第二十八話 は、はい、先輩

 

 

 

「だーかーらー、誰なんですか、先輩、あの女は!?」


 大樹の正面に座っている夏木が酒に酔って真っ赤な顔で、飲み干したばかりのグラスを勢いよくダンッとテーブルに置く。


「そうですよー、誰なんですかー、あの女の人はー?」


 隣に座る綾瀬が、しなだれるように大樹に詰め寄って聞いてくる。夏木と同じように酔ってるせいで顔が赤い。

 大樹は二人の様を見て、重苦しい息を吐いた。


「二人共、飲み過ぎだ。工藤、お冷や頼んでくれるか」

「ああ、さっきトイレから戻って来る時に頼んでおきました」

「そうか、気がきくようなったもんだな、お前も」

「いやあ――へへっ、先輩にそう言ってもらえるようになって俺も嬉しいですよ」


 男二人がほのぼのとして笑い合っていると、酔った女二人がそんな空気をぶった切る。


「先輩!! 聞いてるんですか!?」

「そうですよ! 質問に答えて下さい!!」


 大樹が再び重い息を吐き出す。


「――だから、言ってるだろ。最近知り合った近所の人で、ちょっと親しくしてもらってるだけだ」


 今日何度目かわからない答えを大樹が返すと、夏木と綾瀬の二人は揃って、納得いかないように、目を吊り上げた。


「それだけじゃないですよね!?」

「そうですよ! 絶対ちょっとのはずないです!!」

「大体、ちょっと親しいぐらいで腕組んで写真撮りますか!?」

「そうです! 先輩、あの美人な人とどんな関係なんですか!?」


 こう問われるのも今日何回目だったかと大樹は、辛抱強く同じ答えを返す。


「だから、それはからかってきてるだけだ。それで、ちょっと怒らせたものだから、罰ゲームみたいにあれを待ち受けにしろと――な? からかわれてるから、腕を組んできたんだし、からかわれてるからあの写真が待ち受けにされてしまった訳だ」


 大樹は嘘はまったく吐いていない。

 そして答えてもやはり、納得いかない風に唇を尖らせ、眉を曲げる二人。


「そうは言ってもですね……」

「ねえ。あ、じゃあ、先輩。その人と親しくしてるって、どんなことをして親しくなったんですか? きっかけは何だったんですか?」


 思っていたより酔いは回っていなかったのか、綾瀬が鋭く聞いてきて、大樹は一瞬詰まった。


「――っ、そ、それはだな――」


 仕事の帰りに倒れてしまっただなんて、心配かけてしまうだろうことを、大樹は後輩達には言えなかった。


「それは――?」


 続きを促してくる後輩達に、大樹は首を横に振る。


「――大したことじゃない。それに、その話は俺だけでなく、彼女のプライバシーにも関わることなのだから、俺の勝手で話していいものとも思えん」


 半分建前、半分本音で大樹はそう返した。

 玲華が自供させられてペラペラ話していることなど、露知らない大樹である。


「む……そう返しますか……」


 やはりそれほど酔ってないのか、綾瀬が冷静に大樹の答えを受け止めていた。


「大したことないなら、話してくださいよ、先輩!」


 一方、夏木は見た目通りに酔っているようで、遠慮が無い。


「駄目だ。もうこれ以上は話さんぞ。まだ聞いてくるなら、お開きだ――もう十分遅いしな」


 大樹がキッパリ告げると、夏木と綾瀬は顔を見合わせると、口を尖らせて残念そうにため息を吐いた。

 二人のその様子を見て、大樹はホッと一息吐いた。


「――それより、お前達、転職活動の方の調子はどうなんだ?」


 会社では開けっぴろげには聞けないこれこそが、大樹が話したかったことである。


「俺はまだ、転職サイトに登録したり、条件に合うとこ探したりしてるとこです」

「私もそんな感じです」

「私は……私も、二人と同じようなとこです」


 最後の綾瀬の言葉に、大樹は片眉を上げた。


(……いくつかリストアップはしたが、二人と足並みを揃えたい……ってとこか?)


