その魂は共に行く
水無神 螢
その魂は共に行く
「その日が来るまで、ただの普通の人間を演じきること」
彼は、それを忠実に守り続けながら、ある夏の日を迎えた。
隣の芝は青い、という言葉が一番当てはまると感じているのは、まさに今であろう。
更に詳しく言うならば、週に二、三回。
家の話ではなく、学校の話である。彼が通う高等学校は、進学校を謳うありふれた高校であるが、無理矢理に設立したのが祟ったのだろうか、二校舎に分けられている。
もういっそ繋げちゃえよと、毎年のように入ってくる新入生は喚くが、元々別物だった二つの建物を繋げたらしく、二階や三階の位置が違うという。しかし別にスロープ状で廊下を繋げればいいので、実際は後回しにしているのじゃないかと疑われている。
そして何を血迷ったか、物理室、化学室共に、教室とは別校舎に設置した為、十分しかない休憩時間でいそいそと向かわなければならない。
もっといい高校ならそこら辺にゴロゴロとあるのに、ということが青い芝の理由だ。
今日は、そんな教室移動の日の春だった。
「…?」
ふと、何かの気配を察した彼は、少し外に出て柱を見上げた。そこは確か、ツバメが巣を作っていたはずだ。
何と吃驚、そこでは一匹の蛇がその巣を狙っていた。
都内に位置しているくせに都会とも言えず、しかしそれなりに田舎とも言えないこの市では、野生の蛇を見れる事は非常に貴重な気がし、しばらく観察していたかったが、流石に状況が状況なので諦める。
蛇は完全に巣にしか集中していない様子で、躊躇なく手を伸ばした彼に、触れられるまで気がつかなかった。
彼は尻尾を掴むや否や、絡みつかれないうちに地面に落とす。そして慌てふためくうちに再び尻尾を掴み、今度は力を入れてアンダースローで投げ飛ばした。
蛇は遠くの茂みに消えていった。ミッションコンプリート。何となくの爽快感に満足し、振り返ると、
一人の女子高校生が、すぐ側に立っていた。
固まる彼に、彼女は何事もなく近づく。
「はい」
彼女は彼の教科書等を手渡す。蛇を掴むためにさっき地面に置いておいたのだ。
「…」
別に疚しくは無いのだが、勝手に羞恥心が湧いてくる。やっと捻り出せた「ありがとう」も、蚊の鳴くような声だった。
彼女はそんな彼の様子を少し長め、唐突にこう発言した。
「優しいんだね」
「は?」
思わず反射で柄の悪い返事をし、しまったと彼は顔をしかめた。だが彼女はそんな事は気にしていない様子で続ける。
「勇敢に蛇に立ち向かう姿、凄かったよ」
本気で言っているのかからかっているのか、よくわからなかったが、とりあえず彼は自分の考えを口にした。
「…別に凄かない。『普通』のことだ」
「『普通』かなぁ」
首を傾げる彼女は、実を言うと意味がわからなかった。
「『普通』だろ。逆に見過ごす方が『異常』だと思うな。情を持った生き物として」
ふうん、と彼女は彼を眺めた。
「根が優しいんだね」
「…そうかな」
「そうだよ、自信持ちなよ」
自信とかどうこうはあまり関係ないんじゃないかなぁ、と彼は思うが、彼女の自信満々の顔を見ると、水を差すのが悪いような気がした。
その日は、突然鳴ったチャイムに慌て、その事はただの日常として忘れかけていたのだが、彼女との関係はまだ続いた。正確には、彼女からの一方的だったのだが。
例えば、転んで泣き出した子供の手を引いて親のところまで連れてってあげたり。
例えば、傘を忘れた同じ部活の女子に、置き傘があるからと嘘をつき一人濡れて帰ったり。
例えば、台風の風でドミノ倒しになった自転車を立て直し、倒れにくいように並べたり。
そんな事をしていると、気がついたら隣にいて、「やっぱり優しいじゃん」と言い残して去っていく。
気づくと、何か「そういうこと」をしている時、無意識に彼は彼女を探すようになっていた。そして時々目が合うと、彼女は何故か「グッジョブ」と指を立てて去っていく。
