8話


 ——文化祭まであと12日・T——



 〈10:00〉

 週末の野球騒動の関係で溜めていた仕事に、ようやく終わりが見えた月曜日。先週したためられた各役職の活動報告書に目を通し、当日パンフレットの下刷りを印刷所で確認し終え、ひと息つく前にメールと寿祭公式SNSをチェックする。

 八嶋が近隣のお店にポスターを貼ってもらうべく挨拶回りに出向いてるため、手薄になった広報周りの仕事がやけに僕に回ってくる。この手の仕事は苦手だが、大勢と会話したりする業務ではないことが不幸中の幸いだ。

 寿祭運営本部に備え付けのパソコンを起動した段階で、ブラックコーヒーの缶がコトリと音を立てて卓上に置かれた。

「これ、先生からの差し入れ。しっかり休みなさいよ、九条くじょうくん」

「かたじけない……って、これブラックじゃないか。僕がめちゃくちゃ甘いカフェオレしか飲めないのを知ってての狼藉かい?」

「文句なら私じゃなくて先生に言ってちょうだい。これ、いらないなら私が貰うわ」

「……それならば、ありがたく頂こう」

 七尾のつり目の仏頂面は、長い付き合いを経ても萎縮するほどの迫力がある。僕は仕方なく、缶コーヒーのプルタブを開けた。同じものを七尾がぐびぐび飲んでいるのを見て、負けじと一口呷ってはみたものの、全身が痺れるような苦さに思わず顔をしかめた。

「意外ね。九条くん、美味くもないコーヒー片手に読めもしない英字新聞読んでるイメージあったから、ちょっと驚いたわ」

「偏見がすぎる……」

 ただでさえ『中二病』だと詰られるのに、これ以上痛いヤツのイメージを押し付けないでほしい。

 だが、コーヒーは麻薬とはよく言ったもので、ちびちびと飲んでいるうちにすっと妙な快感が鼻を抜ける。心なしか、肩に感じていた重さも和らいだ気がする。恐ろしやカフェイン。

 すっかり飲み干した七尾が、起動したばかりのSNSを覗き込んだ。

「ふーん、SNSも寿祭公式サイトもこまめに更新してる。これ全部八嶋くんが作って動かしてるのかしら?」

「うむ。同窓会ネットワークにその手のツテがあって、少し教えてもらいながら作ったそうだ」

「さすが万能王子ね……」

 感心しながら、七尾はホームページを開いてくまなくスクロールして眺めた。トップページから外部リンク欄に至るまで、八嶋の仕事の細やかさが溢れている。サイトの背景に使われている暖色系のグラフィックアートも、彼が手掛けたものだ。

 マウスを片手にしばらく色んなページを閲覧していた七尾が、ぴたりとその手を止めた。

「このページだけ、ちょっとデザインが違うわね。八嶋くんの作じゃないのかしら?」

 ——県立文華高校同窓会ネットワーク。

 卒業生たちが利用できるコミュニティサイトで、いわゆる大きなチャットルームのような機能を有している。

 そのページには、他のものに見られるふわりとした暖かさがなく、シンプルかつコンパクトなデザインが施されていた。

「ああ。それなら、偉大な先輩である寿零次ことぶき・れいじさんの作だぞ。なんでも寿祭の初代実行委員長で、『寿祭』の名前の由来になった人物だそうだ」

「へぇ。初代ってことは、私たちと入れ替わりで卒業した先輩ね。九条くんは会ったことあるの?」

「会おうとしたんだが、連絡がつかなくてな……。現在どこで何をしているか全く分からないのだ」

 歴史ある我が文華高校だが、一大イベントである『寿祭』は今年でまだ四回目。それ以前の文化祭は、身内で楽しむ程度の些細な行事だった。

 それをここまで大きくしたのが、寿先輩だ。教育委員会に掛け合い、学校運営の会議に参加し、その結果県下一の規模を誇る『寿祭』を作り上げた。蛇足だが、成績優秀者が委員長の座とT大学推薦を勝ち取る制度も彼の考案で、ちゃっかりその枠を勝ち取ったりもしている。

