第58話・銀河

いろんな意味で、それは目に見えない。

が、それは間違いなくそこにある。

そこにあった、と表現するべきかもしれないが、今もなお、そこにある。

かつてそれは、巨大すぎる天体だったんだ。

ところが、終末期に重力崩壊を起こし、限界を超えて圧縮されたために、無限大の密度を持つ、極限小の「特異点」になるまで丸め込まれてしまったんだ。

点・・・だよ!

点になっちゃったんだよ、天体が。

例の「大きさはないけど、位置だけがある」ということだよ。

姿は見えなくて、現象だけがある、まさしくマボロシのような怪物・・・

それこそが、ブラックホールだ。

ブラックホールの周囲の時空は、著しくゆがめられている。

わけもわからないほどの高密度な大質量(すでにエネルギーという姿に昇華してしまっている)のせいで、時空のマット上の一点に、果てしない深みが生じたんだ。

それほどまでにゆがめられた時空は、「超」重力源と化す。

そこからの必要脱出速度は光速を超えるため、ひとたび捕らえられたら、光でも抜け出すことができない。

だからこそ、真っ黒なんだ。

ブラックホールは、無限の容量を持つ落とし穴だ。

その落とし穴の底に、時空の果てともいうべきポイントがある。

そこに、なにもかもを飲み込んでいく。

その光景がまた、実に不思議だ。

飲み込まれていくものを外側からながめると、時空の著しいゆがみのせいで、物体が中心の特異点に近づくにしたがって、時間の流れが遅くなって見える。

やがてその画づらは、永遠に時を止められてしまったかのように引き伸ばされる。

外から見るブラックホールは、まるで悠久の流れと感じられ、逆にブラックホールの内側から見る外界は、はるか未来までの時間が早まわしにめぐる走馬灯のように感じられる・・・らしい。

まだ内側から見たひとがいないから、わからないんだけどね。

だけど、たとえ冒険家が突入して内部を見ることができたとしても、彼が得た情報はいかなる連絡手段を用いても、決して外側に送ることができない(つまり、すべてが飲み込まれてしまう)ので、われわれには事実を知るすべがない。

さらに彼は、すりつぶされて時空の果てまで片道切符・・・という運命なので、一切の見聞録を外に持ち出すこともできない。

さっきうっかりと、その様子を「外側からながめると」と言ったけど、その画づら(景色とは、光なんだ)も発信源ごと内側に吸収されるので、つまるところ、ブラックホール周辺で起きる出来事は、外からながめることさえもできない。

清々しいまでに問答無用の態度だ。

だけど、そんなおっかないブラックホールも、十分に離れてさえいれば、普通の天体と変わらず安全だ。

厳密に定められた「立ち入り禁止」のラインから身をのり出さなければ平気なんだ。

それに、不思議で奇怪な存在には思えても、ブラックホールとはいえ、他の天体と同じルールにしたがって振る舞っている。

ただ、現象のスケール感が極端というだけの話なんだ。

それでも、ま、こんな危険なシロモノには近寄らないに越したことはない。


ヨウシくんとデンシちゃんの水素原子は、ブラックホールから遠ざかっていく。

ひどい目に遭わなくてよかった。

あんなのに関わるのは、まっぴらゴメンだ・・・

しかし、ヨウシくんは、ふと思う。

ブラックホールは確かに、結界を侵したものはなんでもかんでも濁流のように巻き込んで、もぐもぐとすりつぶし、飲みくだしてしまう。

だけどそんな存在でも、この宇宙には必要なんじゃないだろうか・・・と。

ブラックホールの外側周辺の領域には、あの恐ろしさとはまるで正反対の光景がひろがっている。

これを見たら、あいつが無法の悪党だなんて、とても思えない。

なにしろ彼を中心に、無数といいたくなるほどの星ぼしが、お互いに手を取り合って踊りめぐっているんだから。

まるで、きらきらと輝くイルミネーションに彩られた、巨大なダンスフロアだ。

そのスペクタクルな美しさときたら。

何百万、何千万、何億、何十億、何百億・・・いったいどれほどの星が集まってきているんだろう。

それらすべてが、ブラックホールの指揮に整然としたがっている。

一粒ひとつぶが燦々ときらめき、それが集まって小さな集団をつくり、それがまた集まって大きな集団をつくり、それがまた集まって巨大な集団をつくり・・・まるで壮麗な舞踏会のように、秩序立って渦を形成している。

星ぼしは連なってチェーンとなり、まるで大きく手を伸ばしたように、宇宙空間に展開する。

その手をさらにひろげて、またお隣とつながり合う。

お互いに誘い合ってはまとまり、うねり、渦巻き、ダンスフロア全体が連動して、めぐりめぐる。

ブラックホールが導き、つくりだす、めくるめく光景だ。

そのまばゆさはまるで、銀色に輝きわたる河のようだ・・・とヨウシくんは思う。

銀河ね・・・と、デンシちゃんが先にその渦うずに名前をつけてしまった。

ヨウシくんは、なんだよう、言おうとしたのに・・・とすねている。

だけど、再び思う。

今度こそ、確信している。

この宇宙には、不必要なものなんてなんにもないんだ・・・と。

その通りだよ、ヨウシくん。

あれほど恐ろしげなブラックホールの存在も、宇宙にとっては、ダイナミックな求心力と、星ぼしの躍動の原動力になっているのかもしれない。

ビッグバンも、核融合も、超新星爆発も、時空のゆがみも、恐怖のあの現象も、不可思議極まるこの現象も・・・全部が協力し合って、宇宙を形づくっているんだ。

それにしても、考えてごらん。

そのいちばんの出発点は、小さな小さな、きみたちがよく知る現象かもしれないよ。

つまり、陽子、電子、そして中性子の結びつき、という。

ヨウシくん、デンシちゃん。

われわれはもう、みんな知っている。

そもそも、この世界をつくったのは、きみたちなんだ。

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