第四十六話 どんな気分だ……?

 

 

 

「――黙れよ。いい加減わかれ。お前のそれは俺に通じないってな。うるせえだけだし、仕事に集中してるやつの邪魔になるだけだ。それにそんなに怒鳴らなくても聞こえる――これは今までにも何回も言ったな? なのに、お前は繰り返す。学習能力がない――ほら、考える頭なんかねえじゃねえか」

「て、てめっ――」


 五味は自分より長身の大樹に詰め寄られ、それに気圧されたようで、言い返す力が弱い。

 大柄でハードワークのせいで些か衰えたとは言え筋骨隆々な大樹と、中肉中背で散々飲み歩いているために腹も出ている五味、両者が立って凄んだ場合、どちらの方に迫力があるのかなんて一目瞭然であり、両者の足の動きもそれを物語っていた。


「だから、すごんでも無駄だって言ってるだろうが。うるせえだけだってな」


 更に詰め寄り、怨敵を見据えているかのような目を向けられた五味は、口を開こうとしたが、声の出し方を忘れたかのようにパクパクと開け閉めするだけだった。


「いいか? 脳みそをどこかに置き忘れたとしか思えないお前に丁寧に説明してやる。もう一度言うが、怒鳴っても無駄だからな。本当にうるせえだけだからな。黙って聞けよ――?」


 有無を言わさぬ口調の大樹に、五味はなんとか声を絞り出して返してきた。


「な、なにを――」

「いいから聞け――お前、この会社がどういう状況か本当にわかってないのか?」

「……ああ?」


 何を言ってんだこいつはなんて目を向けてくる五味に、大樹は眼前で舌打ちをした。


「ちっ……わかってようが、わかってまいが、どっちにしろお前が考え無しとしか思えないのに違いは無いがな」


 途端に目に怒りを戻した五味に、大樹はそれ以上の怒りと蔑みを含んだ目で返すと、それによって五味は開きかけた口を閉ざされた。


「――っ」

「もう一度言うが黙って聞けよ? あの二代目の阿呆が社長を継いでから、どんどん業績が落ちてるな? 一番の原因はあの社長がどこかで聞きかじったようなつまらんことを言っては、それを俺達に実施させて失敗を繰り返してるせいだが、次点であの社長が肝煎りで雇ったお前含む社長一派のせいだ――お前みたいに自分の意に沿わなければ怒鳴って言う事を聞かせようとするクソガキみたいな、それしか能が無いとしか思えないお前らのことだ」

「てめえっ――!!」


 憤怒に顔を染めて吠える五味に、大樹はそれ以上の迫力と声量で応えた。


「黙って聞けと言っただろうがっ――!!!!」


 怒りが質量となって伴ったようなその怒声に、室内にいる者達は飛び上がらんばかりに驚いた。

 すぐ後ろにいた綾瀬などひっくり返りかけて机に掴まっている。夏木もだ。工藤など椅子ごとひっくり返ってしまった。

 対して目の前でそれを受けた五味は、腰が抜けてしまったのか尻餅をついている。

 大樹は射殺さんばかりに眼光を鋭くしたまま、五味と視線を合わせるために片膝をつくと、五味は顔面を蒼白にして後ずさろうとしたが、腰が抜けてるせいか然程距離は開かなかった。


「今更お前に大した期待などしていない、今はおとなしく俺の話を聞け。それぐらいは出来るだろ……?」


 蛇に睨まれた蛙の如く、五味はコクコクと頷いた。


「よし、そのままおとなしく聞けよ? 続きだ――この会社はてめえらのせいで、今や完全な泥船だ。だというのに、あの社長もお前もまったく変わりやしねえ。そんな中であの社長の言う事をそのまま聞くってのは、更に会社を悪くするってことだ。つまりあの社長の言う事を無視して、それをやってる振りでもするだけで少しはマシになる。それぐらいはお前にも理解できるな……? それとも、お前、あの社長が有能だと本気で思ってないだろうな……? それだと、本気で救いようがねえが――どうなんだ。ここだけは本音で話せよ。さもないと、回答次第では、お前は本当にどうしようもない愚か者だと、ここにいる全員に公言することになるからな」


