第四話 甘いわ

 

 

 

 了承を得た大樹は手始めに、台所周りの引き出しや扉を全て開け、中に何があるのかを把握していく。その中で必要な調理器具と調味料を取り出し、袖を捲る。そこで大樹はあるものが無いのに気付いて、少し拗ねたように唇を尖らせている玲華に声をかけた。


「如月さん、エプロンってありますか?」


 あっても新品だろうなと思いながら聞いてみると、玲華は少し考えてから「ちょっと待ってて」とリビングを出て、程なくして帰ってくると大樹にエプロンと思われる畳まれたそれを差し出してくる。


「はい、これ。こないだもらったもので――だから、新品だよ」


 予防線を張ってきた玲華に、苦笑しながら受け取って広げて見てみる。


「……」


 大樹が思わず黙って胡乱げな目を向けると、玲華は茶目っ気たっぷりに言ってきた。


「ごめんね、お姉さん、あまり料理しないから、エプロンってそれしか無いの」


 大樹は未だ口を閉ざしたまま、それ――フリフリの純白エプロンに目を落とした。

(……さっきの料理しないことについての意趣返しのつもりかよ)

 目を上げると玲華は面白がるようにニヤニヤしている。


(――ふっ、甘いな)


 大樹は作ったジト目を向けながら、黙ってそのエプロンに首を通す。

 「え」と目を丸くする玲華の前で、紐もしっかり結んで着てから、改めるように向き合って堂々と玲華の前にエプロン姿を披露する。

 大樹の体格はなかなかの大柄で、更に顔は厳つめの方である。言えば極めて男らしい風体の大樹が、そんな女の子らしいフリフリの格好をすると、大体二つに反応が分かれる。引くか、笑うか――だ。

 玲華は後者にいったようで、口を変な形にして笑い出しそうになるのを必死に堪えて震えている。からかうつもりで出したエプロンなので、笑かされまいと思っているのだろう。なかなか辛そうだが、大樹は容赦しない。

 大樹は今でもそこそこの身長差があるのに自身の顎を上向かせて、玲華を見下すように見下ろした。体格のせいもあって、正面にいる玲華にはさぞかし圧迫感があることだろう――エプロンがなければ。


「ぷふふっ――」


 堪えかねたように小さく噴き出し、玲華は慌てて口に手を抑えた。

 大樹は追撃の手を緩めない。顎を元の位置に下ろしながら深刻な顔を作ると、片眉を上げてジッと玲華を見つめた。


「ぷくくっ――!!」


 玲華は顔を赤くして両手で口を抑えた。

 大樹はその表情を暫くキープして玲華が少し落ち着くのを待った。


 程なくして玲華は落ち着き始めると、降ろした手を腰に当て、大きな胸を張って勝ち誇ったようにニヤリとした。その様は「私の勝ちよ」と言わんばかりだ。十分笑っていたように思えるが、彼女の中ではまだしっかりと笑ったことにはなってないのだろう。


(ふっ――甘い、甘いわ!)


 大樹は深刻な顔はそのままで、サイドチェストでポージングをとった。


「ふんっ――」

「……うくっ……くくっ……」


 途端に歪む玲華の表情。もう噴火寸前だろう。


(とどめだ――!)


