第四十話 おかえり

 

 

 

「ただいまー」

「ただいま……? いや、お邪魔します?」


 共に帰宅して玲華が当たり前のように口にした言葉に、大樹もつられて口にすると、いや違うのでは無いかと言い直したのだが、それも違う気がした。何故なら、大樹もこの家から出発して帰ってきたのだから。


「あっはは、そこはもう『ただいま』でいいじゃない。ここから出て、ここに帰ってきたんだから」


 そう玲華にも言われて、大樹は苦笑を浮かべて言い直した。


「……ですね。ただいま」

「――はい、おかえりなさい」


 ニコッとしてそう言ってくれた玲華に、大樹の胸にほんのり暖かいものが走った。


「――ええ、玲華さんも。おかえりなさい」


 大樹も返すと、玲華はキョトンとして何故か照れ臭そうに頬を染めた。


「あ、そっかー。あはは、なんか新鮮ね」

「でしょうね。俺もでしたから」


 お互い一人暮らしだから「おかえり」の言葉は滅多に聞かないのだ。

 そのことから苦笑し合った二人は、靴を脱ぎリビングに入ると、ここまで繋ぎっぱなしだった手に互いに目を下ろした。

 そう、ここまで殆ど繋いでいたのだ。

 カフェで座って休んでいる時はともかくとして、移動している時や、パン屋でパンを選んでいる時も、片方がトレイを持ち、片方がトングを持ってと、とにかく繋いでいたのだ。

 その繋ぎ方が手と手を合わせるような形から、指を絡めるような形になったのはカフェを出た時に、玲華から繋いで来た時からか。

 途中で手汗が気になったりした大樹であるが、それよりも離したく無い気持ちの方が大きかった。

 そうやって繋いでいた手を、少し名残惜しくなりながら大樹はゆっくりと離した。


「あ――」


 玲華も名残惜しそうにそう声を漏らすと、仕方なさそうに一息吐いた。

 なんとなく見てられなくて何か言おうと思ったが、気のきいたような言葉を思いつかず、代わりにそこから意識を逸らすことにした。


「さて――夕飯作りますか。ハンバーグは作る時間だけ考えたらそう大したことは無いんですが、下準備に時間をかけることがありましてね」


 かけずに作れはするが、ハンバーグの場合はこの下準備にしっかり時間をかけるとより美味しくなるのだ。


「ハンバーグ――!」


 玲華の顔に明るさが戻った。


「あ、じゃあ、私ご飯炊くね!」

「ええ、任せます。ただ――」


 大樹は時計で時間を確認する。17時前だった。


「今から準備をして時間を置くやつがありますから、食べ始めるのは20時頃になるので、ゆっくりでいいですよ」

「え、そんなに時間かかるの?」

「時間がかかるというより、置いとくというか――ずっと作業する訳ではありませんが、時間がいるんですよね」

「ふうん? じゃあ、もうちょっとしてからお米炊いた方がいい?」

「そうですね。俺は早速始めさせてもらいますね」

「ええ」


 そうして大樹はキッチンに入り、エプロンをつけて手を洗う。


「さて――まずは、玉ねぎとニンニクか」


 冷蔵庫から取り出した玉ねぎとニンニクをまな板に載せて、それらを手早くみじん切りにする。

 そしてみじん切りにした玉ねぎの半分を後でミンチも入れるステンレスのボウルに入れて、ラップをして冷蔵庫に入れておく。


「――え、冷蔵庫に入れるの? それも……半分だけ?」


 切ったばかりのものを冷蔵庫に入れるのを疑問に思ったらしい玲華が小首を傾げる。


「ええ。ハンバーグに入れる玉ねぎなんですが、半分は生のまま入れますので。冷蔵庫に入れるのは温度が上がらないようにするためです」

「ふうん……?」


 ハンバーグの作り方がよくわかってないから、そう説明されてもピンとこない様子の玲華に、大樹は苦笑する。


「普通の作り方なら、みじん切りした玉ねぎは全部炒めてそれをミンチと混ぜて焼くんです」

「ふんふん……あれ、なのに半分は生のまま入れるの?」

「ええ――どうしてだと思いますか?」

「う、うーん…………あ! 食感のため?」


 その答えに大樹は、驚きを隠せなかった。


「――正解です。よくわかりましたね?」

「え、本当に当たったの!? ふ、ふふん、流石私ね」


 正解を言い当てたことに自分で驚くも、すぐに得意気に笑おうと見せた玲華に、大樹は噴き出しそうになった。


「え、ええ、流石は玲華さんですね」

「ふっふーん」


 更に調子に乗る玲華は放っておいて、大樹はフライパンを火にかける。油はひかない。

 そしてフライパンが熱されると、弱火にして玉ねぎとニンニクのみじん切りをゆっくりと炒める。


「スンスン……ニンニクの匂いってやっぱりお腹が空いてくるわね……」

「そうですね。ニンニクと一緒に炒めるだけで、途端に美味そうになりますよね」


 相槌を打ち、玉ねぎの色が変わったのを見ると、大樹は火を止め、冷蔵庫に入れたのとは別のステンレスのボウルに、フライパンの中のものを入れる。そうして、置いておいてあら熱が落ちるのを待つ。その間に、別の作業に入る。

 今日はハンバーグということで大樹はポタージュスープを作ることにしたのだが、普通に作ろうと思ったら他の料理との平行作業はなかなかに面倒くさい。なので、一応事前に聞いてみていたのだ。するとあるとの返答があったので、大樹はそれを使うことにした。


「玲華さん、スープメーカーってどこにあるんですか?」

「あ、ちょっと待ってね」


 玲華がキッチンに入って、バタバタと引き出しを開け始める。


「――あったあった。あ、洗わないといけないか、ちょっと待ってて」


 恐らく未使用なのだろう箱ごと入ったスープメーカーを取り出して、玲華はそう言った。

 洗ってくれるのならばと大樹は任せ、冷蔵庫からカボチャを取り出す。切ってから種とワタを取り出してから、ピーラーを使って皮を剥く。包丁でも剥けるがこれが一番手っ取り早いと経験から知った大樹である。

 終わるとカボチャを耐熱容器に入れ、水を少しだけ入れてラップをし、電子レンジに入れる。


「ねえ、カボチャってそんな風に電子レンジに入れていいものなの?」


 洗い終わったスープメーカーを拭いている玲華が聞いてきた。


「ええ。と言うか、電子レンジに入れるだけで煮物とか普通に出来ますよ」

「え、そうなんだ……」

「電子レンジは偉大ですよ。何かを混ぜてチンするだけで作れる美味しい料理なんていくらでもありますし、そしてヘルシーに仕上げることが出来ますしね」

「へー? 温めるだけじゃないのね……」

「……こんな立派なレンジを持ってる人の言う言葉とは思えない……」


 大樹が脱力しながら口にすると、玲華は目を逸らしてフューフューと、鳴っていない口笛を吹き始めた。


「まあ、それでこそ玲華さん、ってところですか」

「ちょっと!? 聞き捨てならないわよ、それは!?」


 玲華がクワッと目を吊り上げると、大樹はお返しとばかりに目を逸らしてピーピーとちゃんとなる口笛を吹いた。


「ちょっ! も、もう――!」


 それだけ言うと、玲華は堪らないとばかりに笑いだし、大樹も肩を震わせてから一緒に大きく笑い声を上げた。


 一頻り笑ってから、大樹はレンジから熱されたカボチャを取り出すと、それをサイコロ状にカットしていく。それから、また玉ねぎを取り出して、再びみじん切りにする。

 そして玲華が拭き終えたスープメーカーの中に、切ったカボチャと玉ねぎを入れておく。他にも入れるものがあるが、それはまた後でいい。


「ねえ、それにカボチャ入れるってことはカボチャのスープってこと?」

「そうですよ」

「へえ? カボチャのスープって……どんなのがあったっけ?」

「あれ、思いつくとしたら殆ど一択だと思うんですがね、出てこないですか?」

「ええ? うーん……」


 恐らくポタージュと言えば、理解するのだろうが、ここからポタージュが作られることが想像できないために、答えが出てこないのだと思われる。


「はは、なら、出来上がりを楽しみにしててください……いや、途中で気づくかもしれませんけどね」

「えー……気になるなー」


 ソワソワし始める玲華を横目に、大樹は置いておいた玉ねぎとニンニクを確認する。もうすっかり熱は無くなっているようだったので、大樹は冷蔵庫から、出かける前に入れて置いたボウルと合挽肉、牛乳、卵、みじん切りだけした玉ねぎを取り出す。そしてキンキンに冷えたボウルに、ボウルと一緒に取り出したものを入れ、更に熱のとれた玉ねぎとニンニク、そしてパン粉とクレイジーソルト、粗挽きブラックペッパー、普通の胡椒、最後にナツメグを少しだけ入れてから、まずはヘラを使って素早くかき混ぜる。


「ねえ、今、冷蔵庫からボウル出してなかった?」

「ええ。昼出かける前に入れて置いたんですよ」

「へえ? どうしてなの?」

「ハンバーグを作るのは熱との戦いとも言えるんですよね。熱って言っても人肌や空気の熱ですが」

「ふんふん」

