第四十九話 やはり○○○○な玲華

 

 

 

「へー? けっこういいんじゃない?」

「ですね。いつもながらみどりさんの行動力と嗅覚ぶりには目を瞠るばかりです」


 玲華と麻里の二人が、頭を突き合わせながら机の上に広げられた写真を眺め感心し合っている。

 写真に写っているのは様々な服であり、だけでなくそれを見知らぬ外国人が着ているものもあった。


「イタリアだったわよね? 翠はまだそっちにいるの?」

「はい。社長のGOサイン待ちと、その間に他にも新規開拓しておくとのことで、あちこち動いているそうです」

「相変わらずね……」


 玲華が苦笑しているのは、二人が話題にしている翠という女性が、世界各国を飛び回り、常に動き回っているからだ。

 その彼女の名は七種翠さえぐさみどり――玲華、麻里と同じく、会社立ち上げ時のメンバーであり、渉外担当のスーパー営業ウーマンである。


「それで、これらの卸し額がこれ?――ねえ、この金額って本当? 間違ってたりしてないわよね?」


 書類に並ぶ金額に目を通しながら玲華が麻里へ一応の確認をとる。


「はい、間違いないようで。ですが、数はそう多くは無いとのことです」

「ふーん……? だとしても十分だと思うけど……」

「ですね。如何致しますか?」

「勿論、GOよ。絶対売れるし。仮に売れなくとも、この数字じゃ問題にもならないわ」

「了解しました。伝えときます」

「うん、よろしく。あ、麻里ちゃん、コーヒー淹れてくれない?」


 ひと段落したとことろで、玲華がそう頼むと「かしこまりました」と、麻里が一礼して足を翻す。

 そうして麻里がコーヒーを入れているのを眺めながら伸びをしたりしてゆっくりしていると、麻里がコーヒーを手に戻ってきた。


「どうぞ」

「ありがとー」


 香りを楽しんでから一口含むと、玲華はほっと頬を綻ばせた。


「――うん、美味しい」

「社長ほどではありませんが……ありがとうございます」


 自席に戻って同じくコーヒーを口にしていた麻里から表情を変えることなく慇懃に告げられて、玲華は苦笑する。


「そんなことないって、もう麻里ちゃんの方が上手よ」

「私はそうとは思えませんが……」

「毎日飲んでる私が言ってるんだから間違いないわよ」

「そうですか」


 素っ気ない返事であったが、麻里の口角が僅かに上がったのを玲華は見逃さなかった。珍しいものが見れたと、玲華がご機嫌にPCの液晶へ目を向けようとしたところで、麻里が再び玲華の前に立った。


「翠さんからの件でもう一つ、報告があります」

「ああ、まだあったの? 何?」

「はい。こちらをご覧ください」


 そう言って渡されたのは、綺麗な紺色のネクタイだった。


「ネクタイ?……あら、これって……」

「はい、手縫いのものです。片田舎に隠居した高齢の職人が作られたものだそうで、翠さんが送ってきました」

「へえ? じゃあ、イタリアの熟練した職人の仕事ってこと? 流石に見事ね」

「ええ。私もそう思います。翠さんが言うには、その職人の方、一線を引いて田舎に隠居したはいいものの、暇を持て余して結局仕事に明け暮れてるということで。こちら他のネクタイの写真になります」

「ああ……」


 広げられた写真を眺めながら玲華は苦笑する。

 熟練した職人が引退したにも関わらず腕が錆び付くのを嫌って、結局仕事をしてしまうなんてことはよくある話だ。


「その上、儲けるつもりで作った訳でないということで、出来た分は生地を買うのに必要な分だけ、近所の方に売ってるということで、この品質のものが家にゴロゴロと転がっているそうです」

「それは……勿体ないわね」

「ええ、そこで翠さんが交渉しまして」

「なるほど……流石ね」


 いつもながら思うのが、どうやってそのような職人と知己を得るのか不思議でならない。


「ですが、暇を潰すために仕事をしてるというだけあって、数の安定が望めない上に、納期も設けられません」

「……イタリアの職人さんだものね。それも隠居した」


 全員が全員という訳では無いが、イタリアの職人はその地の気候の陽気さもあって、気分屋が多い。


「なので、とりあえず家にあるものを引き取らせてもらうよう話を進めたいそうです。そして、時間が経ったらまた引き取りに行くという形はどうかと、翠さんから提案が来てます」

