第三十話 私情だらけじゃないですか
「ちょっとちょっと――大樹くんから、そんなこと一言だって話に出てないのよ!?」
「――ええ。信じ難いですが、そうなんでしょうね。あんな会社に身を置いて、この会社の社長をしている先輩と知り合って親しくして――なのに、そういった話を一言もしてないなんて……正直、尊敬できます」
首を振りつつ、しみじみと言う麻里のそれは本心に見えた。
「――私もね、前に会った時にそういった事、もしかしたら言われるかなって思ってたんだけど、大樹くんね、すごいのよ。後輩達が転職活動始めて、受ける会社を決めた時に、社名からその時にわかる範囲でいいから知ってることがあれば教えて欲しい、ってね。自分のことじゃないの、あんな会社にいながら、後輩達の身を案じているのよ?」
思い出しながら話して、玲華は苦笑する。
頼られたのは素直に嬉しかった。だが、もっと頼られたかったというのが、その時の玲華の心情である。
「それは――ますます尊敬できますね」
「ええ――でも、私としてはちょっと不満だけどね。もっと頼ってくれていいのにって……それに心配になってくるわ。今の状況で、自分より他人を優先している大樹くんを見ていると……だから、次に大樹くんが何かお願いしてきたら、それには全力で応えたいと思ってるわ」
断固とした意思を持って告げると、麻里が珍しくクスリと零した。
「相変わらずですね、先輩は」
「なに、またポンコツなんて言わないでしょうね?」
「それはただ本当のことですが……」
「違うってんでしょうが!!」
玲華の抗議の声を無視して、麻里は続ける。
「ふふ……そんな先輩だから、私達は先輩の元で団結できたんでしょうね」
怒っていた玲華は、どうやら褒めてくれているようだと理解して、ひとまず怒りを静めた。
「んー、会社立ち上げた時のこと?」
「ええ。ああも個性の強い面子をよく纏められたもんです」
「そうかな? みんな良い子じゃない」
「あの面子を揃えて、その一言で済ませられるのは先輩ぐらいのものですよ」
「そうかなー? って、その面子に麻里ちゃんも入ってるのよ、わかってる?」
「ええ、わかってますよ――話を戻しますが、大樹くんが入社を希望するなら、私は賛成しますよ」
その後にボソッと「それに面白そうですし」と呟いたのは玲華の耳には届かなかった。
「あ、うん。それなんだけどね……」
前に大樹の話を聞いてから、玲華は考えていたことがあった。
「麻里ちゃん、前に秘書課に人手欲しいって言ってたわよね?」
「ええ、言ってましたが――まさか、大樹くんを秘書にしたいんですか? うちの秘書課は男性は入れてませんよ? それに私の分析では彼は秘書というよりリーダータイ――」
「違う違う、大樹くんの後輩よ」
「――後輩ですか?」
「ええ。大樹くんが太鼓判を押して優秀だって言ってる子が後輩にいるみたいなのよね」
「へえ。大樹くんがそう……彼の後輩だと、職歴短いんじゃありませんか?」
「ええ。二年に満たないそうだけど、そんなの関係ない言いっぷりだったわ。そして大樹くんが言うには、その子の資質は副官ですって。だから大きなプロジェクトのサブリーダーや――」
その玲華の言葉の続きを、麻里が言った。
「――秘書、ですか」
「ええ――興味ない?」
「ありますね。資質はともかく、優秀であるなら是非、歓迎したいです」
「そうね――まあ、あくまでも大樹くんがこの話に乗って、後輩もその気になってからの話だけど」
「――では、先輩から誘いを持ちかけるんですか?」
「うーん、そうするしかないかなーって。大樹くん、必要以上に私に頼ろうって気が無さそうっていうか、遠慮してるっていうか……」
「まあ、自分本人ならともかく、後輩の世話なんて頼み辛いのは確かですね」
納得したような麻里に、玲華は苦笑する。
「それに私から話しても、その後輩の子がその気にならないとだし……それに、どうせなら、大樹くんの他の後輩二人も入れたいのよね。この二人も、すごく頑張ってくれそうだし」
「他に二人、ですか? その二人も優秀なんですか?」
「聞いた印象だと、特別優秀って感じでも無かったけど、大樹くんが手塩にかけて面倒見てきて、その上ブラックで長時間勤務経験してるから、経歴より経験濃そう。あと、人柄も申し分ないみたい。大樹くんがすごく可愛がってるみたいなのよね。さっき言った子と合わせて三人とも」
「へえ? それなら希望する仕事さえ合致するなら問題ないんじゃないですか? 中途採用で下手な人迎えるよりよほどいいですよ。今はどこの部署も人手欲しがってますし」
「そう……じゃあ、仮に三人ともが希望してくれたらだけど、入れても問題無い?」
「ええ、問題ありません」
「ん、そっか。でも、いきなり大樹くんに話しても戸惑うだろうから、時期見て誘いかけてみるわね」
「……すぐに勧誘するのでは無いのですか?」
