第二十五話 繋がりを感じて

 

 

 

「あ、さっき味見したのよりずっとプルプルしてるわね」


 箸で角煮をつまんだ玲華が楽しそうに言い、大樹は同意を込めて頷いた。


「でないと、あの後に煮込んだ甲斐が無いですからね」


 同じように箸でつまんでいる大樹が、息を吹きかけ少し冷ましてからハフッと口の中に入れた。

 先ほど味見した時の固さがなくなってよりホロリと崩れていく。そして甘辛い煮汁が微かなニンニクの香りと共にジュワッと湧いてきて、最後に生姜の爽快さが走って、口の中の甘辛さを緩和していく。


「――うん、上出来だな」


 そしてビールで一気に流し込む。


「――はあっ、やっぱりこれだな!」


 タンッとグラスを置いて、大樹は満足感からの吐息を漏らす。正面を見ると玲華が、ふーふーっと冷まし、大樹と違って一口でいかず半分に満たないぐらいの量を齧った。


「――んんっ……ふふっ、美味しい。こう美味しいと自然と頬が緩んでくるわね」


 ちょっと色っぽくしながら飲み込んでいる様子に、大樹は目が離せず呆けてしまった。


「? 柳くん?」

「え、ああ、いえ。美味かったのならよかったです」

「ええ! 本当にすっごく美味しい!!」


 満面の笑顔で告げてくる玲華に、大樹の頬が緩んでくる。


「あ、角煮ですがね。チャーハンの上に乗っけて一緒に食うのも美味いですよ」


 既にチャーハンの材料として入っているが、今回のはしっかり煮込んだものなのだから、食感がまた違うし、何より煮汁がチャーハンに染みるのだ。


「あっ――! それは絶対に美味しい!!」


 目を輝かせて早速試してパクリとする玲華。


「んんーっ! 美味しい――!」


 悶えるように感想を述べる玲華に、大樹は思わずクスリと零す。


「同じ豚肉の油から作ったチャーハンですからね。相性はバッチリなんですよ」


 言いながら大樹も同じようにして一口頬張る。

 先ほど食べたチャーハンの上に角煮の味が広がり、もっと米を寄越せと主張してくるので、大樹はガツガツとチャーハンを口に放り込む。それを飲み込むとすかさずビールを流す。


