第三話 新品だと……?
「え、柳くんが……?」
キョトンとする玲華に、大樹は頷いた。
「ええ。それで、その食パンを使わせてもらってもいいですか?」
「か、構わないけれど……料理できるの?」
その質問に、大樹は不敵に笑って自信満々に答えた。
「できますよ」
「えーっと、じゃ、じゃあ……あ、いやいや、柳くん昨日過労で倒れたんだから、ダメよ。料理なんかしちゃ」
「いえ、昨日たっぷり寝たし、点滴のお陰か体調はすこぶるいいですよ。昨日のお礼代わりに任せてもらえないですかね?」
「そんな、お礼だなんて、私の方こそ――って、これじゃさっきのやり直しになるわね」
そう言って苦笑する玲華に、大樹も同じく苦笑を浮かべる。
「まあ、お礼はともかくとして、俺に料理させてもらえないですか? 昨日は本当なら帰りに食材買って帰って、今日料理するつもりでいたんで、自分で作りたくなったんですよ」
あくまで玲華が作れそうにないから、ではなく、自分が作りたいからという体で切り出すと、玲華は逡巡した末に頷いた。
「そういうことなら――でも、碌に食材なんてないわよ?」
「……とりあえず、冷蔵庫の中に何があるか見せてもらっていいですか?」
言いながら大樹が立ち上がって、冷蔵庫へ足を進めると、玲華が焦りを浮かべた顔で立ちはだかった。
「そ、その! 冷蔵庫の中にはほんと碌になくて!」
「……いや、バターでも、調味料でもなんでも、何があるのかを知りたくて……」
「ちょ、調味料なら自信あるわ!」
「え、何ですかその自信……いや、とにかく何があるかを知りたいんですよ。その自信のある調味料でも、何があるか見てみないと……」
その大樹の言葉の正当性を認めざるを得なかったのだろう、玲華が呻く。
「う……わ、笑わない?」
「……何を――はい、笑いません」
冷蔵庫を見て笑う要素などあるのかと思った大樹だが、とりあえず頷いておいた。
「絶対?」
「絶対に」
「じゃ、じゃあ――」
渋々な様子で玲華が、冷蔵庫の前から体をズラした。
一息吐いて、大樹はもう遠慮は無用と冷蔵庫をガバッと開いて、上から中を覗き込む。
「ビール、ビール、ビール、ビール、ビール、酎ハイ、酎ハイ、シャンパン、シャンパン……牛乳、はある、と」
チラッと玲華を見ると、頬を赤くして、縮こまりたそうにそっぽを向いている。
(牛乳の異物感がすげえが、あるのはありがたい。それに……)
「……確かに調味料は揃ってますね……」
「で、でしょ!?」
我が意を得たとばかりに勢いこんでくる玲華を横目に、大樹は調味料の確認をする。
酢、色々なオイル、ポン酢、味噌、ソース、ドレッシング、マヨネーズにウェーバー。チューブ系のものも。ジャムや食べるラー油などもある。シャワー前に大樹が食べた飲むゼリーもだ。見たところ、ビン詰めのものが大樹のよく知らないものまで色々とある。綺麗に並んでいないのが気になるがそれはいい。だが、それよりもだ――
「ほとんど未開封――?」
思わず呟くと、玲華は傍目にわかるほどギクッとなった。
「や、やはは、買ったはいいけど、なかなか使う機会がなくて……」
尻すぼみに声が小さくなっていく。
「そ、そうですか……」
大樹はそれだけ返すと、右下隅の引き出しのようになっている部分をパカっと開ける。
「お、チーズとハムがあるじゃないですか」
「あ、そ、そう! パンにチーズ乗せて焼く!?」
「それも悪くないですね……お、卵もある」
「ふふん、卵はね。切らさないようにしてるんだ」
胸を張ってドヤ顔で言う玲華に、大樹は不思議でならない。
(いや、卵あるならトーストと目玉焼き、いやハムもあるしハムエッグか。それで立派なメニューになるってのに、その選択肢が出なかったのか……?)
大樹のそんな疑問が顔に出ていたのだろう、玲華が不思議そうに目を瞬かせた。
「えっと、何?」
「いえ……いや、卵は切らさないようにしてるって言ってましたけど、何に使ってるんですか?」
「え? 卵かけご飯に決まってるじゃない」
こてんと首を傾げるその様から、その答え以外に何かあるのかと言わんばかりだ。
「……そ、そうですか……」
(卵かけご飯は確かに美味い。至高のスピードメニューと言っても過言ではない。が、卵の使用用途がそれだけ、だと……?)
