第十四話 カリスマ社長の玲華
明るい陽射しがガラス越しに照らされ、そして静かに、だがどこか和やかな空気が漂うこの一室では定例の会議が行われていた。
「――じゃあ、次、広告事業部の報告お願い」
玲華が涼やかな声で呼びかけると、25歳にしてチーフに抜擢されたばかりの広瀬真奈美が、若干の緊張が浮かんだ顔を上げる。
「はい。広告事業部からですが、S社との新規契約についてです。資料の15ページを確認ください」
会議に参加している十人が一斉にペラっと紙を捲る。
揃っている時のこの音を聞くのが玲華は何となく好きだった。
「――以上の内容で提案しました。それと先方、結果次第ですが、通年の契約に変更するかもと仰ってました。以上です」
簡潔なその報告を聞いて、玲華は殆ど間を空けず口を開いた。
「うんうん、いいんじゃないかな? 数字も特に問題ないと思うし……何か意見ある人いる?」
予想していた通り、特に反対意見はなかったので、玲華は広瀬に笑顔を向けた。
「うん、広瀬ちゃん、このまま進めちゃって。大きく変更なければ、そのまま最後までシメちゃっていいから」
手でOKサインを作って見せると、広瀬は顔を紅潮させて返事をする。
「は、はい――! ありがとうございます!!」
「はーい。あ、広瀬ちゃんの手応え的にはどうだった? 通年契約の方は」
「は、はい。特に問題が無ければそのまま成るかと……あ、いえ! 成立させてみせます!」
見るからに意気込んでる広瀬に、玲華は苦笑する。
「あはは、無理はしなくていいから。ここからこの数字でワンシーズンの契約とれただけでも十分だからね」
「は、はあ……」
「焦って契約しようとすると、どんな要求くるかわからないしね。大丈夫よ、この内容ならあっちから継続願ってくるわ。自信もって」
ウィンクして告げると、広瀬は感激した様子で「ありがとうございます!」と、頭を下げた。
「はい、じゃあ、次は――企画開発事業部の報告お願いね」
促すと、長身の男――石田が場慣れした様子で口を開く。
「はい、企画開発事業部からですが、まず資料の20ページを確認ください――今シーズンの企画としては滑り込みもいいところですが――」
どっと笑いが入る中、石田の説明は朗々と続く。
「――という訳で、ちょいと無茶なスケジュールになりそうですが、うちの班としては面白いから是非やりたいと班員全員やる気を漲らせちゃってまして……なんとかやらせてもらえないですかね?」
石田が窺うような目を向けてきて、玲華は資料をもう一度だけサッと目を通し、眉をひそめた。
「このスケジュール……かなり残業込みで立ててるみたいだけど、大丈夫なの?」
「ああ、いや、気づいちゃいましたか、社長」
「当たり前でしょ? 企画開発事業部だけ、毎月残業時間異常なのよ。やめてっていつも言ってるじゃない」
「いやあ、俺もそう言ってはいるんですが、どいつもこいつも『会社ラブっすから』とか『社長命っすから』とか言って聞きやしないんですよ。止めるなら社長から言ってやってくれませんかね?」
玲華が思わず天を仰ぐ周りで、爆笑する声が響く。
「はあ……わかったわ。後で私から部長含めて言いにいくから、石田くんはせめてその企画、班員の残業時間が40越えないようリスケして」
「40以下ですか……厳しいですね。あいつらもう夜食の補充から始めてるんですが」
「だから、どうしてそう残業したがるのよ! ホワイト勤務目指してっていつも言ってるでしょ!?」
「社長の人徳ですかねえ……あ、でも社長が残業してるから、あいつらも残業したがるってことは覚えといてくださいよ」
「……社長に残業なんて概念ないんだけど、ね。わかったわ、私も早く帰るようにするから」
「それならなんとか……あ、部に来た時は間違っても叱らないでくださいよ」
「……別に叱るつもりは無いけど、一応聞くわ、どうして?」