 優秀な綾瀬のことだから、二人より先んじてるのは間違いないはずだ。

 ともあれ、大樹は突っ込むことなく、頷いて言った。


「そうか。まあ、じっくり探せ。そして、めぼしいのが見つかったら、受ける前にその企業名、俺に報告くれるか」


 すると後輩達は、何故だろうと揃って首を傾げた。が、夏木が閃いたような顔になって言った。


「もしかして先輩! 一緒に受けてくれるんですか!?」


 工藤と綾瀬が揃ってハッとするのを見ながら、大樹は無情に首を横に振った。


「違う。わかる範囲でだが、ブラックかどうか調べておいてやる」

「ああ……そうですか。いえ、でもそれはありがたいですね」

「ええ、本当に……でも、先輩、そんなの調べてわかるもんなんですか? 負担になりませんか?」


 気遣うように聞いてくる綾瀬に、大樹は少し考えてから答えた。


「俺で調べられることなどたかが知れてるからな。詳しそうな人に心当たりがあるから、その人に頼むつもりだ」


 脳裏に浮かんだのは勿論、玲華だ。この時ばかりは、ポンコツっ気のない頼れる笑みを浮かべていた。


「あ、そうなんですね……それでは、その時はよろしくお願いします」


 ホッとしたように綾瀬が頭を下げると、夏木と工藤の二人も倣って頭を下げてきた。


「ああ。だからくれぐれも早まるような真似はしてくれるなよ?」


 大樹が少しからかい混じりに言うと、後輩達は噴き出し気味に苦笑を零した。


「やりませんよ――もうブラックはこりごりです」

「そうそう。先輩いなかったら、とっくに辞めて田舎帰ってましたよ」

「本当にそう。先輩があの課長との間に入ってくれてなかったらと思うとゾッとするわ」


 工藤、夏木、綾瀬が口々にげっそりしたように言うのを、大樹は苦笑して聞いていた。


「でも、先輩はいつ転職活動始められるんですか……?」


 綾瀬の問いに、大樹は最近考えていたことを口にする。


「俺はお前達の転職先が決まるか、お前達が辞めてからだな」

「でも、俺達が辞めたら、仕事大変になるんじゃないですか?」

「心配するな。お前達が辞めたら、俺もすぐに辞める」

「え――転職先はどうするんですか?」


 夏木のもっともな問いに、大樹は気軽に返した。


「気にしなくていい。最悪、日雇いのバイトでもして食い繋げばいい話だった」

「……先輩がバイトっすか……」

「なんかすごく……」

「ええ――無駄遣い感がひどいわね」


 工藤、夏木、綾瀬が微妙な表情をして言うのに対し、大樹は眉をひそめる。


「お前らな、バイトだって悪いもんではないぞ。滅多にない体験も出来るし、いい運動にもなる。普段は会わないような人にも会えるし、引っ越しのバイトなんて、体も鍛えられて正に一石二鳥、いや三鳥ではないか」


 それを聞いた三人の後輩達は、揃って苦笑を浮かべる。


「先輩って、そういうとこ脳筋ですよね」

「そう言えば、よく体が鈍ったって言ってましたよね」

「でも、こうやって触ると確かに以前より筋肉落ちたのがわかりますね」


 綾瀬が言いながら、腕やら胸板をサスサス触ってくる。


「ちょっと! 恵、何してんのよ!?」

「何って――先輩自慢の筋肉チェック?」


 綾瀬がしれっと答えると、夏木が憤慨して席を立つ。


「ズルい! じゃあ、私もするから席替わってよ!」

「嫌よ。今日は私がここって決まったでしょ――あ、工藤くん、先輩と一緒の写真撮ってくれない?」


 綾瀬が自分のスマホを工藤に渡し、写真を撮ってもらっている間も夏木がギャーギャーと騒いでいる。堪らず、大樹が割って入る。


「ええい、静かにせんか二人とも。それに綾瀬、錆びついた筋肉を触られてると虚しくなってくるだろうが、いい加減やめろ」

「……そういう理由でやめろと言われるとは思いませんでした」


 綾瀬が苦笑しながら、大樹の言う通りに触れてくるのをやめる。


「恵! 次は私! 写真も撮るから替わって!」

「おい、夏木。俺の話を聞いてなかったのか? 俺は今の貧弱な筋肉を触られると虚しくなるからやめろと綾瀬に言ったとこではないか」

「……先輩が貧弱だったら、俺は一体……」


 工藤が複雑そうに自分の体を見下ろしている。


「大丈夫ですよ、先輩! 見かけは言うほど変わってませんよ!」


 夏木が励ましの言葉を送ってくるが、大樹は悲しみと共にため息を吐いた。


「と言うことは、多少は見た目でも落ちているという訳だな――何ということだ」

「あ――」


 しまったと言わんばかりの顔で失言を悟る夏木に、綾瀬と工藤がジトッとした目を向ける。


「いいか、夏木。トレーニングというのはやったらやった分だけ、体は応えてくれるが、少しサボったらそれを取り返すのには三倍のトレーニング量が必要なのだぞ。今まで俺がどれだけ鍛えてきて、そして、どれだけ会社のせいで、筋肉を失ったと思っているのだ。会社のせいで無くした筋肉を取り戻すのに一体どれだけ――」

「あ――は、はい、先輩――」


 夏木が冷や汗を流しながら相槌を打つのを、綾瀬と工藤は諦めのため息を吐きながら眺めるのだった。

 

 

 

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