終幕

「……もう一回言ってくれます?」


 誰もいない部室。今はもう演劇部のものじゃない、空き教室。私はノートを抱え、先輩と対峙していた。私の問い掛けに先輩は少し表情を歪め、訝しげな表情を浮かべてこちらを見つめていた。

 しかしここで引いてはならない。私は臆せず、先輩にもう一度こう投げ掛ける。


「演劇部を廃部にする原因作ったの、先輩ですよね? 『実里先輩』?」


 表情を変えず、先輩はじっと私を見る。

「……理由を、聞かせてもらえますか?」

「私、色んな人に話を聞いて来たんです。これを見てください。演劇部についての話をまとめたものです。部員全員に聞くことは出来ませんでしたが、この話を聞く限り……廃部の原因を作ったのは実里先輩だと」

「へえ……綺麗にまとめられている。誰に話を聞いたのか、あえてわからないようにする辺り……元々、私に見せるつもりだったんですか? まあ、大体誰がどんなこと言ったのかは検討つくんですけども……」


 パラパラとノートを捲る先輩は、何処か少し楽しそうな感じだった。

「……で? 見た所、誰も私が廃部の原因とは言ってないけど……何故私だと思ったんですか?」

「実里先輩は、誰よりも舞台に対して思い入れがある……自分たちが楽しいかどうか、に重点を置いている二年生と違って、先輩はお客さんが楽しいかどうかに重点を置いています」

「確かに、私はお客さんの反応を大事にしています」

「だからこそ……違和感を覚えたんです。新歓の劇を実里先輩が『成功した』と言っていたのが」


 新歓の劇は私も見ていた。演劇に関しては素人だが、あの劇がいいものかどうかを問われたら、私は首を傾げてしまう。あの劇を観て、果たして新入部員が入るだろうか。


「現に同じ三年生の真美先輩と琴乃先輩は、あの劇をいいものとは思っていなかったようです。いいと思っていたのは、自分の立場しか考えていなかった、唯先輩を除く二年生だけ。そもそもの話、演劇についてあの二年生たちと真逆の認識をしている先輩が同じ意見……というのが引っ掛かります」


 私は実里先輩と話している時、演劇について真剣だという気持ちがとても伝わってきた。誰よりも演劇を愛し、誰よりも演劇に心酔している。演劇を邪険にする人を許さないという、その姿勢。だからこそ伝わってきた、「狂気」じみたもの。話していて、少しぞっとしてしまったほどだ。

 だからそんな人が、あの新歓の劇を「成功した」と言うはずがない。


「……だから、私だと?」

「はい。先輩の言う『成功』は、もっと違う意味があるんじゃないですか? 確か……先輩言ってましたよね。『お客さんが期待通りの反応をしてくれた』と」

「……」

「あれは目論見通り、観ている人たちの反応がよくなかったことを指すのではないですか?」

「そんなことないですよ。じゃあまさか、演劇部を文化祭に出られなくしたのも私だと言うんですか?」

「はい」

「あはは……それは心外だな」


 笑う先輩。この人は一体何を考えている? もっと取り乱すものかと思った。あるいは、怒られると思っていたのだが。それなのに先輩は落ち着いていて、全く動揺を感じさせない。これが、元部長の余裕なのか。それとも……


「聞かせてくれますか? 何故私が部室を荒らしたと思うんですか? このノートを見る限り、私がやったというはっきりとした証拠はないんですけども。それに、一番怪しいのは唯ちゃんでは? 真美ちゃんが、荒れ果てた部室から飛び出す唯ちゃんを見たと言っているんですよ?」


「もし唯先輩が犯人なら、わざわざ皆を呼びになんて行かないですよ」

「じゃあ何故私だと?」

「部室の荒らされ方、です」


 そう……彩先輩が言っていた通り、大道具や小道具の壊され方を見ると、どうも全て素手で壊したように思える。小道具ならまだしも、あの大道具を壊すのには、やはり工具が必要になる。


