第十一話 綺麗ですね

 

 

 

「あー美味しかった! そしてお腹いっぱい! ご馳走さまでした!」


 綺麗に空になっている皿を載せたテーブルを前に、ご満悦な顔で玲華が手を合わせた。

 鍋に残っているスープ以外は二人で特に頑張ることなく綺麗に平らげたところである。


「お粗末さんです。俺もビールご馳走さまです」

「あはは、ビールぐらい柳くんの料理に比べたらなんてことないわよ」

「いや、まあ、つい調子に乗って五本も飲んじゃったもんですから」


 そうなのだ。グラスが空になるとすぐさま玲華が注いで気分よく飲ませてくれたものだから、大樹は普段より多目に飲んでしまい、気づけば空き缶が五本にもなっていたのだ。


「もう、本当に気にしなくていいから。私からしたら柳くんの料理はビールよりよほど価値高いし」


 笑い飛ばしてそう言ってくれる玲華に、大樹は軽く会釈する。


「あー、やっぱりお家で美味しいご飯食べれるのって幸せね。今日は本当いい日だったわ」

「そう言ってもらえると作った甲斐がありますね」

「本当? ならよかったわ。ふふっ、昨日柳くんを拾って本当によかったわ」

「拾ったって、犬猫ですかい、俺は」

「あっはは! ごめんごめん、正確には家に運んでよかった――かしら?」

「……なんか、あんまり変わりませんね。並べて聞くと」

「私も言いながら思った」


 そして二人して声を立てて笑い合う。


「……でも、気を失っていたとはいえよく俺を家に運ぼうなんて――家に入れようなんて思いましたね。昨日初めて会ったっていうのに」


 今日起きてから気になっていたことを大樹は聞いてみた。


「んー? そうね、やっぱり緊急事態だとか、下の休憩室には放っておけなかったからって言うのもあるけど、一番はやっぱりアレかな」

「アレ?」

「階段で助けてくれたでしょ? 柳くんだって受け止めたら危ない可能性は十分にあったのに」

「まあ……そうですね……」

「それと、その後のこと思い出したら、この人なら家に入れても大丈夫かなって思ったのよ」

「……俺、何かしましたっけ? あ、小銭とか拾ってた時のことですか?」

「ふふっ、違うわよ。階段で助けてくれた後、柳くんは特に何もしなかったのよ」

「……?」

「ふふっ、うん。強いて言うなら、柳くんは『何もしなかった』をしたのよ」

「?……謎かけか何かですか?」


 考えてもわからず、大樹はそんな風に聞いてみた。


「あはは、違うわよ。柳くん、階段で助けてくれた後、少し話しただけで、自分の名前も告げず、私の連絡先どころか、名前も聞かなかったでしょ?」

「ええ、そうですが……?」

「それが私にはちょっと新鮮だったのよね。こう言うのもなんだけど、私って男の人と知り合うと、すぐに連絡先とか聞かれるのよね」

「あー……」


 それは非常に納得出来る話である。これだけ、スタイルも良く気立ての良い美人なのだから。


「たまに胸見ながら聞いてくる人なんかもいてね、私はおっぱいの付属品かって殴りそうになるわ」


 座った目で言う玲華に、大樹は冷や水を浴びたような気分になった。


(多少は見てた気がするけど、ジロジロ見てない……よな? いや、うん、きっとそうだ)


 大樹が自分に言い聞かせていると、玲華はクスリと笑った。その様はまるで大樹の考えていることなど、お見通しだと言わんばかりで、大樹は頬が引き攣るのを自覚しながら、誤魔化すように乾いた笑い声を上げる。


「ふふっ、それでね。そんな男の人ばかり知ってるから、名前も言わず聞かず、すぐに立ち去った柳くんがすごく紳士的に見えてね。この人なら家に入れても乱暴なことはしないかなって思えたのよ。納得できた?」


 そう言って、頬杖をついてニコリとする玲華。その顔から「間違ってなかったでしょ?」と副音声が伝わってきて、大樹は嬉しくなった。

 第一印象では無駄に怖がられたりすることもある大樹が、初めて会ったその日に女性にそう思えてもらえたのだ。嬉しくない訳がなく、感動したと言ってもいい。頬杖をついたせいでテーブルの上にドンと乗っている大きな二つの果実に目を奪われないよう注意しながら、大樹は喜びを噛みしめた。


