ACTRESS

賢者テラ

短編


 目覚めたその瞬間から、私には今までと違う世界が待っていた。

 沢山の顔が、私を取り囲んでいた。

 両親・親族。そしてお医者さんや看護師さん。

 病院の廊下では、マスコミ・報道関係者も大勢詰めかけていた。



 歴史に残る大惨事となった、電車の脱線事故。

 多数の死者とけが人を出した。私は、この電車の前から二両目にいた。

 私が、電車の中で覚えている事故前の記憶——

 つり革につかまって私が立っているそのすぐ横に、魅力的なお姉さんが立っていた。私は失礼にもジロジロ見てしまったもかかわらず、イヤな顔ひとつせずにっこりと笑い返して、軽く会釈をしてくださったことを覚えている。



 私は、ある女子中学の生徒だ。

 その学校は、小・中・高・女子大とすべて揃っており、エスカレーター式に上がっていける名門校だ。

 制服からして、隣のお姉さんは高等部だと分かる。

 きれいな黒髪が腰まであって、意思の強そうなきりりとした眉。

 そして不思議な魅力を発散させる、吸い込まれそうな瞳。

 ショートカットで、おてんばなスポーツバカである私とは大違い。

 なぜ、この時こんなにもこの人のことが気になったのか。

 今思えば、世界中の誰よりも私の人生に影響を与えることになる人物との、最初で最後の出会いだったのだ。



 私が電車に乗り込んで、二駅も通過した頃だろうか。

 その悲劇は突然、起った。

 足元が、地面ではなくなった。

 列車の側面、つまりドアが真下になった。横転したのである。

 ブレーキ音なのか、悲鳴なのか分からない大音響が耳を裂く。

 天地をひっくり返された乗客は、ある者は頭部から列車の壁に叩きつけられ即死。

 列車の窓ガラスは粉々になり、柔らかい肉のかたまりでしかない人間の体を、容赦なく襲った。

「あぶないっ」

 私が最後に覚えているのは、その声。

 確信があった。それは私の隣に立っていた、高等部の先輩の声——



 怪我はしたが、二週間で退院できた。

 世間を震撼させた事故だったので、私の身辺は騒がしかった。

 生存者として、取材されたりインタビューされたりの連続で心休まらなかった。

 やがて私は、死者を多く出した二両目にいてなぜ生き残れたのか、そして何よりあの隣りの上級生がどうなったのかを知ることとなった。



「おい! 来てくれ、ここにも一人いるぞ。恐らくすでに死亡」

 救助隊の一人は、やるせなさに口を噛んだ。

 セーラー服に身を包んだその女子学生は、頭部を打ち砕かれていた。

 生きていれば、これからいいことだってあったろうに。恋も結婚も、子育ても。

 駆けつけてきた応援の者も一緒になって、かわいそうなその死体を引き上げ出そうとしたその時。

 彼らは驚きの声を上げた。

「……生存者一名、発見!」



 その生存者一名とは、私のことである。

 医師から聞いた話は、こうだ。

 命の恩人の名は、佐野香澄さんといった。

 彼女は、列車横転の瞬間、とっさに私を抱きかかえたのだろうという。

 そして背中を丸めて、私の体を外界のショックから守ろうとしたのだ。

 香澄さんの体がクッションとなり、結果私は列車の外壁に叩きつけられることもガラス片を浴びて肉を切ることもなく、腕の骨折と数か所の内出血で済んだのだ。

 私を救うために守りの盾となった香澄さんは、即死。



 そうか。

 私があの時、あんなに彼女のことが気になったのも、何か意味があったのだろう。

 そう、それは彼女が私の運命の人となることを、無意識のどこかが感じ取っていたのかもしれない。



 私は、香澄さんの葬儀に出席させてもらった。

 感動的な式だった。

 皆、魂の底から彼女の死を惜しんでいた。

 他人である私を、命を張って助けてくれたほどの人だ。

 日常生活での周囲からの人望も、きっと厚かったはず。

 私は焼香をさせてもらいながら、祭壇に飾られた香澄さんの遺影を見た。

 あの時、私が感じたのと同じ印象。

 どこかの女優さんのようにきれいで、本当に底知れぬ人間的魅力をぷんぷんと発散させていた。

 しかし。この時の私の思いは、的外れではなかったのである。



 香澄さんのご家族とも、面会した。

 お父さんもお母さんも弟さんも、私に対してわだかまりは持っていなかった。

 大変だったでしょう、あなたはうちの香澄のことで何も気に病むことはありませんよ、と優しい言葉をかけてくれた。

 それどころか、香澄があなたを守ったのは、偶然ではなく何か意味があることのように思えてなりません、あなたさえよければ、これからもお付き合いさせていただきたいのです、と申し出てくれた。

