第二十七話 別に変なものなんて入ってませんよ
「ふんふんふーん」
玲華がご機嫌に鼻歌を歌いながらエレベーターを降りると、あちこちから挨拶のラッシュを受ける。
「おはようございます、社長」
「おはようございます、如月社長!」
「はーい、おはよー! おはよー!」
玲華が笑顔で明るく返すと、女性社員も男性社員も見惚れたようにボウっとしたり、顔を赤くしたりと忙しない。
「おい、ヤバいな、今週入ってからの社長……」
「ああ、溌溂としてるな」
「光り輝いて見えるぜ」
「つまり光の女神か……」
「それだな。それ以上に相応しい言葉は見つからないな……」
「つか、そういうことよりもだな……」
「ああ――」
「か、可愛いな最近の社長……」
「それ。ほんそれ。ヤバい」
「今まで綺麗だって感想ばかりだけど、最近の社長は――」
「可愛い過ぎ」
「早く、『今日の社長』の写真回ってこねえかな」
「流石にまだ早いだろ……」
「そうか、そうだよな……」
「それより聞いたか? あの噂……」
「なんの噂だ……?」
「社長に彼氏が出来たとか……」
「そ、そんな――確かなのか!?」
「わからんが……社長のあの機嫌の良さや、溌溂さを考えたら――」
「信憑性は高い……か――」
「残念だが……」
「そ、そんな――明日から俺は何を希望に生きていけば……」
「馬鹿野郎! 社長に彼氏がいようがいまいが、お前なんかを相手にする訳ないだろ!」
「そんな本当のこと言うなよ。可能性の話じゃねえか、ゼロに近いのとゼロは違うだろ!?」
「……そうだな。俺が悪かった」
「わかってくれたらいいんだ……」
「……そういや、この噂、企画開発の連中には届いてんのか?」
「ああ。届いてるらしいが、問題は無いらしい」
「……そうなのか? 意外だな……」
「だって、あいつらはそれで社長を寝取られた妄想を楽しめるし、そもそも崇拝の対象であって、恋愛の対象じゃないとか」
「……業が深いにもほどがありやしないか?」
普段通りにしているつもりでも、機嫌の良さといったものはどこかしら滲み出てしまうもので、玲華は特にそれが顕著だった。代わりに悪い時はそう表に出ない――先週が例外だっただけだ。
「おはよー! 麻里ちゃん」
変わらず明るい笑顔で社長室に入った玲華は、いつも通り先に控えている麻里に挨拶をした。
「……おはようございます、社長」
起立してスッとお手本のような一礼をして、挨拶を返す麻里の前を横切って玲華は自分のデスクに腰を落とす。
そしていつものようにPCでメールのチェックをしていると、麻里が頭を振りながら立ち上がり、玲華の前まで足を進めた。
「社長――いえ、先輩」
そう呼びかけられて、玲華はギクっとして身構えながらそろそろと顔を上げた。
先週はプライベートの顔になった麻里から散々な目に遭ったためだ。
「――な、何? 麻里ちゃん?」
「はい――そろそろ突っ込んでいいですか?」
冷たい目でそんなことを問われ、玲華は訳がわからないままに問い返した。
「つ、突っ込むって、な、何――?」
すると麻里はこれ見よがしにため息を吐いて言った。
「いい加減、その幸せオーラを撒き散らすのをやめていただけませんか」
「――は? え、何それ?」
玲華は本気で訳がわからず、首をこてんと傾げた。
すると麻里は歯を食いしばって「くっ――」と呻き、自分を落ち着かすように長い息を吐いた。
「機嫌が良いのは結構なことですが、良すぎるのも問題です。週末が楽しかったのはわかりましたから、一度冷静になって己を省みてください――さもないと」
麻里の言葉にギクギクとしながら聞いていた玲華は反論しようと試みるも、麻里の醸し出す迫力に押されて、ゴクリと喉を鳴らした。
「さ、さもないと――?」
「仕事の時以外はポンコツなのがバレますよ――プライベートの時の雰囲気が出過ぎています」
「ぽ、ポンコツ言うなあ!」
こればっかりはと反論すると、麻里は重苦しいため息を吐きながら何度も首を横に振った。
「今はそんなこと話し合ってる場合じゃないんです」
「ちょ、ちょっと、そんなことって――!?」
すると玲華は麻里にギロリと睨まれ、思わず口を閉じてしまった。
「いいですか、先輩――?」
コンコンと諭すような口調で話し始める麻里に、玲華は知らず居住まいを正した。
「自覚が無いようですが、週末が明けてからの先輩は浮かれ過ぎに見えます。今日だって、この部屋に入ってからずっと鼻唄を歌ってましたよ? 自覚ないですよね?――そうでしょうね。さっきも言いましたが、機嫌が良いのはいいんです。問題は良すぎることで、プライベートの時の先輩の雰囲気が出つつあることです。折角、幹部達全員で先輩が仕事の時以外はポンコツだってことバレないようにしてるのに、なんですか、台無しにする気ですか? それだけでなく、如何にも幸せなオーラを発散させるから、綺麗さより可愛さが勝って、社員達が戸惑ってます。そのせいで最近、私のとこにまで苦情めいた悩みのようなものが来ています。読み上げますよ?――『最近、社長が可愛すぎて辛い』『社長が可愛すぎて仕事が捗らない』『今日の社長の写真が来るまで落ち着いて仕事ができない』『玲華たん、はあはあ』『社長に踏まれたら死んでもいいです』……いいですか、この混乱っぷ――」
「ちょっと待った! 今後半変じゃなかった!? 前半も前半だけど! それに写真って何のこと――!?」
突っ込みどころしか感じなかった玲華の制止の声に、読み上げていたスマホにもう一度目を通した麻里は眉をひそめた。
