第八話 なんでやねん

 

 

 

「マジで、そんなでかいんですか」

「本当よー、本当にこーんなサイズでね。会社の子達と頑張って食べてはみたんだけどね、半分も食べたぐらいでみんなギブ」

「海外のケーキのサイズヤバいですね」

「本当マジでヤバいわ。まあ、他の料理もけっこうなサイズだったからってのもあるけどね。それでも大きかったわ。無謀な挑戦だったと今なら言えるわ」

「いや、買う前に気付くもんじゃ……」

「大きな仕事終わって、みんなハイになってたから仕方ないわ」

「それは仕方ないですね」


 躊躇なく同意を示した大樹に、噴き出す玲華。


「あははっ、だよねー」


 おやつの流れから玲華が定期的に購入してるアイスを販売している海外系の業務スーパーの話になった。そこで売っている様々な物を玲華が話してくれて、大樹がまた聞いて、大いに盛り上がったと言える。そう、二人とも時間を忘れるほどにだ。


「ん……?」


 気づけば頬に夕陽が射しており、大樹はガラス張りの壁に目を向ける。


(おお……夕方になるとまた景色が違って見えるな……)


 真っ赤な夕陽がこの部屋から見える高層ビルなどの建物を赤く染めており、夜が迫ったこの短い時間しか見れないその景色に大樹の目は釘付けになった。


「――ねえ、聞いてる?」


 訝しげな玲華の声が聞こえてハッとする。


「え? ああ、すみません。夕陽が鮮やかに見えたものだったから」

「んん? ああ、綺麗だよね。私も初めて見た時は驚いたな」

「ええ、本当に。いつの間にか夕方になっ――え、夕方?」


 時計を見ると、もう五時を過ぎていた。


(いやいや、いくら何でもゆっくりし過ぎだろ)


「ありゃ、もうこんな時間だったんだ」


 玲華も時間を忘れていたようで、大樹は慌てて立ち上がる。


「いや、すみません。助けてもらって運んでもらった身だっていうのに、こんな遅くまで……そろそろ失礼します」

「もう、そんな固い挨拶しなくても構わないわよ。こっちだって色々作ってくれてご馳走してもらった身だし……そっか、もう夕方だしね」


 名残惜しそうに言って玲華も立ち上がる。


「いえ、本当はもっと早くお暇するつもりだったんですけど……休みの日にすみませんでした」

「もう、だからいいって! 私もすごく楽しかったんだし!」


 言いながら玲華は快活に笑って大樹の肩を叩き、次いで気づいたような顔になる。


「あ、ねえ連絡先交換しよ。お風呂、入りに来るんでしょ?」


 テーブルの上に置いてあるスマホを手にして、片目を瞑って言ってくる。


「え、あ、じゃあ――」


 そうしてメッセージアプリのIDと電話番号を交換して登録する大樹と玲華。


(これ以上はお近づきにならん方がいいと思って自分から言い出さなかったんだが、あっちから言ってくるとは……どうしたものか……)


 内心でそう思う大樹だが、今日一日一緒にいて玲華の魅力にすっかりまいっている大樹である。

 それは今は「人としての」という意味合いの方が大きいが、付き合いを続けていたら、それが「女としての」に変わるのは時間の問題じゃないだろうかという予感がある。

 惚れたところで大樹のような歳下な上に安月給ブラック勤務サラリーマンでは、男として相手になどされやしないだろうから今日っきりにしようと大樹は考えていたのだが、玲華といるのは楽しい。そう、時間が経つのを忘れるほどに一緒にいるのが楽しかったのだ。


(……まあ、もういいか)


 ここまで仲良くなったのなら、連絡先まで交換したのならもう今更な話だろう。


(要は惚れても、それを後悔しないよう付き合っていけばいい話だ)


 時間が経てば適切な距離の友人関係になる可能性だって十分あるし、大樹が惚れない可能性だってまだ……ある。


(うむ、あるはずだ。この人けっこうポンコツなとこあるしな)


