第七話 小腹が空いた
「え!? そんなとこあるの――!?」
「そうなんですよ。設備はショボいんですけどね、そこの露天風呂、海とほとんど繋がってるような形になってて、だから湯で暖まったら、ちょっとまたいで海にダイブ――そこで体少し冷やして、また風呂に入る、なんてことが出来るんですよ」
「何それ!? 贅沢ー!」
「でしょ!? 景色は文字通り目の前に海が広がってて、解放感も半端なくて、一回行ったら忘れられませんよ――!」
「うんうん! あーすごい、それは! 行ってみたい!」
「ええ、一回は行く価値ありですよ! ――あ、でも」
「え、何、どうしたの?」
「いや、そこ女風呂あったっけなって思って……」
「ちょ、ちょっと!? ここまで人の期待膨らましといて、そんな落ちは許さないわよ!?」
「いや、えーっと、確か……ああ、あった。あったと思いますよ」
「本当に!? 行って無かったら怒るわよ!?」
「多分――いや、恐らく」
「もう、どっちなのよ!?」
話をぶった切ったのだからと、大樹が話題を変えて玲華も好きそうな温泉の話を始めると、両者が思った以上に盛り上がった。
主に過去に自分が行ったすごかった温泉について、互いに思いつくままに話をしていて、今は大樹が勤めていた会社がまだホワイト時代に行った温泉の話をしたところだったのである。
そして玲華が苛立った様子で、コーヒーカップを手にとり口に運ぼうとしたところでカップに目を落とす。
「あら、もう無くなってたのね。話に夢中で気づかなかったわ。ごめんね、そっちももう空よね?」
言われて大樹も気づけばカップは空になっていた。
「ええ、こっちも空ですね」
「だよね。コーヒー淹れなおそうか。それかお茶がいい? 冷たいのならすぐ出せるけど」
「ああ、なんでも構いませんよ」
そして言ってから大樹は思い出す。
(そういや、コーヒー飲んだら帰るつもりだったのに――もう三時過ぎてるじゃねえか)
時計を見て随分な時間が経っていることに今更気づく。温泉の話で盛り上がったためだ。
玲華は社長をしてるだけあってなのか、話をするのも聞くのも上手く、つい時間を忘れて楽しんでしまったのだ。
(まあ、早く帰らなくちゃいけない理由がある訳でもねえけど……)
大樹が考え込んでいる内に、キッチンに入った玲華が声をかけてきた。
「ねえ、小腹空かない? アイスあるんだけど食べない? ちょうど三時過ぎたとこだし」
「あー、食べたい、ですね」
「オッケー、じゃあ飲み物はここはやっぱりコーヒーか紅茶かな……ねえ、どっちがいい?」
「コーヒーで」
紅茶が嫌いな訳ではないが、コーヒーを選んでしまう。
「はは、柳くんもやっぱりコーヒー党なんだね」
「如月さんは? 紅茶あるんでしょ?」
「私は本当にたまに、ぐらいかなー。コーヒーの方が好きね」
「なるほど」
「アイスはバニラだけど、大丈夫?」
「大丈夫です」
「ん、ちょっと待ってて、お皿に盛るから」
そう言って玲華は冷凍庫から、二リットルほど入ってる業務用でも使われてる大型サイズのアイスクリームの箱を取り出し、次いで引き出しから金具を取り出す。
「ほら見て、これ」
悪戯っぽく笑って、手にもったものをカシャカシャ鳴らしながら見せてくる。
「お、ディッシャーじゃないですか。流石、調理器具に自信あるだけありますね」
玲華が見せてきたものは、アイスクリーム屋さんがアイスをよそうアレである。
大樹が感心して言うと、玲華が疑わしげに眉を寄せた。
「うーん、何だろ。なんかバカにされてるような……」
「いや、それは被害妄想ですよ……んなこと、ちょっとしか思ってませんよ」
「そう……ん? ちょっと思ってるんじゃない!?」
「はは、冗談ですよ。冗談」
「はあ……いい性格してるわ、ほんと」
玲華がやれやれと首を横に振るのを見て、大樹は苦笑する。
「ちょっと溶かさないと碌に掘れないのよねー、その間にコーヒー淹れよっと」
玲華がお得意のコーヒーを淹れているのを見ながら、大樹は少し考えて言った。
「如月さん、アイスはよそったのそのまま食べるって考えで合ってます?」
「え? そうだけど……?」
