@totto-chang

 憎しみが心を染め上げている。目の前の箱(パソコンのことです)の電源を入れればぶんと耳障りな低音を立ててハードディスクが回り出す。キーボードに触れている指先から静電気性の震えが伝わって、汗ばんだ肌をさらに毛羽立たせて……結局のところ、問題はすべてこの気温、あと湿度に起因するものだ。

 しかし、暑いからと温度計に濡れ衣を着せて怒るのはお門違いだ。実際のところ二十九度より三十度のほうが視覚的にはすっきりしていていいのかもしれない。それに、春先の二十五度とかそのあたりが一番強い。それにしても、濡れ衣を着たい。すぐに不快感のほうが勝るだろうが。

 で、なんでこんなに怒っているのかというとそれは五分前に遡る必要があって、まあその話自体は特に必要のないものではある。ではあるが、いつの世もアペンディクスに真実の露骨な切片が隠れている傾向にあるのもまた確かだと僕は思う。ことに華美な修飾の施された豪奢な本体の隅に自信なさげにくっついている場合、ほぼ百パーセントの確率でそれがホシだ。

 そういうわけで、五分前の僕は剃刀を持って体毛と格闘していた。濃い方ではない。濃い方ではないが、それに対応するかのように肌も弱い。小さいころ、皮膚を爪で引っかき、白く浮き上がる痕を見て楽しむという根暗な遊びに興じていたのがいけないのか。いや、どちらかというとその白色皮膚描記症、抗原抗体反応、電撃反応会話とかそういうのがいけない。

 だから、剃刀を丁寧に何度も洗い、その都度で毛を流していかなければどんな角度で皮膚に刃が当たるかわからなくて怖い。

 だというのに、平成不況真っ只中に産声を上げたツーバイフォーの、その洗面所の排水口は不親切極まりない。つまり、レバーを引き上げると蓋が閉まり水を溜められるタイプであるので、残毛が吸い込まれるまさにその瞬間は見えないということだ。

 あらかじめ言っておくとコリオリの力は関係ないし、イライラしていた、憎しみとまで言ったことももう忘れてしまった。それよりも今の時代だからこそ聞いてほしい話がある。人が人を信じるために……

 白髪交じりで体格がよく、見事なまでに枯れた声の教師だった。あと眼鏡をかけていた。一度も授業を受けたことはなかったが、毎朝遅刻ぎりぎりを見計らって校門をくぐる僕たちの登校班にとってはなじみ深い存在だったと思う。

 で、小学生というのは掃除時間が地域の一斉清掃の次に嫌いなものだ。それが発達段階とどのような関連があるかについては専門家に投げることとして、とにかく僕は(今の時代だからこそ言ってはいけない気がするが)殴りたくなるくらいおざなりに手洗い場の黄ばんだタイルを磨いていた。気持ちはわからないでもない。獣は濡れることを恐れるものだし、クラス中で嫌われている坊主頭の男子の唾液が流れずにそこで乾いていくのをさっき見た。

 そこで件の教師がタワシを持って僕の横に並んだ。無言で水垢を落とす彼をふと見やると、すでにその大きな目はやわらかな熱に満ちて僕の瞳に向けられていたのだった。しかも、赤褐色に錆びついたゴミ受けから、知らない誰かの咀嚼した粥状のパンくずをこすり落としながら……

――手は汚れたらまた洗えばいいんだから。

 かくて獣はサピエンティアを咀嚼し、手を汚す子供となった。だが僕が子供ではなくなったころ、あのきったない手洗い場は生徒の使う場所ではなくなったらしい。少子化の影響だろうか?

 何が言いたいのかというと、記憶は円に近いところがあると思った、そんなところか。生まれた瞬間から現在まで順々に並んでいるのではなく、印象の強いものを何度も反芻してプレイリストを構築する。そもそもディスクメディアが記憶の似姿なのではなく、記憶というシステムを持った人間だからこそそんなものを作ったという指摘は妥当だが、はっきり言うと僕は煙に巻こうとしている。そんなこと言ったら円運動がどれほど基本的かとかそういうことにまで言及せねばならないのではないか。

 さて重要なのはパソコンだ。すでに三周ほどしている、そしてループ機能で回り続ける十年ほど前に大流行したバラードはライブヴァージョンなどと銘打ってはいるが明らかに合法的にアップロードされたものではない。ただでさえよくない音質が僕特有の適当なイコライジングでさらに歪んでいた。過去の自分に向けたという体の歌なのがまた詩情をかきたてる。

 そんなことはどうでもよくて、記憶について今一度整理すべきだ。円だのディスクだのと言ったが、それらとは違って僕たちは明らかに記憶の零点を見出すことができる。生まれたときの記憶なんかもちろんない。しかし自らのへそを見つめればわかる。天上界の記憶があるとか選んで生まれてくるとかそういう人は、知らない。

