第二十九話 麻里の報告
「――社長、こちら頼まれていたものです」
そう言って、麻里が玲華に渡してきた資料の標題を見て、玲華はすぐ手に取った。
「急ぎでないということでしたので、じっくり調べさせてもらいました」
「――ええ、ありがとう。ごめんね、こんなこと頼んで」
「いえ。私自身が調べたこともありますが、大方指示を出して集めたものですので」
「それでも、ありがとうね、麻里ちゃん」
言ってから玲華は、そこそこに分厚い資料をパラパラと速読で読み進めていく。
その様子をジッと見つめていた麻里が、ポツリと言った。
「大樹くんの会社――ですよね、そこ」
ピクと手を止めた玲華が苦笑して、頷いた。
「麻里ちゃんが調べて気付かないはずないものね――そうよ」
「ええ。社長がこんなこと頼んでくるのが珍しかったことと、タイミングと併せると、その点についてはすぐにわかりました」
「あー、まあ、そうでしょうね」
「――なので、勝手ながら、社内と取引先からの大樹くんの評判についても簡単にですが、纏めてあります。そっちの資料とは別に、こちらになります」
そして、スッと標題も無い資料が机の上に乗せられる。
「――え」
玲華が手を止めて、思わず麻里を見上げた。
「……そこについては社長の気が進まないだろうことは承知してましたが、社長と関係が深くなる可能性があるなら、社としても無視できないと。さっき言った評判程度だけですが、勝手ながら調べさせていただきました、申し訳ありません」
スッと頭を下げる麻里に、玲華は眉を複雑な感情から曲げる。
「えっと、あの――私と関係が深くなる可能性があるならって、どういうこと」
頭を上げた麻里が、淡々と答える。
「社長は仕事に関しては、何の心配もしていませんが、如何せん私生活に関してはポンコツもいいとこです」
「ぽ、ポンコツ言うな!」
「詳しく言うなら、仕事で社長の顔をしている時に知り合った男なら、百戦錬磨のホストであろうとも、社長は軽くあしらうと信頼できますが、プライベートの顔の時に男と出会ったらどうなるか、こちらも不安なとこがあるんです」
「うっ――」
「なので気にせざるを得ません。社長がプライベートの顔で出会った男が、社長の財産目当てなのか、我が社の情報狙いで近づいてきたのか、その男が碌でもない男か、など」
「い、いくらなんでも、そこまで無警戒になってないわよ。これでも人を見る目は持っているつもりよ?」
玲華が頬を引き攣らせながら抗議すると、麻里はため息を吐いた。
「はい。社長としてのその目は確かなものだと知っていますが、それが私生活の時にポンコツ化しないかが最大の問題だったのです」
「もう! ポンコツポンコツ言い過ぎよ!」
「――そうですね。少なくとも、大樹くんに関してはプライベート時の社長の目は、ポンコツ化していなかったことがわかったので、目がポンコツ化するかもという疑いを持ったことに関しては、謝らせてもらいます――申し訳ありませんでした。社長の目がポンコツ化するかもなんて疑って」
深々と頭を下げる麻里を、玲華はジトッとした目で見下ろした。
「ねえ、なんか全然謝られてる気がしないのは、私の気のせいなのかしら」
すると頭を上げた麻里が、心外なと言わんばかりに目を丸くした。
「そんな――深く心よりお詫びしたつもりだったのですが」
「ふーん……」
不機嫌を露わに玲華は唇を尖らせたが、麻里はまったく動じた様子を見せない。
「はあ……もう、大体この私がポンコツだなんてこと自体が間違ってると思うんだけど」
「ご冗談を」
「冗談なんかじゃないわよ!――ったく、もう」
玲華は不貞腐れ気味に、資料に目を通すのを再開した。
五分とかからず全てに目を通した玲華は、思わず顔を顰めた。
「――ひどいわね」
「ええ、典型的なブラック企業ですね。サビ残は当たり前、薄給、休出はほぼボランティア、パワハラ、モラハラ、無能な上層部――社長が変わるだけでこうもひどくなるなんて、という意味では非常に参考になる会社だと思います」
「そうね――だけでなく、これ収益の数字、いくつかおかしいとこあるわね」
「流石、気づかれましたか――恐らく、粉飾でしょう。業績悪化を隠すためなんでしょうが、ちょっとお粗末ですね」
玲華は重苦しいため息を吐いた。
