第57話・ブラックホール

ついでに、もう一歩踏み込んだ思考実験をしてもらう。

ここに、超超超チョ~大質量の、例えば太陽の十倍も二十倍もある質量がギュッと手の平サイズに凝縮された、ありえないくらいにものっすごくクソ重たい鉄球があったとする。

一方のゴムマットは、恐ろしくよく伸びるが、決して破れないくらいに丈夫なものとする。

この究極の両者をかち合わせるんだ。

さて、どうなるか?

限りなくタフで柔軟なゴムマット上に、とてつもなく重い鉄球を置いてみる。

ズシッ・・・

ビヨヨヨヨ~ン・・・

ゴムマットはめちゃくちゃにたわみ、鉄球は深く深く、マットのくぼみの底の底のもっと奥の深淵にまで、果てしなく落ち込んでいく。

そんなマット上に、ピンポン球を置いてみる。

ピンポン球は、はじめのうちはくるりとすり鉢のへりを周回するかもしれないけど、たちまち急傾斜に捕らえられ、鉄球の待つ穴の奧深くへと向かう。

そしてあわれ、底なしの暗黒に飲み込まれ、永遠に地上には戻ってこられなくなるにちがいない、南無・・・

いや待て、ここからピンポン球が抜け出す方法はあるだろうか?

どんな穴だろうと、底から逃れるには、ひとつの方法しかない。

それは、上昇の推進力を得ることだ。

足で地面を蹴るジャンプ力でもいいし、博士のつくったぴょんぴょん靴のバネ力を用いてもいいけど、落っこちたのが深い深い穴・・・つまり、天体クラスの大質量から生じる重力を振りきろうというのなら、ロケットエンジンのような高出力が必要になる。

例えば、地球いっこ分の質量がつくる時空のゆがみの底(地球の重力源)からは、どれくらいの出力、つまり上昇スピードがあれば抜け出せるのか?

答えは、時速4万キロほどだ。

マッハ30くらいかな。

この地上から月に向けてロケットを発射するときなどには、この出力をクリアしなければならない。

さらに質量の大きい、太陽の重力圏から脱出するには、時速222万キロが必要になる。

そのパワーがなければ、太陽からの離脱は不可能だ。

より大きな質量(例えば巨大天体)のつくりだす時空のゆがみから逃れようと思ったら、より速い、つまり相手の質量に応じた、大きな脱出スピードが必要になるんだ。

では、この脱出スピードに、この世でいちばん速い限界スピード(すなわち、光速)を使わなきゃならないほどの、超絶特大質量の天体があったとしたら・・・

マット上の思考実験に戻ってみよう。

ピンポン球は、鉄球の大質量が生み出す猛烈な時空のゆがみに向かって、どこまでも加速をつづけながら落ち込んでいく(つまり、ものすごい重力に引き寄せられている)。

そしてついにピンポン球の落下速度は、光のスピードに達してしまった。

すると、上昇方向に光のスピードの推進力を用いても、永遠に脱出はできない。

落下速度も、上昇パワーも、等しく光速だとしたら、お互いに相殺(1-1=0)して、その場にとどまることになってしまうからね。

これは、想像上の話じゃない。

実際に宇宙空間に、光速をもってしても脱出できない、大大大質量の天体があったとしたら・・・

それは、「光も抜け出せない」「光をも飲み込んでしまう」、恐怖の暗黒天体、ということになる。


ヨウシくんとデンシちゃんの水素原子は、なおも旅をつづけている。

これまでにも、珍しかったりヘンテコだったりする天体はいろいろと見てきた。

だけど、今この目の前にいるやつほど、奇妙で恐ろしいシロモノとは出会ったことがない。

こいつはまっ黒で、まるで宇宙空間に、すとん、とうがたれた落とし穴のようだ。

黒い穴だな・・・とヨウシくんは思う。

「ブラックホール」と、シンプルな名前をつけてみた。

その名の通り、真の闇があの深みで待ちかまえている。

なにしろ、いったん吸い込まれた光が、二度と戻ってこないんだから。

ぼくらが飲み込まれそうになった、あの巨大天体の末路の姿、中性子星に似てるぞ・・・とヨウシくんは身震いをする。

あの天体のすごい重力源の芯に張りつけられたら、とても逃げ出せそうになかったっけ。

だけど、今回のこいつときたら、あのオカマちゃん地獄よりも数段えげつない。

自分に近寄るなにもかもを見境なく吸い込もうとしているかのようだ。

あたりのガスや、ちりや、あるいは天体までもが、ぐるぐると渦を巻きながら、真っ黒な中心部に向かって落ち込んでいく。

おそらく、ぼくらが働いたあの巨大天体以上のでっかいでっかい星が、ギュウギュウにつぶされて、ただの一点に絞りあげられて、こんな姿になってしまったにちがいない。

近づいちゃならない、くわばらくわばら・・・

ヨウシくんとデンシちゃんは警戒した。

しかしさいわいなことに、あれに飲み込まれる結界のようなものがあるらしい。

その立ち入り禁止ラインさえ踏み越えなければ、わりと大丈夫そうだ。

ヨウシくんたちは、慎重にそのラインを迂回した。

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