第十六話 玲華と社員達

 

 

 

「おはようございます、社長」

「ええ、おはよう」

「おはようございます――」

「おはよう――」


 自社のあるフロアにエレベーターから降りると、途端に四方から挨拶を受け、玲華はアルカイックスマイルで次々と挨拶を返して行く。

 会社も社長も若いため、社員も若くその平均年齢は三十に満たない。

 つまりは28歳のアラサーである玲華からしたら社員は歳下の方が多い。

 その中の女性社員からしたらバリバリ仕事をこなし、社長の地位にある上に稀に見る美貌とモデル並のスタイルまで兼ね備える玲華は正に憧れの目で見ることが多い。


「ああ、社長今日も綺麗で格好いい……」

「本当にね。それに気さくだし、よく声もかけてくれるし……」

「どうやってあのスタイル維持してるんだろ」

「気になるわー。現役のモデルって言っても全然通じるしね」

「今度、また部の飲み会に来てくれた時に聞いちゃおっか?」

「それいい! 社長ともっとお話してみたいし!」

「でも図々しかったりしないかな……?」

「大丈夫じゃない……? 社長滅多に怒ったりしないし……」

「機嫌良さそうな時なら大丈夫じゃない?」

「そうね。あ、でもそれだと今週はやめた方がよさそうね」

「あー、やっぱりそっちも思った? なんか今週入って機嫌悪そうな感じだよね、社長」

「あ、こっちでも噂になってたわ。どうしたんだろうね、先週はすごく機嫌良さそうだったのに」


 ――と、このような感じである。 


 対して男性社員であるが、やはり女性社員のように憧れで見る者は多い。人によっては高嶺の花のようであったり、女神のように崇めたり――


「よし、今日も社長の顔見れた。これで一日頑張れる」

「俺なら三日頑張れる」

「馬鹿野郎、一週間は頑張れるだろ」

「あのおっぱいにダイブできたら俺は死んでもいい」

「お前……いや、そうだな。男の悲願と夢があそこにはある」

「俺は頭撫でてもらえたら、もう人生に悔いはない」

「わかる……」

「俺は踏んでもらいてえ……」

「てめえ、あの優しい社長で何て想像してやがる」

「いやいや、罵られるだけで俺は十分だぞ」

「どMが多いよな、この会社の男は……」

「我らが女神の前にいると、そうなってしまうのも無理はない」

「げっ、企画開発の連中じゃねえか」

「こないだも残業し過ぎだと、我々はご褒美のお言葉を賜ったのだ。羨ましいだろう?」

「いや、怒られてるだけじゃねえか」

「いや、社長は注意しただけだ。慎重に怒らないようにしてたの俺見たぞ」

「欲を言うなら、何やら機嫌の悪い今週にご褒美を賜りたかったが……ままならんものだな」

「ああ、社長、今週入ってなんか機嫌悪いって噂なってたな」

「我らが観察班によると、それも日を追うごとに悪くなっているようだ」

「……こいつらが言うと、説得力がすげえな」

「さあ、今日も玲華たんの――女神のために終電まで頑張るぞ!!」

「おお――!!」

「企画開発の連中、いつかマジで社長に怒られるんじゃねえか……?」

「そうなったらなったらで、連中にはやっぱりご褒美にしかならねえんだって、喜ばせるだけだ」

「……業が深いな」


 ――こんな感じである。ちゃんとまともな男性社員もいるのだが、存在感は薄くなってしまう。

 このように毎朝のように社員から自分のことを噂されるものだから、そのことは知っていても内容まで把握しておらず、機嫌が悪いことを悟られてるなど玲華は思いもしていなかったりする。







「おはようございます、社長」

「おはよう、麻里ちゃん」


 社長室に入ると、玲華は浮かべていたアルカイックスマイルを消して、つかつかと部屋を横切り自席に腰を落とす。


「社長、今日のお昼はどうなさいますか?」


 PCが起動するのを待っていると、そう聞かれて玲華は特に考えずに答える。


「いつものとこの日替わり弁当とサラダでお願い」

「かしこまりました」

「……今日のメニューって何だったかわかる?」


 スマホに目を落としながらなんとなしに聞いてみると、麻里はスマホを操作してから答えた。


「今日は角煮ですね。このお店にしてはけっこう珍しいですね」


 その答えに玲華がピクッと反応して顔を上げる。


「角煮って……豚の角煮?」

「恐らくそうだと思いますが」

「あー…………麻里ちゃん、やっぱり今日はお弁当はいいわ」


 たっぷり悩んでからそう言うと、麻里は珍しく目をパチクリさせた。


「構いませんが……社長、角煮は好きでしたよね?」

「え、ええ、好きよ。でも、今日はいいの」

「はあ……」

「久しぶりに外に食べに行こっか、ね? 私が奢るから」

「構いませんが……」

「うん、決まりね。行きたいお店とかある? お昼までに考えといてね」

「はあ……わかりました、社長――いえ、先輩?」


 麻里がそこで急に秘書然とした顔を崩したので、玲華は驚いて目を丸くした。


「? どうしたの、麻里ちゃんがここでそう呼ぶなんて珍しいわね」

「ええ。ここは後輩として聞きたく思って」

「……何かしら?」


 玲華は少し警戒するように身構えた。何故なら麻里が秘書の顔をやめて後輩の顔になるのは飲み会の時だけだからだ。それも創立メンバーでの飲み会であり、先週末にもそれが行われ、玲華は散々メンバー達に大樹のことでからかわれてしまったのだ。麻里が後輩としての顔を出したので、そのことを思い出し、身構えたのである。


