おひさま

佐倉真由

おひさま

僕というのは、そもそも歪な人間だったのだと思う。

物心ついた頃から、木の洞や足元の石ころに話しかけては、友達がそこにいるのだと言い張った。

言葉の習得は並みより速かったが、当たり前のことが理解できない。

本当は、理解はできているのだけれど、どうにもうまく話せなくて、おまけに子供らしくもなくて。

ようやく生まれた長男だったから、両親の落胆はかなりのものだった。


だから、「りた」が生まれた時は僕も、本当によかったと思ったのだ。

父は母を愛していたし、母は妹を愛していた。そしてその妹が、僕を愛してくれたから。



「りた」がいなくなったのは、ほんの一月ほどの間だった。

やっと戻ってきた、布の下で横たわる「りた」に駆け寄ろうとした僕は、白衣の影に遮られて。


「きれいにしてからじゃないと、君には見せられない」


そう言われて、僕は憤慨したのだったか。

妹は天使みたいに可愛いのに、きれいじゃないとは何事だ。失礼な奴め、と。


事故とか誘拐とか事件とか、頭上を飛び交う言葉の意味は知っていたけれど、

そんなものはテレビの中の話だから、僕にも妹にも関係ない。



それから三日経って、また「りた」は家に帰ってきた。

これで元通りになると思っていた僕は、肩透かしを食らうことになった。


母は笑わなくなった。部屋はいつも真っ暗なまま。父の溜息ばかり聞いて。

だから、僕は最初に太陽の絵を描いた。たくさん描いて、そこらじゅうに貼った。

誰も褒めてはくれないけれど。部屋も真っ暗なままだけど。ばかみたいに描いた。


そうしてある日、母にそれを見せてみようと思いついた。


「お母さん、見て。ぼくが描いたんだ」


ゆっくりと顔を上げた母の瞳。ふたつの虚ろが怖かったけれど。

がんばって、頬の両側を持ち上げて、そうしたら。


「まあ……リタ、おかえりなさい。お兄ちゃんみたいな話し方して、どうしたの?

ああ、その絵、上手ねえ。きらきらしていて、とってもすてき」


――ちがうよ、僕は「りた」じゃない。どうして間違えるの。

そう腹を立てたのは、たった一瞬のこと。


「……うん、……マーマ、ただいま。ねえ、おなかがすいちゃった」


久しぶりに聞いた母の声が嬉しくて、すぐにどうでもよくなった。

嘘を吐いた罪悪感だけが、ちくりと心に刺さって、抜けなくなった。



あの真っ暗な家に、僕の居場所はなかったけれど。

明るくなった家にもやっぱり、僕の存在は必要なかった。


気が付いたら、女の子みたいに甘ったるい話し方をするようになっていた。

いつも女の子ばかりと遊んでいて、だけど、本当は、サッカーもバスケもやってみたかった。

だけど日に焼けるのが、身体が大きくなるのが怖くて、何もできないままだった。

マーマにとっての「りた」じゃなくなってしまったら、僕はまた、あの真っ暗闇に放り込まれてしまうだろうから。


空になりたいと初めて思ったのは、年が二桁に近づいた頃。

背が伸びて嘘がばれる前に、空気に溶けてしまえたら。


「りた」のところに行きたい。たったひとり、僕を愛してくれた妹。

僕の太陽だったあの子は、きっと、寂しい思いをしているだろう。


僕が「りた」なのか、「りた」が僕なのか、その頃にはもう、訳が分からなくなっていた。

マーマは僕の嘘をずっと信じていて、パーパだけが多分、本当のことを全部知っていた。


「りた」のことは内緒だと。パーパは厳しい顔で、よく僕に言った。



だから、そんな僕だったから。

「由真くんがいてくれるから、私寂しくないよ」――そう、笑った彼女に。


「……そ、っかあ。

…………じゃあ、ね、ぼく、ここからいなくなる時には、さ。

ありすが寂しくないように、ぼくを置いて行くよ」


社交辞令というやつだと、可愛げのない本当の僕が嗤っていたけれど。

それでもいい。それでも良かった。僕を、必要だと言ってくれた、その優しさが。


「Солнце, ……あったかい、ね」


ひだまりみたいで、愛されてるみたいで、涙が出た。




それからすぐの、転校の日を境にして。

僕の文脈から、「僕」は消えてなくなった。

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おひさま 佐倉真由 @rumrum0830

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