なく声のなくという字はあまり見かけないですね。
わたしを取り出して
わたしを砕きながら
このフレーズ、涙を誘います。幸せなときには書けない重い詩です。
僕は幸せな時にわざわざ不幸になった時の気持ちを想像してしまうタイプです。
恋人がいる時に限って、別れの曲をカラオケを歌いたくなるというか、、、
あえて石を飲み込んでいるんでしょうね。
結果、出てくるココロのカケラは柔らかくて、砕けない時があります。
つきのさんは哭く声にちゃんと耳をすませてらっしゃるからか、言葉一つ一つに真摯さのようなものが篭っているように思います。
すごくすごくわかります!
(そういう詩の書き方は、大昔しかしてませんでしたが)
(ってか、詩自体、十代のころしか書いてませんでしたが 笑)
ちょっと音楽と似てるとも思いました。
幸せだったり楽しかったりする時、
音楽はそれをさらに盛り上げてくれたりしますが、
つらい時、苦しい時、悲しい時は音楽が”必要”でした。
詩に限らず、”書くこと”もそうですね。
そうやって自分と向き合って、吐き出して、やっと息がつける。
作者からの返信
うんうん、音楽もそういうところがありますね。
自分を鼓舞してくれたり、感動をより深くしてくれたりする時は側でわーい!って言ってくれてる感じで。
そして辛く悲しい時には、音楽に自分が、すがりついたりしてる。
>”書くこと”もそうですね。
そうやって自分と向き合って、吐き出して、やっと息がつける。
本当に。
だから、救いなのかもしれません。
確かに。何かを書きたい時って
そういう時な気がします。
特に詩って心に直球で訴えかけてくる気がするので、そういう時に書く方がやはりピッタリなのかもしれませんね。
でも、何気に詩って難しい〜。
小説もですが、
詩もかけないなぁと思っています。
やっぱり私にはすっとこどっこいしか
ないのかもです(笑)
作者からの返信
そうなんです。わたしが書きたくなる時ってやっぱりそんな時が多くて^^;
勿論、感動したり喜びを感じた時もあるし、世にはそういう作品で素晴らしいものも沢山あるんですけどね。
ねむこさんの言葉って、わたしは詩的だなぁと、いつも思ってますよ。感性の繊細さ、そっと触れたくなるような。だから皆さん惹き付けられてファンになるんだろうなぁって思います。
詩って意識しなくても、これからも書いて欲しいなぁ^^*
ボクも自虐詩が多い。
たぶん、それは心のロンダリング。無意識だけれど。
溜め込んでいるものを放出すれば、少し楽になる。感覚的だけれど。
でも、それでいいと思う。ブラックボックスが上手く機能しているのだから。
作者からの返信
RAYさん
>たぶん、それは心のロンダリング。無意識だけれど。
溜め込んでいるものを放出すれば、少し楽になる。
ああ、まさにそうだなぁと思いました。
いっぱいいっぱいに詰まって行き場を失ってるものの放出。。。
自分自身の心の浄化作業なのかもしれませんねぇ。