第四十二話 勝手にハマっている
「はわわわ――ふぁわわわ……」
玲華が感嘆しているのか、よくわからない声を出し、忙しなくテーブルをグルグル回りながらスマホのカメラで食卓をパシャパシャと撮っている。
「す、すごい――私の家のテーブルの上にこんなにも美味しそうな料理が彩りよく並んでいるなんて――!!」
感無量といった様子の玲華に、大樹は苦笑を浮かべずにはいられなかった。
テーブルの上には、水菜と玉ねぎと大根のサラダ。水菜の緑が下に、その上に大根が白い山を作り、同じく白い玉ねぎが乗っているが、その上には梅で作られた赤いドレッシングだ。大根と玉ねぎの上にかかっているせいかピンク色に見え、見栄えという点では、これが一番かもしれない。
その隣には半分にカットされたミニトマトのマリネだ。ミニトマトはそれがあるだけで一層食卓に色がつくように見える。
そしてほうれん草とコーンのバター醤油がけ。緑と黄色のものが横に並ぶことで、これら前菜の色合いがグッと落ち着いたように感じる。
買ってきた様々なパンは玲華が綺麗にカゴに盛り、テーブルの中央に置かれている。
それぞれの席の前にあるスープはカボチャのポタージュで、黄色とオレンジの中間のような色合いで、香ばしくホッとさせるような匂いをこれでもかと発していて、横には玲華が盛ったライスもある。
そしてメインのハンバーグの皿には、ソースのせいで胃に対して暴力的な匂いが立ち昇っている。照りのある黒いソースの中に白いクリームで点々と模様があって、それが期待を高め、見てるだけで腹が減ってきそうになる。付け合わせとして甘く煮込まれたニンジンのグラッセに、バジルとブラックペッパーをかけられたベイクドポテトが添えられている。
「玲華さん、冷めてしまいますし、撮影はその辺にしてそろそろ食べましょう」
作っていた大樹自身も匂いのせいで、大いに腹を空かせている。
「あ、そ、そうね――! ええ、食べましょう、食べらいでか!」
変に気合いの入った返事が来て、大樹は軽く噴き出した。
「ぐっ――くっく、なんですか、それは」
「え、なにが?」
こてんと小首を傾げる玲華の様子から、先ほどのはどうやら無意識だったようだ。
ともあれ、玲華が大いに喜んでくれているのがわかって、大樹はもう食べる前から達成感と充実感が体中に広がるのを覚えた。
「はは、いいです。とりあえず、席に座りましょう」
「そ、そうね。あ、グラス持って?」
座って尚、ソワソワしている玲華は用意してくれていた瓶ビールを向けてきて、大樹はおとなしく注いでもらい、そして注ぎ返す。
「じゃ、じゃあ――大樹くん、こんなにも素敵なお料理作ってくれて、ありがとう! そしてお疲れ様――乾杯!」
「乾杯」
グラスをぶつけ合って大樹は調理中に乾いていた喉を潤すためというのもあって、グラスの中身を一気に飲み干した。
「――っはあ、美味え」
「――はい」
すると、すかさず玲華が見越していたように、瓶ビールをこちらへ向けながら微笑んでいる。
「どうも――玲華さんもどうぞ、食べてください」
「ええ――!」
玲華は箸を持つと、悩む様子も見せずに梅ドレッシングがけ大根サラダへ手を伸ばした。
それを見て前から思っていたことだが、玲華はメインにいきなり手を伸ばしたりせず、サラダや前菜から食べ進めていくタイプのようだとわかる。
いきなりメインから食べる人が悪い訳ではないが、サラダや前菜はメインの後に食べると、ボリュームや味の濃さといった点ではどうしても劣ってしまうから味がボヤけるように感じてしまう。なので全ての料理をちゃんと味わおうと考えると、メインの前に食べるのがやはり良いのだ。
だから玲華がよだれを垂らしそうなほど、ハンバーグに気をとられながらも、サラダからちゃんと味わおうとしてくれる姿は、作り手である大樹からしたら好感を覚える。
玲華は山盛りになってるサラダから、自分の分だけでなく大樹の分も小皿に乗せて取り分けた。
「いただきまーす――……!」
噛み進めるごとに大根のシャクシャクとした音が鳴った末に飲み込んだ玲華は、困ったように微笑を浮かべた。
「大樹くん、これ……なんか、食べれば食べるほどお腹が空きそうな……」