 すなわちその原点から円を描きつつ現在に向かってくるという……もういい加減抹香臭いのでやめたい。階段をひとりでに降りてくるおもちゃを想像するとちょうどいいと思う。またハードディスクが鳴っている。相槌を打っているつもりか。

 とにもかくにも記憶は引っかかる。読み取りヘッドの部分が妄想その他の心の乱れで容易に曇る。具体的に言えば、ほうれん草を洗っていて裏側に虫の卵がびっしりついていたのを見た瞬間を執拗に再生してくる。自分だが。

 そして今日引っかかっているのは「ご当地 萌えキャラ」とかとんでもなく親不孝な検索ワードから生じる情報の無分別な集積である。誰かが作ったゴミ山から飛び出した釘を踏み抜いた痛みだ、これは。

 キャラはかわいい。キャラクター自体は十分にかわいい。問題はその活用である。想像はできる。発注した側も存外に質の高いものができあがったために捨て置くわけにもいかなかったのだろう。アーカイブサイトでは、その海峡の特異な地形のために水が回旋し、ふくよかで素朴かつ凄艶な運動をする、まさにその瞬間に……預言者よろしく海上に立つ、まい(仮名)の姿をうかがうことができる。

 夜中に点いているテレビに似ている。テレ・ヴィジョンの名の通り、どこから発信された電波がどこで裏返り、受像して走査しているのか。誰のために、という疑問は適切ではなく、方向性を探ること自体がまた靄の中に新たな波を投げかけることにつながる。そうしてあらゆる点が不確かな、輪郭を持たない電気信号によって緩やかにネットワークを持ち……この話はやめにしよう。手を伸ばす方向を間違えてはいけない。

 また、ある種の三倍体についての興味深い話を聞いた後でうさぎ小屋に行くなどの行為もこれを彷彿とさせる。珍しい植物である上に、何の因、何の果によって今現在そこにあるのかは誰も知らない。おまけに人の手を借りて種を続かせて(正確ではない。三倍体に種子はない)、ではその母たるもの、父たるもの、四倍体と二倍体とは、またその夢うつつの芳香をうさぎの割れた口唇に含ませると、入相はすでに頬の横にある。

 やめなければならない。この不安そのものを。

 印刷してみることにした。目で見ることに加えて、触れることで知る、その鋭敏さに期待した形になる。本当は味も見られるだろう。しかし寡聞にして人の肌の味は知らず、自らの二の腕あたりを舐めてもくすぐったときと同じ作用が生じるから何もわからない。それに舌にその紙の青の、グラデーションの一番深いところが触れたとして、そこから紀伊水道が広がらないという保証がない。

 何のためにと考えてはみても、強弱の定まらない胡乱なパルスが脳溝をむなしく周回するばかりだ。となると、必要なのはもう少し控えめなアプローチかもしれない。というか、見た目だけで判断して仲良くなるというのはまるきり悪手でしかない、というのもまた紋切り型の考えであって、どうせなら見た目も親しみやすいほうがいいとはおそらく誰もが思っているはずだ。

 その点、まい(仮名)は完璧に近かった。肩甲骨あたりまで伸びた胡桃色のつややかな髪が、夏服のポロシャツだろうか、なんとも冒険的に袖や裾を彩るビリジアンと好対照をなす。髪留めと胸章については紅葉のような味の枯れた色が目にも鮮やか、そしてそれらすべての中心で光を湛えて揺れる大きな瞳は、言い知れぬ柔らかさで僕を射抜いている。

 そうして全体を捉えてみると、件の「白波に立って手招き」だって決して敵対的な行為ではない。むしろ僕に知ることを望んでいるのだ。健気にも、自らを生み出した親に果を持って報いようと、近くに来いと。言っている……幸い、リンクはすぐ下にあったはずだ。これは紙だから青いURLを踏んだってハイパーリンクできないんだけど。

――お探しのページが見つかりません。こちらには何もありません。検索をお試しください。

 僕は画面の前で思わず笑っていた。まいどころかキャラクターの企画そのものがきれいさっぱり消え失せてしまっている。子供をそれと知らず殺してしまう親の話とか、親にそれと知らず親がほしいという子供とか、そのあたりを意識しているのだろうか、これは?

 しかし、まいは悲しいことに想像上の存在に毛の生えたようなものである。視覚的には存在していると言える。声はない。肌に風を受けることもない。フェリーのデッキから身を乗り出すことも、考えていたよりずっと高く跳ねた水しぶきに目をつぶることだってない。いや、そんな要素をいくら積み重ねてもまいの足跡一つにもなりはしないのだ。

 身体の芯が熱くなってきた。この不遇な娘を……人はまた、悲しみを生み出して!

 そういえば、零点だ回転だと喚いていて思い出すことが一つあったのだった。ビデオデッキ、今ではもう文字通り前時代の遺物と(家庭の範疇では)成り下がった再生装置にある種のテープを入れ、読み込みが完了しないうちに巻き戻しのボタンを押す。すると、ゼロの並んだ小さな液晶窓は負の時を刻み始める。これはなんとも示唆的と言える。何を示唆しているかは知らない。

 ……そんなわけで、僕は手を汚した。I田先生、見てくれているだろうか。見てくれていなくていい。恥ずかしいから。

 硬く丸まったティッシュを、いつものごとく生ごみ用のゴミ袋に押し込めようとする。できるだけ奥に、奥に、しかし底に達すると半透明の袋を通して見えてしまうから、とにかく残飯たちに紛れるように。ティッシュ自体も半透明になっていることがある。その辺はさじ加減だ。

 しかしダメだ。今日は水曜日でありゴミ袋にはほぼ何も入っていない状態、このままでは経時的に芬々たる悪臭を撒き散らすことになる。家族の目に留まる。それはちょっと、恥ずかしいとはまた違う方向性で嫌だ。

 思案が僕の首を傾け、視界を右方向に広げる。目に入ったのはまいだった。二つ三つ、明らかに水ではないまったりとしたものを吸い込んでできた染み。よりにもよって海原ではなく、吊り橋でもなく、頬を黒く窪ませたまいだった。

 そんなわけで、僕の周りには背の高い草と音を立てて飛び回る蚊、肺を腐らせる臭いがあった。懐かしい。小さな頃は、この不自然に地面の露出した小さな広場によく夢を探しに来たものだった。川というものは数十年で生まれたり滅びたりはしない。だが、河原に目を向けても何もない、という認識はじわじわと醸成されるものだ。それを隠れ蓑にする。

 ライターの先端に火が点った。花火をすると言って買ったガスライターから、色とりどりの紙と白一色の紙に燃え移る……その灰を土に混ぜれば、この広場もなくなってしまうのだろうか。あのどこにも存在しないはずの花が一斉に芽生えるのか。

 幸いにも順調に炎は育った。その赤い酸素不足の舌先が舐めたところから紙は焼け縮み、なにかであったものからなんでもないものへと存在を揺らしていく。それは枯死する植物にも似て、いよいよこの場は邪教の儀式じみてきた。しかしまだ少しの戯言が許されるのであれば僕は口を開く。これはお焚き上げといって、清浄なる火をもって天へと物霊を返す行為だ。寺や神社が金をとって行うんだし、邪教のものではないと思う。

 ならやっぱり目的としては正しくないではないか。僕がそれを届けたい場所は剥がれた海の底、満潮と干潮の規則正しく入り混じる、その巻き上げられた富栄養質の泥の中なのだから。どうする? 少しでもそこに近づくために、今なお万丈に気勢を上げる二つの火を川の中に投げ込むべきか。火傷が勲章とかなんかかっこいいし、そう、手を汚しても……

 いや、なんでまいにそこまでしてやる義理があるのか。僕を呑みこんで操っていた夏の夕特有の神秘と憂愁が、音も立てずに弾けて消えた。一度気持ちを通じ合わせただけの、もっと言えば僕が一度気持ちを通じ合わせたと思っているだけのまいである。

 端的に言えばやる気がなくなったので、ポケットの中からスマートフォンを取り出す。戯れに名前を検索すると、フェリー会社のホームページに行き当たる。「キャラクタープロフィール」なんて白々しいことを言う。ただの墓碑銘ではないのかそれは。思いはすでに捨てたはずなのに、義憤からか顔が熱くなってきた。震える指先が青い文字を叩く。

 あれ、いる。

 いた。確かにいた。おしとやかな性格で旅行とお菓子作りが趣味らしい。とっても優しい娘ということがしっかりと伝わる穏やかな表情で、しかも友達もいる。なんだそれ? 薄情な子殺しかと思ったら、きちんと親の役割を果たして……そう、船は女性だと言うから、きっと彼女らはフェリーにおける船首像として、世界に冠たる働きをしているのだろう。自分の狭量さを思い、まいと親会社の間に厳然としてある噬指棄薪の情を思い、顔が熱くなる。

 空を仰ぎ静かに涙でも流そうと思う。顔を上げると文字通りの燎原の火があった。顔が熱くなった。まいは風に流され、ティッシュは転がりに転がってそれぞれ草むらにたどり着いたのだろう。まったく落ち着いている場合ではないが、名も知らぬ草は僕の背丈より高い。

 つまるところ焔は、揺れ、舞い、躍って、きらきらと祈るように無数の手を伸ばす。耳障りなサイレンが幻聴のまま槌をふるい、砧を打ち、鐙を踏みまだ内へと潜行していく。酸素が足りなくなってきた。ひらひらと上空を流れていくまいと目が合う。涙を思わせる黒い光は眼窩か瞳か見当もつかない。


 ぐるぐる回る ぐるぐる回る

 ぐるぐる回る ぐるぐる回る

 ふらふらなフリして

 あなたの胸に飛び込みたい


(補足)南海フェリーは和歌山の会社です

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