第五十話 麻里の提案

 

 

 

「あ、おはようございます、社長!」

「はい、おはよー。あ、昨日はよく眠れたみたいね?」

「おはようございます、社長!」

「はーい、おはよー。今日はいい天気ね?」


 次々と向けられる挨拶に対し、たまに一言添えたりしながら返事をしていく玲華。

 そんな風に軽快に歩き去る玲華の後ろ姿を思わず目で追ってしまう社員達。


「うーむ、美しい……」

「女神だ……」

「女神やで……」

「女神だな……」

「なんか美しさに磨きがかかったような気がするな……」

「そうだな、今週はそんな感じだな」

「先週の可愛い社長もやばかったけど、やっぱりこうキリッと美しい社長こそがこの会社の社長って感じだよな」

「うむうむ、だが先週みたいな社長もまた見たいものだ……」

「そしたらまたサーバー、パンクするかもだけどな」

「いや、話に聞いたところサーバー増設したらしいぞ」

「マジかよ、そのサーバーだってプライベートの自費でやってんだろ? 流石企画開発の連中だな」

「あいつら、加減ってものを知らねえよな」

「セキュリティすげえらしいぜ」

「下手したらこの会社よりセキュリティきついとか」

「いや、それは言い過ぎだろ……」

「いや、あいつらならやりかねん……」

「確かに……」

「そういや、その企画開発の連中だけど、最近帰り早いみたいだな」

「何? いつも納期が迫ってる訳でもないのに終電間際まで残ってるあいつらがか?」

「ああ、血の涙を流さんばかりに定時に会社から帰ってるみたいだ」

「……それは残業したさで、ってことだよな?」

「そりゃな。無駄に残ってる訳でなく、新しい企画のためにいつも残ってるからな、あいつら」

「……なのに、どうして?」

「いや、どうも社長が追い出してるらしい。企画開発の連中のタイムカード切って、その上部屋のブレーカーまで落として」

「お、おお、マジか……」

「ああ、マジらしい。社長もついに本気出したってとこだな」

「……まあ、この会社の平均残業時間、あいつらのせいで減らねえからな。仕方ねえって言えば、仕方ねえか」

「そうだな、ははは」

「――全然仕方なくないのである」

「うおっ――企画開発じゃねえか、いたのかよ」

「……なんかどんよりしてるな」

「ああ、ゾンビみたいになってんぞ」

「仕事が……仕事が足りないのである」

「もっと……もっと、働きたいのに……!」

「この会社にもっと貢献したいのに……!」

「定時に帰っても一体何をすればいいのか……」

「ヒマでヒマで仕方ないっす……」

「……いや、趣味とか、飲みに行くとかあるだろ」

「我々の趣味は玲華たんとこの会社に貢献することである!」

「つまりは仕事こそが趣味だ!!」

「そうだそうだ!」

「もっと残業をさせろー!」

「……定時内で貢献すればいいだろ……」

「定時なんかすぐ過ぎるのである!」

「そう、気づけば終わっている……はあ……もっと仕事したい……」

「……残業が無くなって逆に元気失くすなんて、こいつらぐらいだよな」

「だからこそ、ストップがかかったんだろ。無理矢理にでもってことで」

「――ああ、納得した」


 何かしてもしなくても、玲華の影響力は甚大である。

 一方、その玲華はというと――


「はあ……」


 引き出しの中にある写真を眺めている間は笑顔だった玲華だが、引き出しが閉まると同時にため息を零した。

 それだけで終わらず、机の上にだらしなく身を傾ける。


「はあ……」

「……何ですか、さっきからその大きなため息は」


 見かねたように麻里が言ってくるも、玲華は体を起こさずに、弱々しく口を開く。


「だって――」

「だって、何ですか?」

「だって明日と明後日の週末、大樹くんと会えないんだもん」


 それを聞いて麻里が目玉をぐるりと天井へ向ける。


「……アラサーが『もん』とか……」

「た、確かにアラサーだけど、いいでしょ、別に!?」

「そうですね……アラサーまで処女をこじらせるとこうなるのかとわかった気がします」

「しょ、処女の何が悪いのよ!?」

「別に悪いなどと……ただ――」

「た、ただ、何なのよ……?」

「先輩のポンコツ具合がひどくなってるのは、もしかして処女だからではないかと思っただけで――」