 そんなことを考えている内に、大樹はスマホの玲華の名が表示されている画面を眺めながらいつの間にか苦笑を浮かべていた。


「んんー? なーんか、失礼なこと考えてない?」


 玲華がジト目を向けてきて、大樹は慌てて表情を取り繕う。


「いえ……なにも?」

「ふーん……? まあ、いいけどさー」


 言いながら玲華はリビング内を横断して、ハンガーにかけらている大樹のジャケットを持ってきてくれた。


「はい」

「どうも」


 大樹が羽織るのを見て、玲華は先導して恐らく玄関に繋がってるだろう扉を開く。


「考えたら柳くん、玄関の場所知らないんだよね」

「ええ。リビングと風呂とトイレの場所しか知らないですね」

「そう聞くとおかしな話よね」

「ほんとに」


 苦笑し合う玲華と大樹。そうこうしている内にそれはもう広くて綺麗な玄関についた。

 そして靴を履こうとして大樹が玲華の前に出た時だ。意識が帰宅後に回り始めた大樹は、無意識に呟いた――呟いてしまった。


「さて――帰ったら晩飯何作るかな。流石に角煮作る時間は――!?」


 途中で大樹は後ろからガシッと腕を掴まれ、体のバランスを崩しそうになった。

 振り返ると予想通り、玲華が両手で大樹の腕を掴んでいる。そして予想外に必死な顔をしている。


「えーっと……何ですか……?」


 大樹のごく自然な疑問に対し、玲華は真剣な目を向けてきた。


「どういうこと……?」

「……はい?」

「だから、どういうことって聞いてるのよ!?」


 掴んだ大樹の腕をガクガクと揺らしてくる玲華。


「い、いや、だから何がですか?」

「……帰ったらご飯作るの?」

「え、ええ。帰ったらそういう時間だし……」

「――い」


 玲華がボソッと呟いたようだが、全然聞こえなかった。


「え、何ですって?」

「……ずるい」

「……はい?」


 いきなり「ずるい」などと言われて訳がわからず、大樹は困惑する。


「だから! ずるいって言ってるのよ! 柳くんは帰ったら美味しいご飯作って一人で食べるんでしょ!?」


 噛みつくように言いながら先ほどより強くガクガクと物理的に揺さぶってくる玲華。


「え、ええ、まあ。美味しいかはともかく、作って食べるつもりですが……?」

「それがずるい! 柳くんだけ、この後美味しいご飯食べるなんて!!」

「え? は? いや……ええ?」


 大樹は自分を落ち着けるように目に手を当て、顔を上向け暫し考えて聞いた。


「あー、如月さん? 俺が家に帰って俺が作った料理を俺一人が食べることがずるいとおっしゃる?」

「そうよ!」


 玲華のこれ以上なく堂々とした肯定に、大樹は深く沈黙した末に言ったのである。


「――なんでやねん」


 大樹の心境はこの一言に尽きた。発音のおかしい関西弁だがこの言葉が出た。


「いやいやいや、何言ってんですか。俺はただ家に帰って晩飯作ってそれ食べるだけですよ? ごくごく普通のことです。それをずるいと言われても……如月さんだって、何か美味しいもの食べればいいでしょう? まだ夕方なんですから、外行けばいくらでもお店やってますよ?」


 至極まっとうな大樹の反論に、玲華は拗ねたように唇を尖らせた。


「そ、そうだけど……でも、ずるい……」


 そこで大樹はおやつを食べていた時の玲華の言葉を思い出した。


 ――家で楽な恰好して気楽に食べれる美味しいご飯はまた格別、ってね


 それと玲華が料理を出来ないということもだ。

 ようやく腑に落ちた大樹は、眉を寄せて聞いた。


「……つまり俺にどうしろと……?」


 すると玲華は少し恥ずかしそうに俯いて言ったのである。


「――わ、私も柳くんの作った晩御飯が食べたい……」


 身長差と玲華が俯いていたことから自然と上目遣いになってしまっていた。


(くそっ――!! 可愛過ぎか――っ!! お姉さんぶっといて、そりゃねえだろ!?)


