カラス食堂

秋来一年

カラス食堂

 死んでしまおうか、と思った。

 べつに、何があったというわけでもない。

 何もないからこそ、死んでしまおうかと思った。

 何もないのだ。私がいる意味とか、存在価値とか、そういうの。



 見慣れた坂道を、自転車で駆け下りる。

 吹き抜ける風が、先週切ったばかりの髪を揺らした。

 何もかも置いてきぼりにするみたいに、私はバカみたいに自転車をこぐ。

 けれど風は、どれほど私の髪を揺らしても、スカートをはためかせても、涙のあとはちっとも乾かしてやくれなかった。

 こんな状態で帰ったら、きっと母親に何か言われる。

 ただでさえ、最近は受験生の弟が、模試でよくない判定だったとかでナーバスになってるってのに。

 仕方ないから、どこかで時間を潰すか。でも、カラオケもゲームセンターも知ってる人に会ってしまいそうでいやだし……。

 そんなことを考えていると、ちらりと見覚えのない店が目に入った。

 いつもの通学路の、いつもとは違うお店。

 こんなお店、いつの間に出来たんだろう。

 窓もなく、外からではなんのお店だかよく分からない。ただ、おひさまみたいな橙色の外装がかわいらしくて、目を引かれた。

 自転車の速度を落とし、見慣れぬお店をまじまじと観察する。

 お店の前には小さな黒板がでていて、私がこのよく分からないかわいらしい建物をお店だと思ったのも、それが原因だった。

 しかし、黒板には、

「メニュー 店主のおすすめ お代は宝石で頂戴します」

とだけ書かれていて、私はますます首をひねってしまった。

 メニュー、とあるからには、何かのお店なんだろう。

 でも、一体なんの? 外装だけ見ると、雑貨屋さんかカフェのようだけど……。

 まあ、もし入ってみて思ってたのと違ったら、すぐに出て行けばいいか。そんな風に結論づけて、私は外壁よりも橙の濃い、夕焼け空のような扉に手をかけた。

 カランコロン、と、かわいらしくベルが鳴る。

 けれど、そんな音は、私の耳には入らなかった。

 それどころではなかったのだ。

「ひっ……」

 思わず、引きつった声が喉の奥から漏れる。

 目の前に、カラスがいた。

 巨大な。二足歩行の。

 身長は、私のお父さんより高い。百八十センチくらいあるのだろうか。 その巨大なカラスは、カウンターを挟んだ向かい、入り口から三メートルくらいのところに立っていた。

「いらっしゃいマせ」

 白目のない黒々とした瞳で私のことを見つめながら、少しきいきいとした、特徴的な声で言う。

「おひとりさまですカ。あいてイるおせきへドうぞ」

 濡れたように深い黒の翼で、カウンター前の席を示す。

 やばい。やばいやばいやばい。

 逃げなきゃ。

「ごめんなさい私間違えちゃったみたいで」

 なんとか早口にそれだけ言うと、私は踵を返した。

 が、しかし。

 私が扉に手をかけるより早く、扉は外から開かれた。

 そして、視界の下を、黒っぽい人影がするりと抜ける。

「おっちゃん、にくくいたい! にく!」

 見ると、先ほどまで空だったカウンターの席に、ひとりの少年が座っていた。

 まだずいぶんと小さい。小学校低学年くらいだろうか。

 その少年は、どこから見ても人間で。しかし、全く物怖じすることなく、目の前のカラスに話しかけていた。

「ちゃんとやさいモタべないと、おおきクなれまセんよ」

 ちょっと待っててくださいね、と言いながら、お鍋の中をかき混ぜるカラス。

 その手には、どうやっているのか、お玉が器用に握られていた。

 よく見ると、身体にはエプロンまで着けている。