「想像以上に悪いみたいね……考えてみれば、あのタフそうな大樹くんが帰り道に倒れたこと自体が、その酷さを物語ってたんじゃない」
思わす頭を抱える玲華に、麻里は気の毒そうな目を玲華と、大樹について纏められた資料に向ける。
「――その、大樹くんなんですが、この資料はどうしますか。確認しますか」
「え――? ああ……」
玲華が顔を上げてから、遠慮がちにその資料へ視線を向ける。
(大樹くんのこと勝手に調べたようなもんだし、知られたら絶対いい気しないわよね……どうしよう……うう、でも、気になる……)
中を見るか見まいか、玲華が葛藤していると、麻里が軽くため息を吐いて言った。
「さっきも言いましたが、こちらについては社内や取引先からの評判程度で、個人情報については集めていません――言えば、噂の域を超えるようなものではありません」
「そ、そう……」
それでも玲華が目を通すか躊躇っていると、麻里が仕方ないように口を開いた。
「これは、独り言なんですが――」
玲華が怪訝に目を上げると、麻里は淡々と話し始めた。
「社内上層部からですが、彼の評判は最低でしたね。なんでも、碌に言うことをきかない。年上を敬わない、反抗的な態度だとか」
迷う玲華に気を使ったのか、麻里が独り言として語り始めるのに玲華は思わず耳を傾けてしまった。
「――ですが、無能、パワハラと言い換えてもいいような連中がそう言っている訳ですから、寧ろ好感を覚えますね。そして、反対的に取引先ですが、彼と仕事をした人は皆褒めていますね」
「――!」
「若い割りにしっかり丁寧に仕事をする、今時珍しいほどに義理堅い男、彼がいなければ今の会社はとっくに回らず潰れてるんじゃないか、冗談もわかるしなかなかお茶目で面白い男だ――などと、社外からは概ね好意見ばかりが目立ちました」
「へ、へーえ……?」
玲華は自分の頬が緩むのを止められなかった。
「そして社内の、上層部以外からの評判ですが――こちらも好意見ですね。多分、あいつがいるからまだ誰も死んでない。よくスカッとさせてもらってる。あいつの筋肉は大したものだ。あいつが頑張ってるからこっちも頑張ってる――人望がかなりあるようですね」
「ふっふーん」
玲華は知らずの内にニコニコして聞いていた。
麻里は少し呆れた目をしたが、突っ込まずに続ける。
「そして――社長が代替わりした時に、辞めていった者達ですね。彼の元先輩達からですが、こう言ってました。義理堅いあいつのことだから、拾ってもらった恩を返したと思うまでは頑張るつもりなんだろう。一緒にさっさと辞めればよかったのに――あいつなら、多分どこに行っても上手くやるだろうに。筋肉について語らせるとアレだが、いいやつなのは間違いない――と、とにかく、同僚や共に仕事をした人達からは好感が強いようです」
「そっか」
玲華は自覚なくニッコニッコとして、機嫌の良さを隠せない。
麻里は呆れの目を険しく変化させると、少しトーンダウンして続ける。
「あと、これは調べている内に自然と入った情報なんですが……」
「……なに?」
麻里の雰囲気が変わって、玲華は眉をひそめる。
「社長が代わった時にですが、彼――大樹くんの給料、高卒だからという理由で大幅に下げられてます」
「――なっ」
「対外的には別の理由のようですが、それも建前であり、加えて言いがかりのようなもののようです。更に残業代も碌に出ていないようなので、生活はけっこうギリギリではないか、と」
「じ、自分のところの社員を一体何だと……」
玲華は思わず歯噛みして唸った。一経営者として到底許し難く信じられないことだった。
(そう言えばジム辞めたって言ってたけど……原因は時間だけじゃ無かったってことか。可哀想……)
頭を抱えながら玲華は大樹の境遇に同情し、そして大樹と一緒にいる時は、極力お金を出させないようにしようと決心した。
麻里はため息を吐くと、慎重に口を開いた。
「――それで、どうされるんですか、社長?」
その問いに玲華はゆっくりと顔を上げる。
「どうするって――何が?」
「大樹くんのことですよ。我が社に入れるというなら、反対をするどころか、優秀な人物のようですから、積極的に賛成します。コネ入社になりますが、大樹くんなら問題なくやっていけるどころか、すぐ頭角を――」
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