 大樹は内心で吠えた。ギャップもあって大樹のハートは撃ち抜かれたような気分だった。


(良き友人関係とか、惚れることがあったとしても惚れ過ぎないようとか、色々考えてたばかりだってのに……)


 いきなりクリティカルを食らわしてくる玲華に、大樹は盛大にため息を吐いて肩を落とした。

 そんな大樹を見て苛立ってると勘違いしたのか、玲華が不安そうに聞いてきた。


「だ、だめ……かな? あ、うん、そうだよね。今日散々色々作ってもらってたしね……」


 しゅんとする玲華。これはもはやとどめである。

 大樹は嘆息して、首を横に振った。


「いいや、構いませんよ」

「……え? 本当!?」


 途端に顔を輝かせる玲華に、大樹は苦笑を浮かべる。


「ええ、本当に」

「いいの!? 無理してない!?」

「無理も何もないですよ。家で作るのが、ここで作るのに変わるだけなんですから」


 肩を竦めての返事に、玲華は喜色満面になってバンザイの如く両手を振り上げる。


「やったー! お家で美味しい晩御飯――!!」


 そんな玲華を見て大樹は苦笑を深める。そしてすぐに思い出す。


「……あ、でも材料がな……」

「ああ――!?」


 玲華が愕然と振り返る。


「……そういや、冷凍庫見てなかったな……冷凍庫って何入ってますか?」

「え、えーっと、冷凍庫はね、アイスと…………?」


 傾いていく首の角度を見て大樹は諦めのため息を吐いた。


「とりあえず、見てみましょう。なけりゃ、インスタント類も使えばまだマシなもんが出来るでしょ」

「本当に!? なんならスーパー行っても――」

「……スーパーまで行ったらもう俺の家のが近いですね。スーパーまで行ってここ帰ってきて、また家に帰るって考えると……正直面倒くさいです」


 大樹の率直な言葉に、玲華が気まずげに頬をかいた。


「……だよね」

「まあ、とりあえずは冷凍庫見ましょう」


 ジャケットを脱ぎながら大樹が歩き出すと、玲華が流れるように受け取ってくれた。

 リビングに戻ると、大樹はもう遠慮なく冷凍庫を開けた。


「言っていた通りにアイスと……お、餃子があるじゃないですか」

「あ! そうそう、けっこう美味しいって聞いて買ったんだった! 焼くだけでいいみたいだし」

「……餃子は焼き加減次第でけっこう味変わりますけど、焼くだけなのは確かですね」

「ちょ、ちょっと、餃子ぐらい焼けるわよ!?」

「……さて、他に何か――」


 大樹は玲華を一瞥しただけで冷凍庫を漁る。


「こ、こら! 無視しないの! それになんなのその同情に満ちた目は!? 私の方がお姉さんなのわかってるの!?」


 お姉さんぶる玲華ポンコツを無視しながら大樹は冷凍庫の片隅に転がっているラップに包まれたものを拾い上げる。


「これは……おお、鮭じゃないですか!」

「あ……すっかり忘れてた……」


 玲華が思い出したように呟いて、大樹は嫌な予感がした。


「えっと……これ、いつ冷凍したもので……?」

「えーっと……一か月ぐらい前……?」

「一か月前……まあ、イケるか。冷凍してたのなら」


 ギリギリの範囲ではないだろうか。大樹がそう判断すると、玲華は目をパチパチとさせた。


「え、大丈夫なの? これ使っても」

「多少、味は落ちてるかもしれませんが、まあ使えるでしょう……よく鮭なんてありましたね?」

「た、たまには頑張ってみようと思って買ってみたのよ」


 そっぽを向きながらの答えから、大樹は結末を予想できた。

 つまり、頑張ろうと思って買ってはみたものの、何もできず途方に暮れて、ラップをまいて冷凍庫に回ってしまったのだろうと。

 遣る瀬無いため息を吐く大樹に、玲華がチラと鮭を見ながら聞く。


「ねえ、これ使うの? 今ある材料とで、何かできそう……?」

「そうですね……」


 大樹は顎に手をやって、思案する。


(確か冷蔵庫にはトマトとキュウリとレタス……卵かけご飯食ってるぐらいだから米はあるはず……)


「よっし、メニュー決めた」

「本当!? 何か作れそう!?」


 玲華から期待いっぱいの眼差しを向けられて、大樹は不敵に笑った。


「中華セットといきましょうか」

 

 

 

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