そんなよくわからない、不思議な日々を過ごし、季節はいつの間にかすっかり、蒸し暑い緑色に染まっていた。
夏休みに入る一週間前、クラスのゴミ箱の燃える燃えないの分別をしていた時、「手伝おうか」と彼女がトングを持って近づいてきた。手伝ってくれる事はありがたいので、礼を言って手伝ってもらう。
「こりゃ酷いね〜。何やら異臭もするし」
「どうやらうちのクラスの連中は、なんでもかんでも燃えるからいいじゃないかと思ってるらしい」
彼が処理しているのは燃えるゴミのゴミ箱なのだが、所々にプラスチックの容器やビニール袋が垣間見える。燃えないゴミの方はまだマシだが、処理が必要なのは変わりない。
彼女はどうやら燃えないゴミの方を手伝ってくれるらしい。
「うわっ、手掴みで分別してるの!?勇気あるねぇ…」
「だってトングだと器用に扱えないし…。そっちは何とかなるかもしれないけど、こっちはこういうのがあるから」
そう言って彼はゴミ箱の中から、ストローが刺さったままの紙パックを取り出す。学校の自販機のものだが、飲み終わった後、本来は刺していたストローを抜いて、紙パックは燃えるゴミ、ストローは(欲を言うならば紙パックに引っ付いている、ストローを包んでいたビニールも)燃えないゴミに分別するべきなのだ。
「ちゃんと抜いてくれてるのと、抜いてくれないのとは半々ぐらいかな」
もうこの際だと、彼はストローを包むビニールも引っ剥がす。その様子を見ていた彼女は、突然話を変えた。
「優しいっつーか、ほっとけない、って感じだよね」
「何が?」
唐突の簡略化したセリフに、分別しながら答える。
「君だよ君。助けたり、直したり、間違ったものを正したり」
「…前々から思ってたけどさ」
彼は少々言いにくそうに、こう言った。
「なんか行動がストーカーっぽい」
「ストッ…!?」
彼女は顔を青ざめ、トングで彼を突き始めた。
「痛っ、ちょっとやめろよ。てかそれゴミ突いたやつじゃん、汚ねぇ!」
「うるさい!ストーカーなんて人聞きの悪いこと…!」
「例えだよ例え!ていうか何でそんなに俺を付け回すんだよ!」
「例えが酷い!私は傷ついた!謝れ!」
「わかったから!すまん!」
そこまでいうと、彼女はようやく突くのをやめる。
「全く…」
「…それで何で俺を、」
「逆に聞くけど、何でそんなことすると思う?」
質問が質問で返ってきた。えっと、と彼が返答に困ってると。
「ストーカーって表現はイヤだったけどさ、ストーカーになる大前提を考えてみてよ」
「…?それって…」
彼が振り返ると、既に彼女はトングをブラブラと振りながら背中を向けて離れていた。いつの間にか、彼女の分である燃えないゴミの分別は終わっていた。
改めて、彼は彼女を見る。ロングヘアーで華奢で、たまに見える横顔が、とても綺麗だった。そういえばよく見るのにしっかりと姿は見てなかったな、と今更ながらに思う。
ふと、彼女は彼を見た。彼も彼女を見返す。彼女は少し照れた様子で、可憐な花が咲くような笑顔を見せた。
彼女とは、付き合っているのかはよくわからない立ち位置だった。
彼があまり女子と話さないこともあってか、教室での彼女との接点はほとんどなく、昼休みは大概彼の部活の昼練習がある。
帰りも、彼女が属している文化部は、彼の部活よりも一時間早く終わるので、帰りがかぶることもない。
そして彼女は自分の想いを伝えて満足したのか、彼にこっそりついてくること(ストーカーと言ったら怒られる)もやめた。
しかし、たまに学校内で何かしている時に見かけると、彼女は人が変わったように横に並んで話しかけてくる。そして「優しいねぇ」と言い残して去っていく。
内容的には以前とあまり変わらないのだが、彼女が隣にくると、若干緊張する。今までは少し鬱陶しいと思っていたのだが。