 零次さんに続くほか二人の歴代委員長、一ノ瀬さんと四日市さんからは委員長としての引き継ぎを受けたが、零次さんの消息は未だに掴めないままだ。

「私たちの入学以降の寿祭には、顔を出したりしていないのかしら?」

「うむ。僕は会ったことないから、おそらくそうだろう。今頃は多分T大学の三年生をやっていると思うのだが……」

 ピロリン、と電子音が言葉尻を遮る。何事かと振り向けば、同窓会ネットワークに新しい着信が入ったようだ。アイコンが動くなどの凝った作りはなく、新着メッセージが単調にぱっと浮かび上がる。

「ねえ。こういったやりとりって結構あるの?」

「一日につき二つ三つくらい更新される。暇だから飲み会の誘いを送ったりとかが大部分を占めるぞ」

「ふーん、意外とシケてるのね……って、え?」

 次の瞬間。驚いた七尾の声を皮切りに、止まることのない着信音の嵐が沸き起こった。

 驚いてパソコンの画面を覗けば、大量のメッセージが瀑布の如く流れ出ている。ひとつひとつを読む暇もなく、次から次へと押し寄せる未だかつてない着信の量に、僕らは目をしばたいた。

「一体、何が起こっているのだ?」

「最初に届いたメッセージが関係しているのだと思うけれど……」

 流れに逆らうようにして、七尾がマウスを動かす。

 様々な返信が連なっている原初のそれは、多くの同窓生が沸き立つのも納得できる文言が綴られていた。



 今回の寿祭、お邪魔します。よろしくお願いします。

 ――寿零次



「……これは本当なのか?」

 自分で聞いておいてから、愚問だったと察する。このサイトは在学当時の学籍番号でのログインを必要とするため、成り済ますのはかなり難しいはずだ。アカウント情報を見ても、別人だとは思えなかった。

「やはり本人だ、間違いない」

 かつてない緊張が全身に走り渡る。生ける伝説との邂逅を前に、寿祭実行委員長としての重圧が両肩にのしかかった。

「九条くん……」

 怪訝な顔を浮かべる七尾。きっと、無意識に僕の表情も強張っていたのだろう。僕は自分にも言い聞かせるように虚勢を張って無理やり笑顔を作る。

「心配ないさ、僕らのやることは変わらん。いっそ、今年のクオリティを上げに上げて大先輩の度肝を抜いてやろうではないか!」

 こうしちゃいられないな、と僕はパソコンに向かい、仕事にかかる。午後の校内巡回のスケジュールを確認し、変更点を修正する。

「……そうね。あまり無理はしないでね」

「ああ、大丈夫だ!」

 怪訝そうな表情はそのままに、七尾も自分のデスクに戻った。確かこの後は、割り振った予算をオーバーした団体を吊し上げに行くのだという。

 ……大丈夫だ。多分。

 先週の野球。最後の打席に立った後輩、竜胆りんどう君の声が今でも耳に残っている。その響きにすがるように、僕は今後の寿祭の成功を祈った。



 ——同日・S——



 〈12:00〉

 九月も半ばだというのに、本日の昇降口前は灼熱を帯びていた。滝のように吹き出る汗を拭く手拭いには、『長嶋工務店』の文字が紫色に浮かんでいる。

 先日、野球部から栄誉の引退を果たした俺は今、寿祭運営補助員の活動にようやく本腰を入れて取り組んでいた。一番の大仕事は、野外ステージの建設。プロジェクトメンバーたちの士気を上げるために作ったのがこの『長嶋工務店』の手拭いであり、何も実家が大工であるわけじゃない。