「あ、そうそう。後付け加えるとね――」


 思い出したように言う玲華に、大樹は顔を上げる。


「はい? まだ何かあります……?」

「ええ、これは結果論だけど――柳くん、私がビール最初の一杯だけでいいって言ってから、勧めてこなかったでしょ?」

「ええ。飯に集中したいからって言うのもわかりますし」

「それも安心できる要因の一つね。男の人と食事すると皆んな、私を酔わせようとやたらと勧めてくるのよね」

「あー……なるほど。お持ち帰りですか」

「あっはは、そういうことなんでしょうね」


 大樹の物言いが面白かったようで、玲華がケラケラと笑う。


「……うん? じゃあ、今日一杯しか飲まなかったのは、俺を警戒してたってのもある訳ですか」


 話の帰結としてそうなるのかと、大樹が少し残念に思いながら尋ねると、玲華が慌てて手を振る。


「あ、違うからね? 今日は本当にご飯を楽しみたかったから、それと柳くんと乾杯したかったから一杯だけでいいって言ったのよ?」

「……そうですか」


 思いの外、大樹は安堵してしまった。玲華もそんな大樹を見て安心したようにホッと一息吐いて、付け加えるように口を開く。


「あと、それと――」


 そこまで言って、玲華はハッとなって口を閉ざした。


「? それと……?」

「あーううん。何でもないから」


 そっと視線を逸らしながら、気まずげに苦笑を浮かべて頬をかく玲華に大樹は首を傾げた。


「はあ……」


 そして、ふと視線がガラス張りの壁の向こうに行って、大樹は目を瞠った。


「おお……」


 そこからの景色はすっかり夜景になっていて、明るく光るスカイツリーや、高層ビルが見えたのだ。大樹は思わず立ち上がって、ガラス張りの壁に近づく。


「柳くん……?」


 いきなり立ち上がった大樹に玲華が不思議がるも、景色に目を奪われていることに気づいて、腑に落ちたように頷いた。


「ねえ、どうせならベランダ出てみる? そこからの方がよく見えるわよ」

「あ、それは是非」

「ふふっ、うん。じゃあ、こっちおいで」


 玲華に手招きされて、大樹は玲華が開いた窓を通って一緒に広々としたベランダへ出る。

 高い位置にあるだけあって途端に強い風に曝されるも、窓を閉めて少しするとそれも段々と落ち着いたように感じる。


「ふう、ちょっとだけ冷えるわね」


 風によって髪が靡いている玲華が、二の腕をさすりながら言う。


「ええ。俺はアルコール入ってるからちょうどいいぐらいで平気ですが、如月さんは無理せず中にいてくれていいですよ」

「ちょっとぐらいなら平気よ。ほら、ここから見てみて――」


 誘導された位置から見ると、真下まで見えて、素晴らしい夜景が大樹の目に飛び込んできた。


「はあー……これはすごいもんですね……」


 大樹が感嘆すると、玲華が自慢げに返事をする。


「でしょ? けっこう見慣れてる私でも、未だに綺麗だと思うしね」

「でしょうねえ……」


 しみじみと大樹が頷くのを、玲華が見上げてきて微笑んだ。


「でも、今日はもっと綺麗に見えるかも」

「へえ? そうなんですか?」

「ええ、やっぱり誰かと一緒に見てるせいかな? 何か違う気がするのよね。だからかな、いつもより綺麗に見えるわ」


 そう言って夜景に照らされてはにかむ玲華に、大樹は絶景を前に絶句して目を奪われてしまった。


「……柳くん?」


 玲華がこてんと首を傾げる。夜景に目を向けない大樹を不思議がったのだろう。


「あ、いや――何でもないです」

「そう?」


 夜景に目を戻しながら大樹は答え、次いで一言、静かに呟いた。


「――綺麗ですね」


 何をとは言わなかったため、玲華は当然のように夜景のことだと思って相槌を打った。


「ふふっ、そうね」

 

 

 

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