嫌な予感と共に玲華が聞くと、石田が目を丸くした。
「どうしてって――ご褒美にしかならないからですよ。火にガソリン撒くようなもんですよ?」
「ねえ、私の会社だけど、大丈夫なの?」
玲華がグッタリしてつい零すと、他の会議出席者が首を横に振る。
「社長、言っておきますけど、企画開発事業部だけですよ。変態の巣窟は」
「正確には部長を筆頭に、だけど」
「あそこの連中は社長の顔見るために出社して、社長喜ばせるために仕事してるようなもんだからな……」
「気持ちはわからないでもないですけどね……」
「その癖、いい企画出して実績だけは積んでいくんですよね……変態だけど」
「そうなんですよね、仕事は出来るんですよね……変態だけど」
頭痛を追い払うように、玲華は手を振って皆の口を止める。
「――はいはい、次! 営業事業部の報告お願い!」
こうして賑やかに朝の定例会議は進行していくのであった。
「定例会議終わりーっと。麻里ちゃん、コーヒー入れてくれない?」
会議を終えた玲華は社長室に戻ると、同室にデスクを構える秘書の
「かしこまりました」
スッと一礼したおかっぱヘアーで怜悧な印象を感じさせる美貌の彼女は、この会社立ち上げ時のメンバーで、前身のサークルでは玲華の後輩に当たる。秘書を担当しているだけあって非常に優秀で、玲華にとって無くてはならない腹心である。
麻里がコーヒーを点てているのを横目に、机に座った玲華は、まずスマホを手に取ってトップ画面の通知を眺めた。
(……来てない、か……)
もしかしたら通知から漏れてしまってるかもしれないと、玲華はホーム画面に入ってメッセージアプリのRINEを立ち上げる。
(……無い……)
無意識に大きなため息を吐いてしまった玲華は、次いで拗ねたように眉を寄せて『柳大樹』と表示された画面を睨む。
「むう……」
知らず唇も尖っていく。
(確かに、今週末は厳しいとか言ってたし、休みがわかったら連絡してって言ったけどさー……本当に休みがわかるまで連絡してこないってこと……?)
再び出たため息に玲華の自覚は無い。
(あーもう……だとしたら、休みがわかったら連絡してなんて言わなきゃよかったかな……)
背もたれにだらしなく背を預けて、顔を天井に上向ける。
大樹と過ごした日曜から四日目の木曜日。
連絡先を交換したというのに、大樹からはまだ一度も連絡が無く、それが妙に玲華には寂しく感じていた。
日曜の夜に大樹を見送り、寝る前のシャワーを浴びてリビングに入ると、只でさえ広い部屋がいつもより広く感じてしまった。それだけ、大樹と過ごした一日が楽しかったのだと気付かされた玲華は一人苦笑を浮かべて就寝したのである。
そして昨日、一昨日、三日前と会社から帰宅した際にも家の中が広く感じてしまった玲華は、次第に代わりのように大樹からの連絡を心待ちするようになっていた。
固そうな風貌ながら、玲華を驚かせて楽しそうにしたり、冗談も通じ、意外にお茶目なところがあった。特にエプロンを着た時などは――
「ぷっ、くっ――!」
一人で思い出して噴き出しそうになった玲華は、慌てて手で口を塞いだ。
「ふー……」
発作の如き笑いが収まると、呼吸を整えるために一息吐く。
ここ数日はこのように一人で思い出して、一人で笑ったりとすることが多くなってしまった。
(外から見たら完全に痛い女ね……気をつけなくちゃ……)
自分に言い聞かせるも、いつの間にか大樹のことを考えては笑ってしまうので、中々収まらない。
(それもこれも柳くんが面白過ぎたせいよ……そう、そんな柳くんとまた話したいから連絡が待ち遠しいだけ)
大樹のことを考えると笑ってしまうことが多いが、それだけでなくどこかソワソワと落ち着かなくなる。そんな自分に気づいた玲華は、そういうことなのだと自分を納得させていた。
(やっぱり私から連絡してみよっかな……?)