「――別に変なものなんて入ってませんよ」
「え、ええー……?」
「ともかくですね、先輩。浮かれるにしてもほどほどにして下さい。さっきも自覚ありませんでしたが、今週の先輩、一人で作業してる時とか、一人で歩いてる時なんか、殆ど鼻唄口ずさんでますよ」
「うっ――ほ、本当に――?」
「ええ、本当です。とにかく、気をつけて下さい。社長である先輩が、そんな調子じゃ社員に示しがつきません」
「わ、わかった……気をつけるわ」
先の話はともかく、この言葉には玲華も反省をするしかなかった。言われてみれば確かに浮かれていたかもしれない。
「はい、これから気をつけてくださったら構いません」
鷹揚に頷く麻里へ、玲華は神妙に頷いた。どっちが社長かわからない構図だが、今の二人はプライベートモードに近いから仕方ない。
「――で、ところで先輩?」
「は、はい――え、何?」
つい、そんな風に返事をした玲華に、麻里は何気ないように聞いた。
「柳大樹くんでしたっけ――もうエッチはすまされたんですか?」
「ぶふっ――」
「はあ、その様子ではまだのようですね。週末に家デートしたんですよね? 一体何やってたんですか? 先輩なら服をちょっと脱いで寝室に連れていけばイチコロじゃないですか」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと麻里ちゃん――!?」
「なんですか、先輩」
顔を真っ赤に慌てふためく玲華とは対照的に、麻里はどこまでも平坦だ。
「え、え、え、え、エッチもなにも――そ、それにデートでもないし、私達まだそんな関係じゃ――」
そこまで言ったところで、麻里がそれはもう盛大なため息を吐いた。
「あれだけ浮かれていてエッチどころか付き合ってすらいなかったんですか……なんで、こうプライベートだと進展が遅いんですか、契約だとあっという間に成立させるというのに」
「そ、そんなの私の勝手でしょ――!? だ、大体、柳くんだって私のこと、どう思ってるかなんて……」
尻すぼみに弱くなっていくが、玲華は隠そうとしている自分の心情が漏れていることに気づいていない。
「……まだそんなところだなんて……それにしても『柳くん』ですか……ふむ……」
麻里が暫し黙考し始めて、玲華は訝しむ。
「えっと、麻里ちゃん……?」
「ああ、失礼しました。そうですね、ではその大樹くんと、どのように過ごしたのか聞かせてもらえますか?」
「な、何でそんな――え、どうして麻里ちゃんが柳くんのこと名前で呼ぶの」
「別に呼んでませんよ。表しているだけです。本人いないんですし、会ったこともないんですから、苗字で表そうが名前で表そうが別に構わないじゃないですか」
「そ、そうかもしれないけど……」
どうにも腑に落ちない玲華を無視して、麻里はマイペースに話し続ける。
「それで確か……大樹くんが角煮を作ってくれる約束をして来たんでしたよね。で、どうでしたか、大樹くんが作った角煮は? ああ、でも角煮を作りに来ただけじゃないんですよね? 大樹くんは何時に来られてどのように大樹くんと過ごしたのですか?」
妙なほどに大樹の名前を連呼する麻里に訝しむと同時に、玲華の心に何か嫌なものが走る。
変に苛立ちを覚えながら玲華は堪らず抗議する。
「ちょっと、麻里ちゃんが柳くんのこと、大樹くん大樹くんって呼ぶのは、やっぱりおかしいわよ」
「……そうですか? 別に会ったこと無いんですから、そこまでおかしく無いと思いますけど」
「で、でも――」
「そんなこといちいち気にしてたら大樹くんに愛想つかされますよ」
「うっ――」
「私はまだその大樹くんに会ってないんだから、先輩が気にする必要なんてないと思いますけどね」
「で、でも――」
「とにかくですね、週末に先輩が大樹くんとどのように過ごしたか教えてもらえませんか?」
「それは――って、何で話さなくちゃならないのよ!」
「ここで話さなかったとしても、結局は幹部会議で話すことになると思いますけど」
この場合の幹部会議はかっこして居酒屋が入る。
「あ、あんなの卑怯よ! 皆で寄ってたかって!!」
「仕方ないじゃないですか。こんな絶好の面白――酒の肴になること」
「それ、言い換えた意味あるの!?」
「とにかく、さあ、大樹くんのことを話してください。大樹くんとどのように過ごしたんですか。大樹くんの作った角煮はどうだったんですか」
またもワザとらしく大樹の名を連呼されて、玲華は苛立ちと共に口を開く。
「やっぱりおかしいわ! 麻里ちゃんが、大樹くんのこと大樹くん大樹くんって呼ぶの!」
その瞬間、麻里の口端がニヤっと吊り上がった。
「そう目くじらを立てなくてもいいじゃないですか……心配しなくても私は先輩を応援してますし、大樹くんといざ会った時に誘惑しようだなんて考えてませんよ」
「む、むう……べ、別に応援とかは……」
「私の分析から大樹くんが先輩をどう思ってるか――聞きたくありませんか?」
玲華の手がピクッと震える。
麻里の分析力の高さは玲華が一番良く知っているし、一番評価している。
現に玲華は大樹のことを特に話していないのに、玲華の反応だけでどんどん現況を把握していっているのだ――これに関してはプライベートモードの玲華が表に出てポンコツ化してるせいでもあるが、それでも麻里の分析力は確かだ。
「――ま、麻里ちゃんが、そこまで言うなら……」
と、玲華は渋々の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます