この世界はこれ以上綺麗にならない
五三六P・二四三・渡
第1話
「最後の夜、一緒に流れ星を見てくれる人を探しています」
薄汚れた女子公衆便所の落書きの中にこの一文を見つけた時、確かに胸の高鳴りを覚えた。
猥雑な絵や下品な言葉に紛れているうえに、文字が掠れていた。大抵の人には取るに足らない言葉だと判断するだろう。よく言えばロマンチック、悪く言えばメルヘンでキザな性交の誘いと取るかもしれない。
だが私は見つけた。
溺れそうなほどに情報が溢れかえったこの世の中で、この孤独な文字を私は見つけたのだ。
興奮が鳴りやむ間もなく、便器に座ったまま、文章の下に書かれた電話番号に連絡をした。
鶯の鳴き声のような声の女性が出た。私は話す。
「あ、あの、公園のトイレに書いてあった奴を見て電話しました……。なんだかいてもたってもいられなくて、……リアルで辛いことがあって死にたいって思ってたんですけど、手首も切ろうとしたんですけど、でも手首切ったぐらいで人って死なないんですよね……でもこの文字見てたら元気出てきたって言うか、あ、違う違う。元気出てきたら駄目じゃん。とにかく文字を見つけた時、ぶわーって感情があふれ出てきたんです。すみません……表現力なくて……。とにかく! 星、みたいです。星、一緒に見ましょう」
女性は支離滅裂とも取れる私の言葉に優しい相づちを打ちつつ、最後にこう言ってきた。
――最後の日のこの場所で星を見るということが、どういうことかわかってる?
わかっていた。
その日あの場所に巨大人工衛星が落ちる。
つまり星を見ようというのは、衛星が街に落ちるところを見ようということで
そして一緒に死のうということだった。
私は当日、意気揚々と目的地に向かう。場所は街が一望できる高台の公園。
足取りは軽い。桜並木に出迎えられ、階段をのぼり公園に入る。
昔来たときは子供たちの笑い声が絶えない場所だったが、今は人っ子一人としていない。風に揺られたブランコが、かつての活気を思い起こさせた。
まだ来てないのかな、とあたりを見回す。
春だというのに冷たい風が吹き注いだ。少しお花を積みにいきたいという欲求が沸き上がる。周りを見渡すと、洒落た外装の公衆トイレがあった。もしかしたら彼女もあの中にいるかもしれないという期待も込めて向かう。
確かに中に女性はいた。
その女性は汲み取り式の便所から茶色い何かをバケツでくみ上げ、さらにそれを口に運んでいた。
◆ ◆ ◆
はじまりは20XX年、アメリカの科学者が、人間が消化管から排出する固体状の物体には、少しずつではあるのだが世界を汚染する力があることを発見した。その汚染物質はいかなる下水処理施設でも浄化することは不可能で、各国はその問題を解決すべく対応に追われた。そこで考えられたのが汚染物質を宇宙で飛ばしてしまおうというものだ。
だが汚染物質とは半永久に排出されるものだ。毎回第一宇宙速度を超えることが出来るロケットで捨てに行くのには、莫大な予算を必要とする。そこで地球の衛星軌道上に汚染物質をためる宇宙倉庫を作り、ある程度の質量となったら太陽へと送るということになった。
だがここで問題が起こる。
衛星とは遠心力と重力が釣り合っているため落下してこない。偶に人工衛星が落ちてくるのは、重力の方が強くて、段々下方向にずれていくためである。この汚染物質保管庫は月と同じように遠心力の方を少し強くなるよう計算されているはずだった。
はずだったのだ。
しかし計算の間違いにより、この街に汚染物質を貯めに貯めこんだ宇宙倉庫が落ちてくることとなった。
その大きさは50メートル。
世界を滅ぼすことはできないが、この街を塵と変えるには十分な大きさであった。
この街は人間が消化管から排出する固体状の物体を圧縮及び濃縮して固めたものによって滅びる。
◆ ◆ ◆
私が恐る恐る声をかけると、彼女は予想以上にうろたえ、茶色いものを口から零しながら、その場から逃げようとした。
そこで私は大きな声で、自分の名を名乗った。