 そびえ立つステージの骨組みを見上げる。強い日差しに突き刺され、俺は目を細めた。

「ついに完成形が見えてきたな」

「そっすね。案外あっという間っす」

 工務店の優秀な奴隷、もとい鳶職のパイソンこと錦野が骨組みから飛び降りる。ヘルメットからはみ出した天パがボヨヨンと揺れた。

 ステージの作りは案外簡素だ。学習机を敷き詰めて足を固定し、その上にリノリウムを敷く。そこまでは出来ているので、あとはステージ後方の骨組みに背景のパネルを設置すれば完成だ。

「それで、背景は出来てるんすか?」

「ああ、バッチリさ。うちの美術チームは優秀だからな。あとはガパッと取り付けるだけだぜ」

 うちの、とは言いつつも俺は美術にはノータッチだ。

 寿祭のホームページに合わせてコンセプトを統一したいとのことで、野外ステージの装飾デザインは八嶋先輩が引き受けてくれている。あのイケメン万能王子様に出来ないことなんて存在しないんじゃないか?

 ともかく、これで俺たちのやることは九割がた終わった。

「それじゃ、残りは明日だな。お疲れさん、パイソン。悪かったなぁ、こっちの仕事にさんざん付き合わせちまってさ。可愛い彼女さんとの時間も大事にしたかったろうに」

 先日の野球でフェンスの外から怒号を上げていたちんまい一年生がパイソンの彼女だと知ったのは、つい昨日だ。おいしい後輩のおいしいネタ、これはイジるに限る。

「気にしなくていいっすよ。アイツとはまた郷土研で会えますし」

「郷土研、ねぇ。イチャつくのはいいけどさ、独り身の宇宙人が暴れ出さないように、ほどほどにな」

「大丈夫っすよ。最近の朝比奈先輩、なんか楽しそうなんで。今日も一緒に帰るんだって意気込んでましたから……って、なんで紫苑先輩がニヤけてるんすか?」

「なんでもねーよ。それじゃ、今後も観察と定期報告、よろしくな!」

 ぽかんと口を開けたままのパイソンを残して俺は足早に現場を去る。気の知れた後輩とはいえ、ヒトの恋路を温かく見守る趣味を明るみにするつもりはない。

 あー、腹減ってきたな。

 作業中はアドレナリンが出てる分空腹を忘れていられるけど、休憩を取るたびに腹の虫の声を聞いて思い出す。

 明日で最後となるステージ設営の最終打ち合わせも兼ねて、外に出ていた八嶋先輩と学校外で昼飯の約束を取りつけている。うちの高校きってのイケメン王子と二人でランチとなれば、先輩のファンの女子から反感を買うことくらいは覚悟しておいたほうがいいかもしれない。

 校門の外へ向かう最中、上背のある見慣れた姿とすれ違った。思わぬ遭遇に、互いに二度見を交わす。

「おう。誰かと思ったら、長嶋紫苑ながしま・しおんやないか。辛気臭い面提げて、何しとるんや?」

「……それ、完全にこっちのセリフなんだけど」

 津田島工業高校野球部部長、野村。

 敵と書いて友と読むタイプの好敵手である彼が、長い木材を担いでうちの高校の敷地を闊歩している。

 訝しむような俺の問いに、野村はけろっとした顔で答えた。

「なんや、聞いてないんか。こないだの試合で俺ら負けたさかいに、入場門の建設を手伝うことになっとったんや」

 ほれ、と野村が木材で指す先では、津田島工業のレギュラー達が骨組みに登りながら設営に徹していた。その仕事ぶりは器用かつ俊敏。木材、金属、電気等、各々の得意分野で本領を発揮している。さすがは工業高校、工務店を名乗るだけの素人とは比べものにならない。

「五番の君、もうちょっとそれは右へ……そうそう、いい感じだ。え? ややこしいから背番号で呼ぶなだと? ばかもん、いちいち名前なんて覚えていられんぞ」

 骨組みの真下で設計図片手に指示を出すのは、どういうわけか九条先輩だった。パイソンに負けず劣らず、ヘルメット姿が板についている。

 なるほど、九条先輩が今回の野球騒動に異様なまでに協力的だったのは、全てこのためだったのか。すっかり後回しにしていた入場門の建設を解決するために、先輩が直々に津田島工業と交渉を図ってくれたのだろう。

「まったく、負けたらどうするつもりだったんだか……」

「ん? 何言いおったか?」

「いや、たいしたことじゃないさ」

 きっと、九条先輩は負けることなど想定していなかったに違いない。勝利を信じて、そのために先輩なりの全力を尽くし、結果がついてきた。

 ——ん、待てよ?