 この時から、私は佐野家と深く関わることになっていく。



「すごいですね、これ……」

 私は、香澄さんが生前使っていた部屋を見せてもらった。

 賞状の入った額縁や、トロフィーの数々。

 それらは、すべて演劇に関するものだった。

 確かに、うちの学校の演劇部は、伝統がある。

 有名女優の中にも、この学校の演劇部出身だという者は少なからずいるのだ。

 香澄さんは小学校の頃から演劇一筋で、数々の演劇コンクールで賞を総なめにするほどの実力派であったらしい。

 私を案内してくれながら、香澄さんの母は語ってくれた。

「あの子はね、演劇を心から愛していたんです。高校でも、演劇部員でしてね。ゆくゆくは本格的にレッスンを受けて、大きな劇団に入って大舞台に立つ、というのがあの子の夢だったんです」

 それを聞いて、私はちょっと複雑な心境になった。

 香澄さんを失うことのほうが、社会の損失だったのではないか。

 なのに、何の誇るものもない平凡な私なんかが生き残って——

 私が、香澄さんをかばって死ぬほうが良かったんじゃないか?

 そう考えて、暗澹たる気分になった私であった。



 その夜、私は夢を見た。

「そこにいるのは……香澄さん?」

 私が声をかけると、香澄さんはニッコリ笑った。

「さぁ、始めましょ」



 ……は、始めるって何を?



 疑問は、すぐに解けた。

 一冊の台本を渡された私は、それを何度も何度も読み上げさせられた。

 そして、所々で演技指導までついた。

 でも、私ったらなんでこんなことさせられてるんだろ?

 目が覚める前、彼女は私に言った。



 あなたは、私が守った世の宝。

 さぁ、私の分までその才能をふるいなさい。

 私が生きてつかむことができなかった夢をつかみなさい——



 ……えっ、演劇の才能があるのは香澄さんであって、私じゃないでしょ?



 一体なぜ、私なのか。

 演劇の経験など何もない。関心すら持ったことがない。



「ちょっと真希、ついて来てってさ、どこ行く気?」

 ちょっと心細かった私は、クラスメイトで親友の中根亜由に頼み込んでついてきてもらい、高等部の校舎を目指した。

 昼休みの弁当もそこそこに、私は中等部の建物を出てずんずん歩いた。

「ゲッ。まさか、高等部に行く気? やっだぁ、あんな伏魔殿に一体何の用事があるってのよ? くわばらくわばら」

 伏魔殿とはまた、高等部もえらい言われようだ。



 ……私だって、本当は行きたかないやい。



 でも、行かないといけない。

 だってそれが、香澄さんの希望だから。

 本来ならば失っていた、この命。

 他の尊い命を代価に、買い取られたこの命。

 もはや生きているのは私ではなく、私に託された希望が生きているのだ。

 だから、逃げちゃいけない。

 目をそむけてはいけない——



 私の訪問に、高等部の演劇部部長・井川明日香さんは目を丸くした。

「……中等部の子が、一体何の用?」

 ズバリ、用向きを言う。

「次の学校祭で上演する演目・『光の果てに』の酒場の女主人・フリーダ役。佐野香澄さんが演じるはずだったあの役を、ぜひ私にやらせていただきたいんです。ご無理を承知で、どうかお願いいたします!」

 明日香さんのかけていた赤縁のメガネが、鼻の先までずれた。

 ずれたメガネを人差し指で押し上げながら、明日香さんは一言。

「あのねぇ。あなた、熱でもあるんじゃない?」



 確かに、常識で考えたらムチャな話だ。

 中等部の人間が高等部の部活にからもうとする時点で、すでに非常識だ。

 しかも、学校祭の出し物とはいえ、名門演劇部の正式な公演だ。

 噂では、逸材を求めて芸能界に引き抜くためのスカウトも、よく観客にまぎれているとも聞く。

 それに、部員でもない何の経験も実力もない者が、正式な演劇部員を差し置いてでも出せ、というのだから! 