そんな日々が長く続いたと彼は思っていたが、終業式が始まった時、あの分別の日からまだ一週間しか経っていないことに気づいた。時の流れは、本当に感情に左右されるのだなと、彼は人ごとのようにしみじみと思った。
そして終業式が終わった日の帰り道、彼女は初めて彼が何もしていない時に横に並んできた。
正直、彼は彼女が来て助かったと思った。実は朝からナーバスな気分になっており、彼女と話せば気分が楽になるからだ。
しかし、彼女もあまり浮かない顔をしていた。どうしたのかな、と見ていると、こちらをちらりと見た彼女は、彼の顔色を見てすぐに口を開いた。
「なんか気分が悪そうね、どうしたの?」
それ、俺が先に言いたかったんだけどなぁ、と彼は少し肩を落とした。話しかけることに躊躇しているのは間に先手を取られてしまった。
彼女が心配そうな顔で見るので、彼は素直に今日の朝の出来事を教えた。
これほど抜いたのだとわかるスリは、今まで聞いたことがなかった。
しかし手際だけは素晴らしいと言っていい。
スリだと自覚するまでの間に、彼の鞄のチャックを開け、手を突っ込んで獲物を素早く掴み取ったのだから。
「おい待て!コラ!」
丁度開いたドアから、犯人はすぐさま電車を降りた。彼も慌てて人の隙間を縫って降りる。
犯人はスラリとしたスーツ姿の男性だった。荷物は一切持っておらず、もしかしてこいつはスリをする為だけに外に出たのかとふと思う。
「くそっ」
なかなか距離を詰められずにいると、ふと地面に落ちているものに気づいた。
彼の高校の生徒手帳だ。表面が上になっており、よく見ようとすると、自分の真顔と目があった。
「俺の!?」
すぐさま拾い上げると、その一瞬の隙に犯人はいなくなっていた。鞄の中を確認すると無くなったのは生徒手帳だけだったようだ。
…しくじったのか?だとしたら運がいい。
少しでも気分を上げるためにそう思ったが、結局スリに遭ったという事実だけは残り、暗い気持ちのまま登校した。
「そんなことがあったんだ、大変だったね」
「まぁ被害はないからいいんだけどさ」
彼女は優しく労ってくれたが、
…少し顔が曇ったのは気のせいか?
「…そっちも気分悪そうだな、俺でよければ聞くけど」
「…うん、ありがとう。でもちょっと言えないや」
やっと口を開けたのだが、何やら個人的なことらしく、彼女の事に関しては聞けなかった。
それよりも、と彼女は続ける。
「…あのさ、」
「ん?」
彼女の顔は、いつの間にか思いつめていた表情となっていた。その顔に少々たじろぎながらも、「な、何?」と聞く。
彼女はだいぶ躊躇して、やっと口を開いた時も、あまり大きな声ではなかった。そしてその内容は、彼もこれから言おうとしていた事だった。
「今度の週末の花火大会、…一緒に行かない?」
「ほう!向こうから誘ってきたのか、これは完全に気がある証拠じゃないか」
メガネをかけた中年男性は、そう言って目を見開いた。彼は男性の話を黙って聞いている。
「遂に、今日が『その日』だ。今まで普通の人間を演じるのは辛かったろうが、やっと解放されるぞ。…やることはわかっているな?」
「…はい」
彼は無表情のまま、自分の手首に触る。特定の動作を行うと、
蓋がパカリと開いて、赤いスイッチが現れた。
「俺に課されたプログラムは、有益な情報を聞き出した後、自爆して相手もろとも証拠隠滅することです」
彼は人間ではなく、高性能ロボットだったのだ。そして彼の脳であるAIは、この男性によって作られた、極限までに人間の頭脳に似せたものである。
「奴から例の情報を聞き出せば、我が社は圧倒的優位に立つことができる。何故なら奴は次期社長に既に確定しているからな。いいか、しくじるんじゃないぞ。出なきゃ俺に出た給料がパーになるし、職も失う」
「その予定です。ですが…」
彼は躊躇した。この避けられざる彼の任務を遂行する事に。それに気づいた男性は一瞬だけ眉をひそめたが、すぐにどこか納得した表情になる。