「肉の脂ってのは、その熱で簡単に溶けるんです。それが溶けると、せっかくの肉汁が減ることになります」

「ああ……なるほど。脂を少しでも溶かさないためにボウルを冷やしてたってこと?」

「その通り……あ、玲華さん、冷蔵庫にまだ冷やしたボウルがあるんですが、それに氷と水を入れてもらっていいですか?」

「え、うん、わかった……」


 玲華が用意してくれている間も大樹はかき混ぜる。


「――はい、これでいい?」


 氷水の入ったボウルを見て大樹は頷くと、水道で手を洗い、そして玲華の用意したボウルに両手を突っ込んだ。


「ええ――!?」

「うーむ、冷たい……」

「あ、当たり前でしょう!? 何やってるのよ!?」

「いや、そんな心配そうな顔しなくても、大丈夫ですよ」

「そ、そうなの……?」


 大樹は苦笑すると、冷えて感覚が無くなりかけた手をボウルから出すと、素早く拭いてから、先ほどまでかき混ぜていたミンチの入ったボウルに手をいれて素手で捏ねくり回す。


「て、手で混ぜるために冷やしたの……?」

「ええ。この工程があるのと無いのとじゃ味が違いますからね」

「ハンバーグ作るのって大変なのね……いつもお店でこんなことやってたの?」


 その問いに大樹は苦笑を浮かべた。


「まさか。手ごねはやっても、いちいち氷水で手を冷やしてとかはやりませんよ」

「え? なら、何で……」

「そんなの少しでも美味いものを玲華さんに食ってもらいたいからに決まってるじゃないですか。こうした方が美味いものが出来るってわかってるなら、やらずにいれませんよ」


 カラカラと笑って大樹が言うと、玲華は俯いて口をモニョモニョとさせている。


「そ、そっか……」

「? どうしました?」

「な、なんでもないわ!」


 心なしか耳を赤くしている玲華に首を傾げながら、大樹は頃合いだと見て手を引っ込める。

 そして手早く手を洗い終えると、ボウルを軽く揺らしてみる。


「ほら、これ見てみてくださいよ、玲華さん」

「なに?……わ、トロトロじゃない。これハンバーグの形とか出来るの?」

「そう思うでしょ?」


 ニヤと笑って大樹は、そのミンチの上にラップを被せる。ボウルに蓋をするようにではなく、ミンチの上に軽く被せるのだ。そして、それを冷蔵庫に入れて冷やす。


「――よし、これを一時間ほど寝かせます」

「……時間を置く必要があるってのはこういうこと?」

「ええ。じゃあ、30分ほどゆっくりしてましょうかね。それから他の用意も始めます」

「そっか……コーヒーでも淹れようか? コーヒーでなくとも、何かお茶でも」

「そうですね……いや、やっぱりコーヒーでお願いします。さっきカフェでコーヒー飲んだ時から、玲華さんのコーヒーが恋しく感じてたんですよね」


 そう言うと、玲華は心から嬉しそうに笑って胸を叩いた。


「ふふーん、まっかせなさい!!」

 

 

 

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