 大樹はポージングを変えて、キメ顔を作りながら高らかに気合いの声を発した。


「はあっ――!」

「ぶひゃっ……はっ……あーっはっはっはっは!!」


 堪えようと頑張り過ぎたせいだろう、美女らしからぬ声が漏れて玲華は盛大に噴き出し、大きな笑い声を上げ始めた。


「……どうしましたか、如月さん?」


 ポージングを変えながら、意識して低く渋い声で大樹は問いかける。キメ顔はもちろんそのままだ。


「や、やめて――!? あはっ、あははは!」


 玲華はますます笑って、体をくの字に折って、苦しそうにしている。


「やめる? 何を、でしょう――?」


 またもポージング変えながら問いかけると、玲華は更に苦しそうになる。


「そ、そ、それ、やめて――! あっははは! く、苦しい――!!」

「やめるも何も……俺はただ、俺のために出してくれたおニューのエプロンを着ただけですが――何か?」

「お、おニューって!? あははっ! ご、ごめんなさい――!! だから、それやめて――!?」

「はて、それとは一体……?」


 それであるポージングを変えながらとぼけると、玲華は立ってられなくなったようにしゃがみ、尻餅をついた。


「ご、ごめんなさい!! 本当にごめんなさい!! だから、そのポーズとるのやめて――!? あはははっ――!!」 


 そろそろ呼吸困難に陥りそうだったので、大樹は仕方なくやめてやる。

 そして玲華が荒い息を戻すように、床に座ったまま呼吸を繰り返すのをじっと待つ。

 ある程度落ち着いたのか、玲華がもう笑わずにいれるかの確認をするように、そろそろと大樹を見上げる。


「……」

「……」


 じっと見てくる玲華の前で、大樹は仁王立ちで待ち続ける。

 落ち着いてきたのか、玲華がホッとひと息ついて、立ち上がろうとした時だ。


「ふんっ、はあっ――!!」


 大樹は必殺のポージング二連をお見舞いしてやった。


「っ!? ――あははははっ!! や、やめて――!?」


 虚をつかれたのもあって、玲華は文字通り笑い転げた。

 その様を見て大樹は、フリフリエプロンをつけたまま、やれやれと首を横に振り、遠い目をして言ったのである。


「ふっ――勝利とは、いつも虚しいものよ……」

「あははははは!!」


 玲華は今度こそ呼吸困難になった。








「はあ、死ぬかと思った……冗談じゃないからね? 本気で笑い死にするかと思ったのよ?」

「ある意味、大往生でいいじゃないですか」


 ボウルの中のものを泡立て器でかき混ぜながら大樹が惚けるように言うと、キッチンカウンター越しから玲華は憤慨した。


「冗談じゃないわよ! そんな間抜けな死に方! すごい間抜けな死に顔晒しちゃうじゃない!」

「大丈夫ですよ、それでも如月さん綺麗ですから」

「こんなに心のこもってない綺麗って初めて聞いたわ」

「心外な。美人だとは本当に思ってますよ」

「はいはい、ありがとう」


 相当言われ慣れてるのか、苦笑してそう言う玲華の心には細波ひとつ起こらなかったようだとわかる。


「さっき気づいたけど、こっちに引っ越してからキッチンで寝転がったのなんて初めてだわ」

「なるほど。言われてみれば確かにそうあることじゃないかもしれませんね。貴重な体験が出来てよかったじゃないですか」

「もう! またそうやって馬鹿にして! 私の方がお姉さんなのよ! 年上なのよ!」

「わかってますよ。だから、丁寧語使ってるじゃないですか」

「そういう問題じゃないでしょ!」


 話している内にボウルの中のものがいい感じになったので、先ほど切っておいた食パンを入れた深めのバットに流し込む。食パンは四枚をそれぞれ半分に切っている。内の二枚分は真ん中に切れ込みを入れて、スライスチーズを突っ込んでいる。

 食パン全体が浸かったのを確認してから、しっかり浸かるまでの間にと、大樹は冷蔵庫からレタスとキュウリを取り出す。さっきまで使っていたボウルをサッと洗って、その中にレタスをちぎって入れていく。そしてキュウリを厚めに切って、レタスの上に乗せるとボウルを水で満たし、最後に冷凍庫から氷を取り出して、それもボウルに適当に突っ込んだ。


「ねえ、何してるの?」

「氷水につけるとレタスはシャキッとするし、キュウリはいい感じに冷えて美味くなるんですよ」

「へえー? なるほど? じゃあ、この食パンは何してるの?」


 その質問に大樹はピタッと止まる。


「え……? 見てたのにわからないんですか? これが……?」


 玲華は目の前にいたので見ていたはずである。ボウルに牛乳、砂糖、卵を入れてかき混ぜていたのを。


「わ、わからないわよ! 何か文句でもあるの!?」


 顔を赤くした玲華は、うっと呻いて突っかかるように言ってきた。


「……いえ、文句は別に無いですが……」

「よ、よろしい……それで、これは何作ってるの……?」

「それは――いや、どうせなら出来上がりを楽しみにしてもらいましょうか」

「えー、気になるー」


 ソワソワとしている辺り、気になっているのは本当なのだろう。

 大樹は苦笑すると、フライパンを二つ取り出して一応サッと水で洗って、キッチンペーパーで拭って水気を切っておく。そして冷蔵庫からバターを取り出して、必要分をカットしておく。


「大きめのお皿ってありますか? 二枚なんですが」

「大きめのお皿? ええっと、確かこの辺に――はい。あ、洗っておこうか?」


 取り出して長いこと使ってないことに気づいたのだろう、玲華が苦笑して提案するのを、大樹は頷いた。


「そうですね、お願いします。洗ったら、拭いてそこに置いといてください」

「りょうかーい」


 玲華が鼻歌混じりに洗い始める横で、大樹はバットの中の食パンに浸した液がしっかり染み込んでいるのを確認して、ガスコンロにフライパンを二つ乗せて、一つに火をかける。


(IHって使い慣れてないんだよな……)