「はあー! 美味え」

「本当に。これしてたらすぐチャーハン無くなっちゃいそう」


 ニコニコしながら玲華は、角煮を盛った皿から大根をとって先ほどと同じように息を吹きかけて冷まして口に入れる。


「はふっ――うう……美味しい……何で煮込んだ大根ってこんなに美味しいのかしら」


 頬に手を当ててうっとりとしみじみに言う玲華に、大樹はまた見惚れそうになった。


「はは、そうですね。大根は一緒に煮込んだものの味を勝手にいい具合に吸収してくれますからね。使い勝手のいい食材ですよ、ほんと」


 言いながら大樹も大根を口に入れる。

 ハフハフとさせながら噛むと、これでもかと煮汁が出てくるが、それでも大根そのものの味も主張してきて、それがどこかホッとさせてきて、とにかく美味い。

 続いて大樹が卵に箸を伸ばすと、玲華も同じく卵をとって小皿に乗せて半分に割っていた。中は流石にもう半熟では無いが、味の染み込みはバッチリだと色でわかる。


「うう……卵も美味しい……」


 一口食べてジーンと感動したような玲華に苦笑して、大樹も半分に割った卵を口にする。


「――うん、美味い」


 普通のゆで卵は塩をかけて食べるが、この味が染みたゆで卵は甘く、そして美味かった。


「ネギはちょっと掴みにくいですが、これも美味いと思いますよ」


 クタっと芯を感じさせないほど煮込まれたネギを箸でとりながら、玲華に勧める大樹。


「角煮にネギの白い部分って珍しいわよね」


 好奇心を顔に浮かべながら、玲華は器用に箸でネギを掴み、冷まして口に入れると、思わずといったように微笑んだ。


「ふふっ、トロトロね、これ――美味しい」

「けっこう好きなんですよね。角煮に入れたネギって」


 頷きながら大樹も口に入れる。

 これもジュワッと煮汁が出る。そしてトロトロになったネギが存在を主張してくるのである。

 たまらず大樹はビールを喉に流す。


「はーっ! ビール美味い!」

「ふふっ、本当に美味しそうに飲むんだから」


 瓶を差し出してくる玲華に向けて、グラスを傾けて受ける。


「やっぱり角煮とビールの相性はたまりません」

「うんうん。あ、日本酒欲しくなったら言ってね」

「ええ、ありがとうございます」


 大樹が強く頷くと、玲華は口直しにナムルを食べ、そして角煮の皿からまたとって、パクパクと食べ進める。作り手としては見てて満足感が高まってくる。


「うーん、美味しい! 止まらない!!」

「はは、よかったですよ。多分、今日じゃ食べきれないほどあると思うので、残ったら明日の夜にでも食べてみてください。角煮は一旦冷めた方が味が染みて美味くなりますから、明日食うとより美味いと思いますよ」

「本当!?」

「ええ。でも、明日も食べる気にならなかったらタッパか真空の袋にでも詰めて冷凍庫にでも入れておけば好きな時に食べれますよ」

「あ、そうしてもいいのね。でも、うーん……明日また食べたくなると思うから明日かな……」

「はは、お好きにどうぞ」


 大樹が笑って言い、玲華が頷こうとしたところでハタと気づいた顔になった。


「あ、でも、明日だと柳くんが一緒じゃないのよね……」


 言いながら、しゅんとする玲華に大樹は首を傾げた。


「? ええ、そうなりますね。気にせず食べてくれて構いませんよ。材料費だって、如月さんが全部出してくださったんですから」

「あー、でもねえ……」

「……気にせず、晩酌のつまみにしたらいいですよ。俺といる時は酒は少なめにしてますよね……? 一人なら俺を気にせず酒飲めるんですから」


 前に食事した時と今日と玲華はビール一杯ぐらいしか飲んでいないことからの大樹の推測だが、外れてはいないだろう。何せ冷蔵庫の中にはけっこうな酒ビンや缶ビールが入っていたのだ。玲華はもっと飲めるはずだし、酒が好きなのは間違いない。大樹がいる時に飲まないのは、男と一緒だから酔い潰れないように心がけているとかそんなとこだろう。

 なので、大樹がいない明日の晩に、角煮をつまみに好きなだけ酒を飲めばいいと思っての言葉である。警戒されてるようで、残念な気持ちが無いでもないが。


 そんな大樹の言葉の裏を玲華はすぐに察したようで、慌てて手を振った。


「あ――ち、違うのよ!? 柳くんを警戒して酔わないようにしてる訳じゃないのよ!? 本当よ!? 柳くんなら私が酔いつぶれても紳士に介抱してくれるって信じてるわよ!?」