もう何度目かわからないことを考える。だが、その度に大樹が忙しくしてるだろうことや、料理の催促をしてると思われたくないことなどと色々考えて躊躇ってしまって、結局やめてしまう。
それによくよく考えたら、玲華はプライベートで男性からメッセージを送られることは腐るほどあっても、自分から送ったことなど一度もないことに気づき、何と送ったものかと頭を悩ませては、結局ため息を吐いて諦めてしまっている。
どうしたものかとスマホの画面を見つめていたら、目の前に湯気を立てたコーヒーカップが置かれる。
「どうぞ」
「ありがと、麻里ちゃん」
玲華がニコリと返すと、麻里は澄ました顔で一礼して自席に戻り、玲華と同じくコーヒーカップを手にしてフーッと一息かけて口をつけた。
「――ところで、社長。そろそろ聞いていいですか?」
「なあに、麻里ちゃん?」
玲華がPCでメールのチェックを始めながらコーヒー片手に返事をすると、麻里はなんでもないように聞いてきた。
「週末に会った男性はどんな方なんですか」
「げほっ――」
口に含んだコーヒーがカップに逆流してしまったが、幸いなことに派手に飛び散ったりはしなかった。
「それだけの美貌とエロボディを持ちながら、実は彼氏いない歴が年齢な奥手の社長のことだから、エッチはしてないまでも、キスはしてるんじゃないかと昨日の幹部会議ではそのような予想結果が出たんですが、どうなんですか」
「げほっ、ごほっ……ちょ、ちょっと待って! え、何!? 彼と私はそんなんじゃ――!? え!? 幹部会議ですって!? 私聞いてないわよ!?」
コーヒーでせき込みながら玲華はまず大樹との仲の否定から始めたが、最後の幹部会議の言葉にぎょっとする。
ここで言う幹部会議とは、この会社の創立メンバーでやる会議であり、その中の筆頭である玲華が聞いていない幹部会議とはどういうことなのだと。
そんな玲華の心境をよそに麻里は淡々と答える。
「はい。それはそうです。社長抜きでの幹部会議でしたので」
「なんで!? 幹部会議なら私出ないとダメでしょ!? 何で私が初耳なの!?」
「なんでもなにも、ここ最近の社長の様子が面白か――おかしかったので、まずは社長以外で会議を開きました。題して『遂に社長に彼氏が――!?』です」
「今面白かったって言ったわよね!? え、ちょっと何の話し合いをしてるのよ!?」
「言ってません」
「言ったわよ! だから何の話し合いをしてるのよ!?」
「言ってません――でも、そうですか。キスはまだな上に、そんな関係でもないと――わかりました。では早速幹部と共有しますね」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!!」
「――何ですか?」
「その心の底から不思議そうな顔をやめなさい!」
「そうは言われても……困りましたね」
「それは私のセリフよ!!」
玲華が叫ぶように言って息を荒げると、麻里は仕方なさそうに口を開いた。
「最近の社長ですが、スマホを見ては難しい顔になったり、拗ねた顔になったり、ニヤニヤしたり、いきなり噴き出したり、かと思えば急にヘコんだりして、一人で百面相をしていますが、ご自覚はあられますか?」
「うっ……」
「その反応は自覚があるとみなします。次に、社長がそうなった原因です。これは幹部会議全員の意見が一致しました。ズバリ男です」
「うっ……」
「次に、それがいつから――です。先週はそうでは無かったのは間違いありません。この部屋で社長の予定を管理している私が把握しています。変わったのは間違いなく今週が明けてから――となると、社長がその男と出会ったのは先週末ということになります」
「ううっ……」
「次に、社長はその男とどこまで進んだか――こればっかりは私でもまだ把握しきれていません。ちょうど大きな仕事もないことですし、面白そ――社長の男となると、我が社にまったく影響がないとは言い切れないということで、急遽社長抜きの幹部会議を居酒屋で開き、社長がその男とどこまで進んだのか、またはどんな男なのか、について話し合いをしたのです」
「なんか大層なこと言ってるけど、つまり私を酒の肴にして飲み会開いたってことよね!?」
「……そうとも言えるかもしれません」
「言うのよ!」
玲華が突っ込むと、麻里は肩を竦め堂々と言ったのである。
「仮にそうだとして――何か?」
「うぐっ……」
言いたいことはある。自分だけ除け者にするなんてと言いたい気持ちもあるが、酒の肴的に呼ばれなくてよかったとホッとしてもいる。それに飲み会をするのも自由だ。それよりも――
「だ、第一、私と彼はそういう仲じゃないし! 見当はずれの話し合いしてるわよ!」
「……なるほど。今はまだそういう段階ですか。把握しました」
「そ、そういう段階も何もないわよ!?」
「はいはい、わかりました。これだから私生活はポンコツって言われるんですよ」
「ぽ、ポンコツ言うな!」
「……はあ。そうですね、社長はポンコツじゃありません。仕事が超出来る代わりに私生活が不器用なだけですね。不器用美人」
「殆ど変わってないじゃないの!?」
「もう、本当のことなんですから、いいじゃないですか。それより、週末に会った男の人のこと教えてください。社長抜きの幹部会議でレポートするんですから」
「そんなこと言われて言う訳ないでしょ!?」
麻里の追及を玲華は最後まで躱し続けたのだった。
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