言ってる傍からお腹の鳴る音が響いて、玲華は顔を赤くして俯いた。
思わず肩を震わせて笑う大樹を、玲華はキッと恥ずかしそうにしながら睨んだ。
「は、ハメたわね――!?」
「くっくく――い、いや、待ってください。流石に玲華さんのお腹が鳴ることまで計算出来ませんよ」
「むう……怪しいわ……」
「そ、それより味はどうでしたか? 気に入りましたか?」
「ちょっと癪だけど……すっごく美味しい。大根と玉ねぎはシャクシャクして甘いし、水菜はいいアクセントになってるし、何より梅のドレッシングの酸味のせいでいくらでも食べれちゃいそう」
「それは何より。昼に生野菜を取り損ねたので、多目に作ったから、どんどん食べてください」
「……ずるい。そう言われたら怒るに怒れないじゃない」
「……怒ってるんですか?」
「……いーえ!」
そう言ってニッコリした玲華は、再びサラダを口に入れて、美味しそうに口端を吊り上げた。
そんな玲華を見て思わず大樹の頬が綻ぶ。だけでなく大樹も腹が一層減ってきたので、玲華が取り分けてくれたサラダを大口開けて頬張った。
すると口の中に広がるのはまず梅の酸味である。酢も混ざっているだけあるその酸味は、醤油と砂糖によってまろやかにされ、旨味が広まる。そして酸味のせいで唾液がジュワッと出てきて、早く口の中を噛めと急かしているように思え、そして噛めば大根と玉ねぎのシャキシャキとした食感と甘みである。そして飲み込む時に水菜の苦味が走って、後味が良くなり、また一口一口と食べたくなる。
「――うむ、美味い」
口端についたドレッシングを拭ってビールを飲んでいると、玲華がチラチラっとこちらを見ているのに気付いた。
「――どうしました?」
「べ、べっつにー? 何もないけどー?」
どこかつまらなさそうにそんな返事をする玲華に、少し訝しんだ大樹だったが、すぐに疑問は氷解し、また肩を震わせた。
「くくっ――俺の腹は鳴りませんでしたね」
「ぐぬぬ――べ、別にそんなこと考えて無かったし?」
どう見てもそう考えていた玲華が、強がるように言ってプイッと目を逸らす。
「そうでしたか、それは申し訳ないです。俺も鳴るかなと思ったんですが、こればっかりは俺の自由になりませんで――」
大樹がさも悔しがりながら言うと、玲華は顔を真っ赤にして抗議の声を上げた。
「違うってんでしょうが――!!」
大樹はもう我慢出来ずに声を立てて笑ってしまった。
「むー……」
ジト目になった玲華は唇を尖らせて「ふんっ」とそっぽを向いて、ほうれん草へ箸を伸ばして、焼けクソ気味に口に入れた。
「! うわ……美味しい」
目を丸くしてから玲華はまた一口とって頬張り、幸せそうに噛みしめている。
「ああ、それ美味いでしょ。作り方はこの中でも一番楽で簡単なんですが、俺の好物の一つですよ」
「うん、確かちょっと茹でて醤油とかかけてレンチンしたぐらいよね? すごく美味しい」
「ええ、バター醤油は一種の魔力がありますよね」
笑いが治まった大樹も、一緒になって一口頬張った。
ほうれん草とコーンのバター醤油がけ。名前の通りの味であるが、これの美味いところはホウレン草の単純な味が、バターの香ばしさと醤油のしょっぱさによって、どこまでも引き上げられている点か。更にここではコーンの甘味が加わって、食べ始めたらその食べ応えの軽さもあって、ついつい止まらなくなりそうになる。
「ねえ、大樹くん、これ止まらなくなりそう……」
ひょいパクひょいパクと箸を往復し続ける玲華に、大樹は苦笑する。
「気持ちはわかるが抑えてください……今度は、こっちでも」
ミニトマトのマリネを手で示し、大樹は玲華と一緒に半分にカットされているトマトを口に入れる。
オリーブオイルの風味が、優しくトマトの酸味を包んでいる。お菓子感覚でこれもどんどんと口に入っていきそうな一品である。
「うん、ミニトマト――って感じだけど、味が濃厚に思えるわね。あと、すっごくイタリアンって感じ?」
「生ものにオリーブオイルをかけると、それだけでグッとイタリアンに感じるマジックですね」
「え? そうなの?」
