第三十七話 簡単ランチ
「まずは鍋に水を入れて沸かす、と――」
玲華のリクエスト通りに、大樹はナポリタンの調理を開始する。
何故、ナポリタンなのか聞いてみると「オムライスとかカルボナーラを食べに行ったり、お店で見かけたら注文する時はよくあるけど、ナポリタンってよく考えたらあまり注文することないかなって。美味しいのはわかるんだけどね、なんでだろうね」とのことだ。
言われてみれば大樹も外で注文する機会は少ないように思った。だが、これは玲華とは理由が違う。簡単で手軽に作れるから、食べたくなれば自分で作ればいい、となるからだ。
頬杖をついてルンルンと大樹が料理している様を眺めている玲華を横目に、大樹は水を満たした鍋をIHコンロに乗せて熱をかける。
「玲華さん、パスタ出しといてくれますか」
「あ、はーい」
機嫌良く動き始める玲華に、何故だか苦笑気味に頬が緩んだ。
簡単なナポリタンで、あれだけ機嫌良くなられると、どうにも安上がりのような気がしてしまったのだ。
そんな失礼な考えが過ってしまった大樹は、すぐそれを頭から追い払うと、調理に集中し始める。
水が沸くのを待つ間に、必要な食材を切っていく。厚めのベーコンを棒状に切り、ピーマンを輪切りにし、玉ねぎを切る。
これでパスタを除く食材の準備は終わりである。この準備をゆっくりしている間に、水が沸騰していたので、塩をひとつまみかけてから、パスタを三人前、煮立った鍋にグルリと入れる。すると鍋からパスタが咲いたように広がって収まる。
「わあ、すごい。綺麗に入るものなのね」
玲華が鍋に目を落としながら感心した声を出す。
「これはなかなかコツがいるんですが、何度かやったらすぐ出来るようになりますよ」
「そうなの? でも、そう言うってことはそうした方がいい理由でもあるの?」
「ええ。こうすれば、パスタが均等の茹で具合になるでしょ?」
「ああ、なるほど」
また感心したように頷く玲華。ちなみにパスタが何故三人前なのかというと、大樹が多めに食べたいからである。
ナポリタンを三人前分、もう一気に作りたかった大樹は、大きめのフライパンを取り出し、ガスコンロに乗せて火をかける。
熱し始めたところでサラダ油をかけて広げると、具材を一気にフライパンに投入する。
フライパンを軽く揺らしながら炒めていき、玉ねぎの色が薄くなり始めたのを見て、火を緩め、フライパンにケチャップをドバドバと落とす。
「? そこで、ケチャップかけるの?」
玲華が不思議そうに聞いてくる。恐らくはパスタを入れてからケチャップをかけると思っていたのだろう。
「ええ。パスタを入れて炒めながらケチャップをかけても出来ますが、先にこうしてケチャップをかけて軽く煮詰めてやると、いらない水分が飛んで旨味が凝縮するんですよ」
「へーえ」
感心しっぱなしの玲華の前で、大樹は更なる調味料を取り出し、それもフライパンにポトポト落とす。
「え!? そんなのも入れちゃうの!?」
玲華が驚いたのは、それが真っ黒なウスターソースだからだろう。
「ええ。これ入れると味に深みが出て、美味くなるんですよ」
フライパンに乗せたケチャップとソースを混ぜ合わせながら大樹が答えると、玲華は若干引いたように「へ、へえ……」と零した。
「……? あ、でも、混ぜると黒色はほとんど無くなるのね?」
「そうですよ。ちなみに、同じようにしてる喫茶店も少なくありません」
「あ、そうなんだ」
ホッとしたような玲華に大樹は思わず苦笑すると、フライパンから手を離し、鍋の中からパスタを一本菜箸で摘んで、口に入れる。
「――うん、この辺か」
アルデンテにはまだ遠いバリカタの麺であった。だが、それでいいのだ。
鍋から中カゴごとパスタを引き上げ、そして軽く振って湯を切る。中カゴのある鍋は楽で助かる。
そうしている間に、フライパンの中のケチャップとソースはいい感じに水分が抜けていた。
すかさず大樹は中カゴを傾けて、フライパンにパスタを落とす。そしてひたすらかき混ぜながら炒める。途中で黒胡椒をパラパラとかけて、また混ぜて――火を止める。
