第六話 極振りか……?

 

 

 

 心の奥底から絞り出したような声で問われて、大樹は冷や汗を垂らした。


「えーっと、どうしたんでしょう、如月さん?」

「さっき、私のこと何て言ってくれたかしら?」

「さっき……? ああ、如月さんが大変仕事の出来る社長ということでしょうか」


 とりあえずはそのように惚けてみる大樹である。


「その……後に何て言っていたかしら……?」

「はて……特に何か言った覚えは無いのですが……」

「……」

「……」

「ポンコツ、と聞こえたのだけど……?」

「…………そういえば、言ったような言ってないような……?」

「……柳くん?」

「すみません」


 最終通告のように呼ばれて、大樹は素直に謝ることにした。


「そう、聞き間違えた訳じゃないのね? 私のことをポンコツと、そう言ったのね?」

「ははは……」


 誤魔化し笑いを浮かべる大樹に、玲華がハッとする。


「待って、昨日と今日で印象が違うって言ってたけど、まさか今の印象は……」


 大樹はサッと視線を逸らした。


「ちょっと、柳くん!?」


 玲華の非難するような声に、大樹は諦めのため息を吐くと、素知らぬ顔で玲華に向き合った。


「はい、何でしょうか?」

「何でしょうかじゃないわよ! なんで私がポンコツなのよ! 今までそんなこと碌に言われたことないわよ!」

「あ、じゃあ、あることはあるんですね。プライベート関係の人……ですよね。言ってきた人って?」


 玲華は仕事関係では、出来る人なのは間違いないのだろう。だから、玲華をポンコツと評するのは、プライベート関係の人だと当たりをつけたのである。


「な、何でわかったの――!? じゃなくて、この私にポンコツだなんて!?」

「いやいや、そうは言っても俺は如月さんが仕事してる姿なんてかけらも見たことありませんし、俺が知る如月さんの姿って言ったら、家の中ではインスタントばかりを食べてるんだろうなってことと、調味料や調理器具を揃えてるってのに、碌に料理もしなければ、料理の知識もまったく無いんだろうなってことぐらいです――そう考えると、時期尚早だったかもしれませんね。料理が出来ないって面だけで、ポンコツ扱いは流石に失礼でしたね。申し訳ないです」

「うぐっ――」


 玲華は痛みを覚えたかのように胸に手を当てている。大きな胸だから形が歪んでいるのがよくわかって、なかなかにエロかった。


「いや、起業して社長をやって、こんなマンションを一括で買えるぐらい稼いでいるんですから、家事が少し出来ないぐらい、そんな大したことじゃありませんよ」

「――そ、そうよね!?」


 ガバッと顔を上げる玲華に、大樹は微笑んで頷いた。


「ええ。出来ないなら出来ないで構わないと思いますよ。ただ――」

「た、ただ――?」


 嫌な予感がすると顔に書いている玲華に、大樹は告げる。


「この際だから言いますけど、出来ないのに、出来るだなんて見栄を張らなくても、とは思いますね……そう言えば、俺がポンコツっぽいって思ったのは、如月さんが誤魔化そうとしてるとこを見てからでした」

「ううっ――」


 玲華が更なるダメージを受けたように仰け反った。


「あ、でも一応言っておきますが、仕事の出来る女性って印象は無くなってはいませんよ。昨日よりむしろ強くなってます」

「そ、そう」


 玲華が少し回復したように、息を吐く。大樹は続けて言う。


「ただ、その分、家では気が抜けてポンコツになってるんだなって印象がついただけです」

「はうっ――」

「ああ、それと後一つ――」

「な、何かしら――?」


 身構える玲華に、大樹は苦笑して言った。


「いや、そんな身構えるようなことじゃないですよ。今日如月さんを見ていて、昨日の印象よりも、可愛い人だなって思っただけです」


 美人と言っても碌に反応が無かったからこそ言えたことだ。だから今回も碌に反応などしないと思っていたのだが――


「そ、そう……?」


 予想外にちょっと照れたように顔を赤くして頬をかいていた。


(なんでだ……こっちまで照れてくるじゃねえか)


「い、一応、ありがと……」


(可愛いなおい、いや可愛過ぎか)


 内心の声を隠しながら大樹は返事をする。


「い、いえ……」

「……」

「……」


 突然降りかかった沈黙に、大樹は戸惑った。

(え、何だ、この空気)

