樹は自分がいなくなった時のことを考えてみた。その場合、五味が我が物顔で適当に采配し始めるだろう。すると仕事が回らなくなるのは必然と言えた。そして、そうなったならいい加減、館林の言う通り、もう無理だと逃げ出す社員も増えるだろう。いや、きっと間違いなくそうなるだろう。
(……俺がいるせいで辞めてない人がいる……?)
その結論に至って、大樹は愕然とした。
「あー、なんだ、思い違いするなよ。未だに辞めてないやつの責任はそいつらのもんだ。お前のせいじゃねえ。お前がいようが、いまいが辞めることなんて出来たんだからな。辞めてないやつが苦労してるのは自分のせいだなんて、くだらねえこと考えんなよ」
「で、ですが……」
「ったく……俺が話したいのはお前を責めることじゃねえ。未だに一人じゃ、踏ん切りつけれないやつのケツを叩くためにも、お前はさっさと辞めちまえって言いてえだけだ」
その言葉は大樹の中にストンと落ちた。
「……わかりました」
「ああ、わかったのならいい……お前、自己評価もうちょっと改めるようにしろよ? でないと、転職先見つけるのも難儀するぞ」
眉をひそめて注意してくる館林のその言葉に、大樹は苦笑して頷いた。
「肝に命じておきます」
「ああ。お前なら大企業の中でだって、上手く立ち回ってもっと大きな仕事をこなせるだろう――俺が保証する」
「……ありがとうございます」
静かに大樹が頭を下げると、館林は大樹の肩に手を置いて念を押すように真剣な顔で言った。
「俺が保証したこと――忘れんなよ?」
「――はい」
大樹が館林の目を真っ直ぐ見て答えると、館林は頷いて破顔した。
「よし――ふっ、お前が辞めたらこの会社もいよいよ秒読みの段階に入るだろうな」
どこか寂しそうに口にした館林に、大樹は聞いてみた。
「……館林さんは、その前に辞めないんですか?」
「なんだ、俺みたいな老骨の心配なんてしなくていいぞ」
「いや、そんな――」
「いいから。この年になっても独り身だしな、好きにやるさ」
「……そうですか」
「ああ……それに、俺ぐらいは最後まで付き合ってやらんとな。この会社も浮かばれんだろ」
遣る瀬無いように言った館林だが、すぐにニカッと笑った。
「ははっ、何もこの会社に最後までいたからって死ぬ訳でもない。とにかく、俺の心配などせず、お前はさっさと次に行け――いいな?」
聞いたところ、先代がこの会社を立ち上げてから早い段階で館林は入社したらしい。それからどのような苦楽があったかなど大樹のような若造に推し量れるものでない。更には長く共に成長した会社が潰れていく様を見届ける心境がどのようなものなのかなど、到底及ばないことだ。
館林には館林なりのケジメのつけ方があるのだろう。
大樹は自分に口出しできることでないと悟り、それ以上何も言わず頷いた。
「ああ。それでいい。それに、こういう時、良く言うだろ? 『老兵は死なず、ただ消え去るのみ』ってな」
再びドヤ顔を作ってそんなことを言う館林に、大樹はジト目になった。
「館林さん……それ言ってみたかっただけでしょ」
「うっ……」
気まずそうに館林は目を逸らすと、二本目の煙草に火を点けると空へ目をやって煙を吐き出した。
「……煙が目にしみるぜ」
「台無しですよ」
◇◆◇◆◇◆◇
「うーむ……」
もはや定例会のようにもなった週半ばでの居酒屋の飲み会の中、大樹は綾瀬から受け取ったリストを手に唸っていた。
「――それでね、先輩何て言ったと思う? 『俺があのクソ野郎のお供をしたなら、財布が入った鞄も含めた荷物の全てを丁稚の如く持ってやって、そして前方に不審者がいないか警戒のために率先して前を早足で歩いて、やつを置き去りにした後に、スマホの電源を切って、翌日になってから帰りの新幹線の中で連絡をとってやるぐらいには誠意を持ってお供をしてやるぞ』よ?」
綾瀬が同期の二人に、大樹の声真似をしつつ一字一句違わず大樹が言ってたことを話すと、夏木は口に手を当てて口の中の物が噴き出すのを抑え、工藤は同じようにしたが少し失敗して、着ていたジャケットにビールが少し溢れてしまった。
二人は口元や手やらを布巾で拭うと、ゲラゲラ笑い出した。
「そ、そこのどこに誠意があるの――!?」
「せ、先輩ならやりかねない――!!」
文字通りに腹を抱えて苦しそうなほど笑う二人に、綾瀬はご満悦な顔になる。
「あなた達二人はここで遠慮なく笑えるからいいけどね、私は真昼の往来でこれ聞いて呼吸困難になってすごく恥ずかしかったんだからね? 先輩はいつものように真顔で淡々と言うし」
大樹の正面に座る綾瀬が二人に指を振りながら言うと、ますます笑い声を強める隣に座る夏木と、いつもと同じく斜め向かいに座る工藤。