彼女は足を止め振り向く。うろたえながら現状の弁解と思しきものを早口でしてきた。口に物を入れて話しているので正直何を言ってるのかよくわからない。茶色いものが口から吐き出される。
私は落ち着くよう彼女を促した。彼女は深呼吸をした。
茶色いものが口から吐き出された。
女性の呼吸を落ち着けるのには数十分の時間を要した。
彼女は私の貸したハンカチで口元を吹きながら言う。
「みっともないところ見せちゃったね」
本当だよ、
という言葉を飲み込むぐらいの気遣いをできる程度の心は私にもあった。
私たちは公園のベンチに座り、風にあたっている。
目の前には柵越しに、街の景色が広がっている。半分田舎といった趣で、建物はさほど高くない。国道が見えるが、自動車は通っていなかった。
人々は既に避難を完了していた。
彼女は身の上を語り始める。
――ただ誤解しないでほしい。あたしは別に人の尻から出たものを食して性的興奮を得る性的嗜好なわけではない、ということを知ってほしい。
少し長くなるけどいいかな。
始まりは恋人とホテルで事に及ぼうとした時。その恋人がジップロックに入った茶色くて細長いものを取り出して、これを食べてほしいって言ってきた。始めはチョコレートかカレーか何かと思った。
よく見るとアレだった。
アレを模したチョコレートとかじゃなく、間違いなくアレだった。別に人の性的嗜好にどうこう言うつもりはないし、ある程度は恋人の趣味に合わせたかったけど食アレだけは無理、食アレだけは理解できない。そうあたしは恋人に言ったの。
すると恋人はこう返してきた。
いや別に性的嗜好で食べてほしいわけじゃない。そもそもこれは自分が出したやつじゃない。でもこれを食べるとすごく気持ちいい。凄くハイになれる。だがらこの気持ちを共有してほしいって。
それでもあたしはアレを食べることを拒否したけど、恋人は無理やり口に突っ込んできた。
味は間違いなくアレそのものだったものの、確かに気持ちよかった。この世の快楽のすべてを味わっている気持だったね。世界が融け、色彩が自由に飛び回った。音が見えるようになり、行為の最中、本当に一つの生き物になったようだったの。でもそれは効果が切れるまで。そのあとは禁断症状にさいなまれるようになった。
それの名前はシャブ入り雲子。
ある一人の女性によって生み出された物体。
それを生み出すことが出来る女性の名は
彼女はシャブ入り雲子を使って裏社会において重要な地位に座っていた。一般人やヤクザのみならず、芸能人や政治家などがシャブ入り雲子の虜になっていた。
そんなあたしもシャブに取りつかれた一人の女……。
満子も無限にシャブを生み出せるわけではないので、あれはかなり高額で取引されていたの。恋人は実は売人だったんだけど、あたしの家は資産家なので、そこに目を付けたみたい。ただあたしが両親に相談したところ、即勘当され、さらにそれを知った恋人は即あたしを捨てた。そんなあたしにシャブ入り雲子を買う余裕なんてあるはずもなく……ただこうして似たモノをすすって気を紛らわせるしかなかった……それも辛くなった。だからこうして死にに来た。
すごい勢いで堕ちていく彼女の話を聞かされ私は呆然とするしかなかった。
顔色が悪い程度だが、実はものすごい禁断症状を抑えている表情だと思うと、身震いがした。「それじゃあ今も」
「今は少しましかな……アレを啜っていると大分ましになるんだ。多分ブラシボー的なものだろうけど。だからお願いがあるんだ」
女性は突如立ち上がると、その場で土下座をした。
「もし今、消化管から固体状の物体を排出したい欲求があるとしたら、あたしにそれを譲ってくれないだろうか! 新鮮なものほど効果が強いんだ!」
彼女の顔は見えない。しかしさぞや屈辱的な顔をしているのだろう。
この人は苦しんでいる。出来れば助けになってあげたい。
だがしかし。
「無理です……」
「そこをなんとか。せめて死ぬまである程度楽な気持ちでいたい!」
「本当はすぐにでも出してあげたいんです……でも無理なんです。ちょっと離れてくれますか」
女性は勘違いをしたのか顔を上げ、傷ついた表情をした。
