第三十九話 そう言えば
「よしよし、いい時間ね。チケット発券して、飲み物買って――どうしたの、大樹くん?」
少しゆっくりしたら上映時間となるような、グッドタイミングな時間で映画館に着いたことに上機嫌な玲華が、大樹を見て不思議そうになった。
「ああ、いえ――何でもありません」
「うん? そう?」
「ええ――大変ですね」
思わず漏れた大樹の一言に、玲華が目を丸くする。
「え、ちょっと何なのよ?」
「いえ、気にしないでください」
「ふーん……?」
玲華が怪しみながら追求をやめたが、実際に大したことではないのだ。
それは玲華が隣にいるためか、集まる美女への視線からおまけのように隣で腕を絡めている大樹もジロジロ見られたせいで、ここに来るまで多少気疲れしてしまったということだ。そして普段からこのような日常を送っているのかと思うと、玲華へ先のような言葉を呟いてしまったのだ。
映画館に入ったからか多少減ったような気もするが、代わりに、何となくであるが、熱心な視線のようなものを感じるような気がして落ち着かない大樹である。
ただ、それにも多少慣れてきたところで、気を抜き始めた大樹を玲華が不思議がったのだ。
「ま、いいか。チケット発券しに行こ?」
そう言って玲華がハンドバッグから、映画の前売り券を二枚出してヒラヒラとかざした。
「ええ――あそこですか、今ならそれほど並んでないようですね」
久しぶりの映画館のためか、少し心が浮き立つのを感じながら、大樹は玲華とカウンターへと向かう。
ちなみにだが、玲華の持つ前売り券は会社からの持ち出しである。社でイベントをやるため、関係者のためにと前売り券がけっこう社内にあって、それが余っていたのを持ってきたみたいなのだ。
そうして映画のチケットを前売り券と交換して受け取ると、次は飲食関係かと大樹が玲華に目を向ける。
「飲み物ですが、何か買いますよね? 食べるものは何か買います?」
「んー、そうねえ……今お腹空いてないし、大樹くん食べたいものあるなら、それだけでいいんじゃない? あ、一緒に食べれるものなら、私も少しだけつまみたいかな」
「じゃあ……ポップコーンでも買いますか」
「うんうん、それでいいんじゃないかな」
そこからまたフード関係の列に並び、順番が来て大樹はウーロン茶、玲華はオレンジジュース。そしてポップコーンも頼み、大樹が財布をポケットから取り出した時に玲華から待ったがかかった。
「ちょっと! 私が出すから!」
「は? いや、チケットが玲華さんの持ち出しなんですから、ここは俺が――」
「そんなの関係ないの! 店員さんこれで――」
止める間もなく玲華は、素早く財布から千円札を二枚出して支払ってしまった。
そしてドリンクやポップコーンが載った映画館の座席用のトレイを受け取ると、歩きながら大樹は玲華に声をかけた。
「ちょっと、玲華さん。さっきも言いましたが、映画のチケットが玲華さんからなんですから、俺が払うのが自然だと思うのですが」
それを聞いた玲華は、やれやれと首を横に振った。
「あのねえ、大樹くん? 私の社会的な立場って何?」
「……そう言えば、社長でしたね」
「そう言えばって何よ!? 歴とした社長です!」
「はは、すみません。どうにもそれを意識することが少なくて」
実際、この二人が一緒にいる時はずっと家だったのだから、それも仕方ない。
「むう……まあ、ともかく私は社長をやっています。そして、私の方がお姉さんです」
「……そう言えば、年上でしたね」
「ちょっと――!? 大樹くん、私のこと何だと思ってるの!?」
「いや、そりゃポンコ――ウオッホン」
「全然誤魔化せて無いわよ!?」
「ゲフンゲフン……失礼しました。玲華さんは……まあ、玲華さんですかね」
少し考えてみたが、スタイルの良い美女などと答えるのはこの場の回答しては相応しくないのはわかりきっているし、他に思い浮かばず、こういう答えになってしまった。
「何よ、その答えは……」
玲華は呆れているが、どこか嬉しそうな雰囲気もあった。
「――もう、とにかくね! 私は社長だし! それにお姉さんだし――だから、私が払うの!」
「いや、そうは言ってもですね――」
大樹が反論を試みるも、すぐに遮られる。
「もう、いいから! 大樹くんは黙ってお姉さんに甘えとけばいいの!」
言いながら大樹がトレイを持つのとは反対の腕に自身の腕をギュッと絡ませて、玲華は得意気に笑う。
なかなかに滅茶苦茶な意見であるが、大樹はどうしてか反論が出来ず口を閉ざされ――そして苦笑を浮かべた。
「――じゃあ、甘えさせてもらいます」
「うむ、よろしい」
どことなく偉そうに、そして胸を張って頷く玲華。
大樹は思わず肩を震わせ、そして顔を見合わせると途端に二人は笑み崩れ、声を立てて笑い合ったのであった。
「大体ねー、私がいる時に私以外が支払うってこと、もう滅多に無いのよね」
「そうなんですか?」