「そうですか……いや、言いたくないならいいんですが、ではどうして?」


 踏み込んで聞いてみると、玲華はあからさまに気まずげな顔になった。


「う、うーん……ちょっとね、私酒癖が悪いみたいで……流石にそこは見られたくなくて……」

「はあ……別に少しぐらい酒乱でも俺は気にしませんが……何よりここは如月さんの自宅ですから、送って帰る必要とかもありませんし……」

「ご、ごめんなさい! まだ、酔ったところを見られる覚悟は無いの!」


 パンと手を叩いて拝んでくる玲華に、大樹は目を瞬かせた。


「あ、いや、いいですよ。酒はやっぱり、気持ちよく飲むのが一番なんですから。無理しなくていいです」

「う、うん……ごめんね……?」


 しおらしく上目遣いで謝ってくる玲華は、それはもう反則級の破壊力であった。


「き、気にしてませんから、お気遣いなく……」


 動揺を隠すのに必死で、それだけ返すと玲華はホッとしたように一息吐いた。


「えっと、さ、さあ、食ってください。大根も卵もネギも美味いはずですから」

「あ! そうね、大根も卵も本当に美味しそう……」


 そう言って目を輝かせながら角煮の皿に箸を伸ばす玲華を見て大樹もホッと一息吐いたのであった。こうして夜は更けていく――。







「かーっ、美味え! 如月さん、この日本酒かなり上等なやつでは? いいんですか、俺なんかに出しちゃって」


 チャーハンを片付けた辺りで大樹が日本酒をリクエストすると、玲華が冷えた徳利とお猪口を出してくれて、それを既に一本空けた大樹がほろ酔い気分でご機嫌になって言う。


「ふっふーん、美味しいでしょ? 私の好きな銘柄なのよね、これ。俺なんかって言わないで好きなだけ飲んで? 柳くんのために買ってきたんだから」

「そ、そうなんですか……いや、ありがとうございます」


 会釈しながらしっかりおかわりを要求するように、お猪口を向ける大樹に、玲華は苦笑しながら徳利を傾ける。


「それにしても、柳くん、本当に美味しそうにお酒飲むわよね。だからこっちも注ぎ甲斐があるわ」

「そうですか? でも実際、美味いですからね……角煮と日本酒の相性は元々最高だし、何より――」


 そこで大樹が角煮を口の中にいれたために話すのを止めると、玲華は小首を傾げた。


「――何より?」


 大樹は口の中のものを飲み込み、すかさずキュッと酒を流すと、熱い息を吐きながら上機嫌に言ったのである。


「――何より、こんなに可愛くて美人な如月さんが、酌をしてくれてるんですよ。美味くない訳がないです」


 大樹は少々酔っているために、思ったことが口に出やすくなっている。

 玲華は顔を真っ赤にして、口をパクパクとさせている。


「か――可愛くて美人……」

「ん? はは、すみません。セクハラになっちまいますかね? 勘弁して下さい」

「い、いえ、そんなセクハラだなんて――」

「はは、ですよね。単なる事実ですしね。如月さん本当美人だし、知れば知るほど可愛いとこ見せて来るし、ちょっと反則だって思うぐらいですよ、はっはっは」


 もう一度述べるが大樹は酔っている。だが、玲華は酔っていないのである。


「――! ~~っ!! や、柳くん、けっこう酔ってない……?」


 耳まで真っ赤になった顔を俯き加減で隠している玲華が聞くと、大樹は首を傾げた。


「どうでしょう? ちょいと酔っちまいましたかもしれませんね」

「う、うーん……ちょっとじゃないかも……」

「あれ、そうですか……?」

「ええ、酔ってると思うわ」

「ふむ……なら、この辺で控えた方が良さそうですね……明日に響くかもしれませんし」


 すると玲華はホッとした顔になって、席を立ちあがった。


「お水飲んだ方がよさそうね、入れてくるから待ってて」

「ああ、どうも……」







「あ、もうこんな時間ですか。もう帰った方がいいですね」


 盛り上がる雑談の中で水を何度か飲み、酔いが治まってきた頃に大樹が時計を見ると、もう22時を過ぎていた。


「あ、そう――ね。残念、もうちょっとお話したかったかな」


 茶目っ気がこもったような言い方であったが、少なからずの寂しさも確かに混じっていて、それが伝わった大樹も同じ気持ちになった。


「はは、そうですね。前もそうでしたけど、如月さんといると時間が経つのが早く感じますよ」


 言いながら大樹は椅子から立ち上がる。


「ふふ。ええ、私も……酔いの方は大丈夫? 帰れそう?」

「ああ、もう大丈夫ですよ。もう大分醒めてますので。いいところで止めてくれたと思います」

「ふっふ、感謝してくれていいのよ?」

「してますとも、この通り――」


 言って大樹が頭を深く下げると、玲華はうんうんと頷いていたが、すぐに噴き出して笑い始め、顔を上げた大樹も一緒に声を立てて笑い合う。


「――それじゃあ、帰ります」

「あ、下まで送るわね」

「……それじゃ、お願いします」

「はい、まっかせなさい!」


 そうして連れだって広い廊下を歩き、大樹が使い捨てのカードキーを鐘巻に返却し、マンションの玄関に立ったところで、玲華が思い出したように声を上げた。


「あ、そういえば、夜景見ながらの露天風呂してないじゃない」

「……そういや、そうですが、昼に入りましたし、俺はまた今度のつもりでしたよ」