「――よし、完成」
「きょ、今日はいつにも増して、早かったわね」
時計を見ながらの玲華に、大樹は頷く。
「かかった時間ってのは、実質、水が沸騰するまでと、パスタが茹でるまでの時間みたいなもんですからね――玲華さん、お皿二枚出してもらえますか?」
「あ、はーい」
よだれを垂らしそうに、フライパンの中のナポリタンを凝視していた玲華が忙しなく動いて、棚から皿を取り出す。その間に大樹は冷蔵庫からパルメザンチーズを取り出す。
「玲華さん、ナポリタンにパルメザンチーズはかける方ですか?」
「え? ええ。途中でだけど……」
「ならば良し」
玲華の返答を聞いて、大樹は何も乗っていない皿の上に、半円の形でパルメザンチーズをドバドバと落とした。
「え、お、お皿に最初にかけるの……?」
驚き目を丸くする玲華に、大樹は悪戯っぽく笑う。
「ええ。まあ、後になって何でこうしたのかわかりますよ。あ、タバスコありますか?」
「あ、あるわよ。確かここに――はい、あった」
「どうも。そっちはテーブルに置いてください。そいつに関しては俺が勝手にかけたりはしませんから」
「はーい」
それから大樹はトングで、パルメザンチーズの乗った皿の上に、ナポリタンを盛り付ける。そして、粉パセリをパラパラかける。
「これでよし、と――あ、しまった」
そこで大樹はサラダなどを忘れていたことに気づいた。大樹一人ならナポリタンがピンで構わないのだが、女性である玲華には、あった方がいいだろう。
特に玲華の美貌を考えると、それを陰らせたくない大樹としては、大きな問題であった。
しかし今から用意するとなると、今アルデンテになったばかりのナポリタンが伸びてしまう。
どうしようかと大樹が頭を悩ませていると、テーブルで待機している玲華から不思議そうな声がかかった。
「どうしたの、大樹くん? 出来たんじゃないの?」
目を向けると、玲華はフォークを握って座っている。いつでも食べれると言わんばかりである。
「あ、その、サラダを忘れていたなと思って――」
「え? ああ、もう別にいいんじゃない? せっかくの出来立てのナポリタンが冷めちゃうじゃない」
そんな風にソワソワしながら言う玲華に、大樹は悩んでいたのバカらしくなって、短く息を吐いて苦笑した。
「そうですね、夜に多めにとることにしますか」
「うんうん、それでいいから――早く食べましょ」
待ちきれない様子の玲華に、大樹は苦笑を深めて、ナポリタンをテーブルまで運んで、椅子に腰を落とした。そして時計を見ると、まだ11時を少し過ぎたとこであった。
「じゃあ、ランチには少し早いですが――どうぞ」
大樹がそう促すと、玲華は目をキラキラさせながら手を合わせ、大樹も一緒に合わせる。
「いただきます――!」
そして玲華が早速とばかりにフォークをナポリタンへ向けたところで、大樹は言った。
「あ、そうだ。最初は手前の半円を食べ進めるようにしてください」
「? ――こっち側食べればいいってこと?」
「ええ。では、どうぞ」
「はーい」
そして玲華がナポリタンをフォークでクルクル巻くのを見ながら、大樹も同じようにして一口食べる。
まず口の中でケチャップの酸味、旨味がこれでもかと広がる。噛めば、シャキシャキした玉ねぎが口に甘さを感じさせ、しんなりしたピーマンは仄かな苦味の中に矛盾したように甘みもくる。そして厚めのベーコンが塩気と共にボリューム感をくれる。それらを親和させるかのように、麺であるパスタが中心にあり、更にはウスターソースの甘みが全ての味を一層引き上げていてすぐ飲み込みたくなって、スルスルと喉を通っていく。
「――うむ、美味い」
大樹が一人頷いていると、玲華は「んーっ」と感極まったように体を震わせている。
「――大樹くん! すっごく美味しい!!」
パアッと顔を輝かせて感想を告げてくる玲華に、大樹は頬を綻ばせた。
「そいつは良かったです」
玲華のその笑顔が、満足感、達成感、幸福感をもたらしてくれる。なんとも作り甲斐がある人だと大樹は思った。
「んー、本当美味しいわね、これ」
フォークを動かす手がなかなかに早い。なんとなくだが、今までのことと合わせて玲華は味付けが濃いめの方が好きなのかもしれないと大樹は予想した。
そして何口か食べてから、大樹はタバスコを手にとった。
「あ、私もタバスコかけよっかな。かけたら貸してね」
「ええ」
頷いて返すと、大樹はタバスコをフォークにかけた。
「んん――? え、なんでフォークにかけてるの?」
「こうするとですね――」
言いながら大樹はタバスコをかけたフォークで、ナポリタンを巻きつけて口に入れる。
すると、最初は普通にナポリタンの味が口に広がるが、途中からタバスコの香りと辛みがガツンと来るのだ。
「――うむ。こうやって食べると、タバスコが一層味を引き立ててくれるんですよね」
「ほ、本当――?」
そして玲華は半信半疑ながら、大樹と同じようにしてナポリタンを巻きつけたフォークを口に入れる。
「――!?」
モグモグと食べ進めている途中で、玲華が目を丸くした。そしてゴクリと飲み込むと、勢いこんで口を開く。
「だ、大樹くん! 私、この食べ方すごく好きかも!!」
「はは、そうですか。美味いでしょ?」
「ええ! タバスコの味はこうだって感じがすごい好き!」
「わかります、わかります」
笑いながら二度、三度と頷く大樹。
そうなると、大樹の手から玲華の手へとタバスコは何度も往復することになった。
「――そろそろか」
大樹が呟くと、玲華は小首を傾げた。
「何が?」
「こちら側の方、ひっくり返してみてください」
大樹が示したのは、最初に食べ進めるよう言ったのとは反対側の半円である。
「こっち側? こう……?――あ!?」
大樹が言う通りにひっくり返した玲華は、驚きの声を上げた。
「こ、これ、チーズが固まってるの!?」
「ええ」
玲華が言った通り、ひっくり返して出てきたのは、一枚板のように固まったパルメザンチーズである。
「ナポリタンの熱でチーズが溶けて固まったんですよ。これをナポリタンと巻きつけて食べるのも良し、崩して混ぜて食うも良し、てな感じです」
「すごい、パルメザンチーズがこんな風になるなんて……」
「こうして食べると、パルメザンチーズかけて食べる時の、あの水分が無くなってパサパサした感が減るんですよね。それが好きという人もいるかもですが、俺はこうした方がナポリタンには合うと思うんですよ」
大樹のその言葉を聞きながら、玲華はソワソワと固まったチーズと一緒にナポリタンを巻いて、口に含む。
「んーっ……!」
またも感極まったような声を出す玲華。色気も出てるような気がして、大樹は少し落ち着かなくなった。
「うう、美味っしい……これはヤバいわ、大樹くん」
真剣な顔で告げてくる玲華に、大樹は苦笑しながら、自分もチーズを絡めて一口食べる。
固まったチーズにより、食感が少しパリッと変化し、更には熱を持ったチーズの旨味がナポリタンの上で広がる。ナポリタンの味の主体である、ケチャップのトマトとチーズの相性は最早言うまでもないだろう。
「――うむ、美味い」
それからは二人は、黙々と食べ進めた。そして同じタイミングで二人の皿が空になる。
「あー、美味しかった」
玲華が満足そうな声を上げる。
「綺麗に食ってもらえて俺も満足ですよ」
そう答えると大樹は席を立ってキッチンに向かう。
「あれ、どうしたの、大樹くん」
「え? ああ、残りを食べようと思いまして」
答えてフライパンを持って戻ると、玲華は目を丸くして呆気にとられたようになった。
そして大樹がフライパンの中身を皿に盛ろうとしたところで、玲華から声がかかった。
「ちょ、ちょっと待った――!!」
「はい? どうかしましたか?」
「え、ま、まだあるの……?」
「ええ、一人前より少ないほどですが……」
言いながら大樹がフライパンの中身を見せると、玲華は口をパクパクと開閉させる。
「あー……食いますか?」
流石に聞かずにいれず、そう問いかけると、玲華は少し葛藤した末に――
「く、食う――!!」
そう答えたのだった。
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