 どうにも不可解な点がある。

 最後に俺たちが勝てたのは、豪運が味方したから。杏橋が風を読むのに使った旗も、竜胆に起きた打順変更も、すべて高校野球の神様の授けてくれた偶然にすぎない、そう信じていた。

 だけど、そんな偶然の全てにが関与している。これは、一体どういうことなんだ?

「やあ長嶋君、野外ステージの方はご苦労様であった!」

 こちらに気づくなり近づいてくる九条先輩が、急に恐ろしく感じた。

「む? どうしたのだ、いつものスマイルを球場に忘れてきたのか?」

「九条先輩、正直に答えてください。あの日の野球で、先輩には勝つための算段がんですか?」

「さあ? 僕は野球に関してはポンコツだから、何のことだかさっぱりわからんな」

 先輩はあさっての方向を見ながらうそぶく。やがて、妙な空気感から逃れるべく津田島工業への指示を出しに戻っていった。

 確かに、側から見ていれば先輩は活躍どころかやらかしの権化だ。権力を振りかざして書道部の旗を強奪して持ち込み、急に代打に入ったと思えば綺麗に三振で打ち取られた。

 だけどそれはプレー上での話。

 俺の指揮も、彼方の采配も、杏橋の実力も、皆のチームプレーも。九条先輩の後ろ盾なしには成し得なかった。

 奇跡の申し子。

 その異名の本当の意味が、やっと分かったような気がする。

「豊臣さんはええ人や。俺たちの練習の負担にならんようなスケジュールを組んで下さるうえに、報酬として部活の備品も買うてくれる。罰ゲームとは思えん待遇や」

 去りゆく九条先輩の背中を目で追いながら、野村はぽつりと呟いた。ますます、先輩の所業が偶然なのか、はたまた計算づくなのか分からなくなる。

「そんでもって長嶋、お前にも頼みがある」

 野太い声のまま、野村はそう尋ねた。先週の試合、彼も何か思うところがあるのかもしれない。

「……どうしたのさ?」

「出来ればでええんやけど……お前んとこの巨乳の二塁か監督、どっちか紹介してくれへんか?」

「いっぺん〇ね」

 真面目に聞いた俺がバカだった。



 ——同日・K——



 〈14:00〉

 パッとしないわ、何もかもが。

 傾き始めた残暑の太陽が、セロハンを通して青い光を降らせる二年A組の教室。銀河鉄道の客車に見立てた喫茶店の中で、わたしと優希ゆうきは接客用のテーブルに突っ伏して音を上げていた。

「脚本のアイデアは浮かぶのに、全部ピンと来ないわ……。どうしたものかしら?」

「ああ。おまけにこの暑さ、やる気出る方がおかしいってンだ。そりゃ、二年A組の連中も仕事そっちのけで教室から逃げ出すはずだぜ……彼方かなた、マジで大丈夫か?」

 割と夏バテ寸前のわたしは、返事を返す余裕もなく『うー』とうなることしかできない。頭上では、クーラーが同じように力なく声を上げてささやかな涼風を送っていた。

 この教室には、わたしたち二人以外誰もいないけど、優希の言うように逃げ出したということでもない。有峰ありみね君が早めに準備を進めてくれたおかげでクラスの催し物に余裕が生まれ、各々の部や同好会に専念している。だからこそ、誰もいない今のうちにここを作業場として使わせてもらおうという魂胆だった。

 でも、やる気は削がれる一方で、作業は一ミリも進展していない。

「それに、地味にこの体勢だと胸が圧迫されて苦しいわ」

「……テメェわざとやってンだろ」

 普段は綺麗なシャウトを歌い上げる優希の喉から、ドスの効いた声が飛び出る。よくあることなので、とくに気にしない。

「ほい活気注入完了。優希はいいわね、やる気スイッチの在り方があからさまで」

「分からねェなら教えてやンよ。テメェが押しちまったのは、殺意のスイッチだったッてことをなァ!」

 先ほどの無気力はどこへやら、優希は血走った目でスマホをポチポチといじり始めた。

 でも、たぶん下手なことはしない。優希がわたしを出し抜く方法なんて、思いつくわけがないのだし。

 しばらくして。静寂な空間を突き破ったのは、乱暴に開け放たれたドアの音だった。続いて入ってきたのは、誰よりもアツい男。そして、わたしが一番アイデアを借りたかった男。

 ……してやられたわ。

「彼方! 夏バテで死にそうだって聞いたぞ、大丈夫か!? よし、こうなりゃ俺が保健室まで担ぐからちょっとだけ我慢してくれ! ほら、早いとこ——」

「静かにして。頭痛に響くわ」

「……はい」

 顔を上げずとも、心配そうに様子を伺う長嶋君の姿が容易に想像できる。そして、堪えきれずにクククと笑いを噛み殺す優希の声が微かに聞こえた。

 やけに熱さを感じるのは夏バテのせい。頭を上げられないのは頭痛のせい……ほかに理由はない、はず。

 それでも優希の悪ノリは止まらない。

「なァ長嶋。うちの彼方かなり弱っちまってるから、手ェ握ったら元気にれるってさ!」

「おう! ……いや、でもそれはちょっと」

「……指一本でも触れたら殺すわ」

「ああもう! 正解が分からねえよ!」

「テメェら意外と難儀なんだな……しゃーねェな、これくらいにしといてやンよ」

 ようやく顔を上げる。どっと疲れたような長嶋君とケケケと笑う優希が視界に飛び込んできた。

 野球の日以来、どうも本調子が出ない。演劇の作品でも、現実でも。思うような緻密なストーリーを描けなくなってきている。

 今までは、『演劇を見れくれた人の心に訴えかける』ことだけを考えて作ってきた。そうしないと、自分たちが作ってきたものが長く残っていかないから、細部までその目的にこだわって紡いできた。

 そうしているうちに、同志に出会った。野球部の長嶋紫苑という男が自らの高校二年生の時間を使って練り上げた物語。ゼロから部員を集め、競合に勝つというストーリーは少年漫画さながら。

 それは王道でありながら、『面白い』と思わせる細やかな工夫が至る所に散りばめられている。部の誕生、苦労の数々、死闘……その全てが不自然なまでにドラマチックだった。

 わたしはいつしか、彼の人生から目を離せなくなった。夏の大会が終わり、次の章をどう描くのか、ずっと気になっていた。

 でも、長嶋紫苑は根本的なところでわたしとは違っていた。

 それが分かったのは、先日の試合。

 見ごたえのある試合、大盛り上がりを見せた球場。きっと寿祭のいいPRになった。だけど、本人の中では自己満足でしかなかったという。『やりたいことをやった結果、面白くなった』けろっとした物言いの彼を見て、驚きのあまり絶句したのを覚えている。

『でも、楽しかっただろ?』

 わたしは強がって『悪くないわ』なんて答えたけど、言葉に言い表せないほどに胸が熱かった。

 あの時からだ。わたしが、自分のやり方に疑問を持ち始めたのは。

 それ以来、ずっと調子は下り坂だった。

「コイツ、スランプなんだッてさ。助けてやってくれ」

 優希がことのあらましを説明すると、長嶋君は難しい顔をしてうーんと唸った。

「今まで犬猿の仲だった演劇部と軽音楽部が、突然の合同企画だろ? そりゃ難しいよな。七尾先輩の見立てだと、使える予算も限られるだろうし……。俺は野球部だからあんまその辺の事情詳しくないけど、出来ることあったら手伝うぞ!」

 だけど、どこか楽しそう。真っ白なキャンバスを何色で埋め尽くしてやろうかと、想像を膨らませる子供のように。

 ――さっきまでのわたしは、ここまでワクワクしながらシナリオを考えてたかしら?