「あの劇で使う小道具は、全てガラスで出来ていました。だから床に落とすだけでよかった。けど大道具はそうはいかない……完全に壊すなら、やっぱり工具が要る」

「けど、大道具といってもベニヤ板でしょう? それを折って割るなら、素手で十分なのでは?」

「実里先輩、私一言も大道具がベニヤ板で出来ているなんて、言ってませんよ?」

「二年生から聞いてたんですよ。それが何か?」

「……いえ」


 この人、なかなか手強い。しかし、ここで怯むわけにもいかない。先輩のペースに呑まれたらダメだ。冷静に、冷静に、自分の推理を先輩にぶつけなくては。


「私、犯人は演劇部を相当憎んでいると思うんです。悪戯にしては度が過ぎる」

「まあ、そうでしょうね」

「だったら、大道具の壊され方にもそれが表れていていいはず。ベニヤ板を立たせるために固定していた部分は、無傷でした。何故そこだけ無傷だったのでしょう?」

「……? さあ」

「答えは簡単です。『壊したかったけど、壊せなかった』からです」

「……どういうこと?」


 少しだけ先輩の顔が曇ったような気がした。


「犯人は元々、演劇部にある工具で壊そうとしたんです。でも、工具が見つからなかった。何故なら私たちが、夏休みの間に、工具を片付けてしまったから」

「……」

「だから、犯人は工具の場所を知らない人物。二年生と琴乃先輩を除くと、真美先輩と実里先輩が残ります。新歓のことも考えると、これはやっぱり……実里先輩じゃないかと」


 その話を聞いて、先輩は笑った。その笑顔が逆に不気味で、私は戦慄を覚えた。何故笑っている? その笑みの真意は? とにかく気味が悪い。


「でも……それ、全部憶測でしょう?」

「……それは」

「私が演劇部のものを壊した、という証拠はあるんですか? そもそも、外部の人間がやったという線はないんですか? 私が新入部員を減らそうとしていたと、誰かが言っていたんですか? 今言ったことは、全て想像に過ぎませんよ」

「…………」


 私は押し黙ってしまった。先輩の言う通りだ。私が言ったことは、全部憶測であり想像だ。証拠は何一つない。


「ここまで証言を集めたのは、すごいと思います。けど、残念でしたね。例え私が今言った全てのことをやっていたとしても、もう演劇部はないんですよ。特定した所で、何の意味もない」

「……確かに、そうなんですけどね」

「もしかして、お金を盗んだのも私だと思ってます?」

「あ、それは……その前に、一つ聞きたいことがあるんです。実里先輩と真美先輩は、同じクラスですか?」

「……? そうですけども」

「やはり、そうでしたか……」


 これも全部私の憶測だ。しかしここまで来た以上、話さずにはいられなかった。


「お金を盗んだのは、真美先輩だと思います」

「真美ちゃん? どうして?」

「文化祭当日、先輩たちのクラスでは材料費が足りないことに気付いた。そこで真美先輩の頭に浮かんだのが、演劇部の文化祭予算です」

「演劇部の文化祭予算が部室にある、って真美ちゃんは知らなかったのでは?」

「楓先輩は、予算を部室に置いてきてしまったことを、ツイッターで明かしていました。それを真美先輩は見たんじゃないでしょうか? そうじゃなきゃ文化祭当日に、部室の前を通ったという話が成り立たない。この部室は学校の端にありますから……ここに用がない限り、誰もここを通ることはないんですよ」

「なるほど」


 実里先輩は、何処か納得した様子で頷いた。


「でも、それも証拠がない……ですよね?」

「……はい」


 情けないことに、全て断定出来ないのだ。推理は穴だらけ。探偵には遠く及ばない。私はなんだか恥ずかしくなってきた。あれだけ大見得切ったくせに、全く証拠がないのだから。


