第六章 乙女の導く未来3


 街道に並ぶ人々の声援に応えるために、リアは笑顔で手を振る。幌のない豪華な車に乗るのは、リアと三人の王子たち、それからアシュガル、アナスタシア、ホイスディングだ。

 リアたちはヴィカグラマルクを襲おうとした火竜を退けた英雄として、王国民から熱烈に迎えられている。

 竜という、これまでこの国に現れるはずもなかった脅威の出現に人々は恐れ、混乱するのではないかとリアは危惧していた。

 でも、実際のところ竜の出現に対する恐慌はほとんどなく、人々は王子たちの姿に歓喜している。

 その姿を見て、この国の平和さと人々の穏やかさを実感すると共に、やはり危機意識が薄いのだと再認識した。


「ヴィカグラマルクって、のんびりしてていい国だね」


 弾けるような笑顔で手を振りながら、アナスタシアは感激したように言う。パレードに参加することをためらっていただけに、王国民の歓迎ぶりが嬉しかったようだ。


「こんな笑顔で人に迎えられたの、初めてだ」


 アナスタシアの横で、ホイスディングも言う。素直に喜びを表現するのが苦手らしく、笑顔が引きつっている。けれど、彼は彼で嬉しそうだ。


「本当に、おだやかで懐が深い国だな。さすがに俺に対しては石が飛んでくるのではないかと思っていた」

「そんなことさせないわ。アッシュ、あなたも恩人のひとりだもの」


 冗談ではなく真顔で言うアシュガルに、リアは苦笑するしかなかった。もちろん彼に石を投げることなど許しはしないけれど、あきらかに肌の色の違う彼を王国の人々が“王子のご友人”という言葉で受け入れてしまったことに驚いていた。


「たしかにこの国は穏やかでいい国よ。でも、危機感がなくて、いざというとき自身のことを守る力もない国だから……」


 王子たちを、国のトップを、無邪気に信じ安心しきっている子供のような人々に手を振りながら、リアは溜息まじりに言った。


「リア様、そんな顔しちゃだめですよ。笑顔、笑顔」


 護衛のために馬車の近くにいたダニエラが、馬上からリアをたしなめる。再会してすぐは見慣れなかった彼女(もとい彼)の騎士姿も、ようやくリアは見慣れることができた。

 リアがグロヘクセレイへ旅立ってから、ダニエラは毎日寂しがって大変だったのだという。それを見かねたエーリクが騎士団に放り込み、徹底的に鍛えたらしい。毎日厳しい訓練を積むうちに寂しい気持ちは薄れ、そのうちに「リア様を守る立派な騎士になる」と楽しげに励むようになったそうだ。


「おいダニエル! もうすぐ城につくからって気を抜くな! リアたちにもし石が飛んできたら、全部顔で受けろよ」

「もー、エーリク様! 顔に届く前に叩き切ってやりますわ!」


 気を抜いていると判断したダニエラにエーリクは厳しいけれど、ダニエラも負けていなかった。

 こうして、英雄たちの凱旋パレードはつつがなく終了した。

 王子たちの留学は公にはしていないため、これはあくまで凱旋なのだ。人々に手を振りながら、いつか魔術を修めて帰ってきたと胸を張って言いたいものだと、リアは思っていた。



 パレードが終わってからは、王城で祝賀会および歓迎会が開かれた。

 完全に公式の場というわけではないにしても、グロヘクセレイとアブトカハールの人間を招く場ということで、かなり気合いが入っている。

 王子たちやリアだけではく、ご学友である彼らも着飾らされ、特別な食事に楽団による音楽にと、豪勢なもてなしだ。

 国の偉い人たちに話しかけられ、ホイスディングもアナスタシアも目を回し気味だったけれど、一流の料理人たちが作った食事を口にしてからは、すっかり元気を取り戻したようだった。