「そちらのオきゃくさんも、ドウぞおすわりください」

 突然の来客に帰るタイミングを失ってしまった私を、カラスがそう促す。

「でも、私、お代持ってませんし……」

 口からでたのは、そんな言い訳じみた言葉だった。

 けれど、実際、一介の高校生である私のお財布には千円札が数枚入っているくらいで、宝石を買うお金も、まして、宝石そのものなんて、持っている訳がない。

 だというのに、カラスは、

「ナンだ、そんなことデしたか」

 と、何やらほっとした様子で言った。

「お代には、アなたの宝石をいただくので、大丈夫デスよ」

 瞬間。

 まだ微かに頬に残っていた雫が、まるで無重力に投げ出されたかのごとく、ふわりと浮かび上がった。

 無数の丸い水滴は、店内の照明の光を浴びて、きらきらと輝いている。 そして、それらの水滴は、異形の店主の元へと一直線に吸い寄せられていった。

 夕焼け空みたいな店内を、涙の流星群が駆ける。

 思わず見開いた私の目から、次から次へと涙が溢れ出てきた。

 その煌めきも全て吸い取って、店主は両の翼を胸の前で合わせた。

 ごちそうさま、ということらしい。

「うちは、代金前払いナんです」

 表情の読めない顔でそう言われ、私は促されるまま、少年のふたつ隣の席に腰掛けた。

 目の前で起こっていることがあまりに非現実的すぎると、人は恐怖を忘れるらしい。

 どこか地に足の着かないふわふわとした気持ちのまま、カウンター越しに店主のカラスと向かい合う。

「アレルギーや、たべラレないものはありマせんカ?」

「大丈夫、です」

 小さく返すと、店主はそれはよカったと言って、水の入ったグラスを出してくれた。

 ひと口含むと、かすかにレモンの香りが鼻から抜けて、あ、これちょっとおしゃれなレストランのやつだ、と思った。

「もうチょっと煮込みたいので、待っテてくださいね」

 そんな店主の声を聞きながら、私は夢でも見ているみたいだ、と思う。

 けど、それなら私は、一体いつから夢をみているのだろうか?

 そんなことを思いながら、私はお店に入るまでのことを思い返してみることにした。



 私には、いつも一緒に過ごしている親友がいる。

 その親友――舘川凪たちかわ なぎは、私と同じマンションに住んでいて、物心つく前からマンションの公園で一緒に遊んでいたし、小学校には手を繋いで一緒に通った。

 お互いの家に遊びに行く時の挨拶は「ただいま」だし、お互いのペットにつけられた名前の由来すら知っている。

 けれど、どれほど長い時を一緒に過ごしても、同じようには成長しないらしい。

 凪は、みんなの人気者だ。

 中学の頃は、思ったことを真っ直ぐ言うその正確ゆえに、人から好かれることも多かったが、同じくらい凪のことを疎ましく思う人もいた。

 そして、一生懸命で真っ直ぐで、だからこそ剥き出しのまま、傷ついてしまうことの多い凪を励ますのは、いつだって私の役目だった。

 高校生に入り、凪は前より器用になった。

 前と同じく、一生懸命で真っ直ぐで、けれど、誰もが自分と同じように一生懸命で真っ直ぐな訳じゃないと気づいた凪は、言葉ややり方を選ぶようになった。

 そんな凪は、たくさんの人に好かれ、凪のことを悪く言う人はぐっと少なくなった。

 人気者の凪は、クラスの子に推薦され、本人もまんざらでもなさそうな様子で生徒会役員に就任した。

 それから四ヶ月が経った。今日も凪は相変わらずの人気っぷりで、帰りのホームルームが終わったばかりだというのに、もうクラスメイトやら何やらに囲まれて、楽しそうに話している。