「や、やめて――!? く、苦しい――!!」
「ぷっくく――! や、やめてくれ、綾瀬!!」
どうやら綾瀬は自分と同じ苦しみを与えようとしているのか、更に二人を笑わせようと、口元をニマニマさせながら追撃をしている。
「お店に着いたら着いたらで――」
その話をしていた本人を目の前にしながら、綾瀬は大樹をネタにして同期の二人を更に苦しめている。そんな三人に構わず、大樹は相も変わらず先ほど綾瀬から受け取った本命や大手の企業名の入った応募候補のリストを見て唸っていた。
そのリストの中には、誰もが知るような大手企業の名前が幾つかある。殆どが綾瀬の希望である。工藤と夏木はその中では一つしか応募する気は無いようだ。だが、これはある意味予想通りと言っていい。
そして、大手と言うほどでは無いが、明らかにブラックでないとわかる企業に一人、もしくは二人が重なって候補にしているところが幾つか。これも納得出来るところであるし、やはり予想していた。
予想外なのは三人揃って候補に挙げているところが一つしかなかったことと、もう一つ――
「なあ、お前らが三人揃って候補にしているところなんだが――」
その声に、いつの間にか話し手だった綾瀬まで含んで爆笑していた三人は、苦しそうに大樹へ振り返ってから、一旦落ち着こうと深呼吸を繰り返した。
「すーはー……ええ、はい、何ですか先輩?」
話し手だった分腹筋へのダメージが少なかった綾瀬が、目尻の雫を拭いながら返事をする。
「……随分と盛り上がっていたようだな」
思わずそう言うと、後輩三人はぷっと軽く噴き出して、肩を震わせた。
「いやー、先輩が相変わらず面白いからですよ」
「その先輩の話を先輩の目の前でしているのにも関わらず、その反応は流石っす」
夏木と工藤がうんうんとしながら、どこか誇らしげなのが大樹にはおかしく見えた。
「……一応言っておくが、さっきの話に補足すると、定食屋に入った後、穴があったら入りそうなほど綾瀬は真っ赤――」
「うわー!? わーわーわー!!」
綾瀬が顔を真っ赤にして身を乗り出し叫びながら両手を大樹の口に当ててきた。
「な、何を言おうとしてるんですか、先輩――!?」
「何ってお前が――ふがっ」
答えようとするも大樹の口は綾瀬の手に抑えられて言葉にならなかった。
「うわーうわー! い、言わなくていいです!?」
切羽詰まった顔の綾瀬に、夏木と工藤が顔を見合わせた。
「なになに、恵、どったの? ちょっと、この穂香ちゃんに聞かせてごらんなさい?」
「うんうん、あれだけ先輩のこと話しておいて、自分のことは話させないなんて、そんなことしないっすよね?」
二人揃って意地の悪そうなニヤニヤとした笑みを向けられて、綾瀬はたじろいだ。
「ち、違うの――!」
「うん? 何? 何が違うの?」
「うんうん、何が違うんっすかね? 教えてもらわないとわかんないっすねえ」
「そうそう、一から十まで教えてもらわないとわからないわよねえ? ねえ、工藤くん」
「うんうん、夏木の言う通りっす。なんなら百まで教えてくれてもいいんっすよ?」
もはや悪魔のようにしか見えないほどの同期のコンビネーションぶりに迫られた綾瀬に、大樹は縋るような涙目を向けられて、噴き出すように苦笑を零した。
未だ口に当てられている手をポンポンと叩いて引いてもらう。
「お前達、その辺で勘弁してやれ」
「えー、先輩がそれ言いますかー?」
「そうっすよ、先輩が言いかけたことじゃないっすか」
「はは、勘弁しろ。俺も少々意地が悪かった、その話に関しては――」
もう終わりだ、と続くと思ったのだろう綾瀬がホッと胸を撫で下ろしたところで――
「――今度、綾瀬がいないところでしてやる」
「先輩――!?」
ガーンとショックそのものな顔になった綾瀬に、大樹は堪らず噴き出した。
「くくっ――じょ、冗談だ。綾瀬」
「も、もう! 先輩! もう――!!」
隣に座っていたらポカポカ殴られていただろうなと、今日は隣が夏木でよかったと大樹は苦笑を零した。
「はあ……残念」
「本当に……」
もう大樹が話す気は無いようだと悟った夏木と工藤がため息を吐く。そんな二人や拗ねた顔をしている綾瀬に構わず、大樹はキリッとした顔を三人に向けた。
「ところで、お前達三人が揃って候補にしているこの企業なんだが――」
そう言って大樹はリストの中にある企業名を指差した。
そこには最近非常に縁深くなった――大樹の思い人が経営している社名『SMARK'S SKRIMS』があった。
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