「そろそろ、大丈夫かしらね」


 慣れ親しんだ空気とはいえ、やはりそういうものがあまり得意ではないリアは、そっと会場を抜け出していた。

 テラスに出ると夜風が心地よく、その風に乗って夏の花の香りがただよってきた。その香りを胸いっぱいに吸い込むと、高揚していた気持ちが少し落ち着いた。

 

「気分が悪くなったのか?」


 ふいに声をかけられ、リアの肩ははねた。でも、声や独特の訛りで、すぐに誰かわかる。


「アッシュ……ううん。少し、風に当たりたくなっただけ」

「お嬢様をしているのが、疲れたのだな」

「……そうね。そうなのよ」


 すぐに表情を取り繕ったリアを見て、アシュガルが笑った。そうして笑われて、そうだったのだなとリアもおかしくなる。

 それに、アシュガルの前では公爵令嬢でいなくてもいいのだと気がついて、ほっと肩の力を抜いた。

 たかだか数ヶ月、貴族の令嬢という立場から離れただけで、リアはすっかりその感覚を忘れてしまっていた。

 母に仕込まれた立ち居振る舞いが簡単に抜けることはなかったけれど、気持ちの面では激しい乖離を感じていたのだ。

  

「私、あまりこういう場が好きではないの。この国にいる間は、これが私の仕事だからそんなことは言えないのだけれど、こういうことより、学院で勉強をしたいと思ってしまうのよね……」


 アシュガルになら話してもいい気がして、リアはぽつりとこぼした。本来なら思うこともはばかられることだ。アルトゥルやローランドには、あまり聞かせられない。でも、まったく関係ないところにいるアシュガルには話してしまえた。


「人の多くが、望んだままには生きられぬからな。だが、今はお前様に与えられた猶予の時だ。いつかはこの場に帰ってこなければならないとしても、今はお前様は自由でいていいはずだ。だから、今は存分に好きなことを学べばいいと思う」


 慰めるでもなく、かといってとがめるでもなく、淡々とアシュガルは言う。

 これはもしかすると、リアにだけ向けた言葉ではないのかもしれないなと、聞きながら感じていた。

 アシュガルも何らかの思惑のもと、グロヘクセレイに留学しているのだ。彼も国に帰れば、役目や立場もきっとあるのだろう。

 今が猶予の時というのは、きっとアシュガルも同じだ。


「あの学院では、私たちは自由なのね」

「……そうだな。もし、完全に何にもとらわれないお前様でいたくなったときは、俺のそばにきたらいい。俺は、リーアがリーアであること以外望まないからな」


 そう言って、アシュガルはその野性味あふれる顔にやわらかな笑みを浮かべた。わかりやすく優しい表情に、不覚にもリアの胸は高鳴る。


「ちょっと、リアを甘やかせるのは自分だけとかいうアピール、やめてくれる?」


 夜のテラスにアシュガルとふたりきり――そう思ってドキドキしていたのに、唐突にまた、聞き慣れた声がそこに割って入ってきた。


「ロル」

「リア、こういう場所でレディが男とふたりきりになっちゃだめって、しっかり教わっただろ?」


 アシュガルから引き離すようにぐっと腕を引っ張り、ローランドはリアを上から見下ろす。笑顔なのに、目が笑っていない。

 でも、そんな顔をされる理由がわからないから、リアも負けじと睨み返した。


「私がすごくはしたないことをしたみたいに言わないで。異性とこういう場所にいるのが問題だって言うのなら、もう戻るわ。離して」

「ま、待って……怒らせたかったわけじゃなくて……ごめん。頼むから、そんな顔しないで。リアに、用があってきたんだ」


 睨んだのが効いたのか、ローランドはしなしなと情けない顔になる。昔からリアが本気で怒ると、ローランドは捨てられた犬のような顔をするのだ。


「もう……そんな顔しないで。それで、用って何?」


 少年時代を思い出し、リアはついほだされてしまった。それに、ずっと怒り続けるのも得意ではない。

 リアがもう怒っていないとわかると、ローランドは安堵したように笑った。


「あのさ、ご褒美を考えてきたんだ」

「ご褒美って……あのときの」

「そう。ねえ、俺と今、踊ってよ。今夜は、せっかくきれいな音楽があるし」


 キラキラとまぶしい笑顔で見つめられ、リアは戸惑う。たしかに竜と戦ったあの日、守ってくれたローランドにご褒美をあげると約束したけれど、まさか踊ってくれと言われるとは思ってもみなかったのだ。