大樹は頭を振って、これ以上考えないようにして、その考えと一緒に冷蔵庫に蓋をし、下段の野菜室と思われる場所を開ける。
「お、レタスにトマトに……キュウリ!」
「あ、そうそう、それもあったね! サラダ作ろっか!」
(ああ、切ればもう食べれる野菜ってことか……ドレッシングけっこうな種類あったし、あれは開封済みだったしな……そうか、ハムとチーズはそれ関係か、なるほど)
合点がいきながら、大樹は駄目元で聞いてみた。
「他に野菜はないですか? 別の場所とか?」
「えーっと……無い、かな……」
気まずげに目を逸らす玲華に、大樹はやはりかと頷く。
「えーっと、ど、どうするの? 何か作れそう?」
玲華がおずおずと聞いてくると、大樹は何を言ってるのかと驚いた。
「いやいや、これだけあれば十分でしょう。立派なランチが出来るじゃないですか」
「え、本当!? 私チーズトーストと、サラダぐらいしか思いつかないよ!?」
「……そうですか」
余程残念な子を見る目をしていたのか、玲華が憤慨するように抗議してきた。
「ちょ、ちょっと何よ、その目は! 私だってやろうと思えば出来るんだからね!」
「ソウデスカ……」
「な、何よ、その棒読みは!? 私の方がお姉さんなのよ!?」
キッと睨み上げてくるが、大樹は相手にせずため息を吐いてキッチンへ足を向けた。
「台所の方見せてもらってもいいですか?」
「む、無視しないでよ!」
追いかけてくる玲華に、大樹はキッチンに入り足を止める。
「……立派なシステムキッチンだな……」
目の先にはオーブンまで備えつけられていて、綺麗で広々として料理がしやすそうな、大樹の言葉通り立派なシステムキッチンがあった。
思わず感心した声を出すと、玲華が自信を取り戻したかのように、自慢げになった。
「そうでしょう? 見て見て、このコンロなんて、ガスとIHのハイブリッドコンロなのよ!」
「へえ? そんなのあるんですか?」
「そうそう、割と最近できた最新式のやつよ!」
「へー、こりゃすげえ」
鼻高々の玲華を横目に、大樹は綺麗な――そう、とても使ってるようには見えないほど綺麗なキッチンを眺めながら尋ねた。
「……調理器具は揃ってますか? 今欲しいのはフライパンとボウルとかなんですが」
料理してる気配のない玲華だが、これは流石にあるだろうと大樹が聞いてみると、玲華は巨大な胸を張って自信満々に答えた。
「調理器具なら自信あるわ!」
「……ほほう、それは心強い」
同じように言っていた調味料は確かに言うだけのものはあったので、大樹は本心からそう言った。
「ふっふーん、さあ、ここを見てみなさい!」
ご満悦の玲華はシステムキッチンの引き出しを一つ開いた。
「ほう……」
そこには大中小と様々な大きさのフライパンや、中華鍋、卵焼き用のものなど、言うだけのものは揃っていた。
「ほら、これ見て? プロの料理人も使ってるって言う、鉄製のフライパン!」
玲華がその内から取り出したフライパンを受け取り、大樹は検分した。
「確かに……いいフライパンですね」
「でしょう?」
伸びた鼻が天井に届きそうな玲華を前に、大樹は指で弾いたり軽く匂いを嗅いだりしてから、眉をひそめた。
「……殆ど新品……?」
その大樹の呟きに、玲華がまたも傍目にわかるほどギクッとした。
「し、新品じゃないわよ! 何回か使ったわよ!!」
「何回か……」
つまり殆ど新品ではないのだろうか。
大樹の声からその心情が伝わったようで、玲華は気まずげに目を逸らした。
「あ、あと、ボウルね! ボウルは確か……ほら、ここ! ちゃんとあるでしょ!?」
焦った様子の玲華が示した場所に、確かにボウルはあった。これも見栄えがよく立派そうなやつで、大樹が使ってるような百均には置いてなさそうなものだった。
「ふむ……」
「あ、あと、包丁も! ちゃんと揃ってるわよ!」
そして示された場所にズラッと並ぶ高級感漂う包丁のセット。
「これもね! プロも愛用してるって言う、ドイツのメーカーのやつなんだよ」
「ええ、知ってます……ちょっと欲しいなって思った時あったんですよ」
「へえ? そうなんだ?」
「ちょっと、手に持って見ても?」
「どうぞ?」
大樹は少し興奮しながら一本の包丁を手に取った。
「おお……」
それは万能さに定評があり、一番使われてる種類の三徳包丁だ。刃が美しく、ズッシリとした持ち応えがまたいい。手にしただけで今すぐ腕を奮いたくなる。
「……気に入った?」
余程長く魅入っていたようで、玲華が微笑ましそうに言ってきて、大樹は我に返る。
「え、ええ……でも」
「でも?」
「これも殆ど新品……のようですね」
再度ギクっとなる玲華。
「あまり……料理はしないんで……?」
「えーっと……そ、そうね。あまり、しない、かな……」
目を逸らしながら言う玲華に、大樹はため息を吐き、改めて立派なシステムキッチンや上等なフライパン、包丁に目をやり、もう我慢できず思わずボソッと呟いてしまった。
「宝の持ち腐れ……」
「うっ……」
声は聞こえていたようで、胸にグサッときたように玲華が呻いた。
大樹は目を逸らしていたことから、そろそろ向き合う時が来たのだと、いや、もう逸らせないのだと悟った。
目の前にいるこの美人なお姉さんは料理ができないのだと。
恐らくだが、玲華は形から入る女性なのではないかと大樹は予想する。
立派なシステムキッチンがある。よし、料理をやってみよう。まずは調理器具だと、いいものを揃え、次に調味料もよさげなものを片っ端から集め……それで満足してしまう。形から入ってそれを揃えて満足して終わってしまうという、ありがちなパターンである。参考書を買って、それだけで勉強してしまった気になるアレと似ているやつだ。
しかしながら、大樹が最初に抱いた印象通り、仕事の出来る美人なのは間違ってないのだろう。こんな億ションに住んでるぐらいなのだから、そうでなければおかしい。
ただ、家では不器用な美人……なのだろう。
「まあ、とにかく……作らせてもらっていいですか?」
「ど、どうぞ……」
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