 これはもう、非常識を通り越して『あり得ない』話なのだ。



 明日香さんは、完全に私をなめきって、腕組みをして高圧的に言う。

「だいたいねぇ。そんな申し出が通るとでも思ってるの? うちの演劇部をなめてもらっちゃ困るわね。

 確かに、部でも指折りの実力者である佐野さんを失ったことは大きな損失でした。でも、穴を埋めれる優秀な部員は他にもいます。未経験者の、しかも中等部の子の手を借りなきゃいけないほど、ウチは落ちぶれてはいませんっ」

 とりつくしまもないので、仕方なく私は夢で香澄さんに教わった通りに、即興で演じてみた。

 酒場の女主人・フリーダ役の部分をすべて。

「まぁ、驚いた。フリーダは劇中でも三番目にセリフが多い役なのに、それをすべて暗記している、というの?」

 明日香さんは、腕組みをしてしばし考え込んだ。

「そう言えば、あなた佐野さんがかばって生存した、っていうあの子よね……」

 したたかな明日香さんは、一瞬の内に損得を計算したようだ。



 ……佐野さんが命を張ってこの子を救ったというのは、世間でも有名な話。

 その子が亡くなった佐野さんの遺志を次いで、大舞台を奇跡の大成功へと導くなら? それならば、話題性十分。利用価値はあるわね。

 ウチの部は、一気に世の注目を集めるわね!



「分かりました」

 ついてきてもらった友達の亜由は、ハラハラして成り行きを見守っている。

「明日の放課後。動きやすい恰好をして、高等部の演劇部の部室に来なさい。その時までに、あなたにチャンスをあげれるかどうかの結果を出しておきますから」

 


 私は、フラフラになって家にたどり着いた。

 自分の惨めさを思って、私は部屋で声を上げて泣いた。

 分かっている。

 香澄さんに託された願い、そして希望。

 でも、でも。

 香澄さん、教えてください。

 何で、私なんです。

 私じゃなきゃ、いけなかったんですか!?




 指定どおり、ジャージ姿で演劇部の部室を訪問した私。

 入ったその瞬間に、敵意むき出しの沢山の視線に迎えられた。

 部長の明日香さんは、こう宣告してきた。

「上級生部員を集めての会議の結果、とりあえずあなたをフリーダ役の候補の一人とします。いいですか、あくまで候補です。あなはやはり不適格、とこちらが判断した時点で、ばっさりあなたを切りますから、そのつもりで。

 一応、中等部のあなたがこちらに関わるという異例の事態については、学校法人の理事会から承認を得ましたので、その点はご心配なく」

 つまり、チャンスは与えてやろう、ということらしい。

 だから、他の部員は私のこと敵視しているんだな。

 部外者に、せっかく空席になった役を奪われて——



 もともと、この名門演劇部の練習は厳しいことで有名だ。

 しかも、私の場合はそれだけではない。

 すべての関係者を敵に回している。味方は、ひとりもいない。

 私は、レッスンで怒鳴られまくった。

 セリフを覚えているだけでは、誰もほめてくれない。

 平手打ちもくらった。

 人気のないところで、つばも吐きかけられた。

 制服のスカートに、カッターで入れた切れ目があった。



 夜、また夢を見た。



 ……負けないで、真希。



 ああ、香澄さん。

 私、苦しい。

 何もかも、投げ出してしまいたい。

 私なんか、才能ないんです。

 香澄さんのようになんか、なれっこありません。

 それを聞いた香澄さんは、寂しそうな顔をした。



 ……あなたには、私がついている。

 あなたは私が人生の最後に見つけた、光の子——



 香澄さんの目には、力があった。

 その目は、意地悪な視線を投げかけてくる演劇部員たちよりも、誰よりも信じるに足る確信に満ちた、澄んだ瞳だった。

 そしてその瞳から涙がこぼれ落ちるのを見たら、何も言えなくなった。

 命の恩人を泣かせちゃいけない。

 そうだよ。私、忘れてた。

 もともと、一度は死んでいた身。何も惜しくはないはず。

 私、香澄さんのためならなんだってする。

 命を懸ける。

 奇跡だって、起こしてみせる。



 私は、演劇部のしごきに立ち向かっていった。

 涙もこぼれたが、決して練習をさぼらなかった。

 バカとか帰れとか言われても、歯をくいしばって耐えた。

 ぶたれても、『ありがとうございますっ』と叫ぶのを忘れなかった。

 部室の掃除から、スポーツ飲料や小道具の材料の買出しまで、何でもやった。

 部員の最後の一人が部室から出て帰るまで、会釈して待ち続けた。

 そして最後に、戸締りをして部室の施錠をしてから帰った。

「あんた、意外に見所あるじゃん」

 一週間ほどすると、そう声をかけてくれて、色々とアドバイスをくれる部員が現れた。そしてその先輩が帰りがけに、ミスド寄って行かない? と声をかけて誘ってくれた時には、床にペッタリ座り込んで、ワンワン泣いてしまった。

 だってさ、本当にうれしかったんだもん。

 