 二次審査で第三世界連合として舞台に上がった演劇部と軽音楽部の面々も、球場で真剣勝負を共にした仲間も、みんな笑っていた。何が起こるか分からない中で、悩む暇さえ忘れて、どこまでも楽しそうに。

 今のわたしは、そんな余裕さえ忘れていたのかもしれない。

 わたしが本当に作りたかったのは、その笑顔なのに。

 長嶋君の企むような横顔に、いつしかわたしは釘付けになっていた。

「うーんと、基本はストーリー性のある演劇で、劇中歌を生演奏で壮大に……」

「それはすぐに思いついたわ。でもありきたりすぎないかしら?」

「なら、二年A組から衣装を拝借して銀河鉄道、とか?」

「それもさっき検討済み。衣装にかけるお金を削減できるから、いい案だとは思うわ。でも、やっぱり新規性とインパクトには欠けるわね」

「ああもう何だよ面倒くせえ! 誰だよ合同企画やろうって言ったヤツ!」

「ん、お前知らなかッたのか? 寿祭実行委員長の九条先輩だぜ」

「……今『九条先輩』って言った?」

 急に、長嶋君の声のトーンが落ちた。

 優希は黙っている。きっと、長嶋君の中の何かに触れてしまったことを、彼女なりに理解したのかもしれない。

 二次審査の日に、わたしたちに起きた『奇跡』。その全ては実行委員長・九条豊臣によって仕組まれた、危ない橋を渡るような計画だった。結果無事に渡り終えたから、ありえなかったはずの演劇部と軽音楽部の合同企画が実現した。

 そして、これまた『奇跡』としか言えないような勝利を野球部が遂げている。

 ……まさか、ね。

 長嶋君はわたしたちに向き直った。

「彼方、優希。こないだは野球に付き合ってくれてありがとな。お礼と言っちゃなんだが、『第三世界連合』に全面協力させてほしい」

「いいけれど、何するつもり?」

「一泡吹かされたから、その仕返し。俺たちなら、きっとヤツの度肝を抜き返せる」

「……いいぜ。その話、オレは乗ッた!」

 視線がわたしに集まる。

 正直、それほどのものが作れるかどうかは分からない。スランプを抜けられていないのも事実。だけど、不思議とこの三人なら、否、第三世界連合の全員なら出来るような気がした。

 長嶋君から手が差し伸べられる。マメだらけの無骨な手を握り返すと、染み渡るような温かさが伝わった。

「起こそうぜ、九条先輩に負けないくらいの奇跡」

「ええ。わたしたちの矜持にかけて、最高の舞台を作りましょう」

 


 ☆     ☆     ☆


 

 運営補助員の仕事があるとかで長嶋君が去ってから程なく。握り返した手は、まだ熱を帯びている。

「ったく、手のかかるクセにこっちが妬けるくらい良いコンビじゃねェか。さっさとくっつけよお前ら」

「……ぶっ殺すわよ」

 そう言いながら、優希はひたすら嬉しそうにしている。わたしの数少ないを知ってからというもの、容赦なくそこを突いてくるようになった。

 だから、仕返しの一つや二つ、したくなるのが道理。

「優希こそ、気になる相手とかいないの? ほら、Giselleのおき君のこととか、どう思ってるのよ」

「アイツは、まあドラムだな」

「確かに彼は凄いドラマーだけど——」

「いや、ドラム。ブッ叩けばいい音が出る」

「…………は?」

 仕返しのつもりが、絶大な支持を得る人気バンド・Giselleの見てはいけない一面を見てしまったのかもしれない。

 これから軽音楽部とうまくやっていけるのか、少し心配だわ。

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文化祭アッパーシンドローム 杏也じょばんに @kyo-ya-ume

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