第六章 乙女の導く未来4
帰国からたった数日で、リアたちはまた出国せねばならなくなった。
もともと、校外学習という名目で外出しているのだ。いくら生徒の自主性を重んじる校風とはいえど、そう何日も不在にはできない。
「休暇には、またゆっくり帰ります」
見送りに来たブルーノに、リアは声をかけた。
来たのは彼だけだ。ダニエラはまた寂しくなってはいけないからとさっさと訓練場へ行ってしまったし、エーリクもそれに付き添った。父も母も、いつもの日常に戻っている。大仰な見送りをすると王子たちの出国も知られてしまうから仕方がない。
「じゃあ、クライネルト女史によろしく伝えてくれ」
「わかりました。大使の件と、通信設備のことをお伝えしておきます」
ブルーノから預かった親書を、リアはローブの懐に大事にしまった。ヴィルヘルミーナ宛のその手紙には、近々グロヘクセレイと交易について話し合う場を設けることと、通信を行うための設備を整える依頼について書かれている。
交易については、先にヴィルヘルミーナから提案があったのだという。リアの開いたお茶会で食したヴィカグラマルク産の食べ物が大層気に入った彼女が、さっそくグロヘクセレイでも取り扱えるよう働きかけているらしい。
「さすが『首都に魔道学院があるのではなく、魔道学院のある場所に首都がある』と言わしめるだけのことはあるな。学院の教師の中に政治に影響力を持つ方がいるとは」
「実質、今はヴィルヘルミーナ先生が学院のトップですから。学長は議会に出入りしてばかりで、学院にはほとんどいないんですよ」
感心するブルーノに、アナスタシアは情報を付け加える。それを聞いて、だから学長室は内緒話にもってこいなのかと、リアは妙なところで納得した。
「君はいろいろな情報に通じていそうだな。学院に戻ってからもうちの妹を助けてやってくれ」
戻ってきてから様々なことを聞きたがるブルーノに対して、応対してくれたのはアナスタシアだった。リアが知らないようなことも彼女はよく知ってるし、何より頭の回転が早く説明もうまいのだ。
リアが貴族の令嬢だと知っても、アルトゥルたちが王子だとわかっても、彼女は物怖じすることもなかった。
「お安い御用ですよ。ヴィカグラマルクの美味しいお菓子を定期的に送ってくだされば、うんと張り切ります」
アナスタシアは愛らしい笑顔を作って言う。リアは彼女のこういうしっかりしているところと、自分の魅力を理解しているところが好きだ。
アナスタシアという友人は、リアが魔法と魔術のほかにグロヘクセレイで得た、素晴らしいものだ。
「ハルトマイヤー、あまり図々しいことを言うな」
「いや、構わない。カーリアへの手紙と一緒にいつも届けることを約束しよう」
ホイスディングはアナスタシアをたしなめたけれど、ブルーノは気にした様子はない。むしろアナスタシアの素直さを面白がっているようだ。といってもその表情の変化はわかりにくく、貴族や王族というものに弱いホイスディングは恐縮している。権威を振りかざす彼は、権威に弱いということらしい。
「では、そろそろ行こう」
「はい」
先に馬車ならぬトカゲ車に乗り込んでいたアルトゥルが、リアたちを呼んだ。数日間たっぷり休養をとった大トカゲたちは、今日は元気に大型の車を引いてくれる。彼らはヴィカグラマルクの空気と食べ物を気に入ったらしいけれど、借り物である以上、返さなくてはならない。大トカゲの譲渡についても、いずれ交渉するとブルーノは言っていた。
「カーリア、本当に車に乗らなくていいのか?」
「はい。グロヘクセレイに戻れば、乗馬なんてできませんから。身体がなまらないように乗っておきます」
アルトゥルが気づかってくれたけれど、リアは大トカゲに乗って帰ることを選んだ。テオドルだって御者役を買って出てくれているし、ローランドもアシュガルも車には乗らないというから問題ない。
問題は、第一王子と車に同乗することになったホイスディングのほうだろう。走り始めたばかりだというのに、彼は窓に頭を寄せて青い顔をしている。アルトゥルのまとう威圧感には屈しなかったのに、第一王子という肩書には地に伏さんばかりになっているのがおかしい。
「疲れたのなら言いなさい」
「大丈夫だよ、兄さん。リアが疲れたら、俺が責任持って抱えて連れて行くから」
「……遠慮なく車に乗るんだ。いいな?」
「はい」
ローランドの軽口に呆れ、アルトゥルはリアに念押しする。車に乗る気もローランドに抱えられる気もないけれど、リアはうなずいた。
それからしばらくは、リアは黙々と大トカゲを走らせた。故郷の景色を目に焼きつけておきたかったのだ。
季節は晩夏。濃い森の緑は夏そのものだ。これまで当たり前のように見えていた空の青さや森の緑を、リアは愛しむように見つめた。