「ムムム、やはりか。生活というものはAIにも影響を与えるものなのだな」
男性はそう言って座っていた席を立ち、歩きながら彼に語る。
「お前の脳みそ、つまりAIを作る際に一番苦労したのは、『感情』だ。AIに感情が無い、ということは最早常識と化しているだろう。だが俺は成功した。そのおかげで、お前は好きなことを進んで行ったり、嫌なことを避けていたはずだ。そうでもしない限り、お前は怪しまれてしまうだろうからな」
男性は部屋の隅にある、布を被ったものに近づく。
「しかし、この任務を遂行するにあたって邪魔な感情があるのを、お前はわかっているだろう」
彼はハッと顔を上げた。どこか一瞬、期待したような顔だった。
「それは、『死』の恐怖だろう」
男性はニヤリと笑って、彼を指差して答える。
「人間は誰しも『死』を恐れる。それが『普通』だからな。お前は数年とは言え、人間として生活してきた。もちろん私は『死』に対する恐怖の感情だけを消しておいたのだが、やはり他の人間と交流すると、それを学習したのだろう。だが心配はない」
男性はそう言ってかけてあった布を剥ぎ取った。そこには、彼と全く同じ姿の、スペアロボットがあった。
「お前が自爆した後、今からお前から取るデータをこのロボットに入れ込む。だから実質、お前は生き返る事になるのだ」
彼は何も言わなかった。最初と同じ、無表情の顔で。
「恐れることは何もない。ただの一瞬の恐怖と痛みだけだ。勇気を振り絞ることも、人間として普通なことで、逆に言えばそれを乗り越えてこそ本当の人間に…」
「違う」
彼が、初めて聞かれたこと以外の言葉を口にした。男性は喋るのをやめて彼を見る。
「俺が恐れているのは、そうじゃない」
「…なるほど、他の点があるということだな、言ってみなさい」
男性はむしろ嬉々として促す。男性にとってこの任務は、自らの給料袋を増やすだけでなく、「人間を創り出す」という昔からの野望を叶えることにもなるからだった。
彼は、少し躊躇した後、口を開いた。
「…俺は、彼女が好きだ。だから俺のじゃなくて、彼女の『死』が恐い」
ポカンとしていた男性は、突然ドン!と机を叩いた。
「しまった…、俺の一生の不覚…」
男性は怒りの表情を浮かべていた。自分に対してである。
「俺がこの40年近く過ごしてきた中で、全く縁のなかった話だ。恋愛というものなど、俺には全く興味がなかった。…俺から創り出したのだから、俺と思考が似ると思っていたが、やはり人間を創るとは困難なものだな…」
一人でブツブツと呟き続ける男性に、彼は質問を投げかけた。
「…この任務、彼女が助かる方法で成功する手はあるのですか、」
「ない」
男性は即答した。そして深くため息をついた。
「失敗したか。…ああもちろん、お前を破棄するというわけではない」
「ならば、俺はどうすればいいのですか」
彼は男性の呟きを無視し、質問を重ねた。男性は難しい顔で答える。
「辛いだろう。だが耐えてくれ。人間は自分が望まないことも、否応無しに行わなければならない。それを乗り越えてこそ、お前は本当の人間になれるということで、」
「貴様が人間を語るなっ!!」
彼が声を荒げることなど、男性の前では全くなかった。男性は思わず口を閉じる。
「貴様が知らない感情のことを、貴様が決めるな、何知った口きいてんだ!辛いだと?その一言で収められるとはいいご身分だな、その辛さを一欠片も知らないくせにか!」
「仕方がないだろう。不足の事態だ、俺が知るはずがない」
慄きながらも男性は反論するが、彼はそれを畳み掛けるように怒鳴りつけた。
「貴様にはわかるか?殺す為に彼女と交流を図らなければならない憂鬱さと申し訳なさと悲しさが!わからないだろうな、貴様は彼女に対して全く想いを寄せていないからな!だったら部外者は口を挟むな、指図をするな、見向きもするな!」