きょとんとする玲華を前に、大樹はまだ残っている食パンを見ながら「ふむ……」と呟き、頷く。
「アイスはそのままでも美味いですが、どうせなら少しだけ細工しませんか?」
茶目っ気を込めて提案してみると、玲華は疑問符を頭に浮かべた様子から次第に目を輝かせた。
「何か美味しい食べ方してくれるの!?」
「はは、そんな大したもんじゃないですけど……この残った食パン使ってもいいですか?」
「いいわよ!」
即答である。大樹は苦笑する。
「それと……そうですね、ハチミツか、メープルシロップあります?」
「ええと……どっちもあるわよ!」
「じゃあ……メープルシロップにしますか、出してもらっていいですか?」
「わかったわ!」
玲華が動くのと同時に、大樹もキッチンに入る。
まずは残っている食パンを二枚、トースターに入れて普通に焼く。
「あ、焼くんだ?」
「ええ。その間にバターをっと……」
そして焼けたらバターを薄く塗る。
「……あ、そうだ。シナモンって好きですか?」
「んー、私はそこまで好きじゃないかな? あ、一応あるよ」
「好きじゃないのにあるんですか……」
呆れが出るのは仕方なかったと言えるだろう。
「な、何よ。言っときますけど、私が買ったんじゃなくてもらいものなんだからね!」
「ああ、そういうことで……じゃあ、好きじゃないなら、いいですよ」
「え? いいの?」
「ええ。好きでないもの混ぜたって仕方ないでしょ。如月さんと食うものなんですから。俺もそこまで好きって訳じゃないですし」
「……そう」
「ええ――それじゃあっと」
大樹はバターを塗った食パンを一辺三センチないぐらいのサイコロの形にカットする。
それを食パンの形のまま維持するように、皿に乗せる。
「食パン焼いて、バター塗って、カットする……ふむふむ」
玲華が熱心に見てきてるのは、大樹がいない時に自分でもやろうと考えてるからだろうか。
(ほんとに大したことはしてねえんだけどな……)
大樹は苦笑を浮かべながら、食パンの上にいい具合に溶けてきたバニラアイスをディッシャーで綺麗に掬って、乗せていく。
「あ! 何作ってるのかわかった!」
「流石は如月さん。ここでわかるなんて」
「ふっふーん」
「……」
大樹は遅いという意味を込めてからかい混じりに言ったのであるが、玲華には早いという意味で受け取ってしまったらしく、自慢気になり、大樹は無駄に肩透かしの気分を味わってしまった。
「……まあ、いいか。最後にメープルシロップをかけて――おら、一丁上がり」
「あー、美味しそう。それに本当に簡単!」
玲華が目をキラキラさせていて、大樹は思わず苦笑する。
「じゃ、テーブルへ運びますね」
「オッケー、こっちもコーヒー淹れ終わってるから!」
二人でそれぞれを運んで、テーブルに並べて腰かける。
「もうおわかりの通りこれはハニートースト――メープルシロップだから厳密にはハニーじゃないですが、まあ同じようなもんですね。なんちゃって簡単ハニトーになります」
「なんちゃってでも何でも美味しいなら何でもいいと思うのよ」
「俺もですよ。それでは――」
大樹とご機嫌な様子の玲華は手を合わせる。
「いただきます――!」
大樹と玲華はスプーンで一口分を掬う。
焼いたトーストの上に乗せたから、元から溶け始めていたバニラアイスは、より溶けていて、もうすっかり柔らかくなっている。それがいい具合に下のサイコロ食パンと絡んでいる。
スープのように溶けたアイスと、アイスの固形部分と、食パンをスプーンに上手く乗せて、口に運ぶ。
真っ先に感じる味はやはりアイスのバニラである。次いで、メープルシロップの香りが広がる。
口内でアイスの冷たさを感じながら、舌ではトーストした食パンの温かみがきて、冷たい甘味と香りを優しくほどいていく。そして噛めば、パンの上のバターの風味まで参戦してくるのである。全てが重なることで芳醇さが増して――
「やん、美味しい。パンも切れてるから食べやすいし」
玲華が頬に手を当てて、幸せそうに微笑んだ。
「ええ、このアイスもけっこういいやつですよね」
「そうね。海外の業務系のスーパーみたいなとこで買ったやつなのよ」
「なるほど」
「それで気に入ってから定期的に買ってるのよね」