「あ、そうだったんだ」

「ええ。でないと、あんなに酒飲みませんよ」

「そうね。飲酒してからのお風呂は危ないしね」

「ええ、帰れなくなります。それに――」

「――それに?」

「なんかもったいないじゃないですか、昼と夜の両方を今日一日に済ませるなんて」


 大樹がしみじみと言うと、玲華がキョトンとなって噴き出した。


「ふふっ、それもそうか。じゃ、また今度ね?」

「ええ、また今度よろしくお願いします」

「ええ、いつでもどうぞ」


 ニッコリ告げてくる玲華を、大樹は眩しいものを見るような目で見つめた。


「――それでは」


 と、大樹が振り返ろうとしたところで、玲華に呼び止められる。


「あ、ねえ――」

「――はい?」


 大樹が目を向けると、玲華が少しモジモジしながら「えっと――」と頬をかいた。


「次はいつ休み――じゃなくて、いつ来れそう……?」


 少し恥ずかしそうに俯き加減で問われて、その愛らしさに大樹は心臓がフリーズしかけたが、なんとか答えた。


「そ、そうですね……もう毎週一日は休めると思うので、次の日曜とか来れると思いますが――あ、もちろん如月さんの都合が――」


 合えば、と言いかけたところで玲華が勢いよく顔を上げる。


「えっ、次の週末もの!?」

「え、ええ……ですが、如月さんの都合は――?」

「大丈夫よ! えっと、じゃあ、来週の日曜日も……?」

「ええ……迷惑でなければお邪魔させてもらいますが」

「何言ってるのよ! 迷惑なんてことないわよ!! じゃあ、次の日曜日ね!」

「――はい、それではまた伺わせてもらいますね」

「ええ!」


 満面の笑みで返事をする玲華に、大樹の頬が自然と綻んでくる。


「あ、それなら、日曜日何が食べたいか考えといてくださいよ。また作りますよ」

「――いいの!? あ……前も今日も作ってくれてるのに……少ない休みの日なのに疲れない?」

「あれぐらいじゃ疲れませんよ。それに俺のアパートと違って広いキッチンだから、あそこで料理するの楽しくて腕の振るい甲斐があるんですよね。だから遠慮しないでください」

「そっか――じゃあ、またご馳走してもらおっかな」

「ええ。なので、何が食べたいか考えといてくださいよ――ああ、一応言っておくと俺の本領が発揮されるのは洋食です、とだけ言っておきます」

「ああ!? そ、そっか……柳くん、洋食が得意なんだよね……」

「ええ。洋食以外は本当、家料理の範疇ですよ。まあ、それも美味く作れる自信はありますが、ね」


 そう言うと、玲華はコクコクと強く頷いた。


「それはとても実感してるわ……! わあ、なんかすごい贅沢な話ね? これって料理人のケータリングサービスと同じようなことじゃない」

「……如月さんなら、余裕で現役のプロを呼べると思いますがね?」

「もう、そんなつまらないこと言わないでよ。お金を払って作ってもらうのじゃ、外食とそう変わらないじゃない? 柳くんがうちに遊びに来て、私のために作ってくれるのとは全然違うでしょ?」

「……そうですね。失礼しました」


 大樹が苦笑して詫びると、玲華は一本取ったような得意顔を浮かべた。


「ふっふ、そうでしょ? あーでも、迷うなあ。何がいいかな……?」

「はは、土曜までに決めてくれたら対処できますから、じっくり考えてくれていいですよ」

「あ、そうね。うん、考えておくわね!」

「ええ、決まったら教えてください……あ、また買い物頼んでいいですか?」

「ええ、まっかせなさい! 柳くんは作ってくれるんだから、材料費は気にしないで、何でも言ってね?」

「……じゃあ、そこは甘えます」

「ええ。その方が私も気が楽だから、そうしてくれると助かるわ」


 その答えには苦笑するしかない大樹である。


「はは――それじゃ、帰りますね。土曜までに何食べたいか考えといてください」


 言いながらまた自動ドアに足を進めようとしたところで、また呼び止められる。


「あ、待って――!」

「はい?」


 振り返ると玲華はスマホをかざして、小悪魔的な笑みを浮かべて言ったのである。


「スマホの待ち受け――変えちゃ、ダメよ?」


 大樹は目をパチパチさせてから苦笑を浮かべて頷いた。


「――了解しました」

「はい、よろしい――じゃあ、また来週ね?」

「……はあ。ええ、また」


 ニッコリ手を振る玲華に、背を向けて大樹は自動ドアをくぐった。

 そして歩き出し、一度振り返ると、まだ玲華がこちらを見ていたので、軽く手を振ると、笑顔はそのままですぐ振り返してくれた。


 踵を返し、大樹は今度こそマンションの敷地から出て家路へ足を進めるが、ふと立ち止まってマンションを見上げた。

 前も玲華の見送りを受けた後にこうやってマンションを見上げた時、また訪問する約束は確かにしたが、本当に実現するかは実際のところ、半信半疑だった。


 だが、今回は違う。


 確かな繋がりを感じて、また玲華に会うのだと確信しながらの帰路だ。

 その繋がりと確信が妙にくすぐったく、そして温かく感じながら大樹は、もう自分とは無縁と思えないマンションを後にするのだった。

 

 

 

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