「ええ、だってまだ頼まれた企業を調べることすらやってない段階じゃない。それなのに、いきなり後輩の面倒見ようかなんて言ったら、大樹くんのことだから遠慮が先に来そう。最終的には頷くかもしれないけど、無理に進めて大樹くんに、ずっと遠慮の気持ち抱えてもらいたくないわ。後輩の子達だって、そんな大樹くんから紹介されたくないと思うだろうし。それに後輩の子達が本格的に転職活動始めた今、行きたくなった企業とか見つかったかもしれないし、見つけようと思ってるかもしれないじゃない? そこに応募もせずに、大樹くんからうちに紹介されたら不完全燃焼だったり、後悔とか残るかもしれないじゃない? 結局はその子達が行きたくなったとこに行けるのがベストだとは思うし。だから少し様子見てからかな」
「……なるほど。了解しました。後輩の子は興味深いですが、そうですね。行きたいと思ったところに行けるのが一番ですね」
「そうね。でもその子に関しても、転職活動がどうなってるかは大樹くんが教えてくれるだろうし、どうしても行きたいなんて話でもなければ、その時勧誘すればいい話よ。そうであれば、大樹くんもそこまで遠慮しないだろうし」
「……確かに。そうですね」
ホッと思わず玲華が安堵の息を吐くと、麻里がそっと聞いてきた。
「一つ聞きたいんですが、先輩」
「なに?」
「優秀だと聞いた子以外の二人を入れたいと言うのは、同情からですか……?」
その問いに玲華は苦笑を浮かべずにはいれなかった。
「まったく無いとは言い切れないかな……もちろん入ってもらったのなら、贔屓することなくしっかり頑張ってもらうつもりだけど。一番は、さっき麻里ちゃんが言ったように下手な人を中途採用で迎えるよりいいと思ったからよ」
「……そうですか」
「それに、この三人が転職先決めないと、多分、大樹くんは――っ! あ、今の無し。何でもないから!」
玲華が手を振って取り繕うが、もう遅かった。
「――なるほど。一番はやはり大樹くんのためだったんですね」
ギクとしながら、玲華は麻里から目を逸らした。
「そ、そんなことない――けど?」
そんな玲華を麻里は鼻で笑う。
「――ふっ、先ほどまでの会話を分析したら、先輩が隠そうとしてることなんてお見通しですよ。つまり、大樹くんは可愛がっている後輩が今のブラック企業を抜けるまでは、自分の転職を考えてないということなんでしょう? そんな大樹くんに一刻も早く転職をしてもらうために、後輩三人を手っ取り早く自分の会社に入れる。優秀だし、頑張ってくれそうだからというのもある。そして大樹くんは安心して今の会社を辞められるようになる。正に一石三鳥――いえ、 まだあります! 大樹くんが今の会社を辞めたら、先輩が構ってもらえる時間も増える! 更に後輩が入ったからついでとばかりに大樹くんも勧誘できる可能性が高まる。仕事で活躍してもらうのは言うに及ばず、こっそり社内でオフィスラブも楽しめるし、帰り道も同じ方向だから帰宅デートもできる――なんてことですか、一見ただの同情かと思えば、私情だらけじゃないですか」
ガクガク震えながら聞いていた玲華の前で、おそれいったとばかりに麻里がしみじみと首を横に振っている。
玲華は気力を振り絞って、声を上げた。
「ちょ――ちょっと待って! そんな、オフィスラブとかまでは考えてない――!!」
「――では、その手前までは考えていたということですね? それでも私情たっぷりですね。大樹くんが一番なのにも変わりありませんね。変な人を迎えるよりいいと思ったのが一番だなんて――よく言えたものですね」
「ううっ――麻里ちゃん、怖いよう……」
味方だと頼もしいが、敵――という訳でもないが――に回すとこうも恐ろしいとはと、玲華は本気で思った。
「まあ、社長やってるんですから、これぐらいの強かさも無いとダメですか……最初に言っていたのが建前であっても十分な理由にはなってますしね」
褒めてくる気配を見せて、玲華はホッとする――のも束の間。
「ですが、これだけ考えておいて大樹くんへのアプローチがお粗末に過ぎますね」
「うっ――」
「さあ、今晩の幹部会議で週末にどう距離を縮めるかの話し合いがありますから、キッチリ対策を決めましょうね」
「えっ!? 聞いてないわよ!?」
驚く玲華に、麻里はしれっと答える。
「さっき決まりましたから」
「い、いいわ、私は! 皆で楽しんできて!!」
腰が引けながら拒否する玲華に、麻里が呆れたような目を向ける。
「何言ってるんですか、酒の肴――主役の人が」
「言い直した意味あるの、それ――!?」
二人の言い合いは社長室の前を通りがかった者が怪訝に思う程度に響いた。
そして結局、玲華は
――結果を言えば、散々おちょくられた玲華であったが、実になるアドバイスを授けられたのも確かで、全面的に文句を言えないことに悩む玲華であった。
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