 大樹が細めた目で促すと五味は、ゴクリと喉を鳴らして、躊躇いがちに口を動かした。


「い、今まで社長が言ったこと、と、それを実施した結果を鑑みると……ゆ、有能とは――い、言い難い……」

「はっ、言い難い、か――まあ、いいだろう。となるとだ、社長が何かを命令した時は、それをしないのがベター、更に言うなら社長の命令は実施されていると社長に勘違いさせることがベスト。だな――?」


 嘘を吐くのは許さないと大樹が目力を入れて睨むと、五味は顔を歪ませながら躊躇いがちに頷いた。


「これがわかったのなら話は早い。さっき俺が社長の言う事に従う訳が無いと言ったのは、そういうことだ。わかるな……?」

「……っ、あ、ああ、そう、だな……」

「すると当然、お前の命令など従ってられる訳などない、ということだ。何せ、あの社長が言ったことだ。今までも思っていたことだが、俺は余計にお前に従う気など無くなった」

「――おまっ……」


 五味が反攻の意思を目に宿らせようとしたが、大樹は五味の肩に静かに手を置くことでそれを抑えた。


「――黙れよ」

「――っ……」


 肩に置かれた手から大樹の怒り様が伝わったのか、五味は一瞬目に怯えの色を浮かべて押し黙った。


「お前は本当に状況を理解してないようだな……いいか? お前が今まで通りに、お前だけが楽するようなクソみてえで考えがかけらも感じられない采配を続けていれば、この課の業績はどんどん落ちる。釣られて他の課の業績も落ちる。事実、落ち続けているな? そして社長がまた思いつきでくだらねえこと言ってから、お前が何も考えずにそれを受け入れ、やれと命令してきて、それを実施すると、いつもみたいにクソみてえな結果が出る。こんなことずっと続けてみろ――そしたらどうなるか、お前本当にわかってんのか? なあ?」

「……と、倒産する、とでも言いたいのか、お前は……?」

「わかってんじゃねえか」

「ば、馬鹿を言うな!! 社長はっ――」


 社長に何か言われて安心してるのか、そんな訳あるはずがない。


「その社長は無能だとお前も認めたんじゃなかったのか? なあ、あのクソ野郎が言ったことに今まで一円だって価値があったことあったか? あいつがこの会社は大丈夫だって言ってたとして、信頼性なんてまるでねえと思わねえのか?」

「お、お前……」

「まだだ。聞け――お前のことだ」

「お、俺が、何だ……」

「お前、この会社が倒産した時に転職の当てあんのか? お前みたいに怒鳴って言うことを聞かせようとするしか能が無いお前に」

「――っ! こ、高卒のお前にだけは言われる筋合いはねえぞ!!」


 その発言に対し大樹に苛立ちはない。あるのは、またかと呆れの感情だけで、それを大きなため息と共に吐き出した。


「またそれか。お前はそうやって、自分より下がいると思い、その下を見て安心し、悦に入る。なあ、いつ俺の話になった? 今はお前の話をしてんだよ。お前の転職先について話してんだよ。高卒の俺より遥かに能が無いと思われてるお前の転職先について話してんだよ」

「お前っ……!」

「無いんだろ、どうせ。なあ、この会社が倒産した時に、一番困るのは誰だ? 一番で無いにしても、怒鳴るしか能の無いお前は相当困るんじゃねえのか……?」

「て、てめえっ――!」

「……碌に言い返すことが無い辺り図星だろ」

「くっ……」


 悔しげに唸る五味に、大樹は再度ため息を吐く。


「……それで状況は理解できたか?」

「……ああ?」


 まだ凄もうとしているのか、五味のそんな返事に、大樹は再びため息を吐く。


「お前って本当にアホみたいだな。この会社が倒産して困るのはお前だろうに、その倒産に向けて拍車をかけてるのがお前とあの社長なんだぞ。今までの調子――つまりはお前や社長の言うことを聞くと、倒産に向かってどんどん進んで行く訳だが……いいのか、お前はそれで?」