「ふむ……定期的に数は望めないけど、この品質のものね……」


 ネクタイを掲げて検分する玲華に、麻里が思いついたように言った。


「あ、ちょっと社長つけて見せてもらえませんか?」

「ああ、それもそうね」


 着心地を確かめるということで、玲華は手早くブラウスの上で締めてみた。


「うーん……質感というか、素晴らしいわね――どう、麻里ちゃん?」


 感想を聞いてみると、麻里は目を鋭くして検分した後に、感嘆した声を出す。


「ええ、素晴らしい仕事ですね。社長の無駄に大きいおっぱいの上に乗っても存在感がしっかりしている上に、よれる気配もしません」

「ちょっと――!?」


 玲華が抗議の声を上げるも、麻里は反応せずスマホを構えた。


「あ、宣材で使うかもしれませんから写真撮っておきます。じっとして下さい」

「もうっ――!」


 文句を言いたいが、宣材と聞いて玲華は黙って大人しく写真を撮られることにした。


「――はい、けっこうです。それで、如何しますか?」


 撮影を終えて何事も無かったように問うてくる麻里に、玲華はため息を吐いた。


「はあ……そうね、安定して数が見込めないのなら一層のこと贈答品や賞品に使うっていうのもいいかも。あ、契約は勿論する方向で」

「……かしこまりました。ですが、贈答品や賞品というと……?」


 要領を得ない様子の麻里に、玲華は説明する。


「仕事でお世話になった方への贈答品よ。喜ばれるんじゃないかしら、これは? 賞品に関しては社内の成績優秀者へ賞品として――いえ、違うわね。記念品とかどうかしら? 成績だけでなく仕事への姿勢、協調性、周囲へ良い影響を与えたかとか、何かしら目を瞠ることを為した社員を讃える機会を作って、その時に労いを込めて記念品として送るのよ。その際は社のロゴをわかりやすい位置にネクタイへ入れたいわね」


 説明を受けた麻里は黙考した末に感心したように唸った。


「……いい、かもしれませんね。受け取った社員は自信がつくと共に、これからも張り切るでしょうし、受け取ったネクタイもただの記念品というだけでなく実用性もある素晴らしい作ですから、それを付けて誇らしい気持ちで会社に来るという訳ですか。そしてそれを見た他の社員も次は自分がとモチベーションもアップ出来る……流石ですね」

「ふふっ、でしょう? でね、今思いついたんだけど、記念すべき最初に贈る対象の内の一人は、仕事の量から考えて残業時間が少ない社員――なんて、どうかしら?」


 その内容から玲華が何を考えているか察した麻里は、軽く目を見開いた。


「企画開発事業部へのメッセージとしても使うという訳ですか」

「その通り」


 ウィンクして肯定する玲華に、麻里は感嘆したように首を振る。


「素晴らしいですね……付け加えるなら、その際ですが、社長が自らネクタイを巻いて上げると、より効果的かと」

「えっ……私が直接……? そうかしら……?」


 労いのメッセージと共に手渡しするつもりだった玲華は戸惑ったが、麻里は躊躇なく頷いた。


「ええ、間違いありません。その現場を社員全員が観ていることが一番大事ですが」

「それはその時の光景を録画した動画をサーバーに上げてれば簡単だけど……」

「それもいいですが、その際は各部に設置している液晶で観れるように中継しましょう。絶対その方がいいです」


 強く言う麻里に押されて、玲華はコクコクと頷いた。


「じゃ、じゃあ、そうしましょうか」

「はい。では、翠さんにネクタイに我が社のロゴの刺繍を頼めるか聞いてもらいますね」

「そうね、お願い」

「はい。賞賛する対象の社員もこちらで、ある程度見繕っておきますか?」

「ああ、お願いするわ。残業のことだけでなく、色々な理由で五人ほどがいいかしらね、最初は」

「かしこまりました」


 一礼した麻里は机の上に広げられた写真を片付け始める。それを横目に玲華は、少し冷め始めたコーヒーを口に含んだ。


「あ、そうそう、この写真現像してきたので、どうぞ」


 麻里がそう言って、片付けた机の上に別の写真を広げたので、玲華はカップに口をつけたまま小首を傾げて目を落とし――


「げほっ――!」


 ――噴いた。

 広げられた写真に写っていたのは、玲華と大樹のツーショットだったのだ。

 カップに口をつけたままだったのが幸いし、今回も・・・噴いたコーヒーはカップが受け止めたため、写真の上にぶち撒けられるという惨事は免れたのである。


「ちょ、ちょっと何よこれ――!?」


 顔を真っ赤にした玲華はハンカチで口元を拭いながら、麻里へ叫んだ。


「何って写真ですが……?」


 それが何かと言わんばかりの顔をする麻里に、玲華は憤慨して追及する。


「すっとぼけたこと言ってんじゃないわよ!! なんでこんな写真があるのかって聞いてんのよ!?」

「何でと言われましても……隠し撮りしたからとしか……」

「そこは堂々と言うのね!?」

「何であるのかと聞かれましたので」

「そういう意味じゃないってんでしょ! いつまで惚けたこと言ってんのよ!?」

「少し落ち着いて下さい、社長」

「誰のせいよ――!?」


 机を叩いて立ち上がる玲華に対し、麻里は落ち着き払ったまま口を閉ざしている。

 玲華は荒れた息が整ってから、ゆっくり口を開いた。


「それで――? これはどういうことなのか教えてもらえるのかしら?」

「はい。先週に先輩(・・)が映画のチケットを二枚持って帰ったのを確認したので、ああ、大樹くんと行くつもりなんだなと察し、先輩の家の近くの映画館に撮影班を待機させました。その成果がこちらです。なかなか良い出来栄えだと思うのですが、如何でしょう?」


 そんなことを宣われて玲華は、頭痛を堪えるように額に手を当てた。


「も、もう、どこから突っ込んでいいのか……」

「写真ですか? 撮影班が男中心だったため、大樹くんより先輩に焦点が集まってしまい、結果的に大樹くんピンの写真が少なくなったのは反省すべき点だと自負しています、申し訳ありません。ですが、この写真なんかいい感じに大樹くんが――」

「どこに反省してんのよ!?」


 更なる突っ込みポイントに対して、玲華が思わず叫ぶも、麻里はやはり反応せずに一枚の写真を手に取って玲華に突き付けたのである。


「――ほら、見てみてください。この大樹くん」

「ちょっと、麻里ちゃ――っやだ、大樹くんが見たことないぐらい柔らかく笑ってる!?」


 玲華は我を忘れて、写真へ目が釘付けになった。


「あと、これとこれとこれも――」

「嘘!? 私、大樹くんがこんな風に笑ってるとこ見たことないのに!?」

「やはりですか……」

「え、何、どういうこと!?」

「恐らくですが、先輩と目が合ってない時や、先輩の後ろにいたりなど、とにかく先輩が大樹くんを見てない時だけ、こんな風に先輩を見ているのだと思われます」

「え……? わ、私こんな風に大樹くんに、み、見られてた、の……?」

「はい……何と言いますか、率直に言って、すごく愛されてますね。それが良くわかる横顔です。これは」

「――っ~~……」


 口をパクパクとさせながら耳まで真っ赤になる玲華。


「――そして、大樹くんに笑いかけてる先輩の写真がこちらですが――ゆるゆるです。デレデレですね。恋すると先輩はこうなるんだなと、しみじみと思わされました」

「や、やだ、ちょっと――」

「そして、見てください。この手を繋いだ時の先輩のニヤケ顔。この世の幸せの全てを掴んだかのような顔」

「きゃー!? やだ、やめてー!?」


 麻里が示した通りにだらしない笑顔の玲華が写った写真を、玲華は慌ててひっくり返す。


「そして、これが私のお気に入りの一枚ですね。手を繋いでいる二人の後ろ姿なんですが、夕陽がいい感じに当たって――」

「あ、やだ、本当にいい感じ――」

「そしてこちらがその写真の正面バージョンですね。先輩と大樹くんの二人とも少し照れてる感じなんですが、その表情が何か似てるように見えるというか……ともかく、一番素敵な写真だと思いました。これを撮った人自身も『奇跡の一枚だ』と仰ってました」

「こ、これは――!?」


 玲華がかぶりつくようにその一枚を凝視する。


「――ま、麻里ちゃん、この写真なんだけど……」


 玲華が躊躇いがちに問いかけると、麻里は「わかってます」と言いたげで、それでいて仏のような笑みを浮かべて頷いた。


「はい、もちろん、この写真は全て先輩にお譲りするために用意したものです」

「麻里ちゃん――!!」


 感極まった玲華は机越しから麻里に抱き着いた。


「いいんですよ、先輩……大樹くん、私が思っていた以上に優しそうな人ですね?」

「そ、そうなのよ! 大樹くん、すごく優しいのよ!!」

「良かったですね、先輩……」

「うんうん、ありがとう、麻里ちゃん……」


 この後、玲華はご機嫌に写真を眺めつつ仕事に戻ったのだった――何故、そんな写真があるのかという根本的なことを忘れて……。

 

 

 

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