「でも、発想は悪くないと思いますよ? 台本にしたら、面白い舞台が出来そうです」

「……すみません……呼び出しておいて、こんな……」

「いいんですよ。最後に聞かせてくれます? 何故これほどまでの証言を集めたんですか?」

「……演劇部が廃部になった原因を、どうしても突き止めたかったんです」


 せっかく入った部活。一年も経たないうちに、廃部になってしまった。単純に廃部になった原因は、二年生の先輩がごっそり抜けたからだ。けど、その原因を作ったのは部室が荒らされて、文化祭に出られなくなったからだ。そもそもの話、一年生が「私」しか入らなかったのも原因だ。遡ってみれば、色々な要因が絡み合っている。その一つ一つの要因を紐解きたくなった。何故、こんなことになってしまったのか……それを突き止めるために。


「どうしても気になってしまって。何故こんなことになってしまったのか……ちゃんとはっきりさせないと、納得出来ませんよ。だから、色々な人に話を聞きに行ったんです。まあ、未海先輩から話を聞くことは出来ませんでしたが……追い返されてしまいまして」

「そっか……大変でしたね、凛音ちゃん」


 先輩はノートを閉じた。ノートを手渡された私は、先輩に謝罪してこの場から離れようとした。

 その時先輩が、真剣で何処か悲しそうな顔をしてこう言った。


「……私、凛音ちゃんとはもう少し早く会いたかったよ」

「え?」

「もしも凛音ちゃんが、一年早く生まれていたら……『本当の』演劇の楽しさ、教えられたのに」


 先輩は寂しそうな表情をしていた。きっと本心なのだろう。悲しさが伝わってくる。見ているこっちも、なんだか辛くなってきた。


「演劇は、お客さんの反応あってのもの。ドラマや映画とは違う、観ている人たちの生の感情があるの。お客さんの笑顔や感動を、舞台にいる私たちは直で感じることが出来る。観客と一体になる、とは正にこういうことを言うんだろうね。だから……凛音ちゃんがそういう経験出来なかったのは、すごく残念に思うし、心苦しいよ」

「先輩……」

「なんて……うーん、ちょっと変な空気になっちゃいましたね……」


 私は実里先輩を知らない。部活でどんなことをしていたのか、全くわからない。でも今の先輩の姿を見ると、この先輩と一緒に部活をやりたかったと心から思える。


 そう思えたのは事実。でも、だからこそ先輩に言いたいことがあった。


「実里先輩は、心から演劇を愛しているんですね」

「もちろん」

「なら……どうして」


 どうして。


「新歓の劇をあんな台本にしたんですか?」


 泣きそうな声での問い掛けに、先輩は虚を衝かれたようだった。動きが固まり、目を見開いてこちらを見ている。


「先輩は誰よりも演劇を愛しています。部長に圧力かけて役をとった楓先輩、自分のことしか考えていない未海先輩とは全然違います」


 オーディションの時、楓先輩は裏で李奈先輩に圧力をかけた。いつも部長の代わりに色々やっている、という事実を利用して。嵩にかかったその態度に李奈先輩は逆らえず、楓先輩を主役にした。もしかしたら、李奈先輩を部長に推薦したのはそういう目的があったのかもしれない。


「それなのに、どうしてあんな……先輩は前に、『自分たちだけが楽しい舞台は自己満足』だと言っていました。でもあの舞台こそ……先輩の自己満足ですよ」


 空気が一気に重くなった。先輩は微動だにせず、ただ私をじっと見つめている。その表情からは、その目からは、何の感情も伝わってこなかった。怒りでも悲しみでもない、これは……


「……そう、だね……」


 「無」だ。


 項垂れる先輩は、力なく笑う。その笑みがなんだかとても痛々しくて、私は目を背けた。

 先輩は穏やかな声色で、私に声をかける。


「凛音ちゃん」

「……はい」


「もしも、凛音ちゃんが言っていたことを全て……舞台にしたら面白いものになりますかね?」


 その問いにはどんな意味があったのだろうか。

 真意を図ることが出来ないまま、私はこう答えた。


「……きっと、観ている人はついていけないと思いますよ」


 そう答えた私に、先輩はふっと笑った。


「やっぱり、そうですよね」


 先輩はドアに向かって歩み、最後にこう言って出ていった。


「演劇部を潰して、ごめんなさい」


 その言葉は懺悔だったのだろうか。

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黒幕 小花井こなつ @deepsea

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