 香澄さんとその先輩以外にも、援軍が現れた。

 まず、近所のラーメン屋『太極軒』のオヤジさん。

 友達の亜由が、教えてくれた。

「あの店の主人、昔『劇団二季』に所属していたことがあるんだって!」

 果たして、その噂は真実であった。

 ラーメンを食べに行ったついでに、聞いてみたから。

「おらぁ、5年でやめちまったけどね。こう見えても、結構セリフのある役ももらってたんだぜ。真希ちゃんにも見せてやりたかったなぁ!」

 私は、週三回オヤジさんの店がひけてから演技を見てもらう約束を取り付けた。



 学校でも——

 亜由がクラスに呼びかけてくれて、昼休みは全員練習に協力してくれた。

 私以外の役を、クラスの有志が担当してくれて、稽古をするのだ。

 皆急いで弁当を食べ終わると、一斉に机を後ろへ下げて、スペースを作る。

「さぁ、始めようぜ!」

 学級委員の長坂君が音頭をとって、みなをまとめてくれる。

「それじゃ、退役軍人役の平井君と、花屋の娘役の安藤さん前へ!」

 役のない人も、観客になっていろいろ感想やらアドバイスをくれる。

 時々、職員室への出前ついでに太極軒のオヤジも見ていってくれる。



 ……香澄さん、私は一人ぼっちじゃなくなったよ。



 夢でしか会えない香澄さんに、私は心の中でそう報告した。



 部長の明日香さんがリークしたのかもしれないが、『事故の生存者が、かばってくれた犠牲者の遺志を継いで、未経験なのに演劇の舞台に立つ』ということがニュースになり、連日マスコミが取材に来るようになってしまった。

 これで私は、もう引くに引けなくなった。

 後戻りの出来ないところまで、来てしまったのだ。

 


 とうとう、本番前日になった。

 この頃には、私はもういじめられなくなっていた。

 演劇部全員が、学校祭の舞台の成功のために一丸となって、私をバックアップしてくれていた。

 香澄さんを信じて頑張って、本当に良かった。

「あら、真希ちゃんまだ帰ってなかったの」

 明日立つことになる舞台で考え事をしていると、部長の明日香さんが舞台袖から顔を出してきた。

 彼女は、私の真横まで来て、同じように観客席を見回した。

「……正直、あんたがここまでになるとは思ってなかったわ。ニュース性と話題性を買って使おうとはしてみたけど、絶対に途中で根を上げて泣いて帰ると思ってたのに。あんた年下だけど、ある意味尊敬するわ」

「ありがとうございます」



 明日香部長は、まだ何か聞きたそうだった。

「ひとつ、参考までに聞いておきたいんだけどさ——」

 案の定、彼女はそう言って舞台の上を数歩前に進んでから、クルッと私に向き直ってこう尋ねてきた。

「正直信じられない、って思いが強いけど、どうみてもあんたにはあの佐野さんの霊か何かが後押しでもしているとしか思えない。そうじゃないと説明のつかないことが多すぎる」

 そこでいったん言葉を切り、しばらくの静寂の後再び口を開いた。

「助けてもらった恩義があるとはいえ、あなた演劇にゼンゼン興味がなかったわけでしょ? 自分に才能があるとか向いてるとか、考えた事もなかったんでしょ? 自分で選んで道ではなく、ある意味死者によって押し付けられた道じゃない。

 あなた自身は、本当にそれでいいの? あなた自身がやりたいと思っていたことは、もういいの?」



 私は、ホールの高い天井を仰ぎ見て、答えた。

「確かに、初めの頃は私の命の恩人の頼みだからって、ムリに頑張ってた。

 私は香澄さんとは違います、期待されても何も出てきません、って思いながら。

 私は、かばわれなかったら死んでいたかもしれない身。だったらこの命、香澄さんの望むとおりに捧げてもいいかな、って。でも……」

「でも?」

「やっぱり、楽しいです。演劇って」

 私は明日香部長に、心からそう言った。

「私今、自分がやりたくてやってます。香澄さんがもういいからやめろ、って言ってもやめませんね、きっと。自分自身がやりたい、っていう動機にいつしか変わってきたんですね、皆さんと一緒に情熱を注いで演技しているうちに」

「そう。それを聞いて安心したわ」

 明日香部長は、私に握手の手を差し伸べてきて言った。

「明日の舞台は、きっと成功させましょう。よろしく」

 私は微笑んで、彼女の手をしっかり握った。



 本番当日。

 二千五百人が収容可能なホールは、大入り満員。

 そこに、『劇団二季』の実質的オーナーでもあり演劇界のドン、とも目される大御所・赤城冴枝子も来ていた。

 もちろん、優秀な人材が眠っているかどうか物色するためである。

 冴枝子は、ホールの壁にかかった不自然な看板を見て眉をひそめた。



 ラーメン・ギョウザの殿堂! 出前迅速!