彼はいつの間にか泣いていた。男性が入れた涙のプログラムを動かして。
彼は、いくら独立しようとも、男性の呪縛からは逃れられないとわかっていた。
「俺らのことは、もうほっといてくれ!俺しか知らないことは、」
彼は腕を掲げた。蓋が開けられており、赤いスイッチが覗いている。
「俺に決めさせろ」
「お前、何をして…、やめろ!ここにはお前のデータの全てが残っているんだ、バックアップは取っていない!俺ごと心中する気か!」
男性が慌てて彼に手を伸ばすが、もう遅かった。
「俺の命より、彼女の方が尊い」
彼はそう言って、人差し指でスイッチを押し込む。
…ことは、出来なかった。
「…っはあっ、はあっ、…」
男性は自分の胸を押さえつけて、必死に落ち着かせる。突然の展開と、決して若くない身体で急に動いたことで、心臓が跳ね上がっている。
「くっそ…、完全な失敗作だ…」
男性は立ち上げていた自分のパソコンで、彼の意識を強制的にシャットダウン、つまり人間で言えば気絶させた。彼はスイッチに指が接している状態で、その場で固まっていた。
「とにかく、この個体は任務を全うしなければならない。完璧な人間AIの開発は、また調整せねばならんな…」
やっと落ち着いた男性は、別のパソコンに向かい、彼の邪魔な記憶のデータを消去し、AIのことは無視し、任務のことのみを考えるように調整し、彼を再起動させた。
「行ってこい、そして二度と戻ってくるな」
彼が外に出た時、男性はそう吐き捨てた。
「お嬢様」
花火大会会場の近くにある木製の橋の上で、浴衣姿で彼を待つ彼女に、彼女の秘書が近づいてきた。
「対象が近づいております。もうじき、ここに到着するかと」
その秘書はスラリとしたスーツ姿。彼が言っていたスリだった。彼に疑いをかけた秘書は、生徒手帳から情報を得てすぐに捜査し、正体を突き止め、すぐさま彼女に警告したのだ。
「スパイによると、どうやら情報を得た後、自爆する気のようです。周りにも被害が及び、離れていてもお嬢様が危ないのですが、…私はお止めになられた方がよろしいかと」
彼女はとある武器を懐に持っている。一見ナイフのように見えるが、高電圧により、突き刺した機械を即座にショートさせて、1秒の隙も与えずに機能を停止させるものだ。もちろん人間に対しても危ないもので、彼女も十分に気をつけて忍ばせている。
彼女は秘書を安心させるように、薄く笑って答えた。
「でも、貴方達が突然かかってきたら、向こうにもう気づいてるってバレてしまうじゃない」
この花火会場には、至る所に彼女の会社のガードマンが配置されており、厳戒態勢で彼を待っている。秘書はそれらをまとめる存在だ。
「だったら、ヤケを起こして自爆されたら被害が出るわ。私が最接近して、油断しているところを突かないと」
「…わかりました。ですが、もしもの時は、私が対処致します」
「わかっているわ」
彼女は目を細めて、星空を見上げながら呟いた。
「…人間とほとんど同じ、ロボットだってね」
突然の話題だったが、秘書は「はい」と頷いた。
「向こう側にそのようなものを創り出せる人材がいたのは脅威です。今回の件が穏便に済ますことが出来ましたら、その人材の消去に手をつけます」
「人間に近いんだったら、魂もあるのかしら?」
思わぬ質問に、秘書は返答に困る。何しろ秘書はこの類には詳しくない。
「…わかりません。やはり本質はロボットなのですから、恐らくないのでしょう。ですが、」
秘書はふと思いついて、こう続けた。
「もしあったとしても、お嬢様を殺めようとしているのですから、地獄に行くことは確定でしょうね」
「…そう」
彼女はそれしか言わなかった。その時、
「来ました。対象です」
秘書のイヤホンから、部下からの報告が聞こえた。それと同時に、彼女が顔を上げ、秘書の後ろ側を見る。
彼が、迷いない足取りで、彼女の元に向かっていた。