「柳大樹くんでしたっけ? 彼と角煮を食べる約束でもしたんですか?」

「――っ!?」

「あ、その顔でわかりました。で、その約束をしたのに、いつかまだハッキリしないから苛立ってる。違いますか?」

「べ、別に苛立ってなんか……」


 玲華が手をバタバタと振って否定すると、麻里は露骨にため息を吐いて見せた。


「はー……そう思ってるのは先輩だけですよ。社内ではすっかり噂になってますから、今週に入ってから社長の機嫌が悪いって」

「えっ、嘘!?」

「本当ですよ。今まで碌にこんなこと無かったせいか、各部から心配の声が私のとこにまで上がってきてますよ」

「ちょ、ちょっと、そんなに私機嫌悪そうに見えた!? そんなつもりは無かったんだけど……」

「ええ、そうですね。先輩は上手く取り繕っていたと思いますが、それでも気づく人は多いんですよ。社長だから只でさえ注目されるのに、先輩その上で美人だから、余計に目を集めてしまって、そのせいで気づかれるんですよ。何か今日は機嫌悪そうだなって」

「ええ……」

「更に言うなら先週は機嫌が良かったせいもありますね、会議出席者なんかはハッキリ先週とは機嫌がまるで違うと言ってる者が多いです」

「そ、そんな……」


 ガクッと項垂れる玲華。確かに機嫌が悪くなっていることは自覚していたが、外には出てない自信があったのだ。社長なんてしているだけあって、取引先との交渉、契約に於いて嫌なことなどいくらでもあった。その都度、社員に内面を悟られないようにしてたし、隠せていたのだ。それが今回は出来ていなかったことに玲華はショックを隠せなかった。


「――という訳でですね、先輩、スマホを渡してください」

「え、何が、という訳でなのよ!?」

「決まってるでしょう。私が先輩の振りして、その柳大樹くんと連絡をとって、次の予定を決めますので」

「そんなの言われて渡す訳ないでしょ!? それに何で麻里ちゃんにそんなことされなくちゃならないのよ!?」

「だから言ってるでしょう。社員から不安の声が上がってるんです。それを解消するためなんです。私だって、そんな出しゃばりしたくありませんが、こと社員にまで心配をかけるなら、その解消のため、社のために秘書として私は動かなくてはなりません。さあ、さっさとスマホを寄越してください」

「うっ……そ、その言い方は卑怯よ」


 玲華はスマホを両手でしっかり握りしめながら弱々しく抵抗する。


「ええ、そうかもしれませんね。だから、何か――? 社員のため、社のためなら仕方ありません」

「あ、わ、わかった! 私から連絡とってみるから! だから、麻里ちゃんが――」


 そんなことしなくていいと言いかけたところで、無慈悲にも遮られる。


「信じられません」

「ちょ、ちょっと!?」

「何言ってるんですか、どうせ先週から今日まで連絡しようしようと思いながら出来なかったくせに」

「うっ……きょ、今日こそは自分からしてみせるわよ!」


 すると麻里はこれ見よがしにおおきなため息を吐いた。


「そんなこと言って、どうせ出来なかったという未来しか見えませんよ。まったく、仕事の交渉ならいくらでも強くなれるのに、私生活はどうしてこうポンコツ不器用なんでしょうね。気になる人に連絡もとれないなんて」

「ポ、ポンコツ言うな!」

「とにかく、スマホを渡してください。悪いようにはしませんから」

「嫌よ、そんなの!! そ、それに気になるとか柳くんと私はそういうのじゃ――」

「ああ、もう、そういうのいいですから。青春中の学生じゃないんですから、ほら早く」

「な、何よ、その言い方!?」

「……こうなったら実力行使させていただきます」


 怪しげに目を灯らせた麻里がゆらりと玲華に迫ろうとする。


「きゃー!? やめて、やめて! わかった、今! 今から連絡するから勘弁してー!?」


 スマホを握りしめた手を体で隠すように抱え込んで必死に抗議の声を上げる玲華。


「……では、今すぐ先輩からメッセージ送るなり、電話するなりして下さい」


 踏み出そうとした足を止めた麻里が無情に告げてきて、玲華は諦めのため息を吐いて、渋々に体を起こし、スマホの認証を解いて画面を開く。

 そしてメッセージアプリで大樹の名をタップして――


「……先輩? ジッと画面を見つめていても、メッセージは出来ませんよ?」

「わ、わかってるわよ! ちょ、ちょっと待って……」


(ええっと、何て……ええと……)


 そうやって玲華が悩むこと数分経った頃、麻里が額に青筋を浮かべてニコリと手を差し出してきた。


「先輩もそうですが、私もヒマじゃないんですよ? 貸してください」

「あー、ま、待って! 今、ちょうど! 思いついたとこだから!!」

「……なら早く書いてください」

「わ、わかってるわよ……」


 そして玲華の指がタップするかと思えば離れたりと、そんなことを何度か繰り返したところで、麻里が露骨に大きなため息を吐いてみせた。


「……先輩、固く考え過ぎです」

「……固く?」


 玲華が恐る恐る顔を上げると、麻里は呆れたような顔で諭すように言ってきた。


「ええ。例えばですが……今ここで――ここでなくともバッタリ柳大樹くんと会ったとしましょう。そこで先輩は何と声をかけますか?」

「ええ? それは久しぶりって声かけて、それからこないだのこと……とか……――! わかったわ、麻里ちゃん。任せて!」


 玲華が明るくサムズアップして見せると、麻里は残念な子を見るような目で頷いた。

 

 

 

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