「――っ!!」


 五味の目にようやく理解の色が浮かび、足りないとしか思えない頭をようやく回転させ始めたようだ。考えているのは恐らく、会社の倒産の回避よりも己の保身であろうが。

 少し待ってから大樹は口を開いた。


「ようやく状況を理解し始めたお前に、もう一度言ってやる。今日社長はお前の命令に従えと俺に言った。だが、社長の命令ってのは全て悪手と言っていい。つまり、俺がお前の命令を聞くのは悪手ってことだ。だからお前の自分が楽をしたいというのが透けて見える命令など絶対に聞かん。元より、お前のは命令でなくただの無茶ぶりだがな――けど、これがお前のためでもあることは、わかるな……?」


 五味は何も答えず、視線を逸らして舌打ちを返した。一理あると思えたのだろう。


「わかったようだな――? なら、もう今までみたいなくだらねえ命令なんて出さず、お前も真面目に仕事しろ。いいな――?」


 ここまで言われて、それも部下に言われたからだろう、五味の目に再び怒りの火が灯り――


「てめえ、調子に乗って――」


 大樹は最後まで言わさず、ありったけの力を込めて叫んだ。


「わかったかって聞いてんだっ――!!」


 今度はアチコチから、背後からも含めて椅子がひっくり返ったような音が届いた。

 対して五味は「ひいっ――」と小さな悲鳴を上げて、後ずさろうとしたが、すかさず大樹は五味のネクタイを掴んで止めて凄んだ。


「わかったかって聞いてんだ! 答えろっ――!!」

「わ、わかった! わかったから――!!」


 ガクガク震え怯えながら答える五味に、大樹はとことん白け、突き放すようにネクタイから手を放し、立ち上がった。


「お前――自分がされたらそれだけビビッておいて、よくまあ毎日のようにあれだけ人に対して怒鳴れるな……? 少しはわかったか? 怒鳴られる人の気持ちってのが」


 どこまでも見下した目で見下ろされた五味は、ハッとして大樹を見上げる。


「ああ、そうだよ。普段、お前がやってることだ。こんな胸糞悪いことをよくまあ、飽きもせず毎日やれるな……?」


 自分への当てつけだったと気付いた五味が、悔しげに、だが怒りの灯った目を大樹へ向けようとした時だ。

 ダメ出しとして大樹は己の机を軽く蹴る。それは軽くとも、大げさに音が鳴り、すぐ傍にいた五味が再びビクッと震える。


「――これもお前が普段からやってることだ。なあ、されてどんな気分だ……?」


 こうまで言われて五味は悔しげに歯を食いしばり、大樹を睨みつけるが、真っ向からそれを迎えた大樹がこの睨み合いを制した。

 そして五味は大樹からゆっくり視線を外すと、舌打ちをして立ち上がり「ふんっ――」と鼻息荒くして、何も言わず振り返って自分の机へと足を進めたのである。

 その背に向けて、大樹は大きくは無いが凄んだ声を放った。


「――やれよ、仕事。前にも言ったが、てめえのケツぐらいてめえで拭け」


 すると五味はピタッと立ち止まり、舌打ちをすると、振り向かず言い返すこともせず、すぐ足を動かした。

 そして席に着くと、苛立たしげでありながら不貞腐れたような顔で、PCに向かって作業を始めたのである。

 それを見て大樹は一息吐いて振り返ると、呆然と自分を見つめる後輩達が目に入った。


「……あー……少し、顔を洗って頭を冷やしてくる」


 コクコクと頷く後輩達に見送られ、大樹は手洗い場へと向かったのであった。


(……ちょっと、やり過ぎたか……?)

 

 

 

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