 どこかまごついてる感じの玲華に、大樹は声をかけた。


「えーっと……そうだ、話したんですから如月さんも聞かせてくださいよ。俺への印象」

「え? ……ああ、そういう話だったわね」

「そうですよ。俺だけ話したんじゃ不公平ってことで」

「ふむ……そうね……」


 思い出すように大樹を見据えてきて、玲華の調子が戻ったように思えて大樹はホッとする。


「……」

「……?」


 だが、玲華はなかなか話し出さず、大樹が疑問に思っていると、玲華は大きく息を吐いた。


「うん。私からはやっぱり無しで」


 そう言ってニコリとする玲華に、大樹は呆気にとられた。


「……は? いやいや、何言ってるんですか。俺が話したら如月さんも話すって話だったじゃないですか」

「んー、確かにそういう話だったけど……なんか話す気無くなっちゃって……ごめんね?」


 てへっと首を傾げてくる玲華にあざとさを感じたが、それでも可愛かったので大樹は言葉に詰まってしまった。


「い、いや、そうは言ってもですよ――」

「もう、いいじゃない。それに柳くん、私のことポンコツだなんだって好き勝手言ってくれて、けっこう怒ってたのよ? それをこれで許してあげるから、ね?」

「うっ……そ、そういうことなら……」


 そう言われてしまっては大樹も強く言えない。確かに大樹がポロッと漏らしたのが始まりだったのだから。


「ごめんね、勝手言って? あ、そろそろ食器片付けるね。柳くんはコーヒー飲んでて」

「はあ……あ、片付け手伝いま――」

「いいから座ってて。作ってくれた後に片付けまでしてもらうなんて流石に、ね」

「じゃあ……」


 大樹は浮かしかけた腰を落とし、コーヒーに口をつけた。


「そういや、ここって何階なんですか?」


 言いながらなかなか珍しい質問だと思えた。自分が今いる場所だというのに、そこが何階なのかわからないのだ。その妙さに玲華も気づいたようで、洗い物をしながらクスリとした。


「気を失ってる間に来たらそりゃわからないか。三十階。ちなみに最上階よ」

「最上階……はあ……」


 多分だが、ただでさえ高いこのマンションの中でも格別高いのだと思われる。


(本当すげえな……歳なんか俺と少ししか違わねえのに)


 椅子に座りながらガラス張りの壁の向こうへ目を向ける。スカイツリーがよく見える。


(夜景すごそうだな……そういや、景色は気に入ってるって言ってたか……見てみてえな)


 そう思うもその時間までここにいることも無いだろう。

 女性の一人暮らしの部屋に、お呼ばれされた訳でもない大樹が夜までいるのは不自然であり、失礼でもあるだろう。


(ボチボチお暇した方がいいか……コーヒー飲んだら改めて礼言って帰るか)


 玲華は非常に好ましい女性で惜しい気がちょっとどころでなくするが、安アパートに住む大樹と、こんな億ションに住む玲華では、文字通り住む世界が違うだろう。


 昼を一緒に二人で過ごせただけで儲けものと思った方がいい。


「なに? ボーッとしちゃって。景色気に入った?」


 いつの間にか洗い物が終わったらしい玲華が、椅子に座りながら聞いてきた。


「え? ああ、ええ。いい景色ですね」

「でしょ? 露天風呂から見るとまた壮観なのよねー」

「へえ……? え、露天風呂?」

「うん、あるのよ、ここ。掃除が大変だからたまにしか使ってないけど」

「へ? いや、だってさっき入ったとこ……は?」

「うん、さっきのバスルームの脇手に扉あるの見てない? その奥が露天風呂になってるの」

「へ、へえ……」


 大樹の口から渇いた笑い声が漏れた。


(億ション、マジぱねえ……しかし、この景色が堪能できる露天風呂……? すっげえ入りてえ……)


 大樹も日本人の多数の例に漏れず風呂好きだ。休日にはスーパー銭湯にもよく行くぐらいで、行ったら長時間を露天風呂で過ごすのがデフォな大樹からしたら、高層での露天風呂は非常に興味深かった。

 知らず思いを馳せていると、よほど物欲しそうな顔をしていたのか、玲華が噴き出した。


「あはは。露天風呂好き? 今度入ってみる?」

「え!? いいんですか!?」

「ふふっ、いいよいいよ。掃除しないとダメだから今日はアレだけど、今度休み合う日においで」

「お、おお……ありがとうございます!」


 大樹は先ほどまで考えていたことなど、頭から追いやって感動していた。


「あっはは。柳くんの仕事は土日休み? 私はそうだから、土日なら事前に連絡くれたらいつでもいいよ」


 そんな玲華の気軽な言葉に、大樹のテンションは一気に下降した。


「……俺も基本は土日が休みなんですが……」

「ど、どうしたのあからさまに元気なくして……基本土日休みなの? じゃあ、都合いいじゃない」

「いえ、最近は休日出勤が当たり前のようにあって……今日はなんとか休めたって日でして……」

「あー……」


 玲華が察したように声を漏らした。


「もしかして、ブラック……?」


 玲華の問いに大樹は無言でコクリと頷いた。


「……入社した時はそうでも無かったんですが、社長が二代目のクソ野郎に代わって――」


 そこで大樹はハッとして、ブンブンと首を横に振る。


「柳くん……?」

「はは、せっかくの休みの日に、あんな会社の話なんて馬鹿らしいです。やめです、やめましょう」

「……そう?」

「ええ。せっかく美人のお姉さんが目の前にいるってのに、あんな会社の話するなんて勿体ないにもほどがあります」

「まあ……ふふっ、柳くんがそう言うなら」

「ええ。自分から話しかけといて、ぶった切ってすみません」

「別に構わないわよ? でもね、柳くん」

「はい?」

「愚痴りたくなったら、いつでもお姉さん聞いてあげるわよ――?」


 その時の玲華の魅力的で魅惑的な笑みに、大樹は一瞬息を呑んだ。が、すぐに苦笑に変える。


「では、その時はお願いします」

「ええ、まっかせなさい!」


 そう言って玲華は明るく頼もしい笑顔で、ドンと胸を叩いた。


(……なるほど、起業した社長なんだよな……納得)


 こんな社長のいる職場はさぞかし働きがいがあることだろう。

 叩いた拍子にブルンと揺れる果実を眺めながら大樹はそう思うのだった。

 

 

 

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