照明がまだ落ちてない劇場で、大樹と玲華は並んで腰を落ち着かせ、映画が始まるのを待っていた。
「そうよ。社内で飲み会なんかに私が参加したら、基本私の支払いよ?」
「そりゃまた太っ腹な……」
「私からの労いってのもあるしね」
「流石は社長。うちのクソ社長にその男気が――失礼、その気概が少しでもあればよかったんですがね」
「あっはは。いいわよ、別に。そうだ、後輩達の転職活動は順調……?」
「いえ、やはり手こずってるみたいですね……でも、来週辺りには、前にお願いしたことを頼むことになると思います」
「そうなの? わかった、私はいつでもいいから遠慮しないでね」
「……ありがとうございます」
「もういいから――ねえ、大樹くんは? 転職活動はいつ始めるの?」
「俺は……あいつら――後輩達の転職先が決まり次第ですかね。あいつらより俺が先に辞めたら不味いことになりそうですし」
「やっぱり、そっか……」
「……? やっぱり、ですか?」
「そりゃそうよー。大樹くんの後輩への世話っぷり聞いてたらそうするとしか思えないわよ」
「……そうですか」
「ええ。じゃあ、後輩達の転職先が決まってから転職活動始める感じ?」
「そうしたいところですが、仕事しながらでは恐らく難しいでしょうから、あいつらと一緒に辞めてからになると思います」
「そっか……」
「ええ――あ、映画始まるみたいですよ」
照明が落ちてスクリーンが灯り始めた。
「あ――まあ、でもまだ宣伝からだろうけどね。それもけっこう楽しいけど」
「わかります。映画館の宣伝けっこう好きなんですよね」
「大樹くんも? 映画の宣伝ってすごく面白そうに見えるわよね」
「ええ。で、実際に観てみたら――」
「そう大したことなかったって?――ふふっ、あるある」
こんな感じに二人は映画が始まるまでの宣伝も雑談を混じえながら楽しんだのだった。
「んー……評判通りに面白かったんじゃないかしら?」
伸びをして大きな胸を強調させながら映画の感想を述べる玲華に、大樹は目を奪われそうになるのを堪えながら同意を込めて頷いた。
「そうですね。まさか、最後をああ持っていくなんてね」
大樹も映画の間に凝り固まった体を解すように、肩を回し首を振る。
「何も地面に落としたりしてないわよね?」
「無い――ですね。じゃあ、出ましょうか」
「ええ」
足元を確認してから、二人は同じく映画を観終えた人の波の中に入る。
そしてゆっくり足を進めている最中、後ろを歩いていた人の不注意か、玲華は押されるように背後の人物の肩にぶつかり、よろけてしまった。
「わっ――」
この時はまだ玲華は大樹と腕を組んでいなかったのが災いしかけたが、つんのめりかけた玲華の手を、大樹は咄嗟に掴んでこと無きを得る。
「あ、ありがとう、大樹くん」
「いえ――」
そして大樹が険しい顔で振り返ると、大学生っぽい男が数人いて、その内の玲華とぶつかったらしき人物が「ひっ」と軽く悲鳴を上げて、すぐに頭を下げてきた。
「す、すみませんでした――!!」
どうやら大樹の強面に相当ビビっているようだ。
「……気つけろ」
「は、はい! 本当にすみませんでした――!!」
大樹はため息を吐くことで了承を示し、前へ首を戻した。
それから大樹と玲華は慎重に劇場を出て、一息吐いた。
「はは……ビックリしたわ」
玲華が苦笑気味に言い、大樹は相槌を打った。
「ええ、ちょうど段にもなってましたしね、ヒヤッとしましたよ」
「ええ――本当にありがとうね、大樹くん」
はにかむように微笑んで礼を告げながら、玲華は握っていた大樹の手をギュッと握った。
そこで大樹は咄嗟に掴んだ手がそのままだったことに気づく。
「いえ――すみません、手繋いだままでしたね」
言ってから大樹は手を離して引こうとしたのだが、玲華はその手の動きについてきて、離れなかった。
「……玲華さん?」
疑問に思って大樹が声をかけると、玲華は頬を染めて俯きがちに口を動かした。
「――そ、その、またさっきみたいなことあったら嫌だし、か、帰るまで、このままでも、い、いい――?」
チラチラと上目遣いにそんなことを言われて、大樹は自分の心臓が一瞬止まったような錯覚を覚えた。
(――くっ、か、可愛過ぎだろ、だから――!!)
大樹はバクバクと鳴る心臓の音が聞かれやしないかと心配になりながら頷いた。
「わ、わかりました」
そう答えると、玲華はホッとしたような顔になったかと思えばすぐさま微笑んだ。
「うん――ありがと」
その笑顔に大樹は心臓にとどめを撃たれたような気分を味わった。
「ねえ、ちょっとカフェ寄ってコーヒー飲んでかない?」
「え、ええ。いいですね」
「じゃあ、その後パン屋さん寄って帰ろっか」
「そうですね。ちょうど夕方ぐらいになって、いいかと」
「うん、決まり。じゃあ、行きましょ」
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