「それなのに、いつもそのまま食べてただけだったんですか?」
「うぐ……ええ。柳くんが簡単に作ってるの見て、こうして美味しく食べることが出来てすごく損した気分になっちゃった」
「ふうん? でも一概にそうとは言えないかもですよ」
「どういうこと?」
「毎回こんな食べ方したら太るってことですよ」
「……それは大事なことね」
玲華が今日一番真面目な顔を見せて頷いた。
「はは。まあ、でもトーストした食パンに乗せるだけでも十分美味いとは思いますよ。それならそこまで太ることもないだろうし……何より、パンとアイスの相性ってのはヤバいですから」
「うん、ヤバいヤバい」
ニコニコしながらパクパクと食べ進める玲華に、大樹は満足感を覚えながら口直しにコーヒーを一口すする。
口の中の甘さが綺麗にコーヒーで流され僅かな苦みが残る。その残った苦みもまた口の中でどんどん甘く感じていくのがまた良い。アイスとコーヒーの相性もまた良し、だ。
見れば玲華も口直しにコーヒーを飲んでいた。
「それにしてもアレですね。昼食べてる時も思いましたけど、随分美味そうに食ってくれますね」
大樹が言うと、玲華は不思議そうに目を瞬かせた。
「え? だって、美味しいじゃない? 何か変だった?」
「いや、何て言うか……如月さんってお金持ちでしょ? なら、普段外で俺が出したのよりよほど上等で美味いもの食べてそうなのにって思って」
そう言うと玲華は大樹の言わんとすることまで理解したように頷いて、顎に指を当てて「うーん」と少し悩んでから答えた。
「んー、何て言うのかな。確かに私は外では付き合いとかで、高いレストランなんかで美味しいもの食べてるわよ?」
「ええ」
「でもね、外でキッチリ着込んで食べる料理(・・)と、お家で食べる美味しいご飯(・・)は違うと思うのよね」
「はあ……」
いまいち大樹にはわからなかった。それが伝わったのだろう、玲華は苦笑を浮かべる。
「まあ、こう言う方がわかりやすいかな? 家で楽な恰好して気楽に食べれる美味しいご飯はまた格別、ってね」
ウィンクしながら告げられてドキッとしたが、大樹はそれを顔に出さず返す。
「ふむ……まあ、これはご飯でなくデザート、おやつですが……」
「そういう揚げ足とる人、嫌ーい」
「はは、すみません。でも、言いたいこと何となくわかった気がしますよ」
「そう? なら良かったけど――あ、後ね」
「なんですか?」
「私の家の乏しい食材で、こうも美味しいものが出来上がるって感動も美味しさに一役買ってると思うのよね。目の前で鮮やかに出来ていく過程もね。だから、本当に今日のお昼は美味しかったわ」
そう真っ直ぐに笑顔で告げられた言葉は、ここ暫く覚えがなかったほどの充足感、満足感を大樹にもたらし、同時に料理を振る舞うことの楽しみと幸福さを思い出させた。
「……なら、良かったです」
「うん。あ、もちろん、このおやつも、ね!」
「はは、わかってますよ」
「……ねえ、私そんなに美味しそうに食べてた?」
「ええ、それはもう。作ったこっちが疑わしく思ってしまったほどに」
「ええー? じゃあ、もうちょっと控えめにした方がいい? その方が伝わる?」
「いえ、それはいいです。是非、そのままでいてください」
「……そう言われたら言われたらで、どんな顔して食べたらいいかわからなくなるわね……」
難しい顔をしてそんなことを言う玲華に、大樹は思わず噴き出した。
「ちょっと、何で笑ってるのよ!?」
「いや、美味しい時の顔をどうするかに悩む人なんて初めて見たものですから、はは」
「何よ、柳くんが聞いてきたからでしょー!?」
「そうでしたね、すみません」
「むう、そこで謝られるのもねー……」
「どないせえっちゅうねん」
思わずエセ関西弁で大樹が返すと、玲華が目を丸くした。
「関西弁が出た!? しかも発音が変!」
「おかしないわ」
「また出た!? それでやっぱり発音が変!!」
ケラケラと笑う玲華に、大樹も一緒になって声を上げて笑う。
こうしておやつタイムもそれが始まる前のように賑やかに過ぎるのであった。
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