「ヴィカグラマルクは“箱庭”と呼ばれているだけあって、豊かな国だな」
リアの少し後ろを走っていたアシュガルが、感慨深そうに言う。それを聞いて、リアはずっと気になっていたことを思い出した。
「そういえば、その“箱庭”って何なの? そう呼ばれているのは気になってたんだけど、聞こうと思って忘れていたの」
学院へ行ってからの日々は、とにかく忙しかった。その間に、気になっていたことを誰かに尋ねる機会を逸してしまっていたのだ。
「始まりの魔法使いたち……人類で初めて魔法を手にした人たちのことだ。その人たちが創った平和で、豊かな世界だからそう呼ばれているらしい。それゆえ、魔法や魔術から隔絶されているのだと聞いた」
「……どういうこと?」
アシュガルが説明してくれるけれど、リアにはよくわからない。ヴィカグラマルク語に翻訳された本の情報には偏りがあると、以前ヴィルヘルミーナが言っていた。そのことに関係するのかもしれない。
「魔法は精霊を、魔術はエーテルを消耗する。それが少しであれば問題ないが、大量だと自然を損なう。アブトカハールは大昔、何か大規模な魔術を使って消耗したことで砂漠になったと言われている。アブトカハールでのことを悔いた人々が、ヴィカグラマルクを魔法からも魔術からも遠ざけたんだろう」
黒曜石のペンダントをいじりながら、ポツリポツリとアシュガルは話してくれた。砂漠の国から来た彼は、リアたちとはまた違った思いで学院にいるに違いない。
「俺たち、守られてたんだね。王族である俺たちでも知らされてないことを、ずっと長きに渡って受け継ぎ守ってる人たちがいるってことだ」
話を聞いていたローランドが、そう推測した。推測ではなく、確信だ。そうでなければ理屈が通らない。
正史では語られない裏側で、ヴィカグラマルクという箱庭を守り続けた人たちがいる。
ヴィカグラマルクは大国ふたつに挟まれているのではなく、魔法や魔術を失った国と、魔法や魔術を大成させた国に挟まれているのだ。
(そこへ魔法や魔術を持ち込もうとしている私は、異質だわ……)
自分のしようとしていることに気づいて、リアの気持ちはちょっぴり落ち込んだ。
「リーア、お前様の媒介を見せてくれ」
「あ、はい」
唐突に言われ、リアは懐から杖を取り出した。少し念じるだけで、それは木の棒から輝く白い杖に変わる。昼間の太陽の下にあっても、杖の先端に頂いた光の球はまばゆく美しい。
「いい杖だ。精霊の泉から媒介を授かることができるのは、始まりの魔法使いたちの血を引く者だけらしい。誇らしいな」
「そうね」
アシュガルが励ましてくれているのだとわかって、リアは改めて自分の媒介を見た。導き手の杖だというそれは、どんな気分で見てもやはり誇らしい気持ちにしてくれる。この杖に見合った者になろうと、胸を張らせてくれる。
「世界が変わるなら、俺たちだって変わらなきゃいけないんだよ。守る力だって、必要になってくる」
少し前を走るローランドが、微笑んでリアを見ている。彼が言っているのは、竜の出現のことだろう。
これまで現れたことのなかった竜がヴィカグラマルクに現れた。魔法や魔術という守る力がなければ、どうなっていたかわからない――彼はきっとそう言いたいのだろう。
「そうね。何が正解かはまだわからないけど、とりあえずまずは魔法と魔術をしっかり修めるわ。立派な魔法使いにならなくちゃ」
「ついていきますよ、俺たちのリア。どこまでも、杖の導くその先へ」
おどけたように片目をつむってローランドは言う。それを見ていたアシュガルが、あきれたようにクスッと笑った。
「ローランドは立派な魔術師になるより先に、リーアに選ばれる男にならなくてはな」
「それは……まあ、そうだけど」
からかうようなアシュガルの言葉に、ローランドが口ごもった。飄々としている者同士だと思っていたけれど、どうやらアシュガルのほうが一枚目上手らしい。
険悪だったふたりも、火竜との戦いでずいぶんと打ち解けたらしい。そのことを、リアはとても嬉しく思った。
「さあ、急ぎましょう。夜までには学院に戻らなくちゃ」
大トカゲの腹を軽く蹴って、リアは速度を上げた。そして、導くように杖を掲げて先頭を走る。
走っていくその先に何があるのか、リアにもまだわからない。でも、正しき道に、輝く未来に、大切な人たちを導けたらと願っている。
その願いのために、リアはまた学び舎へと帰っていくのだ。
〈第一部・完〉
導く乙女と箱庭の王子たち 猫屋ちゃき @neko_chaki
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