「ぽ、ポンコツ言うな! そ、それにひどくなんてなってないわよ!!」


 玲華の反論に対し、麻里は息を吐きながら首を横に振り、憐れむような目を向けるだけだった。


「な、何よ、その目は――!?」

「いえ――自覚が無いのは幸せなことなのでしょう」

「どういう意味よ――!?」


 ガタッと机から立ち上がる玲華に、麻里は小さく息を吐いた。


「そんなことよりもですね、先輩――」

「そんなことですって!?」

「ええ、そんな論じても無駄なことよりも、もっと建設的なことを考えましょう」

「む、無駄って……ぐぬぬ……!」

「……『もん』よりは『ぐぬぬ』の方がマシですか」

「ウオッホン!!――で、建設的なことって?」

「はい。先輩は大樹くんと週末会えないことに寂しがっているのですよね?」


 最近、麻里が社長室にも関わらず『先輩』と呼んでくる機会が増えたなと思いつつ、玲華は躊躇いがちに頷いた。

 すると、麻里が中々にぶっ飛んだことを言ってきたのである。


「では、簡単なことです――一緒に住めばいいじゃないですか」


 それを聞いた瞬間、玲華の頭は真っ白になった。


「…………は?」


 考えた訳でなくやっと出た声はそれだけだった。


「一緒に住めばいいじゃないですか」


 麻里は一字一句同じ言葉を繰り返した。


「……え? い、いやいや、何言ってんの、麻里ちゃん」

「だから一緒に住めばいいじゃないですか。そしたら会えない日も無くなって、この部屋に入った途端、私と二人きりだというのに先輩の辛気臭いため息を何度も聞かされることも――ゲフンゲフン――会えない日も無くなって先輩は毎日幸せになれるじゃないですか」

「ねえ、それで言い換えたつもり?」

「一緒に住めば、先輩は毎日幸せになれますよ」

「言い直せばいいってものじゃないと思うの」

「とにかくですね、大樹くんと会えない週末が寂しいなら、一緒に住めば全ての問題が丸っと解決するんじゃないですかと私は言っているんです」


 ここで突っ込むのをやめて玲華は冷静に考えつつ答えた。


「えっと……いやいや、やっぱり無いでしょ。私達まだ・・付き合ってないのよ」


 玲華のもっともな反論に、麻里はおもむろに頷いた。


「ええ、まだ・・付き合ってませんね。ですが――お泊まりはしましたよね?」

「!――っ、そ、そう、だけど――でも、それは一泊とかの話で……」

「はい、一泊の話、ですね。ですが、大樹くんに今週末に予定が無ければ、また明日の晩に来てもらってまた一泊してもらうつもりでしたよね?」

「う……そ、そうだけど」

「叶うことなら、毎週そうしてもらいたい――間違いないですね?」

「そ、そうよ……? 何かおかしい?」


 羞恥を覚えながら答えていた玲華だったが、ここで開き直るように言った。


「いいえ、何も? ここで確かなのは先輩は毎週大樹くんにお泊りに来てもらいたい。そして少々不確かですが、大樹くんも先輩に招かれたらきっと泊まりに来てくれるということ――間違いないですね?」

「そ、そうね……」

「なら問題ないじゃないですか。毎週が毎日になるだけです。何か不都合でも?」

「ふ、不都合って――だから、私と大樹くんはまだ・・付き合ってないって――」

「ええ――ですが、お泊まりはしたんです」

「――!」


 ここでなんとなくであるが玲華は思い始めた――あれ、大した問題はない……? と。


「誰も嫌がらないお泊まりが毎日になるだけの話です。大樹くんは一回ですが、お泊まりの提案を快く了承し実際に泊まり、次があることを匂わせたにも関わらず拒否反応はなかった。加えて――」


 玲華はゴクリと喉を鳴らしながら麻里の言葉に耳を傾け始めた――まるで、自ら洗脳されるのを選ぶかの如く。


まだ・・付き合ってないだけで、もう確定事項の未来ではないですか。大樹くんの後輩が転職先を見つけ、大樹くんも転職を済ませたら、お付き合いしましょうと大樹くんは言った訳ですよね?」

「そ、そうハッキリ言った訳じゃないけど……そういうことだと思うわ」

「思うも何も間違いありません。ファイナルアンサーです。写真を見ただけでもわかります。お互いベタ惚れです。寧ろ何でまだ付き合ってないのかサッパリわからないレベルです」

