第三十六話 ランチは何か
「ここは……?」
障子越しに明るい陽射しが照らす和室で大樹は目を覚ました。
上半身をノソリと起こし、半分寝惚けた目で回りを見渡す。
「ああ……そうだ、如月さんの家に泊まったんだったな」
そう、ここは玲華のマンションの一室である和室だ。
玲華は大樹の寝る場所として、このマンション唯一の和室を提供してくれたのである。真新しい布団に、シーツに、枕に、掛け布団と一緒にだ。また、これらが高級感を漂わせていて、大樹は本当にここで寝ていいのか二度、三度と聞いてしまったほどだ。その度に玲華からは「大樹くんのために用意したんだから、使ってくれないと困る」と、用意した側から当然な、大樹からしたら少し恐れ多い回答をいただき、大樹はここで寝ることになったのだ。
この和室がまた綺麗な上に立派なもので、昨晩から着ている浴衣と合わせて大樹は、いつの間に旅館に来たんだったかと思ってしまったほどである。
「ふぁあ……あ」
あくびをしながら枕元に置いてある充電ケーブルに挿さったスマホを手に取り、時間を確認する。
「10時か……如月さんは起きてるか、流石に」
泊まりに来る前に、大樹にゆっくり寝ていていいと言ったぐらいだから、玲華は先に起きることを想定していたのだろう。その辺りを考えると、休日でも朝はちゃんと起きるタイプだと思われる。
ちなみにだが、充電ケーブルは玲華の予備である。
「にしても――」
大樹は腕を振って肩を回し、軽く深呼吸した。
「――体が軽いな。やっぱり、寝る前にゆっくり湯船に浸かると疲れが落ちるな」
自覚すると眠気も無くなっていき、爽快な気分になってくる。
ならば、もう起きて玲華に挨拶するべきであろう。
「――その前に、布団畳むか……」
客であるのだから、最低限これぐらいはと大樹は乱れている浴衣を正しながら布団から出た。
リビングの扉を開くと、玲華は初めてこの家で見かけた時と同じ姿――つまりは、バスローブ姿でソファに腰かけ、頭をタオルで拭いていた。
「あれ? もう起きたの? おはよー!」
大樹の姿を目にして一瞬不思議がったものの、すぐにニコッとなって挨拶の言葉を投げてきた。
その笑顔がガラス越しの陽射しを浴びていたせいか、または白いバスローブがギリシャ神話的なあの一枚布を着ているように見えたせいか、すさまじく神々しく見えて、大樹はボケッとしてしまった。
そのため、挨拶を返し損ねて玲華が小首を傾げる。
「……大樹くん? 寝惚けてる? 寝足りない?」
その声で大樹は我に返った。
「ああ、いえ。そんなことありません。おはようございます、如月さん」
(だから、着ているものを変える度に、こっちを驚かせるのはやめてくれ――)
内心そう思ったものの朝一に見る玲華の笑顔は、幸福感が半端ないものだとも感じていた。
なんとも罪深い
「……えーと、どうかしましたか、如月さん」
そう問いかけると、玲華は唇を尖らせ一層不機嫌さを増したようになった。
「……」
「き、如月さん……?」
大樹が焦って再び呼びかけると、玲華の目が座り始めた。
「……如月――さん?」
そう呟いたのは大樹ではなく、玲華である。
何故、自分の苗字をと大樹が首を傾げかけたところで、ハッとする。
「あ、ああ……おはようございます――玲華さん」
大樹がそう言い直すと、途端に玲華は満足そうに笑顔になった。
「うん、おはよー。やっぱり寝足りないんじゃない? 寝る前のことなのに、忘れちゃってたみたいだけど」
からかうようにそう言ってクスクスとする玲華に、大樹はホッとした。
「いや、そんなことないですよ。ゆっくり風呂に浸かったおかげで、かなりスッキリしてますから」
「そっか、なら良かったけど。大樹くんもシャワーしてくる? もっとスッキリするわよ?」
「……じゃあ、そうさせてもらいますかね」
「うん。じゃあ、行ってきたら? 大樹くん入ってる間に新しい下着とか出しとくから」
「ああ、どうも――え、まだ下着あるんですか?」
「あるわよー? 五枚ぐらい一気に買ったから」
「そ、そうですか……それはどうも」
「履き心地とか悪くなかった? 悪かったら、また新しいの用意しておくけど」
少し心配そうにそんなことを言う玲華に、大樹がギョッとした。
「いやいや、十分ですよ。と言うより、俺が家に置いてあるのより、遥かに上等なものですし」
「なら良かったけど……本当に遠慮せず言ってね?」
「は、はい……」
「うん。あ、着替えはどうする? 出かけるまでは浴衣着てる? そっちの方が楽でしょ?」
「そう、ですね。出るまではこれ着ておきます。折角ですし」
「わかったわ。じゃあ、着替えはまた後で出すわね」
頷いた大樹は、シャワーを浴びにそのまま浴室へ向かうのだった。
「シャワーいただきました――っと」
歯磨きもすませて大樹がリビングに戻ると、玲華はアイロン台を出して、その上で何かアイロンをかけている。
ちなみにもうバスローブ姿ではない。上は片側がオフショルダーでベージュのゆるそうなニットに、下はこれもどこかゆるそうな白いパンツに着替えている。髪は初めてここで過ごした日のように、軽く結んで前に垂らしている。
「おかえりー」
玲華は一瞬だけ大樹に目を向けたが、すぐ手元に視線を戻した。
その手元にあるものを見て大樹は、首を傾げた。
「あの、きさ――玲華さん。それって、もしかして俺の――?」
「ええ、そうよ。大樹くん、これ形状記憶のシャツだからって長いことアイロンかけてなかったでしょ?」
「え、ええ、そうですが」
「たまには当てないとダメよ? 洗濯終えたから畳もうとしたら、どうにも気になってね……よし、これで終わりっと――どう?」
そう言って玲華は大樹のシャツを広げてみせる。
パッと見ではまず、全体的に綺麗になっているように感じた。そして良く見てみると、よれていた襟元や袖口がピンと伸びていて、新品のようになっていた。
「す――すげえ、綺麗になってますね。驚きました」
「ふっふーん。そうでしょう、そうでしょう」
得意気な玲華にからかいたくなったが、ここはそれよりも言うべきことがあった。
「いや、これは嬉しいですね。ありがとうございます」
「いーえ。やってる会社が会社だからね、着てる服にはつい目敏くなっちゃうのよね」
「ああ……なるほど」
玲華の会社はアパレル系であることを大樹は思い出した。
「流石に私が仕事の時にアイロンがけはしないけど、服の手入れなんかには色んな資料に目を通すからね。その延長で興味持ってアイロンは自然と覚えたわ。ふふん、大したもんでしょ」
また得意気になって大きな胸を張る玲華に、大樹は内心で苦笑しつつ相槌を打った。
「ええ。大したものだと思います」
「うんうん」
副音声で「もっと誉めてもいいのよ?」と聞こえた大樹は、続けて言った。
「玲華さんの女子力っぽいところを初めて見たような気がします」
玲華の肩がガクッと傾いだ。
「ちょ、ちょっと!! どういう意味よ、それは!?」
「え……?」
「そ、そのさも不思議そうな顔をやめなさい!!」
「そう言われましても……」
「麻里ちゃんか!? ああ、もう! 何で私の周りの人はそんなばっかなの!」
頭を掻きむしって項垂れる玲華に、大樹は「ふむ……」と頷いて、適当なことを言った。
「大丈夫です、元気出してください」
「大樹くんが言うな! しかも雑ね!!」
「なかなか良い突っ込みですね」
「何目線なのよ、それは!?」
「はっはっは」
「ちょっと! 何でそこで笑ったの!?」
「いや、何となくですが」
「あー、もうー!!」
「何か大変そうですね」
「誰のせいよ!?」
「誰のせいでしょうね……くくっ……」
惚けた顔をしていた大樹もそろそろ我慢の限界になって、肩が震え始めた。
それに気づいた玲華が、顔を真っ赤に憤慨した。
「ま、また、からかってくれたわね――!?」
「い、いや、今のはからかうというよりもノリみたいなものだと思いますが――」
「そんなノリなんて無い!!」
そう言って玲華が近くにあったクッションへ手を伸ばそうとしたところで、また前みたいに殴られると予想をした大樹は先んじて言った。
「まあまあ、お昼、玲華さんの食べたいもの作るので勘弁してください」
そこで玲華の手がピタッと止まる。
「ほ、本当に――?」
「ええ、何でも言ってください。と言っても、材料の許す範囲でになりますが」
「え、えーっと、どうしよっかな」
ソワソワワクワクし始めた玲華を見て、大樹がチョロいと思ったのは言うまでもないことだ。
それに加えて、コロコロ変わる玲華の表情に大樹は自然と目を奪われてしまう。
(はー、本当に可愛い過ぎる人だな……)
思わず頬を緩ませる大樹を前に、玲華はうーん、うーんと悩んでいる。
「あー決められない――って言うより、何が出来るの?」
「そうですね……」
言いながら大樹は冷蔵庫へ足を進める。
「そこにある食パン使って、前みたいにフレンチトーストでもいいし、オーソドックスにサンドイッチ、もしくはホットサンド、後は、ちょっと変わり種のトーストか――」
昨夜見かけた食パンを指差しながら話すと、玲華の喉がゴクリと鳴る。
「あ、ふ、フレンチトースト美味しかったし、それもいいわね……それにサンドイッチかあ……変わり種のトースト……?」
大樹が挙げたものを律儀に呟きながら、玲華が大樹の後を追う。
「それから米を使うなら、チャーハン――はやめときましょうか。普通に卵とか適当に焼いて、ご飯で食べるのもありですね。そうだ、ランチですし、丼もいいかもですね。玉子丼、親子丼――は鶏肉の用意が無かったか。それ以外の何か適当に乗せた丼でもいいですね。簡単過ぎる目玉焼き丼なんてものもありますよ。後は……オムライスもできますね。ベーコンあるし」
「お、オムライス――!?」
玲華の声が一オクターブ上がった。現在、一番の好反応だろう。
冷蔵庫を開けて中を見ながら大樹は続ける。
「それから――あ、ピーマンがあったか。玲華さん、パスタってありましたっけ?」
「あ、うん、あるわよ!」
「パスタを使うなら、それこそ色んな味もできますね。ミルクは無いですが、カルボナーラっぽいのも出来るし、和風の味付けのパスタ、もしくは――ナポリタン」
「か、カルボナーラにナポリタンですって――!?」
カッと雷を打たれたようになる玲華に、大樹は噴き出しそうになった。
「そ、そんなのも作れちゃうんだ!?」
「いや、ええ、まあ……カルボナーラはともかくナポリタンなんて、それこそ超簡単ですが……」
「そ、そうなの――!?」
信じられないような玲華に、大樹は肩を震わせてから苦笑を浮かべた。
「いや、だってナポリタンなんて使う材料はモロ見た目に出てるじゃないですか」
こだわれば見えない材料があるのは確かだが、こだわらなければ目に見える材料だけで十分に美味いものが作れるのがナポリタンである。
「えー、そう? ナポリタンは確か……パスタとピーマンと玉ねぎと、ベーコンと……ケチャップ?」
「正解。それを混ぜて炒めるだけのようなもんですよ」
大樹がそう言うと、玲華はゆっくり目を逸らした。
「……そ、そう聞いてもやっぱりわかんない」
「……なるほど」
これは相当のようだと大樹は悟った。
「――で、何が食べたいですか?」
「あ、う、うん……」
そうして玲華がまたうんうん唸って悩み始める。そこでブツブツと漏れ聞こえる声から、どうやらオムライスとカルボナーラ、ナポリタンで悩んでいるようだ。
「――よし、決めたわ!」
玲華は迷いのない決心した顔になったかと思えば、厳かに大樹に言ったのである。
「ナポリタンで――!!」
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