「ご褒美、そんなことでいいの……?」


 てっきりもっと厚かましいお願いや大変なことをねだられると思っていただけに、半信半疑で尋ねてしまう。そんなリアに、ローランドは不敵に笑ってみせた。


「今はね。俺、欲しいものはちゃんと自分で手に入れるから」


 そう言って手を取り、ダンスの構えをとる。

 夜会でもどこでも、女性をエスコートし慣れているローランドにかかれば、いつだって舞踏会になってしまうということだ。


「異性とふたりきり云々言う男のすることではないと思うが……今夜は見逃してやろう。存分に褒美とやらで踊ってもらえ。学院の夜会では、クイーンとは簡単に踊れないからな」

「アッシュ……」


 それまでずっと傍観していたアシュガルが、面白がるように笑って去っていった。何となく気まずくて呼び止めたかったけれど、リアの身体ごとターンして、ローランドがそれを許さなかった。


「だめだよ、リア。今は、俺だけ見てて。ご褒美、くれるんでしょ?」

「……わかった。少しだけよ」

「やったね」


 了解を取った途端、ローランドは華麗なステップを踏み始めた。

 楽団の音楽は、テラスにまで聞こえてくる。それに合わせて、ローランドはリアの手を取って楽しそうに踊る。

 本当はあまりダンスが得意ではないのに、ローランドの導きによってリアも上手にクルクルと踊れていた。


(上手な人と踊るのって、やっぱりこんなに楽しいのね。まるで、背中に羽でも生えたみたいに身体が軽いわ)


 そんなふうに感激していると、ふいにローランドが小さく何かを呟いた。

 その直後、はらはらと輝くものが降ってくる。


「雪? でも、小さな光もあるわ。きれい……」

「氷の粒の中に光を入れてるんだ。雪が光ったらきれいだろうなあって思って。リアに、きれいなものを見せたかったんだ」

「……ロルったら」


 魔法を成功させたローランドは、少年のようにはにかんでいた。

 これをうまくやるために、きっとずいぶん練習したのだろう。

 リアも魔法を使うからこそ、この光る雪がいかに難しいものかわかる。それだけに、感激もひとしおだった。


「俺は、カーリア嬢ではなく、ただのカーリアをもらい受けられる男になりたい。だから、そのために頑張るから」


 真剣な顔で見つめて、ローランドは言う。めったに見せない、真面目な顔だ。でも、その言葉の意味がわからなくてリアは首をかしげる。


「どういう……んっ」


 意味を尋ねようとしたところで、唇をふさがれた。あまりのことに驚いて、とっさに目をつぶった。

 ダンスの構えのままだったため、がっちり手を握り腰も抱かれているから、逃げ出すこともできなかった。


「……な、何するの! キスは、ご褒美に含まれてなかったでしょ?」


 やっと唇が離れると、リアは上体だけ精いっぱい距離を取って文句を言った。

 顔が真っ赤になっているのがわかる。でも、テラスはあまり明るくないから、どうかローランドにバレませんようにと願った。


「さっき言っただろ? 欲しいものは自分で手に入れるって。だからこれからも、ご褒美にキスしてなんて言わない。したかったら、こうして自分でする」


 不敵に笑って、ローランドはひらりとリアから離れた。小突いてやろうとしたリアの小さな拳は、虚しく空(くう)を叩く。

 そして何事もなかったかのように、ローランドは祝賀会へと戻っていった。


「……もう、何なのよ。ロルの馬鹿……」


 怒りもドキドキも恥ずかしさも、どこにも行き場がなくて、リアはしばらくテラスから動けなかった。


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