 と、それをぼんやり見ながら、先に教室を出ようとしていた私に、声がかけられた。

「あのさ、前川さん。今日の放課後っていそがしい?」

 振り向くと、そこには同じクラスの由乃さんがいて、何やら祈るような目でこちらを見ている。

 由乃さんとは、調理実習や移動教室で席が近くなれば話はするが、学校の外で一緒に遊ぶことはない、というくらいの距離感だ。

 そんな彼女が一体何の用だろう。

 私が返事をするより早く、彼女が再び口を開く。

「実は、部活で先輩に頼まれちゃって、すぐ行かなきゃいけないんだ。だからさ、悪いんだけど掃除当番代わってくんない?」

 言いながら胸の前で両手を合わせ頭を下げる。

 なんだ、そんなことか。

 けど、なんで私なんだろう。

 由乃さんならそれこそ、私より凪との方がよく喋ってるし、仲良よさそうなのに。

 べつに急ぐ用もないので、了承しようと口を開く。

 けれど、私が了承の意を口にすることはなかった。

 私の疑問に答えるように由乃さんが付け加えたことで、思わずフリーズしてしまったから。

「ほら、凪って生徒会だし、放課後忙しそうじゃん?」

 身体中が、凍り付いてしまったようにぎしぎしとする。

 きっと、彼女にとってはなんてことない一言だったのだろう。

 けれど、私にとってそうではなかった。

 だって。

「……あの、さ。私も生徒会入ってるんだけど」

 私の口から発された言葉は、制御を失って、自分でも予想外の硬度と冷たさで、目の前の彼女のことを殴った。

 空気が凍り、気まずさが満ちる。

 由乃さんの顔に、やってしまった、という表情が浮かんでいた。

 そのことが、彼女が何の悪気もなくさっきの言葉を言ったということを表していて、より一層私の胸中に苦いものが走る。

 いっそ、悪意を持って言われていた方がまだましだった。

 だって、彼女は本心から、私が凪と同じく生徒会役員であるということを、忘れてたってことなんだから。

「ご、ごめんっ。そうだよね、うっかりしてた」

 四ヶ月前、私は凪と共に生徒会役員に就任した。

 凪にたいして悪いことを言う人はいなくなった。そんな凪の次の敵は、仕事量だった。

 真っ直ぐで一生懸命で、ある程度要領が良い。

 そんな凪は、気づけば周りから頼られ、周りよりも働き者になることを強いられていた。

 だから、私はこの四ヶ月、凪がつぶれてしまわないように、一番側で支えてきた。そのつもりだった。

 生徒会役員は全校生徒による選挙で選ばれる。毎回の学校行事でも仕事にかり出されるから、由乃さんが私も生徒会役員だって知らないはずはないのだ。

「悪いけど、今日は帰らなきゃいけないんだ。ごめん」

 どうにかそう言うと、必死で謝ってくる由乃さんを置き去りに、教室を飛び出した。

 去り際にちらりと見えた凪の表情は、心配そうで、そしてどこか申し訳なさそうだった。



「ねえ、おっちゃん。オレ煮豚がたべたい!」

 二つ空席を挟んだ隣から聞こえた元気な声に、私の意識は、ふっと現実に戻された。

 いや、これを現実と呼んでもいいのだろうか。でも、今日のこと思い返してみても、眠りにつくようなタイミングなかったしな……なんて考えている私を尻目に、カラスの店主と少年が会話を始める。

「スみません。今日ハ野菜をほかノ料理につかってシまったので、煮豚は無理ナんです」

「えーなんで。煮豚なんだから、野菜なんていらないでしょ?」

 頬を膨らませて言う少年に、異形の店主は諭すように言った。

「野菜には、お肉を柔らカくする働きがあるんでスよ」

 納得していない様子で首を傾げる少年に、店主は続ける。

「おイしい煮豚が食ベタいのなら、野菜は欠かせませン。例え目立タないモノだって、必ず何かの役に立っていテ、いらないなんてことハないのです」

 と、店主が何か言いたげにこちらを見た。

 え、と、私は戸惑う。

 まるで心の中を読まれたみたいで、けれど、不思議と悪い気はしなかった。

 それどころか、むしろ、胸になにか温かくてきらきらしたものが湧き出るような気持ちになった。

 これは、安心と、期待?

 本来なら気味悪く感じてもおかしくないはずなのに、

 〝見つけてくれた〟とすら感じていて。

 それニね、と、店主は続ける。

 今度は、白目のない黒曜石のような瞳で、私の方を向いて。

「野菜だって、主役になることはできるんですよ」

 野菜自身ガ望むなら、ね。そう言いながら、店主が鍋の中身を白い皿によそう。

 ことり。と、皿が目の前に置かれた。

 皿をのぞき込むと、そこにはごろごろと大きいままの野菜が、透き通ったスープの中に浮いていた。ポトフだ。

 沸き立つ湯気とおいしそうな香りに、私は自然とスプーンを握る。

「召シ上がれ」

 ごろごろとしたジャガイモにスプーンを突き立てると、中からもわっと白い湯気がでてきた。

 一口大にしたジャガイモをスプーンにのせ、スープと一緒に口に運ぶ。 熱くてはふはふと息を逃がしながら食べると、優しくてほっとする味が舌にじんわりと染みこんでくる。

「おいしい……」

 素朴な味のするポトフを食べながら、私は先ほどの店主の言葉もまとめて咀嚼する。

 ――目立たないモノだって、必ず何かの役に立っていて、いらないなんてことはない、か。

 それに、店主はこうも言っていた。

――野菜だって、主役になることはできる。

 私は、主役に、凪に、なりたいのだろうか。

 ちょっと想像して、すぐにううん、と首を振る。

 そうじゃない。べつに目立ちたいわけじゃ。

 ただ、私は寂しかったんだ。寂しくて、そして、悔しかった。

 誰も私のことなんて、見えていないんだ、と思って。

 私は主役になりたいわけじゃない。けれど、主役になれない訳ではなくて、なろうと思えばいつだってなれるんだ。

 別の選択肢を提示してくれたみたいで、スプーンに映る自分の姿が思わず滲む。

 おなかの中が、胸が熱いのは、ポトフのせいだけじゃないだろう。

 お店に入るまでは空腹なんて感じていなかったはずなのに、私は夢中でスプーンを口に運んだ。

 最初に感じていた異形の店主への恐怖心も、心の芯が凍り付いてしまったような寂しさも、いつの間にか、もうすっかり消えてしまっていた。

「おっちゃん。野菜って、意外とうまいんだな……」

「もウ。だカラいつもそういっテるじゃナいですか」

 隣から聞こえてくるそんな遣り取りに、思わず頬が緩む。

 と、そんな私のことを見て、店主がくちばしを開いた。

「ああ、やっぱり。あなたには、そちらの宝笑顔石の方がお似合いですよ」



 ここはカラス食堂。

 きらきら光るものが好きな店主が、お客さんの涙を、ちょっと不思議な食堂である。

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カラス食堂 秋来一年 @akiraikazutoshi

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