「では、私は一度離れます。くれぐれもお気をつけて…」
そう言って秘書は歩き去る。彼とすれ違った瞬間一瞥した秘書の目は、心の底から憎む目をしていた。
「…お久しぶり」
「…」
彼女の言葉に、彼は返答しない。その瞬間に、彼女は察した。
もう彼は、彼女から情報を得てから殺す事しか考えていないことを。
…それでも、
彼女は、
彼が人間であろうとなかろうと、
彼が自分を殺そうとしていても、
彼のことが好きなのだ。
「どう?この浴衣。中学の時に着て以来全く触ってなかったのにピッタリだよ。私、全然成長してなくて笑えちゃう」
例え、彼が彼女のことを、ただの敵として見ていても、
「あと、さっきちょっとだけ見たけど、射的とかもあったよ。私得意なんだ、後で勝負しようよ」
彼女は、最後まで、彼を好きでいたくて、こうやって話しかける。
「熱いのって平気?私、猫舌だからさ、焼きそばとかたこ焼きとか、半分食べてからちょうだい」
でも、彼からの返事はなくて、
「…ねぇ、お願い、返事をして」
彼女は、自然と涙を流していた。
「お願いだから、すごく優しい、『普通』の君でいて」
その言葉に、彼の手が、ピクリと反応した。
まるで、彼女の言葉で目覚めたかのように。
「…そのナイフで、早く」
彼の言葉に、弾かれるように彼女は顔を上げた。
彼はまるで、強引に言葉を発するように、言いにくそうにボソリとそう言った。空耳じゃない、絶対に、彼の声だと彼女は確信できた。
「…どうしたの?もう一回言って、」
ハッと、彼女は口をつぐんだ。
彼も、泣いていたのだ。
「…今、俺は何とか今までの自分を保っている。だけどそれは小さな小さな意思で、いつ本体に侵食されるかわからない」
彼は、ラボに戻る前に、自らのデータの中に今までの記憶を保存していた。データとして外部から見られないように細工をし、見られたとしても、彼が設定したパスワードが無いと、情報をいじることは出来ない。
しかし、本体の「情報を得て殺す」という目的に抗えずに、ここまで来てしまった。それでも彼女の涙ながらの訴えで、今この瞬間だけ勝ることが出来たのだ。
「いつ自爆をするかわからない。だから早く、そのナイフで、」
彼女がナイフを持っていることは既に知っているようだ。必死な彼の顔に、それが本当のことであると同時に、彼が望むことだとわかる。
…でも、
「私は、君と一緒にいたい。離れ離れにはなりたくない」
「…でもそしたら」
「爆発すればいいと私は思ってる。でもそしたら、周りに迷惑がかかっちゃう。周りに迷惑をかけるのは、君にとって『普通』じゃないんでしょ?」
そう言って彼女は、ナイフを取り出した。
「だから、もし君が死んでしまう運命なら、いつまでも一緒にいよう」
「何でそこまで…」
彼が流す涙を、彼女は指で拭ってあげた。
「わかりきったことじゃん。私が君を好きなだけだよ」
秘書は、彼は地獄に行くだろうと言った。
だったら私も、彼を殺そうとしているのだから、地獄に行くだろう。
ならば、私と君は、向こうでも一緒だ。
「責任、とってよね」
彼女は、彼の胸に手を置いた。その時、彼の後ろから、異変を感じた秘書がこちらに走ってくるのが見えた。
秘書には申し訳ないが、それでも秘書は彼女の敵側だと、思ってしまう。だから彼女は躊躇しなかった。
「私を、こんなに本気にさせて」
「…ああ、もちろんだ」
彼はくしゃくしゃになった顔で、彼女に笑いかけた。
「責任を取るのが、『普通』だろ」
彼の言葉に彼女は、彼と似たような顔で笑った。
そして彼女は、自分の手の甲から、彼女の手を貫通させて、彼の胸にナイフを突き刺した。
彼に、魂が存在することを信じて。
その魂は共に行く 水無神 螢 @minakami_hotaru
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