 中華料理の名店 太極軒



「……何、あれ?」

 冴枝子に同行してきていたゼネラルマネージャーの高井は、答えた。

「何でも、今回のこの舞台公演の大手スポンサーらしいですよ。多額の援助をいただいたらしく、宣伝の看板を出せという要求を、学校側も理事会も無下には断れなかったようです」

「はぁ」

 冴枝子があきれていると、当の太極軒のオヤジが現れた。

「オーナー、久しぶりです」

「ああ、あなたは確か10年ほど前にウチにいた?」

 オヤジのことを、冴枝子も辛うじて覚えていたようだ。

「先生、今回は逸材がいますぜ。あっしが保証いたしやす。フリーダ役で登場する坂元真希ちゃんって子なんですが、どうかしっかり見てやっておくんなせぇ」

「ああ、あの電車事故で亡くなった演劇部員の後を継いだまったく無経験の子、ってのはその子のことなのね」

 そう言えば、世間ではその話題で持ちきりだったなぁ。

 美談として。また、奇跡の物語として。



 ……ふん。私はこの目で見るまでは何も信じない。

 


「な、何なの、この子!」

 冴枝子の目をひいたのは、主役の踊り子でもなく、準主役の退役軍人の役でもない。三番手の役どころ、酒場の女主人フリーダを演じる坂元真希。

 生きている。

 フリーダが生きている。

 生きて、動いて、考え、そしてしゃべっている。

 舞台にいるのは、坂元真希とかいう少女なんかじゃない。

 冴枝子は雷に打たれたように、体中に心地よいしびれが駆け抜けるのを感じた。

「見つけたわ」

 ボソッと漏らした冴枝子の声に、マネージャーの高井は振り向いた。

「オーナー、今何と?」

「だから、見つけたのよ」

 薄暗い観客席でも、冴枝子の頬が興奮で赤く上気しているのが分かる。

「すべての役どころを演じる事のできる、真のアクトレスを。霊を降ろして憑依させたかのように、その役になりきることのできる天性の女優が!」



 大喝采を浴びて、舞台は閉幕した。

 カーテンコールを終えて楽屋に戻った真希は、まだ興奮でボウッとしていた。

 心臓が、まだドキドキしている。

 別の魂が、抜けきっていない。

 私はまだ、フリーダ……

 実際、その変貌ぶりに演劇部員の誰もが真希を恐れた。

 その恐れとともに、周囲は彼女を天才と認めた。

 それほどまでに、役になりきっていたのだ。

「真希ちゃん、お客さんだよ」

 舞台への通用口から、部長の明日香が真希に声をかける。

「えっ? あ、はい」

 彼女はまだ夢見心地のままで、フラフラと化粧台の前を離れた。



「フリーダ役お見事でした。あなたが、噂の坂元真希さんね。亡くなった佐野香澄さんが乗り移った、とかいう」

 楽屋を訪ねてきたのは、あの赤城冴枝子であった。

「え? はい、まぁそうとも言えますかね?」

 真希は、苦笑して答えた。

「あなたの素晴らしい演技、見せてもらいました。正直ここまでとは思ってなかったので、度肝を抜かれたってのが私の正直な感想です。

 どうかしら、あなた高校を卒業したら、ウチの劇団に入らない?

 もちろん、こちらから声をかけさせていただく以上、後の生活もすべて面倒を見させてもらいます」

「本当ですか? うれしいっ。ああ、香澄さんのお母様にご報告したら、きっと喜んでくださるわ! 本当にありがとうございますっ」



 ……香澄さん、やったよ! あなたの分も頑張って、命の炎を燃やします。



 突然、そのやりとりを近くで見ていた明日香部長が、ショックのあまり思わず持っていた花束をバサリと床に落とした。

「あっ ああ 佐野さん、佐野さんが…」

 冴枝子と話す真希は、ショートだったのををイメチェンでロングに伸ばした髪を手でいじり、クルクルと指で巻く動作を繰り返している。

 真希にあんな癖(くせ)はないはず。

 あの癖があったのは知る限りただひとり——

 それは、亡くなった佐野香澄のものであった。



 立ち尽くしている明日香に気付いた真希は、ゆっくり振り向いて言った。



「あら部長。私何か……ヘン?」




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 ※ラーメン屋・太極軒のオヤジが活躍する他作品


 『ライフライン ~いのちのでんわ~』 (短編小説)

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ACTRESS 賢者テラ @eyeofgod

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