「うっ……」


 玲華が心臓に矢を打ち込まれたような衝撃を覚えて胸に手を当てるも、麻里は淡々と続ける。


「大体、指を絡めて手を繋ぐまでしておいて、エッチはまだしもキスの一つや二つもしてないなんて……」

「ううっ……」

「更に言わせてもらうなら、大樹くんがお風呂入ってる時に、水着を着てとはいえ先輩も一緒に入って、その後ソファに並んで座ってお酒飲んで、何で寝室が一緒じゃないんですか。そのまま『酔っちゃった。もう歩けなーい』の一言でも出して、寝室に連れてってもらえば既成事実が出来たというのに……アホですか――いえ、ポンコツでしたね」

「うううっ……だ、だって……」


 玲華は碌に言い返せず、弱々しく反論を試みるも、麻里のため息に封じられる。


「それにしても大樹くんも可哀想に……混浴してビキニを着た先輩のエロボディを至近距離で見せられて、その後に浴衣姿で接待のような真似まで受けて、相当期待してただろうに、寝室は別だなんて……生殺しもいいとこですね。その晩、ちゃんと寝れたのか非常に疑わしいです。日々のブラック勤務で疲れてるというのに……」


 なんて不憫な……と首を振りつつ嘆く麻里に、玲華は自分が吐血する姿を幻視した。


「かはっ――う、ううっ……だ、大樹くん、ゆっくり寝れたって言ってたもん……」

「それはそうでしょう。大樹くんのように紳士的で礼儀も正しい人は寝れなくとも、そう言うに決まってるじゃないですか」


 一分も反論の隙が無い言葉が返ってきて、玲華は項垂れた。そう、大樹はそういう男だと考えるまでもなく玲華にはわかった。いや、わかっていた。

 そうやってどんより落ち込む玲華を見かねたのか、麻里は仕方なさそうに言った。


「まあ――勢いのままに手を出したくないというような、先輩を大事にしたいという、そんな心意気も感じられますけどね。今時、珍しい硬派なタイプとも言えます」


 玲華はガバッと顔を上げた。


「そ、そう思う!? 私のこと大事にしたいって――!?」


 勢い込んで玲華が尋ねると、麻里は少々不機嫌そうにしながら渋々と頷いた。


「そうですね。写真の中で先輩を見ている時の彼の顔を見る限りはそうでしょう」

「やーん、もう大樹くんったら――!!」


 照れってれの顔で玲華が浮かれた声を出すと、麻里は白けた目となった。


「――だからと言って、彼のそんな心意気に甘えるような真似もどうかと思いますが……」


 ギクッと玲華の肩が揺れる。


「そ、そんなつもりは無かったけど……」

「ええ、わかってます。先輩の彼氏いない歴イコール年齢と不器用さとポンコツさが噛み合ってしまった結果ですから」

「ぽ、ポンコツ言うな……」


 いつもの反論を玲華はそれはもう弱々しく口にした。


「まあ、先輩のポンコツさはともかくとして……そうですね、付き合う前に同居を提案した場合に大樹くんが懸念する点として、生殺し生活になりかねないというところに難渋を示すかもしれませんが……ここは他に焦点を当てて説得するしかありませんね」

「他に焦点……?」

「ええ、例えばですが――」


 麻里が説明を始めようとしたところで、玲華のスマホが机の上で振動しているのに気づき、その液晶に目を落とした玲華は喜色満面となった。


「あ――!!」


 そこからスマホを手に取る素早さに、麻里は目を瞬かせた。


「……大樹くんですか?」

「うん」


 語尾に音符を乗せたような調子で答える玲華に、麻里は片眉を吊り上げるも、喜ぶ玲華を見てか僅かに頬を緩ませていた。


「ふっふーん……――ふむふむ」


 読み進める毎に玲華の目が真面目になっていく。

 そして返信をしてからスマホを操作した玲華は、麻里に目を向けた。


「麻里ちゃん、今プリンターに印刷したもの取ってくれる?」

「はい――ああ、例のですか」


 その指示だけで玲華が何を印刷したのか察した様子の麻里に、玲華は頷いた。


「そ、大樹くんからのお願いごと」

 

 

 

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