私は彼女から距離を取る。
そしてその場で自分の下着を下し、消化器官から物体を排出した。
「それは……!」
彼女か驚きのあまり叫んだ。遠くからでもよく見えるだろう。
この青白く光り輝く、物体は。
「光っている……それはまるで……」
「チェレンコフ放射光 です。私は耐性があるので大丈夫です。あなたもこの距離なら大丈夫でしょう」
「そ、それはどうせ死ぬつもりだったから構わないけど……」
「私も……雲母満子と同じ、ストゥール・ミュータントなんです……」
ストゥール・ミュータント。
この世界に数十名いるという特殊な能力を持った人間。
アメリカ合衆国のストゥール・ジョンソン博士が発見したためそう呼ばれている。
「政府は人間の消化器官から排出される汚染物質を吸収するミュータントを探していました。その実験として私は幼いころから毎日のように汚染物質を無理やり食べさせられました。だからあなたの気持ちは凄くわかるんです。
それに嫌気がさして逃げ出してきたんですけど、でもお尻から放射性物質をひりだす女なんて誰も受け入れてくれないんですね……ただ生きていても世界を汚すだけなら、もう死ぬしかないかなって……
私の能力は大腸内で核分裂を起こすことができるというもの。一応同大腸内にてある程度の放射線量を減らせる処理も可能なんですが、ガラス固体化した使用済み核燃料棒より少ない程度ですね」
「……」
女性は立ち上がると、黙ってその場で地面を見ていた。
怖いのだろうか。
当然だろう。
こんな近い場所に放射性物質が無造作に地面に置いてあるのだから。
空き缶が転がる音が、公園内に響いた。
あと衛星が落ちてくるのは、あと何分ぐらいだろうか。
突如、女性は意を決したような顔を上げると、そのままこちらに近づいてきた。
私は慌てる。
「ちょっ、話聞いてたんですか! これに近づきすぎると被爆して、衛星が落ちてくるまでもちませんよ!」
「かまわない」
「ああ、もう!」
私は輩出したそれから距離を取り、彼女が近づかないようにした。
彼女は追いつくと、私を抱きしめた。
「な、なんなんですかもう」
「君、歳はいくつ?」
「14歳です……」
嘘だ。12歳だった。
「あたしは馬鹿だ。子供が目の前でこんなに苦しんでいるのに、排出物をせびるなんて」
「……子供扱いしないで下さいよ……」
「いーや、するね。めっちゃするね。あたしはね、自分をこの世で一番不幸だと思っていた。だがそんなものはシャブの禁断症状が見せた幻覚だ。不幸に酔って、目の前の苦しんでいる子供から目を逸らしていた。君を助けたい」
「今更遅いですよ……」
そう言いながらも、私の心臓は早鐘を打った。
涙があふれ出る。
初めてだった。本心から私を助けてくれると言ってくれるのは。
両親は私を化け物のように見ていた。
施設の研究員達は私を実験動物としてしか見ていなかった。
同じ実験体にされた仲間たちは、生き残るためにお互いを蹴落とすことしか考えていなかった――もっともそれは私も同じだったが。
だから嬉しかった。たとえシャブ中毒の人が一時的に言っているだけの戯言でも……この場でだけは本心に思えた。
「あの、助けてくれるというなら最後のお願いを聞いてくれますか?」
「なんでも聞こう。何でも」
「私、施設で育ったから恋とか無縁だったんです。だから見せかけでもいいんで……はしたない……不埒なお願いかもしれないんですけど――」
言い終わる前に女性は察したのか私の唇を自身の唇でふさいできた。
その唇は慣れ親しんだ味だった。嫌っているいつもの味。
それでも不思議と嫌悪感はなく、
愛おしい思いに満たされるばかりだった。
◆ ◆ ◆
その一時間後、街は滅びた。
私の嫌いな街は跡形もなくなったのだ。
それを私たちは遠くからバイクに乗って見ていた。
これから世界を汚し続ける私たちはそれを見ていた。
この世界はこれ以上綺麗にならない 五三六P・二四三・渡 @doubutugawa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます