第四十七話 自らやったことは一切ない
「はいはーい! 先輩って、元ヤンだったんですか――!?」
居酒屋に入り、乾杯と注文を済ませてから夏木が手を挙げて唐突に言い出した。
「……夏木、お前な……」
空になったグラスをテーブルに置いて、大樹はげんなりとため息を吐いた。
「いやいや、だって今日の課長に対する先輩、めっちゃ怖かったんですが!!」
「む……そう言われるとな……お前らを怖がらせるつもりはなかったんだがな……そうだな、すまなかった」
対面の夏木だけでなく、斜めにいる工藤、隣に座る綾瀬に向かって大樹は頭を下げた。
「ちょ、ちょちょっと待ってください、先輩!?そんな私、謝ってもらうつもりなんて!?」
途端に慌て出す夏木に、綾瀬と工藤が非難の目を向ける。
「もう穂香……先輩、頭を上げてください。私達は先輩にその気が無かったことも、だけでなく課の皆のために課長にああしたことぐらいわかってますから」
「そうっすよ、先輩。いや、そりゃ確かに俺も先輩にビビっちゃいましたけど、今思えば痛快で仕方なかったっす」
「そ、そうそう! 先輩が私達のためにああしたことぐらいわかってますよ!!」
便乗するようにそう言う夏木を見て、顔を上げた大樹は思わず苦笑を浮かべる。
「まあ、それならいいのだが……けどな、お前らが言ったような意味などなく、単に腹が立ったから怒鳴ったかもしれねえぞ?」
「いやー、だとしても先輩にはその権利があると思うっす」
「そうよね。言ってしまえば、先輩ってゴミ課長が普段してることを少ししただけとも言えるし」
「ねー? それにしても、あの時の先輩にビビってるゴミ課長の写真を一枚でも撮っておけば……!」
その手があったかと夏木を凝視する綾瀬と工藤。
「ほ、本当ね。写真だけでなく、動画も撮っておけば……! そしたら面白かった課長だけでなく、あのワイルドな先輩の雄姿も……!」
「俺、多分あの時の動画あれば、一日中エンドレスで眺めれる自信ある」
「ねえ! 色んな意味であの時の光景は残しとくべきだったよね!!」
そう言っては悔しがりつつワイワイとする後輩達に、大樹はホッとしながら苦笑を浮かべた。
対象が対象とは言え、五味と同じようなことをしたがために、自分へマイナスの感情を持ったりしないだろうかと少し不安になっていたのだが、この調子では大丈夫のようで安心したのだ。
「まあ、今日俺がしたことはとても褒められたことではないと自覚しているが、そう間違ったことを言ったつもりはねえ。それよりも、あのゴミを今日はなんとか大人しくさせることが出来たが、これからもずっとそうだとは到底思えん。あいつの性根がそうそう変わるなんて期待はとてもじゃないが出来んからな」
大樹の言葉に、後輩達は「確かに……何だかんだ言って、あのゴミだし……」と各々頷いている。
「だが暫くは落ち着けるだろう。その間に、仕事を進めつつお前らは転職活動に集中するんだ。いいな?」
五味が再び調子に乗るまでに後輩達の転職に目処がつくのがベストであるが、それは出来過ぎであろう。だが、それまでの間は今までより快適に過ごせるのは間違いないはずだから、その隙に頑張ってもらいたいところである。
大樹のそういった思いを違えず受け取った後輩達はそれぞれ強く頷いた。
「――それで、先輩。実際どうなんですか? 元ヤンだったんですか?」
シリアスになった空気を弛緩させるように、夏木がまた聞いてきたが、今度は工藤と綾瀬も便乗してきた。
「あ、俺もちょっと思いました。あの時の先輩はちょっとばかり堂が入り過ぎていたって言うか……」
「確かにそうね。何て言うか……そう、何となく手慣れていたというか……」
どうなんですか、といった三対の目を向けられて、大樹は複雑に眉を曲げて小さく息を吐いた。
「言っておくが、俺がヤンキーだった事実はない」
「……まあ、やっぱりそうですよね……」
そう言って納得したようなそうでないような顔で頷く夏木。綾瀬と工藤も似たような顔をしている。
そんな三人から視線を逸らしながら大樹は「だが――」と続ける。
「だが、学生の頃から……なんだ、俺のこの顔と大きめの体格のせいか、同じ学校の不良達から絡まれることが良くあってな」
「あ、あー……」と納得したような声を出す三人に、大樹は続ける。
「絡まれた末に襲いかかられたら仕方ない。俺は正当防衛として何度も不良達を返り討ちにし――」
迎撃でなく返り討ちという点と、何度もというのがポイントである。
その意味に気づいた後輩達が「お、おおー……」と引き攣った声を出す。
「――気づいたら、不良達から親しげに『兄貴、大樹、大ちゃん』などと呼ばれて付き纏われたりしたが――俺が自ら不良行為をやったことは一切ない」
頬を引き攣らせる後輩達に、大樹はキッパリと言い切った。
「な、なるほど……でも、それって外から見たら――」
「綾瀬、皆まで言わんでいい」
綾瀬の言わんとすることを、大樹はその一言で止める。
そう、絡まれるのが親しげに囲まれる形に変わると、大樹も同じく不良のように見られるということだ。
「あ、はい。すみません」
神妙に頭を下げる綾瀬に、夏木と工藤が苦笑しつつ、だが納得したような顔になる。
「なるほどねー、地元で不良を相手にすることが良くあったから、ああも堂に入ってた訳ですか」
「襲いかかってくる不良に比べたら、権力傘に来て威張ってる課長は全然怖くないってことっすか……」
そう言われて大樹も少し考えてみる。
「まあ……もしかしたらそうなのかもしれんな。だなが、その不良連中もちゃんと話せば中々に気のいいやつも多くてな。学校卒業した今でも、地元から離れてるのに飲みに誘ってくれたりな……まあ、なんだかんだ言って、友人やってる俺も俺か」
苦笑しながら話すと、コクコクと頷く後輩達。
「いや、わかるっす、その人達が先輩のこと好きになるの。俺だって、たまに先輩のこと兄貴って言いそうになる時あるっすから」
「だよねー。なんだかんだ言って先輩、その人達の面倒見てたりしたんでしょ?」
「ねえ、私もそう思う。多分だけど、先輩、その人達にこれはやっては駄目だとか、注意したりなんて時もあったんじゃないんですか?」
最後の綾瀬の言葉に、大樹は目を丸くした。
「……よ、良くわかったな、綾瀬……夏木も……」
実際、大樹の目の前で不良達が、ただ人の迷惑にしかならないことをしている時に、何度か注意したことがあったのだ。それで再び衝突しかけたこともあったが、根気よく何故ダメなのか時に物理も交えて話して聞かせたことがある。更には、家に帰っても食うものがないし、出ないなんてボヤいてる連中に、自宅の店で飯を食わせてやったこともあったのだ。
「そりゃーわかりますよー、先輩のことなら! むふふ」
「そうですよ。私達だって、先輩のお世話になってるんですから。ねえ?」
そう言って得意げに笑い合う後輩達に、大樹は照れ臭くなるのを誤魔化すように渋面を作って、ビールを飲もうとしたが、手に持ったグラスが空なのに気づく。
「――どうぞ、先輩」
すかさず綾瀬が酌をしてくれて、大樹は少々バツが悪い思いで、注いでもらったビールを飲み干した。
「――はあっ。まあ、この話はもういいだろ。綾瀬、お前達の希望の転職先リストを見せてくれ」
そう言うと、綾瀬は少し顔を引き締めて、ジャケットの胸ポケットから折り畳まれた紙を取り出し、大樹に手渡した。
「はい、こちらになります」
受け取った大樹は、早速とばかりに開いてザッと目を通す。
企業名がズラリと並び、その横に誰の希望かという意味で名前が書かれている。
中には二人が希望、三人が希望している企業があったりする辺り、三人で相談しながら探したのだろうことがわかる。
「ふむ……わかりやすいが……しかし、これは……」
並んでいる企業名の中には大樹が知っているものも多少あり、その企業について記憶を掘り起こした大樹は、思わず顔を顰めた。
「お前ら、これは……もしかして、グレーゾーンにありそうなのをリストアップしたのか?」
全部が全部では無いが、際どそうな企業名が目立ったためだ。
すると綾瀬が苦笑して、頷いた。
「そうですね。候補を挙げた中で、もしかしたら黒いかもと思うところを中心にリストアップしました。中にはもちろん、普通に行ってみたいと思うところもあります」
「ふむ……なるほど……これは、もしかして大手は省いたのか?」
「ああ、大手というよりは……間違いなく黒では無いだろうと思うところは省きました」
「ふむ……確かに、そう見えるな……了解した。調査を頼んでおこう」
「ありがとうございます、お願いします」
後輩達が揃って頭を下げる。
「ああ、俺も頼む身ではあるが、まだ出るなら遠慮なく言え。それとだな――」
顔を上げた三人が首を傾げて、大樹言葉の続きを待つ。
「一応、その間違いなく黒でないと思ったところも今度でいいから、リストアップしたものをくれ。俺としては、お前達が希望しているところを把握しておきたいからな」
「え? ですが――」
「わかってる。そういうことでなく、もしかしたら、その企業に俺の知り合いがいないなんてことも限らん。そしたら、何かしらの援護が出来るかもしれんしな。だから、次はそういったものも含めて全ての企業名のリストをくれ」
「ああ、そういう――すみません。気を回し過ぎた私のせいで、二度手間になりましたね。申し訳ありません」
「構わん、気にするな。こんなのミスの内に入らん。仕事では、お前のその気遣いにいつも助けられてるしな」
「は、はい、ありがとうございます、先輩――」
頬を染めて嬉しそうにする綾瀬を見て、夏木が唇を尖らせた。
「もう、いつも恵ばっかり……先輩! 私も最近役立つようなりましたよね?」
「うん?……最近も何も、お前も工藤も十分に役立ってくれてると認識しているが?」
「あ、お――そ、そうかもしれませんが、なんか恵より扱いが雑な気がします!」
大樹の言葉を受けて照れたようにまごついたが、それを隠すようにテーブルをバシバシ叩く夏木に、綾瀬と工藤が噴き出し気味に苦笑している。
「俺は別にそんなつもりは無いのだがな……ふむ……そうだな、綾瀬は仕事が良く回るように、その辺を色々と助けられているが、対して夏木、お前には、いつも班の雰囲気を良くしてもらって、助けてもらっているなと思っているぞ」
「お、お、おお――?」
顔を赤くした夏木は、言葉の出し方を忘れたかのように変な声を出した。
「俺がゴミ課長なんかとやりあって、そのせいで俺がちょっとピリピリしてる時なんかは、よくお前が明るい声を出して、俺だけでなく班の空気を良くしてくれるな? あれには俺はいつも感謝してるぞ。俺の苛立ってる気分も和ませてくれてな、すぐ落ち着けて仕事が再開できるしな」
感謝を込めて話すと、夏木は耳まで真っ赤にして口をパクパクさせている。
「それに――」
更に大樹が夏木の良い所を話そうとすると、夏木自身に止められる。
「も、も、も、もういいです、先輩!!」
「――なんでだ? お前が雑だとか文句を言うから、どれだけ俺が感謝しているか――」
「い、いいですから! 本当にもういいですから! ありがとうございます、先輩――!」
「いや、感謝してるのは俺だというに――」
「は、はい! お気持ちは十分伝わりましたから! もう結構ですから!!」
そう押し切られて大樹は「一体何だというのだ」と困惑しながら、話すのをやめることになった。
そんな大樹と夏木の様子を、綾瀬と工藤は肩を震わせながら見ていたのだった。
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