「ええ、例えばですが――刺身にオリーブオイルをかけて、レモン汁垂らして、ブラックペッパーでもかければ、立派なカルパッチョですよ」
「ああ――!」
覚えがあるのだろう。非常に理解した顔になった玲華。
「イタリアンも美味しいわよね。大樹くんはイタリアンは好き?」
「好きですよ。高校の時に少しハマって色々覚えましたね」
「じゃあ、やっぱりイタリアンも作れるんだ?」
「ええ。何か食べたいのがあるなら言ってくださいよ。大体は作れると思います」
「やん、嬉しい。じゃあ、食べたいの出来たらリクエストさせてもらおっかな」
「いくらでもどうぞ」
ニヤっと笑って返すと玲華はニコっとして、スプーンを手に取りスープに目を落とした。
「これカボチャのスープなのよね? ポタージュだったんだ……。ポタージュって家でも作れるものなのね」
感心した風な玲華に、大樹は苦笑する。
「ええ。見てたからわかると思いますが、スープメーカー使うと非常に簡単で楽に作れます」
「ふんふん――いい匂い」
匂いを十分に堪能してから、玲華はスプーンでスープを掬い、上品に思える仕草で口に運んだ。
大樹はホウレン草をもう一口食べてから、玲華と同じくスープを口に入れる。
途端にカボチャの濃厚な味と香りがクリーミーに広がる。文句無しに美味かった。これがスープメーカーに材料を突っ込んでボタンを押しただけとは思えないほどだ。
大樹が出来栄えに頷いていると、玲華がほうと満足感溢れる息を吐いた。
「ふふっ――美味しい。今すごくレストランに来てる気分になっちゃった」
「ポタージュはそういうところ確かにありますね」
「うんうん――あ、これパンにつけて食べても美味しいんじゃない?」
「文句無しに美味いと思いますよ」
ニヤリと笑って大樹はカットされたバタールをとって、スープにつけて齧る。玲華も競うようにしてパンを手に取りチョンとスープにつけて口にする。
スープを吸ったパン生地はそれだけでボリューム感が増す。更にはバタールの皮生地のパリっとした食感もまた心地良い。
「んー、美味しい……パン自体も美味しいわね、これ」
「ええ、いい腕です」
パン屋の職人に大樹は賞賛の言葉を贈ると、玲華がクスリと笑う。
そして手に残ったパンを頬張ると、玲華は居住まいを正し、ふんすと気合いを入れたような顔になってハンバーグへ目を向けた。
「それではいよいよ、このハンバーグちゃんを――」
その言葉に大樹は軽く噴き出しながら、玲華と同じくハンバーグに箸を刺し入れた。するとすぐ様、刺さった部分から汁が滲み出てきた。
それに気づいた玲華が目を丸くするも、続けて箸を動かして一口分ほどの大きさを切り離す。
玲華が思わずな様子で驚きの声を上げたのはこの時だった。
「す、すごい……だ、大樹くん、これ肉汁なのよね? すごい勢いで流れ出てくるんだけど」
玲華がそう言った通りに一部を切り離されたハンバーグの断面からは、金色がかった肉汁がスープのように溢れ出ている。
「――ええ、思った以上に良い出来ですね。手を冷やして作った甲斐があったってとこですかね」
「多分それだけじゃなく大樹くんの工夫があると思うんだけど……そうね」
マジマジとハンバーグを見ながら相槌を打った玲華だが、ハッとなった顔に焦りの色を浮かべた。
「ね、ねえ!? 私がその……アレ――ポンポンしたやつは大丈夫なの!? ちゃんと出来てる!?」
どうやら空気抜きの言葉を思い出せなかった玲華のその物言いに、大樹は肩を震わせた。
(さっきは知ってたのに……)
「大丈夫ですよ、ちゃんと美味そうに出来てます」
「そ、そっか。よかった……私のせいで大樹くんの仕事、台無しにしたらどうしようかと思ってたのよね」
「はは、そうでしたか。でも俺は玲華さんが丁寧にやってくれてたのを見てましたから、何の心配もしてませんでしたよ」
大樹が笑い飛ばすと玲華は頬を染めて口をモニョモニョさせた末に、嬉しそうに微笑んだ。
「そう、ならよかったわ」
「ええ――じゃあ、冷める前に食いましょう」
「ええ――!」
頷いた玲華は大樹と同じタイミングで、ハンバーグを口に入れた。
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