 だけでなく、IHに対応してないだろう鉄製のフライパンだからというのもある。見たところ、IHに対応しているのもあるように思えたが、大樹は使い慣れている鉄製のフライパンを選んだ。

 フライパンが熱されたのを確認すると、弱火にしてバターを転がす。

 途端にバターの芳醇な香りが広がってくる。


「バターっていい匂いするわよね」


 皿を拭きながら玲華が、上機嫌に鼻をヒクつかせる。


「そうですね。でも、出来立てのバターはもっといい香りで、味も段違いなんですよ」

「へー」


 興味深そうな玲華に、大樹はもう一つお願いしておく。


「あ、如月さん。皿拭くの終わったら、カップスープ二杯分のお湯沸かしてもらっていいですか?」

「あ、インスタントのスープ使うの? わかった、ケトルで沸かしとくね」

「お願いします」


 フライパンにバターが広がると、大樹は浸けこんでいた食パンを二枚分とりだして、フライパンに乗せる。途端にバターと混じって甘く香ばしい匂いが広がってくる。


「あー、もういい匂い! で、これ何作ってるの?」


(まだわからんのか……)


 大樹は呆れながらひょいと肩を竦めた。


「見てればわかりますよ」

「えー」


 じれったそうな玲華だが、大樹は相手にせず、フライパンに注視する。

 片面が焼けたと見ると、手早くひっくり返す。

 その食パンの焼き目を見て、玲華はようやく気づいたようだ。


「あ! これ、フレンチトースト!?」

「はは、やっとわかりましたか」

「お店で見たことあるしね。すごい! 家で作れるものなんだ!?」


 その言葉に大樹は手元が狂いそうになったが、なんとか堪えた。

 何か突っ込もうかと考えたが、目を輝かせている玲華を見て、飲み込んだ。


「そんな大層なものじゃないですよ。もうそれほど時間かからずに全部焼きあがるので、テーブルの上片付けてもらっていいですか?」

「あ、うん、わかった!」


 バタバタと動き出し、ソワソワしながらテーブルの上を綺麗にしていく玲華に苦笑しながら、大樹は焼き上がったフレンチトーストを皿の上に乗せ、残りを焼き始める。

 その途中でもう一つのフライパンにも火をかけ、バターを転がして、事前に出しておいた卵を片手で割って立て続けに二つ乗せていく。

 それを見ていた玲華が、目を丸くしている。


「……どうかしましたか?」

「た、卵を片手で割ってる……!」

「……」


 大樹はもう何も言わず、料理に集中した。

 卵は目玉焼きにする。白身はしっかり焼きたい派の大樹は、最後に水を入れて蓋をして、蒸し焼きにする。それでいて黄身は半熟をしっかりキープさせる。

 そうしてフレンチトーストも目玉焼きも焼き上がると、大樹はよだれを垂らしそうにしながらこちらを見ている玲華に声をかけた。


「如月さん、カップスープ用意してもらっていいですか? 俺はポタージュのやつで」

「あ、わ、わかった。私もポタージュにしよっと」


 我に返ったような玲華に苦笑しつつ、大樹はフレンチトーストと目玉焼きを皿に乗せると、置いておいたボウルの氷水を流して、野菜の水をある程度切ると、仕上げにキッチンペーパーで残っている水分をサッと吸収させる。

 洗い物の手間を省くために、大きめの皿である。水気の無くなった野菜を同じ皿に盛り付け、冷蔵庫からハムとトマトを取り出し、トマトをサッと水洗いして手早くカットして、それも盛り付ける。

 ハムはスライスされているものなので、二つ折りにして乗せる。最後に目玉焼きに塩胡椒をかける。

 こうして出来上がったのは、サラダとハムと目玉焼きとフレンチトーストが乗ったプレートである。


「うむ」


 盛り付けもなかなか綺麗に出来たと、ご満悦に一人頷く大樹。

 食事用のナイフとフォークを二セット取り出し、それぞれをテーブルに運ぶ。

 玲華に頼んでいたカップスープは既に用意されていたので、一緒に並べる。


「うわあ……」


 玲華が見てわかるほどに感動した様子になっている。


「さあ、座りましょう。冷めたら味が落ちます」

「は、はい」


 つい出たのか丁寧な返事をする玲華に、大樹は苦笑する。


「フレンチトーストの――ランチプレートになります。どうぞ」


 時間を確認してそう言うと、玲華が目を輝かせた。


「すごい! 本当にお店で見るようなプレートになってる!」

「はは、じゃあ、食いましょう――いただきます」

「い、いただきます――!」

 

 

 

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